「新原子力政策大綱」策定作業が始まった
民主党の政策は企業の言いなり
現地と結び運動を掘り起こそう |
原子力委員会の
新たな政策目標
原子力委員会は新大綱策定会議を設置し、十二月二十一日の第一回会合から一年後を目標に「新原子力政策大綱」の策定を行うと決定した。原子力委員会が「原子力を巡る意見の多様性の確保に配慮して選定」した策定会議委員二十六人(5人の原子力委員含む)には、気候ネットワーク代表の浅岡美恵さんや原子力資料情報室共同代表の伴英幸さんら批判派もきわめて少数派ながら参加する。
現行の大綱は二〇〇五年十月に「今後十年程度の政策の基本的な方向性」として策定された。原子力委員会はこの五年間で大綱の政策をめぐって大きく次の三点の「変化や進展状況」があったとする。
一点目は、温室効果ガス排出削減に対する要求や原子力科学技術の経済成長に対する役割に対する認識の高まりなど推進側にとって好都合な「変化」。二点目は、地震等による稼働率の低迷や高速増殖原型炉もんじゅの運転再開の遅延、プルサーマルが開始される一方で六ヶ所再処理工場のしゅん工の遅れや高レベル放射性廃棄物処分場の立地地点の選定活動が進展していないことなど、推進側にとって不都合な「進展状況」。三点目は、国際通商の活発化による人材育成や二国間、多国間関係の拡大・充実、原子力安全、核不拡散、核セキュリティに関する取組みの強化が国際的に求められ、「新たな政策目標」をつくる必要性が生じたとするもの。これを新政策大綱に反映させるべく新策定会議に諮り検討するという。
中止と継続の
費用計算は?
現行の大綱策定の過程では、六ケ所再処理工場のウラン試験開始をめぐって地元青森をはじめ全国的な攻防の時期と重なった。市民が先頭を担った運動からは、もんじゅ再開やプルサーマル計画の遅れによるプルトニウム過剰状況で、プルトニウムをあえて六ケ所再処理工場を稼動させて増やす必要があるのか、十九兆円と膨らんだ再処理工場の建設から廃止までの費用がさらに膨らみ電気料金に上乗せしてよいのかなどの疑問が策定会議にたたきつけられた。これに対し推進側は、ウラン試験を開始せずに六ケ所再処理工場を廃止した場合、工場が汚染されないことで費用が縮減するが、原発を運転する限り発生する使用済み核燃料を再処理せず地中に埋設する直接処分の費用がこれを上回るとし、策定会議の結論は再処理工場の稼動は必要だとするものだった。
もんじゅは運転を停止していても冷却材のナトリウムを加温するための電気代や燃料をはじめとした核物質や汚染防止などの費用として年間二百億円前後の管理費が必要だ。六ヶ所再処理工場は試験が中断していても、同様の管理費として年間約三千億円の収入が電力会社から払い込まれている。
「策定会議」への
参加と大衆運動
原子力批判派が策定会議へ参加する是非をめぐっては「結局は前回のように推進側のセレモニーとアリバイ作りにつき合わされるだけ」という批判意見があるだろう。だが、原発や核燃料サイクル施設の立地点や近隣で日常の活動ができない都市住民にとって、政策を取りまとめる過程に対して行動を起こす重要な機会であり、原子力委員会と策定会議に対しては徹底した情報公開を要求し、私たちはこの機会に明確で強力な原子力政策批判の論理と運動を組み立てるべきである。そのためにも、策定会議に参加した仲間を支えていくべきである。また、参加した仲間は支える市民やグループとともに脱原発への道筋をつくる大衆運動として策定会議の過程を活用し、情報や課題ごとの立場を明らかにすべきである。
新策定会議はまず、推進側からの既成事実の突きつけという状況で開始するだろう。また、もんじゅに続く高速増殖実証炉の建設に向けた動きも加速するだろう。六ケ所再処理工場は二年間、高レベル放射性廃液のガラス固化試験のトラブルにより最終試験が中断したままだったが、この試験再開が二〇一〇年中とも報じられている。現行大綱策定後に生じた推進側にとっての不都合を取り除き、高速増殖炉の使用済み燃料も処理できる「第二再処理工場」の必要性議論に突き進もうとするだろう。さらに、高レベル廃棄物の最終処分地をめぐって水面下で進められてきた立地攻勢の推進側の成果が、何らかの形で具体性をもって現れるだろう。でなければ「トイレのないマンション」として国際通商で日本の原発が敗退するからだ。
地球温暖化の
評価めぐって
現在、原子力批判派の間に、「地球は温暖化している」「していない」と意見の違いが顕著になっているのではないか。策定会議に参加する前記の二人は「地球は温暖化している」派として行動するグループの代表だ。「していない」派にとっては、「地球温暖化を利用して原発を推進する策定会議のステージ」に上がることへの批判はできるだろう。
しかし、「している」「していない」の意見の違いを運動の中に持ち込むのは誤りだ。まず、われわれ批判側の意見の違いが運動体間の乖離につながれば推進側にとって好都合な状況となること。そもそも原子力の問題は、気候変動が課題として認識される以前に、基本的な反対の論理が歴史的に作られていること。
「している」「していない」にかかわらず、原子力の危険性や不必要性について共通の認識をもって共同行動してきた。策定会議での議論に介入する深さは別として、策定会議というステージを原子力に批判的な市民によって監視し、包囲する姿勢は必要だ。
「原子力復興と
いう夢」の真実
現在発売中の岩波の『世界』一月号の特集「原子力復興という夢」では、推進側が喧伝する夢を打ち砕く論文が多数掲載されている。故・高木仁三郎さんと共に、「もうひとつのノーベル賞」とよばれるライト・ライブリフッド賞を受賞したマイケル・シュナイダーさんは「原子力ルネサンス」の現実は原発の伸び悩みとして次のような指摘を行っている。
太陽光や風力発電のキロワット当たりのコストが劇的に下がっている一方で、原子力発電のそれは上昇し続けているという「技術学習曲線」の実例で比較し、最新の情報を紹介している。「将来の新たな原発建設費の見積もり額は、二〇〇〇年代初めにはかなり低かったが、最近二年の間に劇的に高まっている」と「負の学習曲線」でアメリカの実例を紹介している。
米政府が七十五億ドルの債務保証を決定した計画が棚上げされるという事態が起こっている。フランスが受注しているフィンランドのオルキルオト三号炉はもとの公式発表建設費三十億ユーロが五年経った二〇一〇年現在、五十七億ユーロに上昇している。
原子力発電は「世界の電力の約一三%、一次エネルギーの約五%、最終エネルギー消費の約二%」と、「役割が非常に低いレベルにあるため、気候変動の緩和にとって意味を持ち得ない」。「原子力エネルギー利用の継続は、持続可能なエネルギー政策の緊急の実施にとって、大きな障害になる」とシュナイダーさんはとまとめている。
この論文は、十月にシュナイダーさんが高木仁三郎さんの没後十年のつどいに来日された際に参議院議員会館で行われた院内集会での講演を収録したものという。
梶村太一郎さんによる「政権をゆさぶるドイツ反原発運動」の報告は日本のマスコミによる「誤報」を正せるばかりでなく、立地地域の当事者運動と他地域や他の課題の市民運動とのなど連携について運動論から学ぶ点も多々あると考える。『世界』には他に、民主党政権のエネルギー政策がなぜ原発輸出に「逆噴射」したかや立地自治体財政についてのルポや論文が掲載されている。ベトナムへの原発輸出の記事では、日本のメーカーによる原発輸出には、政府出資の金融機関による債務保証が行われていることも記述されている。推進側に対する打撃ともなるこの一冊を、多くの市民がこの『世界』を手にするべきだろう。
推進勢力を
包囲しよう
旧・原子力政策大綱である原子力長期計画はほぼ五年ごとに策定されてきた。これに準じるならば新大綱策定会議の設置は一年以上の遅れである。遅れの原因は民主党新政権の原子力政策を推進側が見定める必要期間であったのだろう。
民主党の原子力政策は、現行の原子力政策大綱を一気に追い抜いたといっていいだろう。トヨタ労組出身の直島前経産相は原発推進ばかりではなく、出力調整できない原発の夜間電気を消費するために、電力会社のオール電化よろしく、電気自動車の定着に道筋をつけた。菅内閣の大畠経産相は、もともと二〇一〇年に創業百年を迎えた日立の労組出身で、炉型はまだ決まっていないがベトナムの原発建設受注に走り回った。
日本を代表する大企業から経産大臣の椅子に先に座ったのは経営者ではなく「労組」議員だったが、したことは経営者側の内容だ。原子力をめぐっては、五年前に産業界が自公連立政権に期待した内容をすでに民主党は、というよりも資本の忠実な手下が代行して進めたといっていいだろう。
エネルギー総合工学研究所が〈東京駅から三十キロ圏内〉の住民を対象に続けてきた『エネルギーに関する公衆の意識調査』で、前回の調査では一六%まで落ち込んだ原子力発電の利用を「すぐにやめる、徐々にやめていく」という「廃止意見」が、最新調査(政権交代後の〇九年十〜十一月)では二八%に「大伸張」した。同研究所は、「放射性廃棄物の適切な処理・処分不可能」や「原子力発電よりも新エネや省エネ」などを重視する意識が、将来のエネルギーの評価に関係した、と考察している。民主党政権による「希望の持てるエネルギー政策への転換」を重ね合わせた結果だが、住民の期待は裏切られた。
原子力産業界は、飼い犬のように言うことを聞く民主党が何らかの形で政権の座から去っても、キープしている自民党など原子力推進派の議員の数が圧倒的なため打撃はないだろう。現在、国会を通じて政策変更を実現する展望は失っている。ならば現地や地域、あるいは様々な原子力に関連する現場に登場し、推進側を包囲していかなければならないだろう。
二〇一一年はチェルノブイリ原発事故から四半世紀の年である。二十数年前の地域草の根からはじまった脱原発運動の高揚は、土井社会党の「マドンナ」旋風につながった。
二〇一一年はまた統一地方選の年でもある。地域に希望の目を向け、脱原発の力を固めていこう!
(2010年12月20日
斉藤浩二)
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