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国際労働者シンポジウム大阪集会                 かけはし2010.12.13号

左翼の再生へ新しい挑戦を

「反資本主義」を体現する新しい
政党へ、仏NPAの経験に学ぶ

 【大阪】十一月国際労働者シンポジウム「『反資本主義左翼』への挑戦」大阪集会が十一月二九日、大阪市東淀川区の協同会館アソシエで開かれ、関西地区生コン支部をはじめとする全日建連帯労組、全港湾、大阪全労協、全金港合同などの労働者、市民運動団体の人や学者文化人など二百三十七人が参加した。広島や東京からの参加もあった。関西集会には個人四十二人と四団体が賛同した。
集会は西山直洋さん(関西地区生コン支部)の司会で進行した。発起人を代表して、武健一さん(関西生コン支部執行委員長)があいさつした。
 武さんは、「〇八年の米国リーマンブラザーズの倒産で、米国の一極支配の終焉のみならず資本主義自体が末期的症状を呈し始めている」と述べ、社会主義が必要ではないかという認識の下、コミュニストグループをつくった経緯を語り、「労働組合は重要な社会運動を担っているし、積極性があるが限界性もある」と述べ、人々の暮らしをよくするためには、社会変革のための政党が必要である、と強調した。
 日本共産党はどうか。「日本共産党は自分たちの主張は絶対正しいと考え、労働組合を支配下に置き、誤りの責任を他者に転嫁する。このような過ちを克服する新しい政党が必要だ。民衆の利益のために自己犠牲を惜しまず闘っていく政党が必要だ」と述べた。

関生労組―弾圧
に抗した教訓

 武さんはさらに、「政党と労働組合は相互に連帯する関係であるべきだ」と述べ、関西生コン支部の闘いの報告を続けた。
 「関西生コンはスタートしてすぐ政治弾圧を受けた。権力は、新しい運動の拠点ができるとすかさず弾圧する。〇五年から五次にわたる弾圧を受けた。わずか二年足らずで二十人の組合員が逮捕勾留された。敵の攻撃こそ成長の条件だ。多くの学者文化人が弾圧反対の署名をしてくれた。われわれのイメージダウンをねらった宣伝に屈せず、私の勾留中、故郷である徳之島に大相撲を招き大成功した」。
 「この春闘では、生コンの売り上げ価格の値上げを求め四カ月以上のストライキを成功させることができた。じっと待っていても嵐は過ぎない。大企業は中小業者や労働者に犠牲を転嫁する。近畿二府四県五百社の賛同を得てストライキを成功させることができた。この十一日の団交で合意し、十一月中にすべて合意文書の調印を終えることになっていたが、ここに来て突然調印をのばしてくれと言ってきた。ここにはセメントメーカーと大手ゼネコンの意向がある。八二年労働者に必要な三十二項目の合意ができたが、つぶされた。〇五年の合意の時もつぶされた。〇七年も約束を反故にされ五人逮捕された。今回うまくいくかどうかは五分五分だ。弾圧で萎縮したらそれで終わりだ」と述べ、今回のシンポジウムで新しい息吹を受けてほしいと結んだ。
フランス・韓国
の報告を聞く

 続いてレオン・クレミューさん(フランスNPA全国政治評議会委員・SUD航空労組執行委員)の講演に移った(別掲)。
 さらに、キム・インシクさん(韓国「オールトゲザー」、民主労働党中央委員)の発言に移った。ハングルでタハムケと呼ばれるこの組織は、国際社会主義をめざす、平均年齢三十一歳の組織である。
 「韓国でも新しい党をつくる動きは始まっているが、それはNPAのモデルではない。改良主義ではなく社会主義政党をつくる、反資本主義・社会主義で集まろうとはしていない。そうすると、韓国の労働運動の状況を無視することになるからだ。私は韓国では現在社会民主主義が必要だと思っている。それは西欧との経験の違いだ。西欧では、社会民主主義政党が裏切ってきたが、韓国ではその経験がない。韓国民主労働党や進歩党はストを抑える指導部と裏で手を組んできたこともあるが、韓国民主党より左が集まる政党が必要だ。いま、このことが論議されている」。
第五インター
について質問

 休憩を挟んで若干質疑応答があった。

――年金闘争で参加したNPA以外の左派は?

 アナーキスト、アナルコ・サンジカリストやリバータリアン・オルタナティブなどとは、立場が同じだったので共闘できた。社会党や共産党とは、国民投票でめざすところが違うから共闘しなかった。大きなナショナルセンターは年金改革案に迎合した。

――ベネズエラのチャペス大統領の提唱している第五インターについてどう思うか?

 反資本主義的な国際運動はつくっていく必要がある。方向性としてはおそらく第五インターは必要だろう。しかし、必要だというだけでは不十分だ。そこに行くには多くの問題がある。ひとつの国で、ひとつの反資本主義新党をつくるのですら大変なのだから。チャペスが言ってからもう一年以上がたつが何も進んでいない。でも重要な課題だ。できる限りのことはやっていく。

共に新しい時代
を作るために

 シンポジウムの最後に星川洋史さん(関西新時代社)が、まとめの発言を行った。
 「フランスからは豊かな現に進行しつつある闘争の経験を聞いた。韓国からは、ある意味では日本のわれわれにとって懐かしい論争や取り組みを聞いた。現に闘われている関西生コンのストライキの経験も聞いた。これらの経験を聞きながら、今後私たちはどうがんばっていくのか深く考えさせられた」。
 「八〇年代に左翼政権がフランスに生まれ、革命が起きたと言った人もいたが、その後にフランスの人たちが味わったことを今日本で経験しつつある。フランスの人々がその後どのようにして生き延び、今日の状況をつくることができたのか、それは私たちに大きな教訓になると思う。韓国と北朝鮮の軍事衝突という状況の中で、韓国の左派が抱えている困難は、私たちが今日本でも経験していることであり、この極東アジアで起きている情勢を韓国の人たちと共有しながら、協力して困難を跳ね返していく取り組みが求められている」。
 「日本でも新党をつくることに挑戦しなければならないが、この厳しい状況の中で我々が抱えている労働運動の課題、沖縄や反戦反軍の課題に対して、これまで以上の垣根を越えた真摯な協力をつくっていくことが土台にならなければ、党的な団結は難しい。無私の協力体制をつくれるのか、そのことを考えると、やはり日本の中で大きなマイナスを残した内ゲバ、左翼同士がお互いに打撃を加え合い、殺し合うこのようなことが本当に克服されて、相手を尊重する運動があってこそ党の建設に向かうことができる」。
 「また、それができない限り党ができないというのではなく、党をつくろうとするものは、その活動が全体の運動の発展になるような取り組みが必要だ。今回のシンポジウムでは新時代社とコモンズの二つが連絡先になってやってきたが、いろいろなところで、これではダメだと思っている人たちが研究しあってやっていけるような、新しい時代をつくっていければと思う」。     (T・T)

レオン・クレミューさんの報告から
資本の攻勢に対する
労働者の抵抗バネに

NPAはいかに
建設されたか

 まず、NPAがどのようにしてつくられたかを話したい。NPAは〇九年一月に旗揚げした。それに至る運動は六〇年代から続いてきた。フランスの労働運動は長い間共産党や社会民主主義政党(社会党)によって組織されてきた。共産党は七〇年には二〇%ぐらいの得票率があった。私たちは共産党や社会党には属さない運動をつくってきた。
 七〇年代に入ると、左派としてはトロツキストのグループや毛沢東派のグループが新しい運動を組織していった。当時は、石油危機と高い失業率の時代で、中小企業はどんどん倒産に追い込まれた。
 八〇年代はミッテランの左翼政権が誕生し、初めて共産党も閣僚に入った。労働者たちは、それまで続いた資本主義が倒せると期待したが、期待は裏切られた。左翼政権もそれまでの政権と何ら変わることなく、企業と株主の利益を優先する政策しか進めなかった。その後、ルペンの右翼政党も登場した。
 八〇年代は労働者にとって不幸な時代だった。ところが九〇年代になると状況が変わってきて、移民や女性たちの新しい社会運動が始まった。共産党や社会党とは離れた次元で、SUD(連帯・統一・民主労組)や教員たちの新しい組合FSUがつくられた。私が勤めているエールフランスが民営化されたのも左翼政権下だった。左翼政権に対する幻滅の中から新しい運動が始まったといえる。

90年代―新しい
運動が登場した

 一九九五年の大統領選挙のときは、「LO」(労働者の闘争)が五%以上を獲得した。社会保障制度の改悪に対して国鉄労働者や教師が抵抗運動を展開した。SUD系組合が新しい領域にもどんどん広がっていった。組合運動はラディカルになり、一九九九年のヨーロッパ議会選挙にLOとLCRの共同リストで五人の当選者を出すまでになった。二〇〇二年の大統領選挙ではLCRがブザンスノーを候補に立て、四%以上の得票率を獲得した。
 このような下地があって、いろいろな活動家をまとめていく新しい政党をつくる必要性が出てきた。確かに左翼運動は大きくなったが、組織はまだまだ小さかったので、組合運動、社会運動、オルターグローバリゼーション運動(もうひとつの世界は可能だ)と合流する形で新しい党をつくることが考えられた。この新しい党は、共産党や社会民主主義と一線を画すことや若者が参加する党であること、またこれまでの限界を越えていくものでなければならなかった。こうした反資本主義の新しい政党をつくるプロジェクトに参加したのはLCR(第4インターナショナルフランス支部・革命的共産主義者同盟)のグループだけだった。LCRは以前からある他の小さい組織をまとめてきた。
 二〇〇七年大統領選で再びブザンスノーが立候補し、四%を超える得票率を獲得した。共産党を大きく上回る得票だった。この後、多くの活動家が合流して、反資本主義新党をつくることで合意し、LCRは解散した。それから〇九年一月までの一年半、たくさんの委員会が立ち上げられ、どんどん広がった。〇七年にLCRの活動家は三千人ぐらいだったが、NPAは九千人になった。その中で特に目立つのは若者、女性、移民労働者がたくさん参加していることだ。NPAはフランス政治の中にはっきりとした存在感を示している。NPAは反資本主義の立場から労働者を組織する姿勢を掲げている。共産党は社会党に迎合し、資本主義を擁護する政策しかとらず、そのようにして現政権を助けている。新しい党は国際的な連帯を重視し、NATOの再編には反対だ。
年金改悪反対
闘争の展望は

 後半の時間で年金改革に対する反対運動の話しをしたい。〇七年以降は右翼的なサルコジ政権で、新自由主義政策をおしすすめ、ロマ人を弾圧したりしている。中小企業は置いてきぼりで、株主を優遇している。その流れの中で、公的年金の改革を打ち出してきた。
 戦後のフランスの年金制度は悪いものではなかった。六五%から七〇%の労働者が恩恵を受けていて、民間の年金に加入する必要がなかった。
 十五年前から株主が年金のために金を支出するのを拒否するようになった。株主は、年金の新しい法律をつくるようサルコジ政権に要求した。その法律では、低賃金労働者の年金掛け金は会社が払わなくてもいいことになる。一〇%の失業者がいる一方で、年金資金が枯渇するという状況になっているが、根本問題は株主にある。政府は、労働者の数が減って来ているのに年金受給者が増えているといっているが、年金改悪のねらいは、年金の取り分を減らすこと、受給年齢を上げて掛け金を払う期間を長くすることだ。
 ここ一年ぐらい、反対運動が盛んになった。ところが、共産党や社会党は、改革は必要だといって政府提案を受け容れた。社会党の次期大統領候補も、改革は必要といっている。私たちは、政府のプロパガンダと闘ってきた。活動家の目標は、改革反対委員会を立ち上げて闘うことだった。もうひとつは、ゼネストを組織すること。
 この夏以来、SUDと教員の組合FSUの二つの組合の指導の下で、ストライキが闘われてきた。普通、個別企業ならストは一日か二日だが、SUDとFSUはゼネストをめざしてストを指導した。
 九月七日にストをし、九月二十九日もストをした。年金改革法案について投票が行われたのが九月二十日だから、改革が決まった後もストをしたことになる。
 われわれは、ストを全国規模で持続的に組織していった。十月に入ると、鉄道・石油その他すべてのセクターでゼネストに入った。まさにストがフランス全土を覆う状態だった。学生もストをやり、学校をバリケード封鎖した。市民は電車に乗れず、どこにも石油はないのに、それでもストを支持してくれた。
 大労組指導部は十月十五日ぐらいになって、ストライキは成功したと判断し、ストは解除された。年金改悪法案は議会を通っているが、それでも抵抗する。この抵抗運動はこれまでに類を見ないものだった。(講演要旨、文責編集部)


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