| 「社会主義運動フペリョード(前進)」へのインタビュー かけはし2010.4.5号 |
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左翼反対派が壊滅させられて以後、初の第四インターロシア支部 |
二月末にベルギーの北海沿岸の都市オステンドで開催された第四インターナショナル第十六回大会で、青年・学生を中心としたロシアの革命的社会主義組織「社会主義運動フペリョード(前進)」が第四インターナショナル・ロシア支部として承認された。一九二〇〜三〇年代にスターリンの官僚独裁体制の下でトロツキスト・左翼反対派グループが徹底的に壊滅させられて以後、第四インターナショナルの組織がロシアで公然と確立したのは初めてのことである。世界大会の場で本紙編集部は「フペリョード」の中心的メンバーの一人であるイリヤ同志にインタビューした。イリヤは、モスクワの青年教員である。(「かけはし」編集部)
――イリヤさん、ロシアでの第四インターナショナルの支部としての出発をともに喜びたいと思います。まずはあなたたちの組織についてお話しください。
私たちの大会で、第四インターへの加盟申請を決議して、世界大会に臨みました。私たちはもちろん小さなグループですが、モスクワ、ペテルブルクなど七都市に組織を持っています。モスクワをはじめ私たちの組織のある地域では定期的に会議を行い、現在隔月刊の新聞を発行しています。また年に二回のペースで雑誌も発行しています。私たちのウエブサイトは三日に一度更新していますが、サイトへの訪問者は一日に二〜三百件程度ですね。
それ以外の出版活動も展開しており、おもに今日的なマルクス主義の原則の復権にかかわる単行本を、ダニエル・ベンサイドの著作などこれまでに十冊出しています。
――あなたたちの活動の重点について教えてください。
もちろん労働者や学生の生活・権利・民主主義にかかわる活動を基盤にしているのですが、重点を置いているのは住宅などの社会問題です。大都市の住宅環境はきわめて劣悪で、私たちは適切なアパートの供給を求めてスーパーマーケットの前などで宣伝を行い、居住条件の改善に関する市民投票もモスクワで行いました。これは大きな反響を呼びました。
それから戦闘的な労働組合の活動への連帯キャンペーン、食糧価格、教育の権利についてのキャンペーンにも大きな力を注いでいます。こうした活動に基づいて、ロシア社会フォーラムの活動にも積極的に関わっています。
――現在のロシアの左翼についてどのようにお考えですか。
資本主義復活によってロシアの左翼が非常に弱体化し、困難な状況にあることは確かです。最大の左翼は依然としてロシア共産党ですが、彼らはプーチン・メドベージェフ体制の下で、ますます民族主義に純化しています。ただしロシア共産党の青年党員の間には可能性があります。彼らの中では社会運動を通してわれわれの主張に関心を持ち、一定の協力関係にある人びともいます。
私たちはセクト的宣伝にとどまるのではなく、社会的連帯運動をベースにした反資本主義的左翼の共同を作り出したいと思います。
カザフスタン
石油労働者1万人がストライキ
民営化と経営者の腐敗を
糾弾し政府と直接交渉要求
三月四日、ジャナオゼン市(西カザフスタン)の石油労働者一万人がストライキを行った。この数は国営カズムナイ・ガス社の石油採掘部門従業員のほぼ一〇〇%に達する。同社は民営化され、現在はカザフスタン大統領ナザルバイエフの義理の息子にあたるティムール・クリバエフが所有している。二十人の労働者が無期限のハンストに突入すると宣言した。労働者たちは、労働条件の改善、賃上げとともに、かれらの部門の民営化の撤回を要求している。
同じ三月四日、三千人の労働者が、油田の交代勤務に向かう市内のバス発着所でデモを行った。かれらは企業経営者とカザフスタン政府に対する要求を発表した。かれらはストライキ委員会を選出し、独立労組の結成をも決定した。ストライキによって石油の搬出は完全に停止した。
石油労働者は二〇〇九年十一月にもストライキに立ちあがった。このストライキは、大衆的デモと数十人の活動家のハンストを伴ったものだった。多くの約束にもかかわらず、労働者たちの要求は実現されなかった。かれらは、ひどい労働条件、不合理な作業ノルマ、低賃金、そして経営側が中古で買ったにもかかわらず新品だとふれまわっている使い古しの設備に憤慨している。
労働者たちは、自分たちの問題が民営化と経営者の腐敗によって引き起こされていると確信している。彼らの主な要求は、私的に所有されている企業の株を国家に返却することであり、入札プロセス、設備購入、収益の使途への労働者統制である。労働者たちは、経営への不信を訴え、カザフスタン政府との直接交渉を追求している。またストライキ指導者が逮捕されるようなことがあったり、ストライキを実力で終わらせるような企てがなされれば、闘争をエスカレートすると主張している。
三月十一日、経営側の訴えを受けて、裁判所はストが違法だと決定した。ジャナオゼン市は内務省治安部隊によって包囲されたが、ストライキ労働者は闘いの続行を決意している。
支援のアピールは
KMGsolidality@gmail.com
まで。
社会主義運動フペリョードのサイトは
http://www.vpered.org.ru/
読書案内
「人は愛するに足り、真心は信ずるに足る」
アフガンとの約束
中村哲、澤地久枝(聞き手)/岩波書店/1900円+税
進行している出来事はやがて
全世界を巻き込む破局の入口
伊藤和也さんの死
と強制された困難
この本を出版する意図を澤地久枝さんは冒頭で次のように述べている。「ペシャワール会の会員となり、わずかながら寄付もした。それは異国での医療行為の延長として、アフガニスタンに井戸を掘り、今や灌漑用水路の建設に……。なにか役にたちたい。そう考え、思案の末にゆきついたのは、中村先生の本を作り、その本がよく売れるようにつとめ、得られる印税によって先生を若干なりと助けること」。
最初の対談が行われたのは二〇〇八年八月十六日。その対談の十日後の八月二十六日、現地ワーカーとして活動していた伊藤和也さんが殺害された。中村医師は現地へ帰る途中のバンコクでこの訃報を受けた。対談によるとこの時中村医師は、アフガニスタン現地の状況が変わりつつあることを感じて、日本人ボランティア全員を撤収させようとしていたらしい。「二〇〇八年八月ぐらいを境にして、どんどん混乱状態が増え、あまり日本では報道されませんでしたけれども、ペシャワール周辺が、いま最も危険ですね」と述べている。
そして二回目の対談は二〇〇九年二月に中村医師がペシャワール会の理事会と長男の結婚式出席のために一時帰国した機会を利用して行われている。偶然この本を購入した翌日の夜、テレビは軍事的緊張が増大するアフガニスタン東部で現地の人たちと用水路を造っている中村医師の特番を組んでいた。そこには日本人ボランティア全員を帰国させ、一人だけ現地に残り現地の住民たちと黙々と全長二十四キロを超す水路を完成させようと働く中村医師の姿が映し出される。伊藤和也さんの死は一方ではペシャワール会の活動のすばらしさを多くの人たちに知らしめたが、他方この活動の中心であり責任者でもある中村医師に対してより過酷で困難を強制することになった。この最も過酷な状況の中で本書の二回目の対談は行われたのである。
「自衛隊の派遣
は有害無益」
本書は、T高山と虫に魅せられて、Uアフガニスタン、命の水路、Vパシュトゥンの村々、Wやすらぎと喜びの四項で構成させている。
Tの高山と虫に魅せられての項では、中村医師の生い立ち。なぜアフガニスタンに医師として赴任することを決意したのか、アフガニスタンという国、そして民族、宗教などをどのように考え受け止めているかを語っている。本題に進むためのイントロともいえるが、両親が戦前北九州の港湾労働者のストライキに参加し知り合い結婚したことや「麦と兵隊」などを書いたおじの火野葦平の半生など、これまで知らなかったことも多く人間中村哲を知る上で貴重な資料にもなっている。
Uアフガニスタン、命の水路とVパシュトゥンの村々の項では、中村医師の知識と経験を通して今日のアフガニスタンの状況を鋭く分析する。なによりも二〇〇一年と二〇〇九年の二回にわたる国会で「自衛隊の派遣は有害無益」と発言した根拠を干ばつ問題にとどまらずアフガニスタン社会の成り立ちまで言及して明らかにしている。それも読者の目線で淡々と。タリバンが生まれたといわれるマドラッサと言われる`集会場aが水問題と同様にアフガン社会の再生にとってなぜ必要不可欠のものなのか、なぜ旧ソ連もアメリカも戦争に勝てないのか彼の現地での長い生活を通して知った経験を媒介にして語っている。そしてその言葉の端々に日本人ボランティア全員を帰してもただ一人現地に残って水路建設を続ける目的と強い意志を垣間見せる。
唯一激しく語るのは伊藤和也さんの死についてである。「…『意志を継いで…』というようなことは社交辞令として言わないと世間が納得しないところがあるけれど、それ以上の言葉は言いたくないですね。実は向こうでの殉職者は六人目なんですね。五人のアフガン職員が殉職したときは、日本側は何も言わないで…『危ないから、皆、引き上げろ』でしょ。…現地の人の命はどうなる。殉職した五人の人権はどうなるのかと言いたかった」と怒り嘆く。それは一方では自衛隊を派遣し、他方では「自己責任」を振りかざす日本政府に向けられているだけではなく、われわれ日本人に対して向けられているのだということが分かる。
Wやすらぎと喜びの項では、今まで彼があまり語ってこなかったアフガンでの生活や沙漠の中で大好きな虫や小動物を見つけた時の喜びを率直に述べている。さらに「目の前に…去年は沙漠だったところが、今年は見渡す限り麦畑になる。それを現地の人が見て、びっくりするわけです」と語り、一方では妻、息子、娘との繋がりの中からいかに家族が中村医師の中で心の支えになっているのがしみじみと語られている。そして返す刀で「日本人は、いつからこんなに弱虫になったのかと思う。…自分がしたことでその一端が、希望があるということが、若い人たちに伝わればいい。日本という国家におもねる気持はぜんぜんありません」。激しい言葉の中に、中村医師の錯綜する胸の内が垣間見える。
聞き手の力量が
本質を浮き彫りに
中村哲医師は一九八九年の『ペシャワールにて――癩そしてアフガン難民』(石風社)以来十四〜五冊の本を執筆している。だが彼はシャイなのだろう。ほとんど自分の生い立ちや個人の感情を全面に出した記述はない。その意味で何度も繰り返すがこの本は彼を知る上で貴重な資料だと思う。そして彼がそこまで吐露したのかのなぞは「あとがきに寄せて」に書いている。「アフガニスタンは日本人にとって最も解りにくい国の一つである。様々な意見や解釈が飛び交い、実像をつかみにくい。いわば『情報の密室』である。しかし今アフガニスタンで進行している出来事は、やがて全世界を巻き込む破局の入口にすぎない」という言葉にそれは凝縮されているように思える。
そして中村医師にかくも執拗に激しく語らせたのは澤地久枝さんの「これでもか」という程に資料を追い、経過に精通した力であろう。一九七九年十二月の旧ソ連軍の軍事侵攻からオバマアメリカ大統領の就任、そして米軍の増派という三十年の歴史を横糸にし、中村医師の半生を縦糸にした構成が今日のアフガン情勢の本質を浮き彫りにさせることに成功している。是非一読を。 (武)
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