もどる

許すな!憲法改悪・市民運動全国交流集会        かけはし2010.3.1号

改憲手続き法の凍結・廃止を

日米安保50年と
憲法9条・25条

 二月十三日、十四日の両日、第十三回許すな!憲法改悪・市民運動全国交流集会が、東京の在日韓国YMCAで開催された。十三日午後一時半からは同交流集会の公開企画として「主権者は私たち 日米安保50年、憲法9条・25条、改憲手続き法を考える」が行われた。
 主催者あいさつを日本消費者連盟の富山洋子さんが行った後、渡辺治さん(一橋大学教授)と赤石千衣子さん(しんぐるまざーず・ふぉーらむ)が講演。
 「安保50年と9条、25条の力を考える」と題して報告した渡辺治さんは、安保の五十年は決して「対米従属」が一方的に深化した五十年ではなく、安保による日米軍事同盟の実質化に対して憲法の原理が対抗した五十年だったと総括し、民主党政権に対して真に九条、二五条を実現することが問われていると切り出した。
 渡辺さんは、安保の歴史について「第一期:旧安保と五〇年代(1952〜60」「第二期:新安保と小国主義の時代(1960〜78)」「第三期:安保と小国主義の拮抗の時代(1978〜90)」「第四期:グローバル安保への強化と軍事大国・構造改革の時代」と区分し、民主党政権の成立を通じて安保・日米同盟の根本問題をめぐって「パンドラの箱」が開けられたと現状を評価した。
 さらに渡辺さんは、民主党・小沢体制の下での国会の権威主義的改革――「解釈改憲」の円滑化や定数削減等を止めさせることを通じて、九条改憲・構造改革路線継続を阻止し、真に九条を実現し、構造改革路線に終止符を打ち、二五条を具体化・実現させる道に踏み込んでいく必要性を強調した。そして東アジアの平和保障・共通の地域経済圏という「東アジア共同体」構想の枠組みを承認しつつ、そのためにも日米安保の見直し、北朝鮮政策の変更と日朝国交正常化による東アジアの平和が必要だと語った。

女性の貧困と
憲法14条・24条

 「女性の貧困を打ち破ることから」と題して講演した赤石千衣子さんは、新自由主義的構造改革がもたらした貧困の現実を可視化した二〇〇九年の「派遣村」の中で、女性の貧困がなぜ見えるものにならなかったのかと問題を提示し、憲法二五条の実現のためにも二四条(男女平等)の実現が不可避だと述べた。
 赤石さんは一人親の貧困率が五四・三%に達しているという数字を示しながら、女性が一人で生きるための制度的枠組みが不在であることを指摘し、一九八五年の均等法・派遣労働法・年金法改正のセットでの成立に示されるように、性別役割分担が固定化されたまま女性パートに働き方が男性や若者にまで拡大していったことを指摘した。そして一四条(法の下の平等)と二四条(男女平等)が二五条(生存権、国の社会保障)と不可分であることを改めて強調する。その上で、現在の制度の下では緊急のものとして生活保護しか使えるものはないという現実を克服し、その後のセーフティーネットをどう作るのかを考える必要がある、と語った。
 赤石さんは「家族・会社」頼みの社会福祉・社会保障ではなく、「ひとりでも生きていける社会へ、そして一緒にも生きられる社会へ、と呼びかけた。

米軍再編と沖縄
の人びとの怒り

 二人の講演の後、加藤裕さん(弁護士、沖縄県憲法普及協議会事務局長)と高田健さん(許すな!憲法改悪・市民連絡会)が報告した。
 加藤さんは「米軍再編をめぐる沖縄の情勢」について熱弁をふるった。名護市長選で基地受け入れ容認の現職・島袋陣営は、業界団体などを締め付けて期日前投票を組織したが息切れしてしまった。国は基地建設のために巨額の「振興資金」を投入したが、それは決して持続可能な経済発展にはつながらなかった。こうした「薬物依存・アルコール依存」のような投資の限界を、住民の多くがすでに理解している。
 加藤さんは、自民党沖縄県連ですら基地の県外移設に転換し、三月の県議会ではおそらく全会一致で「県内移設反対」が決議されるだろうとの見通しを語った。「普天間基地は一九四五年の沖縄戦の最中に住民を追い出して米軍が無法に獲得した基地だ。なんで日本の側が『移設』先を探さなければいけないのか」。こう訴えた加藤さんは「海兵隊は抑止力」という鳩山首相の主張をも批判し、「いったいキャンプ・シュワブや北部訓練場が日本の防衛のためなのか」と問いかけた。
 加藤さんは高江ヘリパッド反対の住民の座り込みを、「妨害行為」として排除する仮処分申請をも弁護団の一員として強く批判し、「民主主義に対する国家からの挑戦状」と糾弾した。
 高田健さんは「改憲手続き法の『凍結解除』と私たちの運動」について報告。安倍政権の下で改憲手続き法が二〇〇七年五月に強行採決されたにもかかわらず、三年間にわたって憲法審査会を作動させてこなかった実績の上に、五月十八日に期限が来るからといって漫然と凍結解除して施行するのではなく、凍結を継続し、さらに改憲手続き法を廃止せよという運動を作り出そう、と訴えた。
 「改憲手続き法の凍結・廃止」を求める共同声明は、翌日の交流集会で採択された。五月十八日の「施行予定日」に向けて、声明への賛同募集が呼びかけられている。(K)


 WSF2010 in TOKYO
分科会の討論から(下)

農と食の
現場から


農業破壊と貧困の連鎖を
断ち切る「もうひとつの道」

 世界を吹き荒れるグローバリゼーションの嵐は日本の農業と農村にも襲いかかり、農産物価格の下落と農村雇用の縮小というかたちで村の暮らしを直撃している。それは、都市における雇用の不安定化と賃金切り下げ状況と同じ根っこをもつ新しい貧困とでもよぶべきものだ。そうした現実をどうとらえ、展望をつくりあげていくのか。こうした問題意識で分科会が開かれた。

疲弊し続ける
農村社会の現実

 佐藤藤三郎さん(山形・農民)が「村はどう変わったか=山びこ学校から60年」と題して基調講演を行った。
 私は七十四歳になるが現役の農民で、田んぼを一反五畝作っている。私の住んでいる山本村むじな森は三百戸あったが四十戸へ。人口は二千人から四百六十人へ、コメの収穫が五千俵から千五百俵へ、農地は八十ヘクタールから三十ヘクタールへと減り、半分も耕作されていない。民主党が農業補助金を出すと言っているがこれでもやる人はいないだろう。私のところで四万五千円しかならず、もらっても生活できない。農業を続けられる条件がなく、農政の基本が成立していない。若者も跡を継がなくなり、農村が疲弊していて暮らせない。
 農協や役所が役割を果たしていない。食にかかわるカネが百二兆円なのに農家に払う分は十一・五兆円だ。さまざまな面からもうひとつの道をさぐっていきたい。

企業の進出と
農業政策を問う

 神山安雄さん(農政ジャーナリスト)が「企業の農業進出と農業政策」と出して報告を行った。食と農の危機。農業総産出額は、一九八五年の約十二兆円をピークに減少傾向になった。生産農業所得は一九九五年以降、減少。所得率は一九五五年六九%から二〇〇七年三七%へ。とくにコメの産出額の減少(米価の低落)。原油・肥料・飼料穀物などの高騰を価格に転嫁できない食料品市場構造。スーパーなど量販店チェーンのバイイング・パワー(買い付け力)による価格決定。この結果、農家や漁家にカネが落ちない構造になっている。
 民主党の農業政策の基本方向。食料自給率目標を十年後に五〇%、二十年後に六〇%へ。そのために農業者戸別所得補償制度の構想。販売農家に対して、コメ・麦・大豆・ソバ・ナタネなど主要作物に対して標準的な生産費(経営費+家族労働費)と標準的な販売価格との差額分を直接所得補償(ただし、コメについては、家族労働費の8割分)するとしている。そして、農林漁業・農山漁村の資源を活かした、農・商・工の連携による所得向上。
 農家に直接補助金を払うというのはよい方法だが、さまざまな矛盾が出ている。価格補償だけではダメで農業では食べていけない。流通・加工・外食に食のカネが流れていってしまっているのをどう直接、生産者に還元させるのか、これからどういう仕組みをつくるのかがはっきりしないのが問題だ。

村のくらしと
農村の女性たち

 西沢江美子さん(ジャーナリスト)が「村のくらしと農村女性」について報告した。
 四十数年、私は村を歩いてきた。六十九歳以上の世代は差別を受け、痛めつけられて生きてきた。今、村では生きていけない。集団死か逃げるしかない。光を与えなくてはならない。都会に行ったら住むところがない。村の中で息をひそめている。
 村の中でなぜ赤ちゃんが生まれないのか。七年前の若者に対する調査結果がある。@文化施設がないA買い物に行きたいがスーパーがない。ここでお茶を飲んで友達と話すことができないB教育が必要なのに学校の統廃合で学校がなくなる。みんな街に出ていってしまう。共同で人間として生きてゆく、命の循環ができなくなっている。

食の労働現場と
グローバル化

 大野和興さん(農業ジャーナリスト)が「食の労働現場」からを報告した。
 貧困が深まっている職場は食と介護・福祉だ。牛丼チェーンの「すき家」で残業代未払いの二つの裁判が行われている。請負契約で労働法が適用されるかどうかの争いだ。バイトは請負のひとり親方とされ、能力がないから残業をやるのだから、残業代を払う必要がない、一時間五千円以上売り上げがなければ二人で働いても一人分しかバイト代を払わない、というのが会社の言い分だ。それで月三百〜四百時間残業しているが、それでも十万円くらいの手取りだ。労働力を買い叩いて安いものを売る。安いものしか買えない人が増えている。
 それでどうするかといえば、原材料を買い叩く。中国の農民を買い叩く。中国はアフリカに行って兵器を売り、アフリカの農民を追い立てた土地で作物をつくる。農民は都市に出ざるをえず、都市がスラム化する。貧困の連鎖が起こっている。
 これをいかに断ち切るのか。三里塚で「まちの貧困、村の貧困」のシンポジウムを行った。二つの貧困をつないで一つの運動にして連鎖を断ち切る。人が生きていくための条件を作っていくためには、労働者の最賃制・賃金、労働者派遣法の改正と農産物価格の補償などを同じ課題としていく。それは生存権のための費用・カネだ。
 こうした提起を受けて、活発な討論が行われた。民主党の政策は中途半端でこのままでは、農業政策の間違いに止めを刺すようになる可能性があるという指摘や、おもしろい農業・続けられる農業はないのか、農家が生き残るには兼業農家しかなく、例えば農業機械を動かすのは国家公務員にして農民といっしょに農業をやるという提案もあった。国際的なWTO・FTA、農業と工業・商業のあり方、農業といってもその種類によってさまざまな農家が存在している。農業問題は国の根幹にかかわる問題で、今後とも運動の交流を通じて、「もうひとつの道」を作り出していかなければ、日本の農業は崩壊することが明らかにされた分科会であった。  (M)




コラム
踊らされる鉄道マニア


 昨年の暮れ、カメラを担いで雪の中を帰ってきた、近所では鉄道マニアとして有名な豆腐屋のおやじと銭湯内にある「レストラン」でビールを飲む機会があった。彼は六十三歳だが心身ともに若く、生き生きしている。すでに店の豆腐づくりは息子が中心で、仕事は専ら配達。そのせいか店が休みの毎日曜日ごとにカメラを担ぎ列車を追い掛ける「撮り鉄」であり、年数回は各駅停車を乗り継いで日本中をめぐることを楽しむ「乗り鉄」でもある。長野県の山の中で生まれ育った彼が汽車を見たのは小学校三年生の時で、初めて乗ったのは小学校六年生の修学旅行、この時鎌倉で初めて海を見たという。これがマニアの原点で、本格的に始めたのは商売が軌道に乗ってからだが、すでに二十年のベテラン。
 彼は言う。かつては鉄道マニアといってもプロと違って、例えば「○○線と富士山」という具合にテーマを決め休日には雨でも雪でも同じ場所に通い詰めた。そして、満足な写真が撮れると雑誌に投稿する。掲載されようなものなら何冊も購入し、友達といわず親戚までもあたりかまわず配り自慢する。これをやりたくて「通い詰めた」と懐かしそうに笑う。
 だがパソコンとデジカメの普及は情報で写真を撮るマニアを一挙に増大させた。JRなど一部関係者しか知らない情報がネットを通して流れ、突然ある場所に一夜にして数十人の単位で群がる。同じ場所、同じ時間にシャッターを押すのだから、必然的に場所取りが激しくなり、ルールを守らない者も出現する。それは「いい絵」を切り取るというよりも「珍しい一枚」を求めるのに似ている。さらにその日のうちに「珍しい一枚」がネットを通じて日本中を走りまわる。情報をリークするのはJRや出版社であるからJRに踊らされているのは明白である。。
 かつて高峰秀子などが宣伝に登場したグリーン車を使用した「フルムーン旅行」は、「豊かになった日本」と「高齢化社会」へのメッセージであったが、国鉄の民営分割を契機にJRは公共交通機関という役割を投げ捨て、飛行機・バスとの共存から競争によって利益を追求する体質を全面化させた。この体質を美辞麗句で隠したのがJR西日本の「いい日旅立ち」であり、遅れた東日本は「北への旅」に吉永小百合を投入し巻き返しを図っている。今日では「旅・鉄道」を主題とする雑誌は毎月十冊を超す数で発行され、書店にはコーナーができているがその半分近くの発行にJRが絡んでいる。
 そして絵に描いたような事件が発生した。二月十四日午前四十分、大阪府柏原市のJR関西線河内堅上駅近くの線路脇に約五十人が三脚を置くなどカメラを構え、うち三人が線路内に入ったため上下十九本が運休し、二十六本が遅れ一万三千人に影響を与えた。メディアによると「新大阪から奈良や京都をめぐる団体列車『あすか』が運行(年に何回も走らない)。車内は畳敷きの和室で臨時のお座敷列車……現場は山沿いにトンネルとカーブが続く撮影スポット」(朝日)。
 JRの宣伝のためにマニアが利用されたのだ。したがってJRも被害届は出さないだろうと言われている。幸い事故に至っていないがここでも安全無視、利益優先の体質をかいま見せている。マニアの中には二十歳そこそこで五十〜百万円もするカメラをさげている者を多く見る。それも二台も。ここにも歪んだ社会が凝縮している。 (武)

もどる

Back