| 宇田有三さん(フォトジャーナリスト)が講演会 かけはし2009.7.27号 |
【大阪】七月四日、大阪市立住まい情報センターで宇田有三さん(フォトジャーナリスト)の講演会が開かれた。DAYS JAPAN関西サポーターズクラブが主催し、大阪YWCA、アジアプレス、市民社会フォーラム、アムネスティ・インターナショナル日本死刑廃止ネットワークセンター大阪が協力した。宇田さんは、平和・共同ジャーナリスト基金奨励賞、日本ジャーナリスト会議黒田清新人賞などを受賞している報道写真家である。
主催者からは、「講演会はビルマ問題について一定の方向性を出すためのものではなく、情報の向こう側にある現実から私たちの足元を考えたい」、との表明があった。
宇田さんは、スクリーンに映される写真や地図を使って話をした。話の内容は四つに別れていた。
ビルマという
国を知るために
ビルマは五つの国(タイ・ラオス・中国・インド・バングラデシュ)と国境を接していて、国土は日本の一・八倍、人口は四千九百万から五千五百万人ぐらい(この統計はあまり信用できないが)。最近、内陸の中ほどにネピドーという首都をつくった。国はビルマ族が多くすんでいる七つの管区と、その名を冠した民族が多くすんでいる七つの州で構成されている。州は他国と国境で接している。ビルマ人は姓をもたない。だから、例えばアウンサン・スーチーのように中黒を置くのはほんとうは正しくないが、人名の表記は日本でも統一されていない。
一九八八年現在の軍事政権が全権を掌握し、翌年国連に英語国称の変更を届け出て、それまでのバーマ(ビルマ)からミャンマーへと変えた。しかし民主的な手続きを経ていない政権に正当性はないとして、国民の大多数は支持していない。在外ビルマ人はバーマを使っているが、日本外務省は国称をすぐミャンマーに変え、マスメディアもほぼそれにならっている。
アウンサンスーチーが拘束されて五千日目(7月15日で)になる。いろいろなビルマの情報を知りたいときは、ビルマ情報ネット、日本ビルマ救援センター、今日のビルマニュースなどのサイトをみてほしい。自分自身もバーネットニュース・データベースをつくっている。国営紙「ビルマの新しい灯」の中から取りだし整理したものだ。日本外務省のミャンマーのホームページは〇八年十月より更新されていない。ミャンマー難民問題のページは、〇一年九月から変わっていない。これは外務省の怠慢だが、更新してほしいときはどんどんアクセスしてほしい。
選挙結果無視
した軍事政権
ビルマ族による最初の統一国家ができたのは十一世紀のこと。その後一八八六年に英領インドに編入された。太平洋戦争中一九四一年日本軍の「南機関」によってビルマ独立義勇軍が編成され、四二年に日本軍はビルマを軍事占領したが、ビルマの独立は容認しなかった。
一九四五年ビルマ国軍はビルマ各地で抗日蜂起し、日本軍敗退とともに再びイギリスの植民地支配下に置かれる。四八年イギリスから完全独立するが、その直前アウンサン将軍は暗殺された。その後、少数民族や政党は武装闘争に入り、国内は混乱する。一九六二年、連邦崩壊の危機・国政の混乱を理由に軍部がクーデターで政権を掌握。その後ビルマ社会主義計画党による一党支配体制が二十六年間続いた。
この政党は、学生の民主化要求闘争によって政権の座を追われるが、再び国軍クーデターにより、国家法秩序回復評議会が政権を掌握。政策をそれまでと百八十度転換して市場経済化に踏み切った。政党組織の創設が認められ、一気に二百を超える政党組織が誕生。公約通り一九九〇年五月人民議会総選挙が行われ、国民民主連盟(議長ティンウー、書記長アウンサンスーチー、いずれも獄中・軟禁中で立候補できず)は全四百八十五議席中三百九十二議席を獲得し圧勝した。しかし軍事政権は選挙結果を無視。しかし、国軍が国民に支持されていないということを初めて自覚することとなった。
新憲法草案と
国民会議設置
その後軍事政権が打ち出した政策がふたつある。新憲法草案とそれを討議する国民会議の設置。もう一つは、少数民族との間の「国民和解」路線である。国民各層から意見を聞くためとの名目で、最初の国民会議は一九九三年に開かれた。国民民主連盟はわずか百人の代表しか国民会議に送れなかった。国民民主連盟は、やり方が民主的でないという理由で国民会議への出席を一九九五年十一月以来ボイコットしている。国民会議は不定期に何度か開かれているが、その動きはアウンサンスーチーの軟禁とリンクしている。軍部が国民会議にこだわるのは、一九九〇年の総選挙は憲法をつくるためのものであったと彼らが主張しているためだ。
一九九七年軍部はそれまでの立場を転換し、軍事政権は暫定的なものではないと初めて宣言した。憲法草案は〇八年五月国民投票で九二・四%の賛成により承認された。軍事政権は二〇一〇年に総選挙を実施しようとしている。私は、現在も国民の八〇%はアウンサンスーチーを支持していると思っている。軍事政権下で貧困も拡大し暴力も広がっている。〇三年には連邦団結発展協会(軍政配下の組織)がザガイン管区の田舎でアウンサンスーチーを襲撃した。外国人がいない田舎では軍政はやりたい放題だ。このとき七十人が死亡した。でも軍事政権は真相究明さえしていない。
〇七年は石油が五倍に値上がりし、僧侶のデモもあった。〇八年にはサイクロンの被害で十四万人が行方不明になっている。
在日ビルマ人が
払う「税金」とは
ビルマ経済は中国との結びつきが強い。通貨チャットの公式レートは一ドル約六チャット(1チャットが日本円約20円)だが、実勢ではその二十分の一ぐらいだ。在日ビルマ人は、その収入の一割(最低月額1万円)を大使館に納入しなければならない。払わないとパスポートの更新や家族の呼び寄せ、ビルマへの物品の送付ができない。一万円は、チャットの実勢を考えると相当の金額になる。公務員には副業は許されていないが、物価高のため生活費は年々高騰しているので、在日ビルマ人の「税金」は低賃金を埋め合わせるのに貢献している。
現在、石油・天然ガスはタイに売っている。国家財政の四〇%に相当する。中国雲南省までパイプラインを建設し、二〇一二年までに完成させる計画が決まり、九月に着工予定だ。これが完成すれば、石油・天然ガスの相当量が中国に輸出されるようになる。これは中国の安全保障にも関わっている。だから、国際的に経済圧力をかけられても、ビルマはこたえない。
現在、ビルマの中央部の十数カ所で巨大なトンネルが掘られていて、北朝鮮のアドバイザーが関わっている。このビデオ映像がネットで放映された。誰がどのようにして撮ったのかわからないが。また、最近北朝鮮の船がビルマに向かったようだ。最近、ビルマ連邦国民評議会が亡命政府をつくった。既存のビルマ連邦国民連合政府との関係はあるのかないのか。今年五月、アウンサンスーチー邸に米国人が侵入する事件が起きた。米国人は特段の目的はなかったようだが、そのことでアウンサンスーチーは訴追された。
ビルマにおける
少数民族問題
ビルマに住んでいる民族は多数いる。しかし、民族主義は、イギリスが民族を分裂支配する植民地政策の中で意図的につくったものだ。だから解決策もあると思う。
ところで、民族の区分けは、ふつうは言語の違いなどによるものであるが、ビルマでは恣意的に分けられている。ポルトガル人の末裔の青い目のビルマ人や、キリスト教徒のビルマ人もいる。ビルマにはチベットの村もある。でも政府はチベット人と見なしていない。中国と紛争が起きれば国境が変わるかもしれない。カレン州の反対側にあるイワラジ管区の人口の半数はカレン人だ。ここはサイクロンの被害を受けた地域だが、政府は援助を放棄していた。それは、カレン人が多数住んでいるからだったのかどうか。少数民族の中で、カレン民族同盟だけがまだ停戦に合意していない。この組織は一九四九年から武装闘争を継続している。不思議だが、停戦になってから難民はむしろ増加している。現在タイ国境には三十万から六十万人の難民がいるといわれる。
密輸品はカレンをとおって外に出ていく。軍事政権はヤミ貿易を国境貿易として公認した。密貿易はカレン民族同盟の資金源である。カレン民族軍はたくさん地雷を埋めている。彼らはそれはエコ地雷だという。竹や木材でつくっているから四〜五年で朽ちるのだそうだ。私は、民主化運動組織、民族武装抵抗組織、軍事政権の三者会談ができないのかと思う。解決の糸口はそんなところにしかないのではないか。殺し合いが長くなると、憎しみが増幅されると思うからだ。しかし、そんな甘っちょろいことでは、とカレン人に一蹴された。
「なぜビルマ人は
しゃがむのか」
なぜビルマ人はしゃがむのだろうか?(道にしゃがんでいる男女)。公園の植え込みの陰で傘に隠れてキスをしている男女。棒切れをもってけんかしている女性同士。ビールを飲んでいる若者。でも隣の女性はジュース。仏教の国だが、ここまでは社会的に認められているのだろう。
軍人は行政官僚でもあるから、落としどころさえ考えていれば、アジアハイウエイの写真や空港に着陸しているミグ戦闘機も撮ることができた。値段が少しずつ違う米がたくさん並んでいる国境の米屋。もっとも量が減っている米容器をみると、経済的にみてどの層の人が多いかがわかる。値札はビルマ側はビルマ語だが、タイ側ではアラビア数字で書かれている。今後経済的にはもっとつながりが強くなるだろう。荷物を担ぐとき、男は肩に担ぐが女は頭に担ぐ、重いときは五十キロぐらいまで。どうしてこのような違いがあるのだろうか? (T・T)
申し入れ
三鷹「慰安婦」パネル展会場
使用不許可に抗議します
フィリピン元「慰安婦」支援ネット三多摩(ロラネット)
フィリピン元「慰安婦」支援ネット三多摩が申請していたパネル展の会場使用が「在日特権を許さない市民の会」の妨害で不許可になった。抗議申し入れを掲載する。なお同パネル展は八月一日から三日まで三鷹市民協働センターで開催される。八月一日午後一時からは同第一会議室で「お話し」の会。
三鷹市は7月13日、ロラネット主催の7月29日〜8月3日で行う「`夏休み・親子で平和を考えるaアジアで何があったの? みて、きいて! パネル展示『中学生のための慰安婦』展」(中学生から大人まで、誰にもわかりやすい)の催しの会場使用を不承認としました(三鷹市市民協働センター条例第11号[管理上支障があるとき]が根拠)。
私たちは以下の点により、この決定に強く抗議し、会場使用許可を改めて求めます。
bロラネットのロビー会場使用は4月から申し込み、今までの慣例で口頭で行われてきました。協働センターは自ら広報しておきながら、在特会のパネル展示妨害行為に屈して会場使用を不承認としたことは、平和で正常な市民活動を応援する姿勢を放棄したものです。
市や三鷹市市民協働センターが断乎たる姿勢を貫くことこそ、誇りある三鷹市の平和条例や三鷹市市民憲章に基づく行為です。
b「在日特権を許さない市民の会」(在特会)は「韓国人は朝鮮半島へ帰れ」など、民族差別、排外主義の言動を街頭で宣伝しており、人種差別撤廃条約(1995年に日本政府は締結)国際人権規約に抵触している団体で、登録団体としては、ふさわしくないと考えます。
b日本軍性奴隷制の被害者とともに、平和と人権の実現を求める市民団体である私たちのとりくみを「サルでもわかる売春婦問題」と主張する右翼勢力団体「在特会」と並列におき、その会場使用を拒否する決定は、あまりにも見識を欠いたものです。
b戦時の日本軍性奴隷`いわゆる「慰安婦」a問題については、すでに日本政府は河野談話・村山談話・内閣総理大臣の手紙にあるように、歴史的事実として認め謝罪し、今後も後世に伝える教育をすると明言しています。
「在特会」の歴史認識はこれを否定するものであり、誤っています。又、三鷹市議会において「日本軍『慰安婦』問題の解決を求める」政府宛の意見書をすでに可決していますが、この精神を否定する「在特会」を私たちの市民団体と同列に置いて、会場使用者として審議することは市、自らも上記を否定していることに他なりません。
2009年7月15日
三鷹市市長殿
三鷹市コミュニティ文化室殿
三鷹市市民協働センター殿
フィリピン元「慰安婦」支援ネット三多摩(ロラネット)
代表 大森 進
〒181-0014 三鷹市野崎3―22――16 ピナット気付
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