| 「住まいの貧困」にどう立ち向かうか かけはし2009.4.6号 |
安心できる住
まいを求めて
三月十四日、「なくそうハウジングプア! 安心できる住まいを!」と呼びかけた集会が開催され、約二百人が集まった(主催・住まいの貧困に取り組むネットワーク)。会場は東京・新宿区にある大久保地域センター。小雨降るなか続々と参加者が詰めかけ、テレビ局などのメディアも多数取材に訪れた。小さな会場は参加者の熱気であふれた。
経済情勢の深刻な危機が雇用環境を悪化させ、「派遣切り」や「雇い止め」で会社の寮から追い出されるなど、失職と同時に住居まで失う人々が増え続けている。そんな「住まい」の問題に直面する当事者と支援者らがこの日、全国的なネットワークを結成した。
司会を主催者の一人、松元千枝さんが務めた。藤本龍介さん(ネット世話人)が開会のあいさつ。昨年十月に開かれた「世直し反貧困集会」には、「住まいの分科会」があった。そこで出会った人たちがネットワークを作り、みんなでつながりながら取り組んでいくことを決めた。「準備会」としてUR花畑団地見学ツアーなどを企画した。ネットは今後、定例会議や電話相談などの活動を予定しているという。
貧困ビジネス
の実態を暴く
第一部は「住まいの貧困」の現場からの証言。Aさんは、「ゼロゼロ物件」を扱う悪徳不動産業者「スマイルサービス」(東京・西新宿)の被害にあった。
「ゼロゼロ物件」とは、「敷金・礼金・仲介手数料ゼロ」を謳い、手持ちの資金がない人々につけ入って部屋を提供する不動産ビジネスである。借地借家法の適用外で、居住者には「鍵の一時的な使用権」が与えられるだけだ。家賃の支払いが一日でも遅れれば鍵を付け替えられ、やがて家財道具も処分されてしまう。
〇二年に上京したAさんは、職場での精神的被害に耐えられず離職。〇七年にスマイル社の物件を借りた。日雇いの仕事に必要な携帯電話代の支払いで家賃が払えず、鍵を交換され、十日後には貴重品の入った荷物を撤去された。会社とは示談に応じたが生活保護(生保)を受けながら今後、この問題に取り組んでいく決意をした。
藤堂悟さん(日産ディーゼルユニオン書記長)は昨年十一月、今年六月までの派遣契約を一方的に打ち切られ、寮を出るよう通告された。同じように解雇を言い渡された同僚三人とともに翌十二月、現在の組合を結成。解雇撤回、雇用継続、退寮通告撤回を求めて会社側と交渉。その結果、職場には戻れないものの、契約期間分の賃金保障と寮での生活を勝ち取った。
なくならない
外国人への差別
インド出身のBさんは、自動車部品を製造する派遣の職を失った。外国人であることで賃貸契約を十三回も拒否され、現在は日本人の妻の兄の名義で部屋を借りている。「十年間日本に住んでいるが、日本語ができない、日本人でないとダメだと部屋を貸してくれない」――周囲の露骨な外国人差別に戸惑っている。
三十歳代前半のCさんは、上野や秋葉原で野宿生活中、業者に声をかけられた。誘われるままに横浜にある寮に入った。生保の支給日は寮の門限が二時間も延びた。支給された十五万円から八万七千円の寮費、食費などを差し引かれた。寮には食事当番があり、陰湿なイジメにも遭ったという。
Cさんら野宿者を街頭でランダムに勧誘していたのは、寮を運営する「エス・エス・エス」。これもまた札付きの業者であり、生保を食い物に、事業収入四十億円を超す急成長を遂げたNPO法人だ。
野放しの市場
に公的規制を
第二部は「住まいの貧困にどう立ち向かうか」と題するディスカッション。
稲葉剛さん(NPO法人もやい・代表理事)が最初に提起した。「石原都政になって都営住宅が一戸も増えていない。その間『家賃保障会社』が増大した。これは派遣会社と似ていて、差別を前提としたビジネスだ。常に大家のほうを向いている。取り立ての厳しい大家も増えている。貧困ビジネスは公的なサービスの隙間を縫って成長している。本来ビジネスにしてはいけないものをビジネスにしている」。「行政に公的な介入をさせる、野放しの市場を規制していく必要がある。そして住宅を供給させていくことだ」。「保証金など、本来大家が抱えるべきリスクを、入居者が支払うのはおかしい。公的な保証システムを機能させていくことが重要だ」。
「追い出し屋」
に法的裁きを
司法書士の徳武聡子さん(全国追い出し屋対策会議)は、家賃滞納を理由に違法に部屋を追い出す「追い出し屋」の対策に取り組んでいる。同会議は今年二月に結成された。
「ゼロゼロ物件」同様、悪質な貧困ビジネスに「家賃保証会社」がある。業者は全国で約百社、賃料の半分程度の手数料で連帯保証人を引き受けるというものだ。これも借家人の保護では毛頭なく、あくまで大家の利害で商売をしている。店子が一日でも家賃を滞納すると、同社が立て替えねばならないため、情け容赦のない脅迫が始まる。
具体的には、職場に恫喝の電話をかける、勝手に部屋の鍵を付け替える。無断で家財道具を持ち出して処分するなどの行為で、これはれっきとした犯罪だ。サラ金業者が小会社として開業するケースもあるから、追い出しや資金回収の暴力的ノウハウが、そのまま引き継がれるわけだ。同会議では警察への告訴など、法的手段で対応している。徳武さんは横行する「追い出し屋」の手口を、怒りをこめて告発した。小玉徹さん(大阪市立大教授)は、大都市・住宅政策の研究者。欧米と日本の居住政策を、豊富な資料を使ってレポートした。
差別と貧困は
社会全体の問題
参加者から質問や積極的な問題提起があった。「貧困者だけでなく障がい者も住宅差別の対象だ。地域でともに暮らしていくことを実現する運動が必要だ」。「日本には住宅・家賃補助がないのはなぜか」。「家賃や住宅へ補助費を出せば、逆に価格相場が上がってしまう」。「派遣法の改悪で、『失業すると路上に出る』というシステムが作られていった。法的なネットワークを作るのは当たり前で、今後は住まいを奪われた者の草の根の、横のネットワークを作る必要がある」。参加者は率直で本質的な疑問をぶつけた。
最後に稲葉さんが締めくくった。「かつての日本社会は素晴らしかったかのような風説があるが、貧困は、その形を変えただけで構造は今も同じ。私たちはいつからか差別と貧困の問題を、社会全体のものととらえてこなかった。すべての人にとってのセーフティネットとは何なのかを問い返していきたい」。最後に集会宣言を読みあげ、全員で確認した。
午後六時。会場を出発したデモ行進は、大久保通りを西に進み、小滝橋通りを南下、新宿の大ガードをくぐり靖国通りへと進んだ。
「公共住宅を造れ」 「大家は入居差別をやめろ」「家賃を下げろ」「保証人制度をなくせ」「貧困ビジネスを規制しろ」「居住権を守らせろ」「住まいの貧困とたたかうぞ」。六十本を超えるスローガン原稿が用意され、切実なシュプレヒコールが夜の繁華街に響き渡った。
保守的世論との
闘いが必要だ
年末年始に日比谷公園で行われた「年越し派遣村」が、大きな成果を得た理由のひとつは、首都の中心で、メディアを相手に見える形で効果的なメッセージを発信した点にある。集まった人の中には、所持金がゼロに近い人々も少なくなかったという。貧困に陥った当事者たちは、ここまでぎりぎりに追い詰められて初めて、他人に救いを求めるのである。「首都圏青年ユニオン」の河添誠さんは、組合で対応した相談例を挙げて「なぜここまで、限界までガマンするのか、これはもはや労働相談ではない」と漏らす。
にもかかわらず、こうした人々に対する「自己責任論」や、「一億総中流」「貧しくても幸せ」といった今も根強い保守的な意識がまん延し、過酷な現実を見えなくさせている。貧困との闘いは、この問題に無関心かつ差別的な世論との、ねばり強い闘いでもあるのだ。
「あらゆる差別を撤廃せよ」「公共住宅の拡大を」「低所得者向けの公的支援制度を」――新しく生まれたネットワークは訴える。至極当然の要求である。借家人は相互に連帯し、助け合い、闘おう。 (佐藤隆)
コラム
光合成の物語
小学生のころから、ぼくは教師に疎まれていたようだ。とんでもない意地悪な質問をする可愛げのない子ども、と思われていたような気がする。
小学校二、三年生のころ、近所のおとなたちが大勢、選挙違反で警察に連れていかれた。「買収」という言葉が耳に入った。ラジオからは「売春禁止法」という言葉が流れていた。「なんでも質問しなさい」と言われて、「先生! どうして近所の人たちは警察につかまったのですか? 買収禁止法があるからですか?」
教師は憎々しげな顔をするだけで、なにも答えてくれなかった。
光合成について習ったとき、ぼくは世界の神秘が解き明かされたかのように興奮した。だが、暗くなるにつれて興奮は恐怖に変わった。夜は太陽が出ていない。昼も雨が降っていた。ということは、いま酸素はどんどん減っていることになる。朝になったら酸素がなくなって、みんな死んでしまうのではないか。そう思ったぼくは、布団の中で目を見開いて、太陽がふたたび現れるのをじっと待った。
翌朝、学校に走った。「先生! 夜になるとアクビが出るのは、酸素が少なくなるからですか? 朝になっても酸素があるのは、どうして?」
教師は、ぼくをにらみつけるだけだった。
光合成の説明文には、太陽の直射日光が植物の葉っぱを照らすイラストが添えられていた。光エネルギーのことなど知る由もないぼくは、光合成には直射日光が欠かせない、と誤解していたのである。
だから、雨や曇りの日でも光合成はおこなわれていると説明するのは、そんなにむずかしくなかったはずだ。だが、朝になっても十分酸素があるから安心してよい、と説明するのは、それほど簡単ではなかったのかもしれない。
それには、四十六億年前に太陽系を構成する惑星として地球が生まれたこと、そして長い歳月をかけて人間が生存できる成分と温度からなる空気の層ができたこと、だからその空気の成分は一日の光合成では変化しないこと、などが語られなければならなかった。
それを小学生のぼくに完全に納得させるのは、無理だったと思う。それでも、「地球大紀行」がNHKで放映されたころ、その本を小学四年生の姪にプレゼントしたことがある。絵本を読み聞かせるように地球の歴史を話すと、彼女は身をすり寄せて聞いていた。そこにある自然の営みという「大きな物語」に惹きつけられているようだった。
おそらくぼくも、そんな話を聞かせてくれるおとなが好きになっただろう。そして、今の時代であれば、さらにこんな質問をしたかもしれない。
「なん十億年もかけて人間が生きられるようになった地球の空気の成分が、この百年かそこらで危なくなってしまったのは、どうして?」
おとなたちは、「身近なエコ」でお茶をにごすのではなく、子どもたちに、これからの人間の営みという「大きな物語」を、しっかりと語らなくてはいけない。 (岩)
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