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都教委が卒業式不起立者20人に不当処分          かけはし2008.4.7号

根津さんと河原井さんへの停職六カ月処分を糾弾する



都教委へ連日の
要請行動を貫く

 三月二十八日、根津公子さん(都立南大沢学園養護学校)への「君が代解雇」を許さない東京都教育委員会要請行動が行われた。根津さんをはじめ「河原井さん根津さんの「君が代」解雇をさせない会」、「石原・中村東京都教育委員会の暴走を止めよう!ネットワーク」など支援六十人以上が駆け付けた。
 この日は、都庁第2庁舎30階教育委員会室で都教委第六回定例会があり、「東京都公立学校教員等の懲戒処分等について」の議題で「根津さんの処分」についての審議が予定されていた。根津さんと支援は、二十四日から定例会に向けて連日の都教委要請行動を取り組んできた。この日も早朝から行動が取り組まれた。
 都教委(木村孟〈教育委員長〉、中村正彦〈教育長〉、内舘牧子〈教育委員長職務代理者〉、高坂節三〈教育委員長職務代理者〉、竹花豊〈教育委員〉、瀬古利彦〈教育委員〉)は、これまでの要請行動に対してガードマンを二十数人配備し、妨害を繰り返してきたが、今回も同様に妨害を行ってきた。支援は、ガードマンの後方で不誠実な対応を続ける教育庁の職員に対して、請願権を否定する暴挙を糾弾していった。職員は、「教育委員会開催中ですからお静かに願います」と繰り返すだけだ。
 午前十一時近くになって報道関係と傍聴者たちが退出。処分議題は非公開で密室で審議するらしい。不当な密室審議に抗議して、支援は「根津さんを解雇するな!請願を受付ろ!教育長は出てこい!」のシュプレヒコールを繰り返した。

解雇をちらつか
せた事前通告

 「日の丸・君が代」強制反対の不起立をすれば必ず処分される困難な状況の中でも闘いは継続している。
 三月二十四日、根津さんは、都教委の不当な圧力に抗して都立南大沢学園養護学校の卒業式で免職覚悟の「君が代・日の丸」に抗議する不起立を貫いた。正門前には支援の仲間たちがかけつけ「根津さんをクビにしないで」「君が代の強制はやめろ」と激励アピールの輪が広がっていた。
 すでに都教委は、根津さんに対する集中した不当処分を強行してきた。〇七年三月、根津さんが勤務する町田市鶴川二中の卒業式で「君が代」斉唱時に起立しなかったことを理由に停職六カ月、南大沢学園養護学校に報復異動を強要した。しかし根津さんは、〇八年の卒業式でも「日の丸・君が代」不服従・不起立宣言をしていた。都教委は、「停職は六カ月まで」と事前通告し、解雇をちらつかせてきた。また、「日の丸・君が代」強制に抗議するトレーナーを着用したことで事情聴取し、「職務命令違反、職務専念義務違反」だとして新たな不当処分をねらっている。これ以上の都教委の教育破壊を許してはならない。根津さんの不当解雇をやめろ!

国家主義満開の
新学習指導要領

 一九九九年「国旗国歌法」制定後、都教委は、新自由主義的教育改革と国家主義を合体させた教育戦略を設定してきた。それは「東京都教育ビジョン」(04年4月)に基づく学校統廃合、学校間格差、「学力テスト」を通した競争主義であり、教員に対しては十・二三通達(「入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱の実施について」(通達)03年10月23日)で「日の丸・君が代」強制を職務命令で徹底させようとする攻撃であった。すでに三百八十八人の教職員を「職務命令」違反だとして処分を強行してきた。これは憲法十九条の思想・信条の自由を否定した改憲攻撃の先取りでもあった。また、被処分者への「再発防止研修」という名の転向強制、再任用予定者への解雇(再任用拒否)などの攻撃も繰り返してきた。
 文科省は、小中学校の新学習指導要領を告示(三月二十八日)したが、文科相の諮問機関の「中央教育審議会」の審議を経ないまま、二月の改定案になかった「我が国と郷土を愛し」、「君が代は歌えるよう指導する」を加筆し、「伝統と文化を継承し」を「尊重し」へと改ざんしてしまった。いずれも日本会議所属の自民党議員らの圧力を受け入れたようなポーズをとりながら、官僚らは「修正は中教審の答申の枠の中で行っており、批判を受けるとは考えていない」などと居直り、 改悪教基法を教育現場に貫徹させていくために行ったのである。
 都教委は、文科省による愛国心教育の強化の動きと連動しながら根津さんに対する不当解雇を強行しようとしているのだ。いまだに続く不服従・不起立抗議の闘いに対する見せしめ的な弾圧をはね返そう。

「君が代解雇」を
全国の力で阻止

 都教委は、三月三十一日に卒業式不起立者二十人に対する処分を発令した。都教委の暴挙を断固糾弾する。「君が代解雇」の危険性があった根津公子さん(都立南大沢学園養護学校)に対しては停職六月、河原井純子さん(八王子東養護学校)も停職六月を強行した。
 「根津さんを不当解雇するな!」の全国的な抗議の包囲によって都教委は、根津さんを解雇することができなかったのである。「君が代解雇」阻止を闘いとったことは、根津さんをはじめ全国の仲間たちによる勝利だ。
 この日は、「日の丸・君が代」強制反対・予防訴訟をすすめる会、「日の丸・君が代」不当処分撤回を求める被処分者の会、「日の丸・君が代」不当解雇撤回を求める被解雇者の会、嘱託不採用撤回を求める会の共催で被処分該当者を呼び出す教職員研修センター前で「卒業式処分発令抗議・該当者支援行動」が取り組まれ、二百人におよぶ仲間たちが駆け付けた。被処分者たちは、毅然と入室し、抗議の意思表示を行い、都教委を厳しく批判し続けていった。【詳細次号】
 被処分者たちの処分撤回闘争に連帯していこう! 「日の丸・君が代」強制反対運動の強化を!  (Y)


映画案内
『ビルマ、パゴダの影で』アイリーヌ・マーティ監督/スイス映画/2004年
胸を打つ難民インタビュー

少数民族に光を当てて軍政の実態を暴く

自治を否定さ
れた少数民族

 スイス人映画監督のアイリーヌ・マーティさんが日本公開にあたって来日した。昨年九月、ビルマで民主化を求める大規模なデモ、そして軍政による弾圧。日本でもこの事件に大きな関心が寄せられたなかで、今回マスコミ各社がこの映画について大きく紹介している。
 ビルマの少数民族が国内「避難民」となって逃げまどい、タイなどに難民化している姿を描いている。
 一九九〇年の総選挙でアウンサン・スーチーさんが率いる国民民主連盟(NLD)が議席の八〇%を獲得し大勝したが、軍政はこの結果を認めずスーチーさんを自宅軟禁に置いた。スーチーさんがノーベル平和賞を受賞したこともあり、国際的な関心は高いがビルマの少数民族に光を当てたキャンペーンは大きく取り扱われることはなかった。
 一九四八年、ビルマはイギリスの植民地支配から独立を回復するが、この時、人口の四〇%と国土の半分近くを占める少数民族との連邦体制をとった。ビルマ族の多数が居住する所を管区、少数民族が多数の所を州とした。州は管区を取り囲むように、インド、中国、タイ国境に広がる。州はカチン、チン、アラカン、シャン、カレンニー、カレン、モンと各少数民族の名がつけられた。その後、ビルマ人多数派政権は高度な自治を認めず、自治州に攻め入り、内戦状態が続いた。少数民族は政府軍に対抗するために、「解放軍」を組織し戦った。一九九〇年代前半以後、十七の武装勢力が軍政との停戦協定に応じたが、最大組織のカレン民族同盟は依然として戦いぬいている。
 軍政による少数民族居住区での強制労働・強制移住、女性へのレイプなど深刻な人権侵害が続いている。少数民族は国内避難民となり、移動しての生活を余儀なくされたり、タイへ逃れ劣悪な難民キャンプで生活している人々が十二万人にも達している。

「両親を殺した
ビルマ軍が憎い」

 マーティー監督はきわめて危険な状況をおして、四度にわたってタイ、ビルマ国境を訪れ、主にカレン人とシャン人の難民に対する聞き取り調査を行った。さらに、ビルマ国内に入って、当局の監視をかいくぐり撮影を続けた。難民たちへのインタビューは胸をうつ。
 「父さんと母さんをビルマ人が撃ったとき、僕とお兄ちゃんは田んぼにいた。遠くにいたから助かった。父さんたちは逃げようとしたけど二人ともビルマ軍兵士に撃たれた。それから僕の家を焼き払った。弾はお父さんのおでこと、おなかに当たった。母さんは首と目を一発ずつ撃たれた。通さんたちが死んだのを見て、僕は川を渡ってジャングルに二〜三日隠れてた。そこへ叔父さんやシャン州軍の兵士が来た。僕は両親が殺されたことを叔父さんに話した。その後、しばらくしてここに来た。将来はシャン州軍の兵士になりたい。ビルマ軍の兵士が憎いから。両親を殺したんだ。兵士になってビルマ軍を撃つんだ」(タイ、ロイタイレン難民キャンプに暮らすシャン民族の孤児、サイザム)。
 まだ、小学生くらいの子どもたちの何人もが同じような体験をし、兵士になって、ビルマ軍を撃つと答えていた。ビルマ軍政の弾圧の実態をまざまざと明らかにしていた。
 マーティー監督は「撮影を開始した一九九〇年代後半はこの問題について、国際社会は関心を持たなかった。しかし、二〇〇四年の公開以後、世界の多くの映画祭で上映され、観客から衝撃を受けた、難民への支援をしたいという申し出が相次いだ」と言う。この映画を通じて、ビルマ問題への関心が広がることを願う。(滝山五郎)


許すな!歴史の偽造と環境破壊
4・29反「昭和の日」行動へのよびかけ

 この間、羽毛田宮内庁長官による皇太子への「異例の発言」をめぐって、さまざまにマスコミ上で取りざたされている。天皇夫婦と愛子が会う機会をつくっていきたいとした以前の皇太子の発言が実行されていないとして、「殿下ご自身が会見で発言されたことなので、大切になさっていただきたい」と述べた件である。これに対して皇太子は、2月の誕生日会見で「御所に参内する頻度についてもできる限り心掛けてまいりたい」「家族のプライベートな事柄ですので、これ以上立入ってお話をするのは、差し控えたい」などと答えている。
 これが、いわゆる「人格否定発言」以降の、アキヒト・ミチコvsナルヒト・マサコの、「内ゲバ」の流れにあることははっきりしている。彼らは、マスコミを舞台に、親子のケンカを公然化しているのだ。だがそれは、たんなる親子の感情のもつれといったようなものではありえない。おりしも、アキヒトの健康問題があらためて浮上し、「公務の軽減」も検討されている。在位20年の年を迎え、確実に次なる「Xデー」が近づいている。そういう時期に、「公務」への欠席を続けるマサコをも統制できず、「マイホーム」主義に埋没しているかのような皇太子の姿勢に対する、天皇の側からの「苦言」が表現されているとみるべきである。問題はまさに、次の天皇制のあり方をめぐる、政治方向の確定に関するものとしてあるのだ。
 前天皇ヒロヒトの死によって、それまで「天皇誕生日」であった4月29日は、新設の「みどりの日」となった。それは、直接の戦争責任を身にまとわず、環境問題に心を砕くという、アキヒト天皇制の「クリーンでグリーン」なイメージを打ち出す政治としてあった。戦争責任については、また、かつて侵略した国や交戦国への「皇室外交」を活発に展開することで、欺瞞的な「清算」の儀式を担ってきた。昨年から「みどりの日」は「昭和の日」に衣替えした。それは、自衛隊の海外派兵の日常化に象徴される、この間急速にすすんだ日本の政治・社会の「右傾化」状況が後押ししたという側面が無視できない。しかし、地球温暖化が世界的な大問題とされている今、そこでも環境問題とヒロヒトとを結びつけるキャンペーンとして、アキヒト天皇の「20年」に接続する面が強調されているのである。
 環境問題との関係は、「みどりの日」だけでなく「海づくり大会」、「植樹祭」という全国をめぐる天皇イベントによって持続的につくられ続けてきている。
 われわれは今年も、「昭和の日」を、天皇制の戦争責任・戦後責任を問い続け、「クリーンでグリーン」を装うアキヒト天皇制の政治性を撃つための行動の日として位置づけ、集会とデモを行っていきたい。われわれはそれを、7月の洞爺湖「環境サミット」、アキヒト「在位20年」キャンペーンへの反対へと連動する政治課題として位置づけてゆきたいと考えている。実行委員会への参加、賛同を訴えます。

4・29反「昭和の日」行動実行委員会
b連絡先 東京都千代田区三崎町3-1-18 市民のひろば気付 落合BOX事務局 電話090│3438│0263

〈呼びかけ団体〉アジア連帯講座/国連・憲法問題研究会/昭和天皇記念館廃館準備委員会/「日の丸・君が代」強制反対の意思表示の会/反天皇制運動連絡会/靖国解体企画/連帯社/労働運動活動者評議会

4月29日(火・休)
b文京区民センター2A/午後1時15分開場
bお話 林博史さん 天笠啓祐さん
bデモあり


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