| 寄稿 第7回世界社会フォーラムinナイロビ C かけはし2007.3.5号 |
従来と異なる会場の雰囲気
会場のスポーツ・センターに最初に行ったときの印象は、「今までのWSFとどこか違うな?」というものだった。それは何だろうと考えてみると、まず会場内を行き交う人の数が少なめで、しかも地元ケニヤの人々らしい姿が少ないことに思い至った。
アジアで開催された三回の社会フォーラム(注1)では、会場内でひっきりなしに地元参加者がデモしたり、パフォーマンスを展開したりしていた。日本からの参加者とわかると、地元の参加者が質問攻めにしたり、自分たちの主張を私たちに伝えようとしてきた。二〇〇五年のポルトアレグレでも、ブラジルの参加者が圧倒的に多く、その大多数は労働者や若者だった。今回はどうも様子が違う、と感じたのだ。その原因はすぐにわかった。WSF参加のために必要な登録料が、五百シリングとケニヤの一般の人々にとってきわめて高額だったのである。これでは、海外からの援助を受けているNGO関係者などはさておいて、現場の労働者やスラムの活動家などは到底参加できない。
次に、会場内のフード・ストールの雰囲気が全く違っていた。それぞれのストールには、白くて細長いコック帽をかぶった料理人たちが並び、バイキング形式で料理を皿に盛っていくスタイルだった。スタジアムのすぐ横に店を出していたフード・ストールは、何と一皿四百シリング(800円弱)!しかも、一日目などは一時間以上並ばないと食べることができない状況で、料理自体も美味しいとは言えないものだった。聞くと、この店は、ナイロビの高級ゴルフ場のレストランが「出張」してきたものだそうで、経営母体のホテルは内務大臣の関係企業であり、それ以外の飲み物なども法外な価格設定だったという。このストールのみが会場内の便利な場所に設置されているが、それ以外は会場から少し離れた、わかりにくい場所にあった。この少し離れたところにあるストールでも、三百シリングという値段が付けられているのにはびっくりしてしまった。この値段では、ある程度金を持っている海外からの参加者ぐらいしか利用できないのは明らかで、事実わかりにくい場所にあるストールの多くは「閑古鳥」状態だった。(注2)
その他にも、会場内にケニヤ国内を二分する電話会社の一つがたくさんブースを出していたり、既にレポートしたようにオフィシャル・トランスポートの運賃が高かったりと、今までのWSFと明らかに異なる「商業化」の侵入が顕著だったのである。組織委は、「企業を会場内に入れてはいるが、そこから利益は得ていない」と弁明していたようだったが。
「WSFは売り物ではない!」
今回のWSFをある意味で特徴づけたスローガンの一つが、`WSF is not for sale!a=「世界社会フォーラムは売り物ではない!」であったことは、参加した私たちにとっても残念なことであった。これは、もちろんWSFの中で叫び続けられてきた`The
World is not for Sale!a=「世界は売り物ではない!」をもじったものである。実際のところ、多くの社会運動団体からWSFの「商業化」に対する批判が沸き起こっていた。
その第一の批判点は、ケニヤ人参加者への五百シリングの登録料であった。しかも、その登録料支払いは銀行を通じての振り込みか、クレジットカード決済かのどちらかしか認められておらず、ますます門戸を狭めている結果となっていた。片道でも一人二百シリング以上かかる会場へのアクセスともあいまって、ナイロビのスラムを中心に活動している社会運動団体からは「WSFはスラムの活動家や住民を排除している」との批判が起こっていた。そうした社会運動団体の一つ「ピープルズ・パーラメント」(人民議会)(注3)は、ナイロビ市内の公園で別のフォーラムを企画し、オープニング・セレモニーなどでも参加を呼びかけるビラを配布していた。しかし、WSFムンバイの際に、フィリピン共産党(シソン派)系の団体が呼びかけて開かれた「ムンバイ・レジスタンス」のような対抗フォーラムではなく、自らのフォーラムをもWSFの一部と位置づけていた。私も二十二日の午前、このフォーラムに参加したのだが、こじんまりした公園の中にテントを張り、ケニヤ人を中心に「政府は税金を取るばかりで、民衆に満足な住居などを提供しようとしていない」と活発な議論が展開されていた。
こうした問題が発生した背景には、WSFケニヤ組織委がNGO主体で、社会運動団体や労働組合の影響力が弱かったこと、ナイロビ市内の治安の悪さを考慮したことなどがあると言われていたが、本当のところは今後の総括過程の中で明らかにされていくのかもしれない。WSF終了後に開かれたWSF国際評議会において、すでにその一端が明らかにされており、「国際評議会では、商品化という落とし穴を避けるために、将来のWSF組織者のためのガイドライン政策を定義することも決定された」とのことである(「かけはし」掲載のCADTMのプレス・リリース参照)。
二十四日に開かれた社会運動団体の総会においても、各団体から批判が出され、宣言の中にも「私たちは、WSFスペースの商業化、民営化、軍事化の傾向を非難する。ナイロビで私たちを歓迎した幾百人もの私たちの姉妹・兄弟たちは、高い参加費のために排除された」とその批判点が盛り込まれている。
「登録料をタダに!」と抗議
二十三日朝、モイ・スポーツ・センターのゲート前の道路が「封鎖」された。南アフリカの活動家を中心とした数十人のWSF参加者が、「ケニヤ人の登録料をタダに!」を掲げて、抗議行動を行ったのである。確かに、これまでのWSFにおいても、ムンバイで障がい者のグループから「バリアフリーになっていない」ことへの批判が出されたり、カラチでも女性運動団体からの批判があったりしたが、ゲート前「封鎖」による抗議行動は初めてであった。抗議行動参加者は、続々と到着するバスやタクシーの前で、”Free
entry for Kenyan!”という手製のプラカードを掲げ、スローガンを叫び、踊りながらアピールを続ける。日本からの参加者もこの抗議行動に参加した。
三十分ほどで「封鎖」行動は切り上げられ、組織委と交渉するために、抗議行動参加者は会場内に入った。要求項目は、「登録料をタダに!」以外にも、「会場内で水をタダで供給せよ」「安価な食事の提供を」の三つだった。私は、他のセミナー参加のため、この段階で抗議行動からは離れたのだが、組織委は結局この要求を認め、その日の午後からは入場はフリーとなった。組織委は、その後の記者会見で「今回は特にフリーにしたが、ムンバイでも、ポルトアレグレでもそんなことはなかった」と語っていたとのことだった。しかし、少なくとも、ムンバイやカラチでは、地元参加者の登録料はきわめて安く、いわば形式的に徴収している形だった。しかも、登録自体を会場でも受け付けており、「ちょっと覗いてみようか」的な参加者も受け入れていたと思う。今回も、ケニヤ人参加者の登録料を形式的な水準に設定し、多くの地元参加者を受け入れる方法をとり得たはずなのだが、そういう発想が組織委になかったということなのだろう。
しかも、入場がフリーになった直後、ゲートを通ろうとしたケニヤ人らが警察に「逮捕」され、スタジアム内の留置施設に拘束されるという事態まで生じた。抗議行動の結果、数時間後には「釈放」されたのだが、より一層組織委の迷走ぶりを示した。
翌二十四日には、高級ホテルが出店したストールに対する抗議の「占拠」行動が展開された。この「占拠」行動を組織したのは、前述の「人民議会」グループで、私自身はその日の午後、帰国するために空港に向かっていたので直接目撃したわけではないが、「占拠」自体は平和的に行われ、レストランの料理が参加者に「開放」されたとのことだった。ところが、WSF終了後、この「占拠」行動を組織した「人民議会」の活動家が警察に逮捕されたのである。彼は比較的早い時期に釈放されたが、メンツを潰された内務大臣による報復とも考えられよう。
ADB総会とG8に向けて
二十三日午前には、アタック・ジャパン、WSF日本連絡会、ピープルズ・プラン研究所の共催で、アジア開発銀行総会(五月に京都で開催)、来年のG8日本開催に向けてのワークショップが開かれた。会場は、体育館の廊下が少し広くなったスペースにイスを並べたもので、三十人程が集まった。
ワークショップでは、まず首都圏青年ユニオンの河添誠さんが、ネットカフェで夜を過ごす若者たちを紹介しながら、「日本における労働者の現状」についてレポートした。続いて、ジュビリー九州の大倉純子さんが「債務帳消し運動」の報告を行い、ケニヤ在住の神戸俊平さんがケニヤにおける日本のODAの現状と問題点を明らかにした。神戸さんによれば、日本からのODAのうち、主要なものは日本の建設業者が受注することで資金は日本へと還流しているが、借金はそのままケニヤに残る構造になっているとのことで、「これは援助ではなく単なるビジネスである」という批判でレポートを締めくくった。
インドからの参加者は、援助と債務との関係について、援助が債務を残していく側面と援助が民営化を引き起こしている側面の両方から分析する必要があるとした上で、昨年のADB(アジア開発銀行)ハイデラバード総会に対して、対抗フォーラムと反対デモに取り組んだ報告を行った。韓国からは、日本の社会運動の側がどのような日本の未来像を描こうとしているのかが不鮮明である、という指摘がなされた。
五月に京都で開かれるADB総会に向けては、「対抗フォーラムなどを現在準備中である」と私の方から報告したが、ジュビリーサウスのメンバーなどから「具体的にどういうフォーラムを予定しているのか?」と聞かれ、「構想中である」としか答えられず、答えに窮してしまった。ワークショップにおいて、日本から具体的な取り組みを提示した上で、それへの結集を呼びかけるという形に持っていけなかったのは、私たちの準備不足というしかなかった。また、二〇〇八年G8日本開催についても、まったく準備が立ち後れていることを痛感した。今後の取り組みの中で克服していかなければならない課題であろう。
次回開催へ向けた課題
会場への入場がフリーになって以降、目立って会場内の雰囲気が変わってきた。子どもたちの姿が増えたこと、教員に引率された学生たちも目立ってきたこと、土産物の露店が所狭しと並び始めたことなど、やっとWSFらしい雰囲気になってきたのである。しかし、その一方で懸念されていた治安の悪さも表面化し、セミナー参加中にバッグがひったくられたり、ビデオを持ち逃げされたりする事件が続発した。このあたりでは、組織委の懸念にも一理あったことを証明したのだが、それでもなおケニヤの人々にとって意味のあるWSFを当初から目指すべきだったという思いは消えない。
次のWSFは二年後に開かれる予定である。まだ開催場所は決まってはいないが、WSF運動の原点に戻って、文字通り「もう一つの世界」へのプロセスを切り開きうるようなスペースとして、第八回WSFが行われることが望まれる。そして、WSFそのものの成功だけではなく、その間をつなぐ、持続した、国際的あるいは各国におけるグローバル・ジャスティスを目指す運動の推進こそが重要なのだと、もう一度確認しあうことが求められている。そのことを改めて実感させられたWSFナイロビへの参加だった。(終)
(注1)二〇〇三年のアジア社会フォーラム(インドのハイデラバードで開催)、翌年のWSFムンバイ(インド)、分散開催の一つだった二〇〇六年のWSFカラチ(パキスタン)の三つ。
(注2)フード・ストールの不当な価格設定への抗議の意を込めて、パキスタン労働党のブースでは手作りのカレーを販売していた。カラチでお世話になったファルーク・タリク書記長自ら、カレーとライスを皿に盛っていて、「今日はコックですか?」と聞くと「そうだ。後でぜひブースに来てくれ」と握手を求めながら答えてくれた。五十シリングと安いこともあって、長い列ができていた。私も食べたが、非常に美味しかった。
(注3)ケニヤの社会運動団体の一つで、海外からの援助なしに、さまざまなキャンペーンに取り組んでいる。WSFをナイロビ市内で開催するように主張してきた。配布されたビラの中で、ケニヤの現実とWSFについて、次のように書いている。「一〇%の人々が富の八〇%を握っている。六〇%の人々が一日一ドル以下で生活している。平均的なケニヤの家族は一日三食は食べられない。五%の人々が利用可能な土地の八〇%を所有している。議員全員が金持ちであり、貧しい人たちの状況を理解していない。ケニヤの商品の値段は先進国が決めている。多国籍企業は、ケニヤ人が餓死しても膨大な利益を得ている。WSFは、全世界の人民の権利や貧しい人々に対して敬意が払われる社会に変えていくためのプロセスである」。(おわり)
【訂正】本紙前号(2月26日付)2面名古屋哲一さん「寄稿」の中見出し「自力自闘」を「自立自闘」に訂正します。
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