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                            かけはし2006.7.10号

日米首脳会談「新世紀の日米同盟」の茶番劇

アジア民衆との連帯をかけて小泉の8・15靖国参拝阻止へ


もたれあいの「仲間ぼめ」

 九月退陣を前にしてカナダとアメリカ訪問の旅に出た小泉首相は、六月二十九日、ブッシュ大統領と首脳会談を行い、日米共同文書「新世紀の日米同盟」を発表した。同文書の内容は、二〇〇一年に就任したブッシュ米大統領と小泉首相が、同年「9・11」を契機にして発動された米国のグローバルな「対テロ」先制攻撃戦争戦略の下で、「一蓮托生」とも言うべき「同盟」の絆を、もはや後戻りのできないところにまで固く結んできたことを相互確認するものとなった。
 実際、ブッシュと小泉の「日米同盟」の五年間は、ブッシュがアフガニスタンからイラクへと侵略戦争を拡大する中で、小泉がそれに無条件に追随し、インド洋からイラクへと自衛隊を「戦時」派兵するとともに、「有事法制」を制定して憲法改悪への道筋をつくり出した期間であった。日本は事実上の「恒常的派兵国家」となりつつある。五月一日に最終報告が発表された「米軍再編・日米ロードマップ」は、その到達点である。今回の小泉訪米と日米首脳会談は、「米軍再編」(グローバルな日米軍事一体化)の「意義」を確認し、ポスト小泉体制においてもそれは揺るがせにしてはならないことを宣言するためになされたものである。
 「新世紀の日米同盟」は述べている。
 「両首脳は、日米関係が歴史上最も成熟した二国間関係の一つであり、両首脳の下でより広範・強化された協力関係が達成されたことを確認する」。そして「二一世紀の新しい日米同盟を宣言する」。「弾道ミサイル防衛協力や有事法制整備によって日米間の協力は深化した。二〇〇五年二月の共通戦略目標の策定、米軍及び自衛隊の再編に係る画期的な諸合意は、米軍のプレゼンスをより持続的かつ効果的にし、変化する安全保障環境のさまざまな課題への対処能力を確保するものだ」。
 「強固な日米協力が、中国の活力を生かし、北東アジアの平和と安寧の維持に資することを確認し、豪州のような地域の友好国や同盟国との戦略的対話を増進する」。「北朝鮮による二〇〇五年九月の六カ国協議共同声明での非核化の誓約の履行と、ミサイル実験モラトリアムの順守を呼びかける」。
 このようにして「新世紀の日米同盟」共同文書は、まず何よりもブッシュ・小泉の五年間が、アメリカが一貫して日本に求めてきた世界的なレベルでの「戦略の共有」から、情報・指揮・戦闘にいたる完全な軍事的統合を、現実の「対テロ」戦争のただなかで決定的に深化してきたことにアメリカが満足をもって歓迎し、日本がそのアメリカからの「評価」に対していっそうの忠誠を約束する、露骨な「仲間ぼめ」に終始するものであった。
 小泉は首脳会談終了後の記者会見で「日米関係と同等の重要性を持つ国は世界の中に一つもない」と、あらためて「親米一辺倒」の立場を強調した。

失敗した「テロとの闘い」


 しかし、この五年間の集約としての共同文書では、相互の不安をおたがいにぴったりと身を寄せ合うことで解消したいという深刻な危機意識が透けて見える。たとえば「テロとの闘いにおける最近の成功」という項目に関して、それは明白である。日米首脳会談で小泉首相は「イラクの国づくりで大きな指導力を発揮した大統領の指導力」に敬意を表し、ブッシュは「アフガニスタンとイラクにおける日本の人道復興支援」を「高く評価」したという。
 だが言うまでもなく、イラク侵略戦争はブッシュの思惑に反して、三年以上を経過した今日も十三万人の米軍を張りつけても「安定」も「復興」もおぼつかない泥沼と化してしまった。米軍の掃討作戦はイラクの一般市民の虐殺や虐待を日常化させ、住民の反米感情は日増しに激しさの度を加えている。アメリカの「同盟国」は櫛の歯がぬけるようにこぼれ落ち、開戦当時イギリスとならぶ欧州の重要な同盟国であったイタリアも、政権交代によってスペインに続きイラクから撤退することを決定した。グアンタナモなど全世界の収容所での人権侵害への非難が高まり、EUはグアンタナモ収容所の閉鎖を要求するに至っている。
 アフガニスタンでも事態はさらに悪化している。多国籍軍に守られて首都カブールとその周辺に押し込められているカルザイ政権への批判が急速に拡大し、南部を中心にタリバンが再び勢いを取り戻し、米軍をはじめとする多国籍軍との戦争が激化している。
 そして東アジアにおいて、小泉内閣の孤立はきわだっている。「日米同盟が緊密になればなるほど他のアジア諸国との関係も改善する」と強弁し、「靖国」参拝の強行を毎年繰り返してきた小泉が、中国や韓国との首脳会談もできないまでにアジア諸国との関係を悪化させ、自民党内や財界からも批判の声に包囲されていることは周知の事実である。
 「日本の首相は勇気があり、ビジョンを持っている。彼が私の友人であることを誇りに思う」(ブッシュ)、「五年間、世界の首脳でブッシュ大統領ほど心に感じ、友情を感じ、信頼でき、協力してきた首脳はいない」(小泉)というお世辞の投げ合いから浮かびあがってくるのは、まさに全世界と東アジアで孤立感にさいなまれているがゆえに強がりを繰り返している両首脳が、現実を直視することを恐れて傷口をなめあっている姿である。
 ブッシュが異例なことに大統領専用機「エア・フォース・ワン」に小泉を同乗させてメンフィスのプレスリーの旧宅を訪問させ、小泉がはしゃぎまわるという茶番劇は、「新世紀の日米同盟」なるものの異様さを映し出しているのだ。

東アジアの平和の前提条件

 しかしブッシュ・小泉の「蜜月」の中で、靖国参拝に執念を燃やす小泉の頑なまでの対応は、米国にとっての不安要因になっている。
 小泉首相は、カナダ・アメリカ訪問の中で、あくまでも「靖国参拝」を強行する態度を居丈高に示した。八月十五日の小泉の靖国参拝はほぼ既定の方針になろうとしている。
 「中国の言い分に従えというのが参拝してはいけないという人たちだ。年に何回行こうが問題にならない。個人の自由だ。戦没者の哀悼の念を表するのがいけないのか。憲法の定める思想・良心の自由は侵してはならない。総理大臣にその自由はないのか」。
 「とにかく俺が行きたいのだから行くんだ。文句は言わせない」という小泉のこの発言は、米国の支配層からも侵略戦争賛美という反発をつのらせており、とりわけ「大東亜戦争聖戦史観」に貫かれた「遊就館」への嫌悪感が渦巻いている。「大東亜戦争」の賛美は、「自由と民主主義の盟主」というアメリカの「普遍的正義」と根本的に抵触せざるをえないからだ。アメリカ支配階級全体にとっては対中関係を自らのイニシアティブでコントロールするために、「靖国」問題での批判のイニシアティブを中国に取らせることへの不安が高まりつつある。
 日米首脳会談でブッシュは「中国とはどうなっているのか」と日中関係への懸念を示した。これに対する小泉の返答は「私の代になって日中関係は経済・分化のあらゆる面で拡大してきている。しかし中国は靖国という一つの問題によって首脳会談を行わないという立場を取ってきているが、これには納得できない」と、あくまで自説を曲げないものであった。
 小泉の最後のパフォーマンスとしての「八・一五」の靖国参拝は、こうしてポスト小泉の政治をめぐる重要な対決軸に浮上した。
 日本の労働者・市民にとって小泉の「八・一五靖国参拝」を、決して保守派内部の主導権争いにとどめてはならない。それは対中関係のスタンスをめぐる意見の分岐ではない。われわれにとって、小泉の「靖国参拝」を阻止する闘いは、日本帝国主義の戦争責任・戦後責任を労働者・市民自らの主体的闘いで問うものであり、「対テロ」グローバル戦略の下での「日米同盟」、「米軍再編」に東アジアの労働者民衆と連帯して闘うための前提でもある。
 この八月十一日から十五日まで、韓国、台湾からの参加者とともに「平和の灯を!ヤスクニの闇へ キャンドル行動」が準備されている。「東アジアの平和を妨げ、日本を新たな戦争の道へと煽動する靖国神社に体現される誤った歴史認識」(キャンドル行動のチラシより)に反対し、世論に働きかけ、小泉の靖国参拝を阻止する闘いにともに立ち上がろう。   (純)                                   


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