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                           かけはし2002.6.3号より

『企業の塀をこえて=港合同の地域闘争』出版記念会開く

自覚的団結と労働者自治の闘い

 五月十七日、東京で『企業の塀を越えて=港合同の地域闘争』の出版記念会が開催された。記念会には港合同から大和田委員長を含む三人が参加した。
 冒頭呼びかけ人を代表して樋口篤三さんがあいさつした。樋口さんは「労働情報」の大阪集会が寒風吹き荒ぶ田中機械の工場で開かれたことを回顧しつつ、破産法を打ち破って勝利した三つの要因を述べた。第一は二十年にわたる長期的地域闘争の展開、第二は六・一五や一〇・二一の政治ストライキを始めとする政治闘争に対する一貫した闘い、第三に、だれもが闘いを挑んだことのない破産法に対して、労働者の団結権を軸として公然と裁判闘争を展開し続けたこと。これが自覚的団結と労働者自治を強化し今日の勝利と礎を築きあげたと。
 港合同を代表してあいさつに立った大和田委員長は、一九六四年に同盟金属から脱退し、総評全国金属に加盟した時から今日までの港合同の闘いの歴史を語った。東京の仲間にとっては大阪集会以来二十年ぶりに聞く「大和田節」であった。
 いまでこそ活動家にとって労働者の自治ということが一般的に使用されているが、港合同の「自覚的団結」はロックアウト攻撃、長期にわたる暴力ガードマンとの対決、自主生産の闘いの中で養われたものであることを実感した。とくに田中機械支部の破産法突破の闘いは、三年近い遅配によって弱りきった状態で、組合が血のにじむような闘いと活動の上で展開され続けたことにあらためて感動した。
 その後、元全港湾委員長の吉岡徳次さんの乾杯で祝宴に入ったが、東部労組をはじめ、今日まで港合同とともに闘い続けてきた東京の仲間が次々とあいさつに立った。
 「東の三里塚、西の港合同」と呼ばれた二十年。破産法を突破したが、港合同の闘いはいまも続いている。一九九九年には金属機械(JAM)と決別し、いままた企業の塀を超えて、業種や産業、雇用形態や性別などの差別を超え、地域から全国へと新しい闘いを模索し続けている。
 いま連合は最終的に労働組合としての役割を放棄し始めている。この時こそ、闘いの原点を再確認することが必要である。「企業の塀を越えて」はわれわれにそれを迫っているように思う。(T)

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