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 パキスタン 労働者救援キャンペーンの最新情報     かけはし2005.11.7号

テント・毛布・食糧・医薬品が不足
北部の被災地に援助の集中を

住民の80%が死傷、家屋の100%が破壊された地域も

二つの地域に救
援拠点を設置

 労働者教育基金は、パキスタンの地震被害者に対する労働者救援キャンペーンの最新情報を送ってきた。
 破壊はきわめて大規模であり、選択された二つの地域に救援活動を限定せざるをえなかった。
 討論を経て、カシミールのラワルコット地方にあるパニオラの町と、北西辺境州のバラコト地方にある幾つかの孤立した村落に活動の対象が決定された。
 パニオラはカシミールのラワルコット地方から十二キロ離れたところにある。パニオラは小さな町で、バラコトからも十二キロ離れている。
 町の周囲には三十八の村がある。それらの村々は、山への上りと谷への下りの、パニオラの両斜面に位置している。町には小さなバザール(市場)がある。この地域全体の登録有権者は六万二千人。この地域にはパチオットとバンゴヒに二つの労組協議会が存在している。パニオラから四キロのところに女子大学があり、そこから七キロのところに男子大学がある。パニオラはあらゆる種類の店舗がある交易の町であるが、町の総人口は二千人を超えない。
 そこはおもに勤労民衆からなる地域である。一部の人びとは中東に行き、多くはパキスタンの他の地域に仕事を探しに行く。金持ちや中流階級と見なされている人はほとんどいない。地域には工業はない。パニオラでの主要な仕事は小商業であり、ミルクや山羊を売っている。
 十月八日の地震はこの地域を直撃し、その被害は甚大であった。バグほどには人的被害は多くなかったが、村のほとんどの家屋、とりわけ谷に向かった家屋は被害を受けるか、完全に破壊された。約三百五十人が死亡し、怪我人はそれ以上と見積もられている。ほとんどの人びとは破壊された家の外で生活しなければならず、一部の人は何とかしてテントを手に入れた。また一部の人は衣服、毛布、ベッドシーツなどである種のシェルターを作った。冬が近づいており、状況はさらに悪くなるだろう。
 最初の二日間は、どこからの助けもなかった。幾つかの荷物を積んだトラックがラワルコットとバグに向かってここを通過したにもかかわらずである。それは村民たちの不満を募らせた。パキスタン労働党(LPP)議長のニザール・シャーはこの地域の出身である。彼はカラチで弁護士を努めている。彼は十月九日にここに来ることができた。十月十一日、労働者救援キャンペーンによって最初の救援がラホールからもたらされた。それに続いて、何台かのトラックがラホールからやってきた。ラホールのLPP党員のボランティアは、物資配分の手伝いと地域の実情調査のために数日間ここに滞在した。
 地域委員会を設立しようというアイデアは、十月十一日に最初のトラックが到着するまで物質化されなかった。地域の人びとは、そのアイデアをトークショーのようなものと見なして、信頼しなかった。それ以後、十三の村落委員会が設立された。現在、ニザール・シャーを代表とする市民救援委員会という名前で、中央救援委員会が活動している。十月十八日、十人のメンバーからなるチームが、ラホールからこの地域を訪れた。この地域は緊急かつ長期の救援と復興活動を必要としている。主に必要なものは、シェルター、食糧、医薬品である。
 われわれが活動を集中している別の地域は、北西辺境州のバラコトにある幾つかの村である。バラコト地方にあるサンガール、バンギアン、ジョサクでは、住民の八〇%が死傷し、家屋の一〇〇%が破壊されており、最も深刻な被害を受けた地域の一つである。こうした村は、バラコト市から約三十キロ離れている。一部の追加救援が最終的に届いたのは十二日後だった。労働者救援キャンペーンは、パキスタンで最も悲惨な地震の五日後の十月十三日に到着したが、それはこの地域に来た最初の救援だった。
 ここでも活動を調整するために地域救援委員会が設立された。ここは最も被害の大きい地域である。われわれは、中国と軍からのチームが現在この地域に到着し、テント、食糧、医薬品を提供したと聞いている。
 この地域では、教育・医療システムの再建などもっと多くのことがなされなければならない。緊急に必要なものは、シェルター、食糧、医薬品である。

多くの人々が支
援を待っている

 われわれは食糧、テント、医薬品、毛布、衣料などを積んだ九台のトラックを送った。それは地域委員会と労働者救援キャンペーンのボランティアによって配付された。われわれはパニオラに臨時事務所と店舗を開設した。ここでは、われわれが地域を支援している唯一のグループである。毎日、地震の被害者が何十人も、村から、山の上から、谷から、救援を求めて事務所にやって来る。
 われわれはまた、救援・復興活動に参加しているパキスタンのさまざまな組織とネットワークを築くための支援を行おうとしている。
(「インターナショナルビューポイント」電子版05年10月号) 


タリク・アリがラホールの労働者救援キャンプで語る
           
 有名な左翼活動家で作家のタリク・アリが、チョウク王街にあるラホール救援キャンプを訪問した。
 彼はこのときの発言で、外国からの援助のほとんどは通常の場合、腐敗した官僚と当局によって食いつくされると語った。こうした援助の一〇%も、必要とされる当該の人びとには届かない。われわれはこうしたことが、最近の地震の後でパキスタンに届いた援助にも起きるのではないかと恐れている。
 彼は高層建築物の建設業者を批判し、パキスタンのような危険度の高い国では三階以上の建物は作るべきではない、と述べた。国際・地方メディアのすべてが、イスラマバードで倒壊した高い建物に焦点をあて、被害をこうむったそれ以外の地域のことについては無視している、と述べた。
 タリク・アリは、パキスタンのような貧しい国では、地震のショックは、地震以前にも貧困や失業という形を取って感じられていたと述べた。この地震は、彼らの状況を悪化させた。
 タリク・アリは労働者救援キャンプの活動を高く評価し、他のグループもこの例に続くべきだと主張した。彼は、バラコト地域向けの積み荷を載せた第二のトラックが出発する現場に居合わせた。
 キャンプの三日目、通行人から五万五千ルピー(千米ドル)の現金と二十五万ルピー(四千五百米ドル)分の物資が寄せられた。その中には八百二十のカファン(体を覆う衣服)、五百の赤ん坊用哺乳びん、そして粉末とパックのミルク、砂糖、茶などの食料、毛布、医薬品などが含まれている。(ファルーク・タリク)
(「インターナショナルビューポイント」電子版05年10月号)



パキスタン北部大地震
救援カンパを訴える


新時代社

 さる十月八日にパキスタンを襲った大地震によって、カシミール地方や北部地域を中心にすでに五万人を超える死者が出ていると報じられています。救援は遅々として進んでいません。第四インターナショナルを支持して活動しているパキスタン労働党(LPP)は、労働者教育基金の呼びかけた救援活動に全面的に取り組んでおり、すでにカシミールに向けた八千ドル分の食料、衣料、医薬品などを積んだトラックを送っています。またカラチ、ラホール、イスラマバード、ムルダンなどに避難民のための救援キャンプも設置しました。
 パキスタン労働党のナフィード・エフェンディ副議長は母方の親戚の多くを今回の地震で失いました。ニザール・シャー議長の出身地であるカシミール地方のラワルコット近くの村落も壊滅状態です。
 ぜひ読者の皆さんの救援カンパを呼びかけます。労働者教育基金の口座は以下の通りです。

LABOUR EDUCATION FOUNDATION
A/CNo.01801876
BANK ALFARAH LTD,LDA PRAZA,KASHMIR ROAD,LAHORE.PAKISTAN

 なおカンパは新時代社でも集約して、まとめて送金いたします。一回の送金に多額の料金がかかるので、できるかぎり新時代社の郵便振替口座(新時代社 00150-8-157442)まで「パキスタン救援カンパ」と明記のうえ送って下さい。
                   二〇〇五年十月 



パンフ紹介
派兵チェック編集委員会発行 500円
「戦場の自衛隊」
サマワに「友好的」感情はすでにない

 小泉政権は、アフガニスタン占領多国籍軍支援のために、テロ特措法を改悪して自衛隊のインド洋派兵を一年延長するとともに、十二月十四日に期限が切れる「イラク派兵基本計画」をさらに更新し、イラク派兵を継続しようとしている。
 米軍兵士の死者は、二〇〇三年の戦争開始以来、ついに二千人を超えた。アメリカ国内での反戦・厭戦感情はさらに拡大し、イラク戦争を「間違った戦争」と捉える人びとの数は過半数を超えている。
 自衛隊が駐留するイラク南部のサマワでは住民たちの自衛隊に対する「友好」的感情はすでに過去のものとなった。自衛隊を侵略者として捉え、即時撤退を求める機運は拡大の一途をたどっている。
 このパンフはイラク「正式政権」発足に向けた複雑なプロセスの中で、自衛隊の海外派兵の恒常化に対する反対運動を再組織するために編集された。

米国民衆も現実を
見据え始めている

 ハナー・イブラーヒーム(イラク・女性の意思委員会)の「占領は女性の自由
と尊厳を侵害した」は、米主導の多国籍軍の侵略・占領がいかに「女性の解放」とは無縁なものであるかを鋭く分析している。
 「南の貧しい女性の解放」が「戦闘機や戦車によって……輸入」できるという幻想のウソを筆者は厳しく批判している。
 岡田剛士の「英語メディアで読む戦争と自衛隊派兵」はアメリカのメディアの中に、「ハリケーン」被害やベトナム戦争での体験を通じてイラク民衆の置かれている現実を見据えようとする視点が確実に存在していることを明らかにするとともに、欧米人にとってもイラク駐留自衛隊が、いかにメディアとの接触をかたくなに拒否し、塀の中に閉じこもり続ける奇妙な存在なのかを紹介している。
 以上二つは、イラク占領にかかわる文章だが、トム・エンゲルハートの「侵攻が米国の派遣拡大戦略にもたらしたインパクト」は、イラク以上に人びとが情報に接する機会のないアフガニスタン占領を対象にしている。アメリカがアフガン支配を通じて、ユーラシアの奥深くに軍事戦略の面からもエネルギー資源戦略の面からも、中国、ロシア、インドを見据えつつ排他的な拠点を築き上げようとしていることが描きだされている。
 カルザイ大統領護衛部隊の中核を米民間軍事請負業者と国務省が仕切る一方で、「経済は麻薬密輸に拠るところが大きく、国内総生産の実に六〇%を占め」、「妊娠にかかわることが原因で三〇分に一人の女性が死に、子どもの二〇%が五歳未満で死んでいる」アフガニスタンの現実は、「テロとの闘い」がいかに欺瞞に満ちたものであるのかを示すものである。どこに向かおうとしているのか

 以上三つの翻訳、ないしは英語メディアからの抜粋の他に、このパンフレットには、「自衛隊海外派兵の歴史・現在・今後」(池田五律)、「インド洋派兵は自衛隊になにをもたらしたか」(木元茂夫)、「外交戦略の中で求められる自衛隊――スーダン派兵から恒久派兵へ」(池田五律)の三つの解説的文章と資料が掲載されている。
 池田の最初の文章は自衛隊派兵の「前史」と言うべき、中曾根政権時代のイラン・イラク戦争での掃海部隊派兵の試みとその断念から説き起こし、この十数年間の経過の中で、自衛隊派兵がどこに向かおうとしているのかについて触れている。
 木元の文章はインド洋で海自の補給活動を分析するとともに派兵の積み重ねによってそれが自衛官にもたらす意識の変化にも切り込んでいる。
 池田の二つ目の文章は、PKOとODAの一体化の中で、自衛隊のスーダン派兵の可能性について言及し、それがNGOとの「軍民協力」をも射程に入れた派兵の新たな形への布石となることに言及している。(K) 


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