今後のたたかいの中で彼の業績を引き継ぎ発展させよう
多方面にわたる
先鋭・明確な分析
十月一六日、東京千代田区の日本教育会館で、「右島一朗著作集出版記念パーティ」が開かれた。昨年の夏、右島一朗「かけはし」編集長が愛する山で非業の死を遂げてから一年二カ月。彼の追悼集会から一年。同じ会場で出版を約束した著作集と、登山記録集「山の記憶」の完成を祝う仲間、約七十人が集まった。
最初に、編集作業に携わった松下知さんから発言があり、まず刊行までの経緯が紹介された。
昨年の暮れ、つれあいの政子さんより一九七〇年代からの「世界革命」紙を借り、右島論文をすべてコピーした。それは膨大な量になった。ワープロ入力や文章校正は、政子さんや右島さんの後輩たちにお願いした。制作にあたってケーコムをはじめ、みなさんにお世話になった。
彼の理論的な活動は「原子力と社会主義」に始まった。東欧革命は「政治革命」であると主張した。しかし「天安門事件」を経て、ソ連邦の崩壊は終了した。彼の主張の変化は、著作集に収録した「時代認識」という論文に示されている。この論文をぜひ読んでほしいと繰り返し言っていた右島。彼の書いたジャンルは多方面で、不平等で理不尽な帝国主義、資本主義社会を変革したいという強い意志に貫かれている。今読んでも新鮮に胸に迫ってくる。ぜひこの本を人々の中に広めてほしい。
次に、故人の登山仲間で、「山の記憶」の制作にあたった吉鶴憲二さんが発言。昨年は台風の当たり年だった。私たちは今年も同じ赤石沢に登ったが、水量が少なく楽だった。仲間から、「なぜ右島は通い慣れた山ではなく、赤石沢で命を落としたのか。それをきちっと検証する必要がある」と忠告された。私たち五人の編集委員は、彼の膨大な登山日記をチェックした。そして全体の約五分の一を今回一冊にまとめることができた。私たちは今後も「生きて下山する」というルールで登山を楽しんでいく。政治論文だけでなく、こよなく愛した山を通じて、どうかみなさんも彼のことを忘れないでほしいと思う。
先駆的な革命的
ジャーナリスト
著作集に心のこもった前書きを寄せてくれた樋口篤三さんがあいさつ。年功序列でいけば私のほうが先に逝かなきゃならない。本当に惜しい人をなくした。私の編集長経験から言っても、彼がやったことはすごいなと思う。彼は編集長であり、取材記者であり、カメラマンとして焼付作業などもやり、国富君と共に論説主幹的な立場にもあった。一人四役を担うなんてたいしたもんだ。彼は「革命的ジャーナリスト」として先駆者だった。こんな厚い追悼論文集も初めて見た。読むだけで一年はかかるだろう。彼は第四インターナショナルの土壌の中で生まれ、新しい頁を切り開いていった。
私たちは人間をもっと大切にしなければならない。一人一人を、特に亡くなった人を、歴史的に客観的に、公正に評価しなければならない。そこから何を学びとるか、みんなで考えていく。新左翼の中で新聞らしい新聞はお世辞ぬきに「かけはし」だけだ。
先日の管制塔集会は久しぶりにいい集会だった。基金には心のこもった金が集まっている。こんなに集まったのも初めての経験だ。そこで和多田君と話した。右島が同盟に加盟した頃のエピソードだ。彼に言わせると「右島は火炎瓶も作れない役に立たない奴だ。新聞でもやらせとけ」と決めたらしい。右島君は新聞を通じて人生を開花した。彼の遺志を継いだ次の人たちの登場を期待したい。樋口さんの聴衆を引き込む演説の魅力は、今も変わらない。
出版は家族・友
人の努力の集積
大門健一さんによる献杯の音頭で、立食形式の歓談が始まった。その間、塩川喜信さん、高田健さん、江藤正修さん、山の仲間たち、管制塔元被告、労働情報の浅井さん、ご家族らから故人を偲ぶ発言があった。
著作集は定価で五千円、頁数で八七〇頁にも及ぶ大作となった。右島さんが生前、矢も盾もたまらず書かずにはいられなかった世界中の出来事。ジャンルはきわめて広い。そのいずれにおいても、豊富なデータを駆使した分析を行い、迷うことのない非妥協的な結論を導きだし、時として従来のドグマにとらわれない、大胆で先駆的な問題提起を続けた。経験を積んだ活動家数人分の作業を、たった一人で次々と成し遂げていた努力と能力に、今さらながら感嘆するばかりである。しかも今回の著作集が、「彼の生前の仕事のすべて」ではないのだ。
表に名前が出ることのない、多くの人々の地味な作業をぬきにして、この貴重な一冊を世に送り出すことはできなかったであろう。人の二倍も三倍も働いた彼を知る友人、知人、後輩たち。本書が改めてそうした人々の手に取られ、中身を吟味され、右島さんを知らない人々にも広げられ、現代の運動の発展に生かされてこそ、最高の餞(はなむけ)となる。その意味で本書の刊行は、新たな出発点でもある。彼の志をしっかりと引き継いで、私たちも奮闘していこうではないか。 (S)
資料 声 明
天皇制維持のための「女性天皇」を拒否しよう
「皇室典範に関する有識者会議」論点整理について
さる7月26日、皇室典範に関する有識者会議は、天皇家の「将来にわたる安定的な皇位の継承」を目的とした論点整理を発表しました。天皇にふさわしいのは「女子でも直系」および「傍系でも男子」という2案を示すことによって「中立的な立場」を取ったと自負し、「国民の理解と支持を得られるもの」を目指すとしています。しかし、天皇は、この国における、`国民統合aの象徴としてふるまうと同時に、`人に貴賎ありaの象徴でもあります。その維持・存続を「当然のこと」として議論を進めることがはたして「中立的」でしょうか。
私たち女性と天皇制研究会は、有識者会議に対し、@発言者を明確にした議事録の公開、A皇位継承を論ずるのであれば「天皇制がなぜ必要か」を明確にすること、B「世襲」という差別制度の是非を問うこと、C「天皇制に賛成」の立場に片寄らない議論を行うこと、について要請してきました。しかしこれらは、論点整理およびその過程において、まったく反映されておりません。
有識者会議が、女性天皇を容認するか否かについて、今日的な「国民の意識」を前提に話し合うのであれば、まず最初に「世襲制」こそ問われるべきです。
世襲制は、子を産む女性なしには成立しません。能力のあるなしに関わらず、血統と家の継承のために「妊娠・出産」を女性に当然のごとく強制することを前提に成り立っています。血統や家柄を維持するために個人をないがしろにする、人の差別化をはかり特権を維持する不平等制度、だからこそ世襲制は否定されてきたのです。世襲制をのこすことは、私たちの社会にとって不必要どころか有害です。
女性天皇容認とは、女性の即位によってこの(性)差別制度を今後も維持し続けることを意味します。同時に、皇族女性が、皇統維持要員として天皇制をより積極的に支えることをも意味します。宮家の創出にともない、皇族は今後飛躍的に増えるでしょう。それを支えるのは私たちの税金です。有識者会議は、「女性・女系を含めた子孫」「男性の男系男子の子孫」の生まれる確率の算出はしても(第10回資料)、全体で皇族を何人増やせば気がすむのか、税金負担はどれくらい増えるのか、想定すらしていません。あるのはこの家の存続に関する危機感、ただそれだけです。
こういった視点をまったく無視しているために、「伝統」の名の下「『嫡出であること』は国民の意識等から今後とも維持することが適当」「(女性の場合)国民統合力を期待できない」などといった性差別にもとづいた発言が、有識者会議においてまかりとおり、論点整理にも反映されてしまっていることは許し難い事実です。産む女性にとっては等しく我が子であるのに、男性中心に考えるからこその「嫡出」概念や、ある種の能力に欠けているのは「女性だから」といった誤った考え方は、近代において、天皇制が正当化し利用してきた差別意識のひとつです。これらの誤った考え方が、有識者会議の中でもっともらしく開陳され、ジェンダーの強調、きょうだいの序列の強調、あいまいな「伝統」の正統性などが、無批判のままくりかえし強調されています。
私たちはこのように、有識者会議での議論そのものが、きわめて性差別的なプロバガンダの場になっていること、それが「国民の理解と支持を得られる」意見だとされていることに、強い憤りを感じざるをえません。「国民」の意識なるものがきわめて都合よく使われていることは明らかです。
有識者会議は、情報の公開やパブリックコメントの採用などを、あらかじめ拒否した形で行われています。「国民の理解と支持」を得ているとされる「女性天皇支持」の声の大半は、「男女平等」幻想や女性皇族への同情から導きだされていることは明らかです。にもかかわらず、有識者会議はそのことに一切触れないばかりか、「男女平等の観点からの議論は行わない」とわざわざ明言しています。また「天皇制はなくすべき」の声も、決して少なくないパーセンテージで存在しているにもかかわらず、まったく考慮されていません。有識者会議のいう「国民の理解と支持」とは、いったいどこから導き出されたものなのでしょう。私たちからみれば、それは先に答えありきのきわめて作為的なものでしかありません。
歴史上、天皇制は「伝統」の名の下、それぞれの時代においてその特権的な地位の保持のために、もっとも都合のよい「伝統」を採用し、あるいは自由自在につくり変えて生き延びてきました。明治期はそのもっとも顕著で近い過去の例です。また侵略戦争を主導した昭和天皇や、天皇制が果たした「国民統合」の役割についての批判的検討は、国家レベルでとりくまれるべき課題であるにもかかわらず、逆に「功績」などとして美談に改ざんされつつあります。
むしろ、こういった価値観こそ、近現代の天皇制が強化してきた悪しき「伝統」であると解釈されるべきなのです。有識者会議が、特権的に天皇制を語るならば、まずはそれへの反省から始めねばなりません。
私たちにとって、誰がなろうと「天皇」は「天皇」です。皇位継承者が途絶えている以上、「女性天皇」の容認がなければ天皇制は消滅するしかありません。私たちにとって必要なものは、天皇ではなく、本当の「主権在民・基本的人権・平和主義」の実現です。そのためにも、声を大にして何度でも訴えます。
天皇制維持のための「女性天皇」を拒否しよう! 天皇制はもうやめよう!
2005年10月2日
女性と天皇制研究会
コラム
横浜事件と共謀罪
十月十七日に「横浜事件」の再審初公判が横浜地裁で開かれた。
「横浜事件」は、一九四二年から四五年まで雑誌編集者ら数十人が神奈川県警特高警察に治安維持法で逮捕され、拷問により四人が獄死し、二十数人が横浜地裁で有罪判決を受けた出版史上最大の言論弾圧である。この事件は特高警察によるでっち上げであると同時に、思想を取り締まる治安維持法の政治性格を最も象徴する「権力犯罪」である。私は恥しい話、二十数年前に横浜に住むまで「横浜事件」という言葉を知っていても、この事件の概要を全く知らなかった。
小泉政権のもとで何度も廃案になりながら、現代版治安維持法とも言うべき「共謀罪」が国会に上程された。もしこの「共謀罪」法案が成立するなら再び治安維持法と同様の弾圧が始まることは明白である。この「共謀罪」は六百二十種類の犯罪を対象にし、「話し合う」だけでも罪となる「監視社会」を作ろうとするものである。
「横浜事件」の概要は次のようなものである。一九四二年、評論家の細川嘉六が雑誌「改造」に発表した論文が「共産主義の宣言」とみなされ逮捕されたことに始まる。四二年七月に富山県の朝日町の旅館で開かれた「出版を祝う会」が「共産党再建準備委員会」であるとでっち上げられ、特高は参加者の一斉摘発に乗り出し、改造、中央公論、岩波書店、朝日新聞などの出版関係者数十名を逮捕し、激しい拷問や自白を強要し、四人を獄死させるに至った。さらに、改造社と中央公論は解散させられた。
日本の敗戦が明白になると追求されることを恐れた司法関係者は、連合軍の進駐の目前に「駆け込み裁判」を行い、四五年八月〜九月下旬に約三十人に対して有罪判決を下した。そして判決の数日後には、裁判資料が横浜地裁の中庭で司法関係者によって焼却されたのである。事実、四五年十月に降伏文書調印を受けて治安維持法は廃止され、治安維持法で行われていた公判は全て「免訴」となったのである。
しかし、「横浜事件」を歴史の中から抹殺しようとする動きは戦後もなお続いた。それが再審の「壁」であった。横浜事件の再審請求は一九八六年から四次にわたって提起された。だが裁判所自身が横浜地裁の中庭で焼却したことを認めているにもかかわらず、それを棚上げして「記録」がという理由で門前払いして来たのである。
しかし、今回の第三次の再審請求は、「ポツダム宣言を日本政府が受諾した時点で、治安維持法は実質的に失効しており、横浜事件そのものが無効である」という変化球が認められたに過ぎない。現在、「特高の拷問による自白であり、権力のでっち上げた事件であったという判断」を求める第四次再審請求がなされている。
今回の再審公判を通して、第四次再審が求める「判断」のための道を切り開こう。それは「共謀罪」を阻止する闘いと一体である。(武)
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