今年の五月五日に投票がおこなわれることが確実視されているイギリスの総選挙(下院議員選挙)に向けて、RESPECTをはじめ、諸党派の動きが活発になっています。また、労組と政党との関係は「多党化」の様相をつよめています。
候補を擁立したRESPECT
昨年一月、イラク反戦運動の大きな高揚のなかから、労働党外の左翼諸勢力を結集して創設されたRESPECT(*1)は、昨年の十月末に全国大会を開催し、基本政策と規約の採択、四十八人の全国委員の選出をおこないました(*2)。また全国委員会は、議長に消防士労組(FBU)役員のリンダ・スミス、事務局長に社会主義労働者党(SWP)理論誌編集長のジョン・リースら十五人の役員の選出をおこなっています。規約も、国際社会主義グループ(ISG=第四インター・イギリス支部)のアラン・ソーネットが起草して、暫定執行部が提案し、ほぼ原案のまま採択されました。
また、総選挙に向けては、すでにロンドンのいくつかの選挙区をはじめ、候補者の擁立が発表されています。最終的には、六百二十ある選挙区のうち数十から百近くの選挙区で候補者が立てられるのではないかと見られています。ロンドンでは、イラク反戦をめぐる活動を理由に労働党を除名された下院議員のジョージ・ギャロウェー、戦争ストップ連合(STWC)事務局長で社会主義労働者党(SWP)の幹部でもあるリンジー・ジャーマン、ロンドンのタワー・ハムレッツ区議会補選で最近当選したオリ・ラーマンなどの擁立が決まっています。
左翼諸党派の再編・分化・拡散
他方、RESPECTの結成によって左翼結集をめぐる論争がおこなわれてきた左翼諸党派の間では、この間、分化と拡散の傾向も見られます。
まず、RESPECTを支持する最大党派の社会主義労働者党(SWP)は、昨年末に大会を開きましたが、党員数は三千三百四十五人と報告されました。一九九〇年代から一昨年にかけてはおよそ八千人から一万人であったことを考えると、半数以下に激減しています。トニー・クリフが二〇〇〇年に亡くなって以降の現指導部の路線に対する党内の不満・批判を指摘するむきもあります。
RESPECTの結成によって、事実上、その活動を停止していた社会主義連盟(SA)は、二月五日に大会を開き、正式に解散しました。
そして、これに備えるかたちで、昨年十一月、社会主義党(SP=旧ミリタントの多数派)や労働者解放同盟(AWL)などRESPECTに結集していない左翼諸党派は、社会主義環境統一連合(SGUC)の結成で合意しました。SPは二〇〇一年にSAから離脱していて、AWLはSA内部でSWPやRESPECTに反対する少数派を形成していました。したがって、この連合はSA内外の非RESPECT勢力を結集させたことになります。SGUCは、これに参加している諸党派が合計十七人から三十人程度の候補者をたてる見通しです。ただし、統一候補の擁立ではなく、それぞれが党派候補者として活動し、共同でキャンペーンや記者会見などをおこなう方針です。
昨年の欧州議会選挙で勢力の回復が見られた緑の党は、いずれの連合にも参加していません。RESPECTの共闘の申し入れに対しては、中央組織としてはその意思はない旨回答しましたが、各選挙区での共闘は地方組織の判断に委ねるとの態度をとっています。
また、一年前には、RESPECTへの参加をめぐって臨時大会を二度も開催したイギリス共産党(CPB)は、労働党左派への配慮や、ロンドンをはじめとするいくつかの選挙区での独自候補擁立など、RESPECTとは距離をおく動きがやや強まっているように見えます。
他方、RESPECTと、スコットランド社会主義党(SSP)との関係も議論の焦点になってきています。
三千人以上の党員を有し、スコットランド議会に六議席を持つSSPは、トミー・シェリダン(*3)の党首辞職を決定しました。シェリダンの個人的な事情によると説明されていますが、マスメディアがSSP攻撃の材料にしています。その時期に、ギャロウェー議員がスコットランドの新聞のインタビューで、SSP指導部を「トロツキスト官僚」と呼び、また二〇〇七年のスコットランド議会選挙で、シェリダンとは共同で選挙闘争に取り組みたいとの構想を明らかにしたため、混乱が生じています。
国際社会主義グループ(ISG)を中心に「ソシアリスト・レジスタンス」紙を発行している活動家たちは、こうした発言はSSPへの公然たる攻撃であること、ギャロウェーの示した構想はRESPECTの内部でまったく議論されていないこと、またSSPの質問状に対してRESPECTのリース事務局長が当初回答した内容は不十分であったこと、などを率直に指摘しました。
また、SSPの「独立した社会主義のスコットランド共和国」という戦略的な展望をめぐって、党外からは「民族主義的だ」との批判が提起され、論議を呼んでいます。
以上のように、RESPECTの体制確立の一方で、SWPの組織的な停滞、SSPとの論争、社会主義党(SP)を中心にしたブロックの形成や、労働党「再生」路線への期待など、左翼諸党派の間での分化の傾向が生じているのが一つの特徴になっています。
労働組合と政党の関係が変わった
しかしながら、こうした動向は左翼諸党派の間だけで完結するわけではありません。諸党派に影響を与えるのが、労働組合運動や、労組と政党との関係の変化です。
現在は、公共部門の各労組は、年金制度改悪に反対し、三月中旬から下旬にかけてのストライキを準備し、スト権投票がおこなわれています。
また、労組と政党の関係をめぐっては、一九〇六年の労働党結成以来、百年にわたって続いてきた、労組の同党への加盟という伝統的なパターンが崩れはじめ、いわば「多党化」する傾向が見られるのが注目すべき点です。
巨大な一般労組のAMICUS(百六万人)、運輸・一般労組(TGWU、八十三万人)、GMB(七十万人)などは、伝統的にはブルーカラー労働者を基盤にした労組であり、労働党加盟の中核的な組織です。これらの労組ではここ数年の間に、左派系の書記長が選出され、マスメディアからは「やっかいな連中」というラベルを貼られています。このことが、「労働党との訣別」ではなく、「労働党の再生」という方向への期待を強めてもいます。
他方で、RESPECT暫定執行委員を務めていたマーク・サーウォトゥカ書記長の率いる民間・公共サービス労組(PCS、二十八万人)や、全国教員組合(NUT、二十三万人)など、ホワイトカラーを主な基盤とする中規模の左派系労組の一部は労働党に加盟していません。
さらに、鉄道・海運・運輸労組(RMT、六万人)と消防士労組(FBU、五万人)は昨年、全国組織としては労働党から離脱し、地方本部や支部が他党の組織に「加盟」できるようになっています。
RESPECTやスコットランド社会主義党(SSP)も、労働党が個人と団体の二つの加盟方式をとってきたこともあって、個人党員と並んで労組の団体加盟を認めています。
現在、鉄道・海運・運輸労組(RMT)では、十支部がRESPECTに加盟し、また七つの支部と一つの地本がSSPに、一つの支部が「前進ウェールズ―ウェールズ社会主義党」という名称の政党(*4)に加盟しています。ただし、同労組のボブ・クロウ書記長(*5)は、緑の党に高い評価を与えています。
また消防士労組(FBU)では、ロンドン地本がRESPECT支持を、また東部地本と一つの支部がRESPECTへのカンパを決定し、一方、スコットランド地本はスコットランド民族党(SNP)へのカンパをおこなっています。
さらに、郵便・電通労組(CWU、二十七万人)では、一つの支部がSSPに加盟し、別の一支部がRESPECT支持を決定しています。
低迷する二大政党と左翼の可能性
ブレア首相の労働党は「ニュー・レーバー路線」の破綻が多くの労働者に明らかになりつつあり、世論調査でも支持率を下げています。
保守党は、依然、求心力を回復できておらず、昨年の欧州議会選挙では右派政党のイギリス独立党(UKIP)に保守票の一部を奪われました。そのUKIPも、有名人・芸能人を並べたイメージ選挙で大量の得票をしたものの、最近は内部の指導権争いや分裂、極右分子の存在が明るみに出て、勢いにかげりが見え始めています。
他方、RESPECTは、最近のロンドン東部の区議会補選でも、昨年六月の欧州議会選挙の得票を三倍にし、当選には至らなかったものの、既成三党につぎ一五%の得票率を獲得しています。
見てきたように、新たな問題も抱えるなかで、RESPECTを中心としたイギリス左翼が運動と組織を拡大し、党派間の統一を強化しながら、選挙闘争においてもどのように前進をはかるのかが注目されています。
(*1)RESPECTは、人間らしさの尊重(R)・平等(E)・社会主義(S)・平和(P)・環境(E)・共同体(C)・労働組合運動(T)の頭文字。
(*2)全国委員の選出の際、RESPECTおよび社会主義連盟(SA)の議長ニック・ラックが社会主義労働者党(SWP)の所属であることが明らかにされました。ラックは、かつて「ミリタント」紙の編集長を務めていた人物で、一九九〇年代におけるミリタントの分裂後は「無所属」でした。いわゆるミリタント派は、組織的には革命的社会主義同盟(RSL)ですが、労働党への加入戦術のため、公然たる活動の舞台からはこの組織名称が消えました。そのため、このグループは「ミリタント」紙の読者という姿をとったのでした。
(*3)トミー・シェリダンは、旧ミリタントのスコットランドにおける指導者。九〇年代初頭にミリタントが労働党への加入戦術から転換した際に、現在の社会主義党(SP)の指導者ピーター・ターフらとともに多数派を形成。ミリタントの創立者で加入戦術に固執したテッド・グラントらは少数派に転落し、除名されました。その後、シェリダンらは一九九八年にスコットランド社会主義党(SSP)の創設に参加し、またスコットランドにおける独自組織を確立するためにターフ派と訣別しました。
(*4)この「前進ウェールズ―ウェールズ社会主義党」の評価をめぐっても、RESPECTの指導部とスコットランド社会主義党(SSP)との間で論争になっています。SSPがRESPECTを「イングランドの組織」と見ているのに対して、RESPECTは「イングランドとウェールズの組織」と主張していることが背景にあります。
(*5)鉄道・海運・運輸労組(RMT)のボブ・クロウ書記長は、緑の党を評価していますが、元々は共産党員で、その後、炭鉱労組の指導者アーサー・スカーギルが一九九六年に創設した社会主義労働党(SLP)に短期間、在籍していました。
こらむ
多喜二に学んだ共産主義
一九三三年二月二十日、プロレタリア作家小林多喜二が特高警察の手により築地署で虐殺されてから七十余年が過ぎた。当時、その死について志賀直哉は日記の中で、「小林多喜二(余の誕生日に)捕へられ死す、警官に殺されたよし、実に不愉快、一度きり会はぬが自分は小林よりよき印象をうけ好きなり、アンタンたる気持ちになる、不図(ふと)彼等の意図ものになるべしといふ気する」と記し、魯迅は革命の中国から「日本と中国との大衆はもとより兄弟である。資産階級は、大衆をだまして、その血で世界をえがいた。また、えがきつつある。しかし無産者階級とその先駆者たちは血でそれを洗っている。同志小林の死は、その実証の一つだ。我々は知っている。我々は忘れない。我々は堅く同志小林の血路に沿って前進し、握手するのだ」と熱烈な弔詞をよせている。
まさしく多喜二の死は、「政治の死」であり「革命の死」であった。しかし、今彼の死について、その知識を持ち、関心を持つ人がどれだけいるだろうか。たぶん多喜二が命を賭して守り抜いた日本共産党も含めて、その数は極少数に違いない。
私が小林多喜二を知ったのは小学校高学年か、中学校のはじめごろ。小説よりも近代史をまとめた歴史書が最初だった。頁のあちこちに「治安維持法」や「特別高等警察」、「日本共産党への弾圧」という単語が並び、その中に「小説家小林多喜二の虐殺」があったと記憶している。今思えばそれが私と政治を結びつける接点になったといってもいいだろう。頭の中に、日本共産党は善で、資本主義(天皇制)国家は悪であるという構図がしっかりとできあがってしまったのだ。いわば私にとっての共産主義とは、マルクスでもレーニンでもなく、多喜二の小説が全てであったと言い切れる。ましてトロツキーなど知る由もなかった。
当時、多喜二の小説は、青木書店の文庫で読むことができた。ここには「蟹工船」や「党生活者」など代表作は言うにおよばず、初期作品から絶筆となった「地区の人々」まで、主だった作品はすべて収録されていた。
ここで私は、「資本論」などマルクス経済学を学ぶ代わりに、非合法でありながら労働者農民のため献身的に活動する共産党員の生き方を学んだ。大学入試の面接の際、尊敬する人物はとの問いに、小林多喜二と答えているほどだ。今振り返れば、マルクスの合理的思考とはかけ離れた情緒的な理想論の中に埋没していたと思うが、それが今の自分を形成したことは疑いない。
拷問の傷痕が生々しく残る遺体となった多喜二の写真が残されている。私はこの写真を見るたびに、彼の死が文学史や政治史の中だけで語られることに空しさを覚えずにはいられない。それは、彼が目指した社会が今もって実現されてないどころか、命を張って阻止しようとした侵略戦争への道を再び歩みはじめているからだ。
新たなる戦前を迎えた今、多喜二の死は私たちの目の前にある。(雨)
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