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韓国はいま                      かけはし2004.08.2号

「派兵強行のノ・ムヒョン退陣」の方向を鮮明に

反派兵闘争の混迷を克服しよう

 キム・ソニル氏死亡のニュースは衝撃だった。キム・ソニル氏の死自体が衝撃であったが、ノ・ムヒョン大統領がテロ勢力への懲らしめに言及して派兵強行の立場を固守したのは衝撃だった。多くの人々は国民的抵抗が大きく起こるだろうと予想した。
 ところが6月26日、30日、7月3日と続けられた派兵反対闘争は上昇するどころか、むしろ下落する流れを示している。しかも今後の闘争の展望も決して楽観できない状況だ。背水の陣を敷いて全国民的な抵抗を組織することだけがノ・ムヒョン政権の派兵を阻止できるはずなのに、これは容易な話ではない。
 派兵反対それ自体についてだけ考えてみよう。だれがやってくれるのか。ノ・ムヒョン政権自らが派兵をやめるか。そうなるなら、どれほど幸いなことだろうか。だが残念ながら、それは話にもならない。「大統領さま、どうか派兵しないでください、ね」と百日間、叫んでみよ。すでに、テロ勢力に屈伏しないとしているノ・ムヒョン大統領、テロ防止法を再び論じたてているノ・ムヒョン政権だ。
 国会で拒否する? そうなったら、それはまた何と幸いなことか。議員らの内部が割れて、一部は個人の信念に従って派兵反対の側に立った議員たち。彼らがいるのは、それでもまだ幸いだ。だが、もどかしいことにそれでも議席全体の4分の1にしかならない。地域区選出議員の事務室を訪問して手足となってくれるように祈り、あるいは脅したからと言って大勢が変わりはしない。
 派兵反対非常国民行動(国民行動)がある。300を超える参加団体、そして毎日キャンドル集会を開き、週末ごとに大規模デモを組織している名実ともに兼ね備えた派兵反対運動の汎国民代表体だ。不安定な執行力、多様な政治的見解間の衝突にもかかわらず、今日まで派兵反対闘争を率いてきた。だが不安だ。集会の規模は縮まり、指導力の問題が噴きあがり、基調や方向をめぐってあっちへふらふら、こっちへふらふらしている。7月末までの計画を立てはしたものの、こんな具合いで国民行動は、はたして派兵を阻むに充分な国民的抵抗を組織していけるのだろうか? 簡単には答えられない。
 否定的情勢判断だと言われても、そうとしか言いようがない。いまのまま行けば、そして他の変数がないならば、派兵は実現されるだろう。7月中旬に船を編成し、8月初、中旬ころに先発隊が飛んで行く。世界は強固な韓米同盟に驚異と嘲笑とを禁じえないだろうし、ブッシュ政権は騒々しくわめき立てることをやめないだろう。そしてまた韓米同盟のぬくぬくとした居心地のよさにあぐらをかいているこの国の支配勢力は安堵の胸をなで下ろすことだろう。

危機の頂点に立ったノ・ムヒョン政権

 執権1年、ノ・ムヒョン政権は新自由主義の世界化攻勢を全面化しつつも、2つのことで苦しまなければならなかった。1つは、労働者民衆の抵抗を管理することであったし、もう1つは保守勢力との攻防だった。ノ・ムヒョンは弾劾の局面や総選挙を経過するとともに、その2つのことを軽々と消化してしまうという威力を発揮した。そうはいうものの、ノ・ムヒョン政権の体内でのたうっている危機の根源がなくなったわけではない。
 総選挙以後、経済危機論争、マンション分譲の原価公開をめぐる攻防、派兵、国会議員不当逮捕特権の行使、人事請託問題などが相次ぎ、再び政治的危機に直面した。こと新しいことではない。新自由主義支配連合の危機管理の虚弱性や不安定性については、いろいろ話してきたことだ。派兵問題は、その頂点に位置している。ノ・ムヒョン政権は、だれの要求によってでもなく、自ら判断して行動した。韓米同盟を選択し、派兵強行を宣言し、キム・ソニルを死に追いやり、テロについてブッシュが語ったこととそっくりそのままのコメントを発表した。
 ノ・ムヒョン政権はいま、最大の政治危機の局面を経過している。ノ・ムヒョンを支持している諸勢力がいても立ってもいられない理由も、ノ・ムヒョン政権が直面した状況がそれほどに不安定だということを知っているからだ。
 状況は考えているよりも、ずっと深刻だ。ノ・ムヒョン政権が韓米同盟を強化し、派兵を強行する限り、政治的危機は一層、深まるだろう。何よりも支持勢力の精神的恐慌や、それにともなった離党が加速化されるだろう。これは新自由主義改革勢力の深刻な亀裂へと結びつくこととなる。かてて加えて労働、教育、医療、環境など、新自由主義の攻勢にともなった民衆の抵抗ともあいまって形局は一寸先も読み難いものとなるだろう。
 だが派兵を強行しても、支援勢力をある程度、束ねる一方、上からの強力な支配イデオロギーや公権力をともなった危機管理システムが構築される可能性も排除しがたい。硬直した新自由主義の政治危機管理システムは直ちに労働者民衆の生活への直接的な攻撃をともなうことを意味する。患乱と苦痛の現実が繰り広げられるだろう。

だれが派兵反対の戦線を撹乱しているのか

 市民運動勢力として列挙される諸団体は派兵阻止の実践において、だれよりも献身的に臨んでいる。国民行動に積極的に介入し、社会的に発言し、政治的に実践してきた。ところで今日まで市民運動勢力は大体においてノ・ムヒョン政権の改革を支持したけれども、改革の新自由主義的性格については相対化したり、副次化したり、懸念しない態度を取ってきた。この点が民衆の立場と息づかいとを異にする部分であり、韓国社会進歩の発展に障害となっているところだ。
 ノ・ムヒョン政権に対する期待を捨てられないために、派兵反対の実践においても認識や方法上の限界をさらけ出す。たとえば市民運動の諸勢力は、派兵反対戦線の撹乱要因は国民世論を多数化する方向に合わせられないあれこれの行動だとあげつらう。ノ・ムヒョン退陣のスローガンを主張することになれば市民の隊伍は離脱することになり、それはそのまま世論を悪化するものだと言う。派兵反対集会は追悼や文化行事中心で進めるべきであり、旗がなびいたり、もみ合いをしたりする場面が生じれば極度の拒否反応を示す。スローガンや行動上の「過激性」のために国民的支持に結びつかないと考えているからだ。
 国民大衆の世論を変える問題は実践の過激性かどうか、ではない。政治的問題において大衆の世論は、その内容が大衆自身の利害にどのぐらい符合しているのかによって左右される。これは、この20余年間の民衆闘争の過程で充分に経験してきたことだ。それにもかかわらず市民運動勢力は、このような事実を全く受け入れることができない。今日、新自由主義の改革に包摂された自由主義者の存在論的限界でもあるのだ。
 派兵反対の世論を高めるのは重要だけれども、世論だけで派兵を阻止できないのは当たり前だ。昨年10月ごろ、70〜80%近かった派兵反対の世論でも派兵推進を阻止できなかった。ノ・ムヒョン政権はテロへの言及までした状況だ。このような状況にあって世論の数値を高めることが派兵を阻止する力となると信じるのは一面的だ。しかも開かれたウリ党の支持率暴落の背景には、先に記した経済危機への対処、マンション分譲の原価公開問題、不逮捕特権問題、人事請託問題ともあいまっているが、決定的な事由は派兵強行にあると考えなければならない。
 大部分の国民はキム・ソニル氏の死をノ・ムヒョン政権のせいだと認識し、ノ・ムヒョン政権が派兵を強行したためだと見ており、米国のイラク戦争も間違いだったと考えている。それにもかかわらず派兵反対の世論は50%を辛うじて超える程度だ。これは、なぜなのか。真実は明らかだ。大衆自らが政治的方向を持てず、展望を持てないからだ。
 キム・ソニル氏の死がもたらした衝撃が余りにも大きかったがゆえに忘れてしまおうとし、避けて通ろうとする傾向が支配的なうえに、「ノ・ムヒョン大統領が阻めないことを、それに取ってかわる他のどんな主体が登場して果たすことができるのか」という現実的無気力に陥っている状況だ。
 このような理由によって、ノ・ムヒョン政権が派兵を推進しているという事実に怒りながらもあきらめとなり、反対しながらも放棄しているのだ。派兵は国益でもなく、名分もなく、正当でもないと考えているにもかかわらず、派兵反対の世論が50%を超えないという矛盾した様相が展開される理由、それは大衆が何も知らず、あるいは派兵に賛成したがっていてそうしているのではない、ということなのだ。
 民主、自主、統一という特有の歴史的意識性を堅持している民族主義勢力もまた深刻な難関に逢着している。周知の通り民族主義勢力は長い間の運動的能力と献身性を基礎として多大な政治的影響力を拡張してきた。全大協世代の政治的進出、民主労働党の議会進出や党内主要役職の掌握、民主労総上層の運営などが、その典型だ。
 民族主義勢力にとってノ・ムヒョン政権は排他的なものではなく、けん引と連帯の対象だ。改革は、いかに限界があったとしても民主主義の拡大だと理解し、平和繁栄政策は統一を志向する構図から大きく外れてはいないとして受け入れる。ところがノ・ムヒョン政権の派兵強行は、けん引や連帯の契機を根本的に断ち切っており、ことに対処するのに普通なら難しい問題ではない。そのようなわけで、キム・ソニル氏を死へと追いやり、テロに言及するノ・ムヒョン政権に対して「糾弾」や「謝罪」の要求で今後、一歩も踏み出せずにいるのだ。
 ノ・ムヒョン政権の派兵強行の主たる理由を米国の攻勢に帰す理由も、ここから生じる。すなわち米国糾弾、韓米同盟反対、駐韓米軍撤収を強調することによって「反米自主性」を、またノ・ムヒョン大統領が大衆の圧倒的な派兵反対の声を背負って派兵を撤回できるように圧力をかける「大衆性」を拡張しようと訴えているのだ。
 大衆がこのことを分からなくて派兵反対闘争に踏み出していないと考えるのだとすれば、それはとんでもないことだ。大衆はこれを聞いたなら、何でお決まりの米国への嘆き節なのか、と言うだけだ。米国が派兵したのか、と逆になじるだろう。
 ノ・ムヒョン政権に対する態度を回避しようとするあまり米国を強調することとなり、米国を強調すると逆に大衆の支持を得られないというゴチャゴチャが生じるのだ。民族主義の政治的喪失感の背景、これもまたノ・ムヒョン政権に対する政治的態度を明確にできないことから生じているのだ。
 戦線撹乱の理由は決して旗や、もみ合い、退陣のスローガンのせいではない。

常識と普遍の言語で派兵撤回運動を

 それにもかかわらず、これらの勢力が派兵を撤回するために繰り広げている努力を、おとしめてはならない。派兵を必ず撤回させるためならば、もっと多くの努力をともにしていかなければならない。なすべきことの幾つかだけを注文する。これは派兵反対闘争において市民運動や民族主義勢力の実践ほどにも及ばない左派や現場主義者たち、労働組合の活動家にもともに言いたい話だ。
 第1に、いまは大衆に政治的方向をハッキリと投じなければならない時だ。米国に、真相糾明に、国会議員への圧力に焦点を合わせることは中断しなければならない。大衆は、判断能力がないわけではない。米国を元凶とは考えてはおらず、韓米同盟のシステムがすさまじいほどに機能しているのに完全な真相究明がなされるとは信じておらず、国会議員を動かしたところでダメだということをしっかりと分かっている。
 これらは核心をあいまいにし、大衆の行動を制約する未熟な運動圏のスローガンにすぎない。「派兵強行のノ・ムヒョン退陣」運動をしていく、と主張しなければならない。自信をもって、明確に、鮮明に大衆に語ることによって大衆自らが行動できるように動機を付与しなければならない。「派兵強行のノ・ムヒョン退陣」は運動圏の政治の論理ではなく、民衆の常識と普遍の言語だという点を、あるがままに受け入れなければならない。
 第2に、民主労総や現場を動かさなければならない。いま、派兵反対の集会をすれば民主労総から何百人かは参加する。しかし、指導部は最初から組織をしていないも同然だ。労働者の参加しない集会場が元気なく見えるのは当然だ。現場では遅まきながらも社会的合意主義に対応する流れが実現されつつあるのは幸いなことだ。だが派兵反対の実践とともに対応しないなら社会的合意主義の攻勢も阻めない。社会的合意主義攻勢を阻むためにもノ・ムヒョン政権の派兵を阻止する実践を展開しなければならない。政治ゼネストは最も爆発的な威力を持つだろう。
 だが不渡りが明らかな手形の発行は論じることをやめよう。手にできることから始めよう。小集会、ライン、単位労組、職場組織、地域の連帯単位で討論を始め、宣伝文句と宣伝物を作り、ターミナルや市場一帯の主要入口で扇動戦やパフォーマンスを企画・実践しよう。最近、人権団体などが試みている実践は示唆するところが大きい。組合員であると現場活動家であるとを問わず互いに社会的実践、政治的実践の動機を付与していこう。「労働者の力」や政治的諸組織、現場の各組織すべてが派兵反対の実践を社会的合意主義の対応の主要な内容とみなし、現場の流れを作り出すようにしよう。
 第3に、大衆とともに呼吸し討論する空間を開き、多様な政治企画を実行しなければならない。大衆が自由主義者であれ右派であれ左派であれ、いわゆる運動圏の考えよりも立ち後れているという考えならば、それは全くの時代錯誤だ。かつてのように、よく分からず、判断が不充分で、結合してともに行動組織がなくて動かないのではない。現在のように光化門騒動(別項参照)が続くなら大衆は、あっさりと顔をそむけるだろう。行方も定まらないように見えるところに、だれが全身を投じて行くだろう。
 これ以上、遅くならないうちに大衆自らがノ・ムヒョン政権の帝国主義戦争への参加反対の政治行動が選択できるように、呼吸し討論する空間を開かなければならない。この過程で現場、政治組織、人権団体と個人のともに参加する「派兵強行のノ・ムヒョン退陣」運動ネットワークを形成していこう。派兵を阻むことのできる唯一の力、それが多数の大衆の行動から始まるということを疑わないならば!(「労働者の力」第58号、04年7月9日付け、ユ・ヨンジュ/会員)

デモをするのかしないのか
派兵撤回闘争をめぐって対立と混乱が続いている

 当初、ソウル市庁前広場で行われることになっていた7月3日の派兵撤回集会が突然、光化門へと変更された。理由は当日、ある市民団体の催しが夜8時まであるということ、市庁前の集会が不許可ということだ。結局、6・26、6・30に続き7月3日も光化門で集会は始まった。
 7月1日、イラク派兵反対国民行動(以下、国民行動)運営委は7月3日の集会の最後のプログラムとして行進を予定した。もはや悲しみと欝憤を晴らす追悼祭を繰り返していてはダメで、派兵を強行しようとするノ・ムヒョン政権に対する糾弾の意志を強く表すための決定だった。
 だが当日の執行責任者点検会議を行う場で、行進を行うかどうかをめぐって論難が展開された。女連や参与連帯などが行進反対の意思を明らかにした。民主労総も行進について意思疎通がはかれなかったとして反対を表明。
 これとは逆に社会進歩連帯、労働者の力、全貧連などは運営委で決定し、状況室会議で検討した通りに行進することを主張した。貧民青年会などは「いつまで追悼行事ばかりをやるのか」と問題提起し、参与連帯などは手続きを問題視した。論難の末に参加団体別に立場を確認し、民主労働党とターハムケ(all together、みんな一緒に、の意)は全体の見解に従う、とした。
 だが運営委の決定を繰り返す共同運営委員長の主張が提起され、企画団長が個人的見解として反対を主張し論難は再燃した。参与連帯、民主労総などは雨が降ることや準備不足などを挙げて反対し、「万一、警察の暴力で人々が傷ついたらだれが責任をとるのか」と語った。続いて、警察と闘おうというのではない、追悼祭中心の集会を乗り越えなければならない、きょうはノ・ムヒョン政権に対する責任と糾弾を明確にすべきだ、などの攻防が行き交ったすえに執行責任者会議が再招集され、賛成、反対、棄権(ターハムケ、民主労働党)と意見が割れたが結局、行進を決定した。女性団体などは論議の決定に同意できないことを表明した。
 行進を始めようとしてから30分もすぎないうちに企画団長が集会整理(解散)を宣言し参加者たちは野次をとばした。その後も散発的な行進の試みが続けられたが午後11時20分ごろ集会は整理された。
 このような論難は7月6日の国民行動運営委でも繰り返され、参与連帯のある幹部は会議の途中で「よく論議してください」と声を荒らげて会議場を出ていくということも起きた。(「労働者の力」第58号、04年7月9日付、ク・ナムス/会員)


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