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国労72回定期大会                  かけはし2004.09.6号

1047人の解雇撤回、鉄建公団訴訟に勝利しよう



ねじまげられたILO第六次勧告

 昨年十二月二十日、採用差別最高裁反動判決直後の中央委員会で、国労本部は「国を相手取って訴訟を起こすことを準備する」と提案した。なんら闘う方針を提示しないままで闘争団実態調査アンケートを行ったが、「闘争を継続し実損回復を」が八五%にのぼり「闘争団として闘争継続を」は八六%を示した。にもかかわらずこの闘争団の圧倒的な闘う姿勢に対し本部は集約を放置したまま、ILOへの期待を夢想しつつ春闘をはさんで六カ月も無為に経過させた。
 しかし六月十八日のILO結社の自由委員会は、第一次勧告を大きく後退させた現状追認の第六次勧告を出したに過ぎなかった。
 それは「四党合意」による解決ができなかったことを遺憾と言いつつ、もう一度「解決のために一度は大勢となった政治的、人道的見地の精神に立った話し合い」を勧めるとしている。つまり、与党三党離脱によって破綻した「四党合意」的話し合いを、再度求めることや「組合差別に対する法的保護機構が全体として不充分と結論付けることはできない」と最高裁不当判決を容認する内容となっていた。
 ILOも勧告の中で無視できなかったのはただ一点、「最高裁が『国鉄が採用候補の名簿作成にあたり不当労働行為を行った場合は国鉄の法的地位を引き継いだ清算事業団(現在の鉄道建設・運輸設備支援機構)は使用者責任を免れない』との判断に留意する」と鉄建公団訴訟の先駆的取り組みを取り上げた点にある。
 しかし国労本部はこの部分にはほおかぶりしながら、第七十二回定期大会に向けた七・一「総団結・総決起の歴史的大会とする」アピールで勧告をほめちぎった。そこでは闘う姿勢や何らかの訴訟も提起せずに「政府をはじめ全ての関係当事者がILO勧告を真摯に受け止め関係当事者の話し合いを直ちに開始し早期解決が図られることを強く望む」などと手前味噌のアピールを発した。

対決回避の「訴訟は最後の選択肢」論

 また酒田国労本部委員長は『国労文化』二〇〇四年八月一日号でインタビューに答え「政治状況は容易ならざることです……訴訟は最後の選択枝です。訴訟をおこせば裁判所が和解を提起し相手も応ずるという意見もあるが主観的願望、期待感であって本件に限っていえば訴訟の場合、相手方は一切応ぜず裁判で決着になるかと思います」と大会に向けて訴訟を起こさないことを明言しているのだ。
 そして、大会の抱負と決意を問われ「永田町や霞ヶ関の国労に対する見方は厳しいものがある。端的にいえば『国労にまとまりがない』ということ。本部の指導性、求心力の問題」として「本部が提起した運動方針案も対立点を強調するのではなく全体がまとまるよう配慮している」と述べ「国労の団結した姿を内外に鮮明にしうる大会にする」と発言している。
 これは、国労本部が敵を「話し合い」のテーブルにつかせるためには訴訟をはじめとして政府・JRとの対決を投げ捨てるような大同団結を画策しているということであり、「四党合意」を引き継ぐ話し合い路線へ集約させようということである。
 そして「まとまり」をつくろうために国労本部は鉄建公団訴訟原告の生活援助金の凍結解除(もちろん無条件ではない)をちらつかせたり、統制処分の解除もあるというような、嘘のオフレコを流したりしながら、統制処分の撤回を求める裁判闘争を大きくけん制することによって、本部批判と人事のない大会、さらには修正動議の提出を押さえ込もうとしていた。
 大会は一〇四七人の解雇撤回も書かれず、新たな訴訟の提起もない話し合いによる「政治解決」(?)に貫かれた運動方針案・第一次草案を葬りさるか、一〇四七人の解雇撤回、鉄建公団訴訟の実現、鉄建公団訴訟原告の生活援助金凍結解除、二十二人の統制処分の撤回に向けた方針を確立するかが問われていた。

訴訟は万策つきた最後の手段?


 定期大会は傍聴者が集まりにくい平日の八月二十六、二十七日に設定され、大会関係者、代議員、責任傍聴者などは前泊で、勤務予定発表後に会場は熱海のニューフジヤホテルと公表された。当日、会場前は狭い道路と歩道で公安を前面に熱海警察が立ちはだかった。警備体制は執拗で、闘争団、「国労に人権と民主主義を取り戻す会」などのビラ入れなど、宣伝行動は厳しく規制された中で開催された。
 大会冒頭酒田委員長は委員長あいさつで「訴訟は万策つきた最後の手段」と言い放ち「現時点では万策は尽きていない」と開き直った。本部は訴訟を起こす気など微塵もないことを明らかにしたのだ。
 あいさつによれば本部が国土交通省、厚生労働省に要請を行ったこと、大会直前八月二十日にはじめて清算事業団(鉄道・運輸機構)に要請、八月十八日連合笹森会長と八月二十五日民主党の藤井幹事長にお願いしてきたということを「死にものぐるい(ママ)で政治行政対策を行ってきた」と声高に叫び、何らかの動きが見えるかのように(だれ一人信じるものがいない)演出した。
 そのうえでチャレンジや革同などの本部支持派を取り込み、「一致点を強調して歴史的な総団結・総決起の大会にする」とパフォーマンスを演じて見せたのだ。
 見せかけだけの団結を取りつくろうような議事運営が進行する大会の背後で、鉄建公団訴訟原告の生活援助金凍結解除をほのめかしながら条件として「闘う闘争団の解散」「活動の停止」を迫る卑劣な圧力をかけていた。
 しかし鉄建公団訴訟原告闘争団や反対派は、国労として新たな訴訟の実現(これがなければ政治解決さえもない)、鉄建公団訴訟原告の生活援助金の凍結解除、統制処分の撤回に向けて反撃した。
 二日目「新たな訴訟は国労闘争団が求める要求が実現できる訴訟とし大会後速やかに提起すること」と「二十二名の統制処分を解除すること」を、それぞれ十人の代議員連名で二本の修正動議として提出した。本部はいずれも否認し、投票となりそれぞれ賛成二三票と二六票、反対六七票と七〇票で否決された。本部原案は賛成六九票、反対二一票、白票四票で承認された。

闘う闘争団の解体を狙う国労本部


 書記長集約で本部は、鉄建公団訴訟原告団への生活援助金凍結に関して「大会以後ただちに凍結解除する方向にする。一部闘争団の協力をお願いする」と発言した。国労本部は無条件に凍結時にさかのぼって解除すべきである。アルバについては不正融資疑惑に答えるべきだ。
 大会は新たな訴訟提起を決められなかったばかりでなく、話し合い解決のためにすべてが優先する運動方針が承認された。それは同時に鉄建公団訴訟をはじめとした一〇四七人の解雇撤回闘争など政府、JRを攻める国労本部から独立した戦いを国労本部自身が封じ込めようとする動きを強めるだろう。
 八月二十三日、国労本部と建交労(旧全動労)は「今こそ解決を」との共同集会を持った。これらの集会を通して本部と一部革同は、全動労が鉄建公団訴訟に立ち上がることを押しとどめようとしている。鉄建公団訴訟の闘いを孤立させ四・一三集会の三者共闘と一〇四七人の団結強化の地平を足元から掘り崩そうとしているのだ。

本部から独立した国鉄闘争の強化を


 鉄建公団訴訟をはじめとした本部から独立した国鉄闘争の強化が求められている。鉄建公団訴訟は十月七日からいよいよ個別立証が開始され年内結審に向かっている。
 話し合い路線の下でキャラバン行動を背景に要請と交渉のみを中心として解決を図ろうという本部の陳腐な幻想を批判しつつ、一〇四七人の解雇撤回、鉄建公団訴訟勝利、統制処分撤回、生活援助金の無条件凍結解除、あらゆる不当労働行為の根絶、大合理化反対、安全運転の確立、国鉄闘争勝利に向け闘い抜こう。
 (8月28日 蒲田 宏)




小牧基地に申し入れ行動
自衛隊のイラク撤退・C130の飛行中止を!


 【名古屋】八月二十八日、有事法制反対ピースアクションは、航空自衛隊小牧基地司令に対して、自衛隊のイラク撤退・C130の飛行中止を求める申し入れ行動を行った。
 午前十一時、基地ゲート前には続々と地域の仲間が集まる。プラカードやレインボーフラッグを手にした仲間の数は二十人ほど。固く閉ざされたゲートの前で、受け取りに出てきた隊員に、小泉首相・石破防衛庁長官に意見具申することを求めた申し入れ書を読み上げ、手渡した。この日も名古屋は暑かったが、六〜七月と連続して闘い続けてきた申し入れ行動を八月も貫徹した。
 午後二時からは、名古屋市の中心地栄の市教育センター分館で、自衛隊イラク派兵差止訴訟の会主催による第二回口頭弁論直前企画の講演集会が開催され、百二十人が参加した。
 集会は、韓国での兵役拒否のドキュメンタリー「銃を執らない人々」の上映からはじまり、イ・ヨンソクさんが、韓国での良心的兵役拒否の運動について報告した。また山口大学の纐纈厚さんは、有事法制の現段階について分析し、新たな護憲運動の重要性を説いた。
 最後に、事務局から九月三日の第二回口頭弁論への参加と三千人を超えた原告団への更なる参加が呼びかけられた。
 九月四日には、米軍ヘリ墜落事故抗議・普天間基地撤去を求める緊急集会が予定されており、名古屋でも反戦運動の連続した闘いはさらに続く。   (K)



イージス巡洋艦の入港に抗議

清水港の空母攻撃群の拠点化反対!


 【静岡】八月二十日午前九時過ぎに、静岡市・清水港の興津第二埠頭に米第七艦隊所属のイージス巡洋艦カウペンスが市民・労働団体の抗議行動のなか入港した。当初、入港するのはカウペンスと同型のレイク・シャンプレーンであったが台風の波浪などを理由に急きょ変更されたものだ。
 カウペンスは、イラク侵略戦争においてトマホークミサイルでの先制攻撃を行った艦であり、トマホークに搭載可能な核弾頭や小さな核兵器といわれる劣化ウラン弾を装備していることで知られている。
 この日の抗議行動に先立つ八月十七日には、清水合同労組、中部地区労、平和と人権のための市民行動など五団体で、静岡県知事に対し「文書で非核証明を米軍に求める」など三項目の寄港拒否を求める要請行動を行った。
 当日二十日の朝、清水港興津第二埠頭入り口横の空き地に合同労組などの仲間たちや平和委員会などの共産党系団体の人びとが次々と集まってくる。悪名高い「対テロ対策」で釣り人すら埠頭への立ち入りができない。かつてのように寄港艦船に迫った抗議行動が展開できない。抗議集会は、漁船の係留岸壁で「平和委員会」などの共産党系団体と統一して行った。あいさつに立った清水合同労組の仲間は、十七日の要請行動の報告を交えて、カウペンスの寄港が、清水港を西太平洋に展開する空母攻撃群の拠点とする第一歩であることを明らかにし、港湾の平和的利用、市民の平和的生存権を掲げて今後も闘うことを訴えた。  (M)

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