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韓国はいま 扶安(プーアン)核廃棄場反対運動     かけはし2004.03.08号

圧倒的勝利かちとった住民投票

分裂しバラバラになった地域が残された


 西海岸高速道路を走り全羅北道扶安の料金所に入ると、黄色い旗があちこちで目につく。畦の真ん中に刺さっていたり、田舍の家の庭先の木の枝、塀の壁など隅々でひるがえっている。黄色は色あせて「核廃棄場反対」という字は消えかけていて長い間その場にあったことを見せつけ、これらの旗、平和な田舍の村で繰り広げられた「ただごとではない事件」を知らせていた。
 昨年7月14日、キム・ジョンギュ扶安郡守の独断的な核廃棄場誘致決定で始まった扶安の闘いは、きっかり7カ月ぶりに実現した2・14住民投票でまず一度目の片をつけた。住民投票法は7月以後にでも実効するので今回の住民投票は「法的効力」はないが、扶安住民たちの意思を現わしたという点で「政治的効力」を満天下に示すには十分だった。
 今回投票は住民たちの「私的行為」のため行政機関の助けを受けることができなかった。このために投票人名簿の作成、投票箱作り、投・開票管理、投票所の警備など1から10まで扶安住民たちの力でやりとげなければならなかった。公正な投票のために弁護士40人が投票管理委員長として参加し、市民社会団体や大学生などボランティア400人が扶安を訪れた。
 住民投票に対する呼応は「予想どおり」熱かった。 12の邑・36の面投票所には早朝から住民たちが列をなした。杖をつきながら足を運んでいる腰の曲がったおばあさんたちが団体で投票所を訪れ、交通事故で足にギブスをした中年男性も患者の服を着て現われた。午後5時ごろの全体投票率はすでに70%に近かったし、蝟島と地理的に一番近い格浦面では午後4時に80%の投票率を超した。
 しかし、まさに核廃棄場論難の中心地である蝟島では、核廃棄場誘致を歓迎する「蝟島発展協議会」関係者100人余りが投票場を占拠して投票自体ができなくなった。協議会会長チョン某氏(52)が「投票すれば自殺してしまう」と狼籍を働いたからだ。核廃棄場白紙化汎扶安対策委(以下、対策委)の関係者は「(チョン氏が)それほど大騷ぎをしているのにあえて投票すると踏みきるほどの人がどこにいようか」と頭を横に振った。意見が尖鋭に対立しているだけに、扶安には投票を控えてさまざまなうわさや言葉が絶えなかった。
 投票前日である13日、賛成側は軽飛行機を動員して「住民投票を拒否しなければならない」と言う印刷物を扶安町にばらまいたと言う。投票ができないようにしようと投票前日に田舍の年寄りたちを連れて1泊2日の旅行に出かけるといううわさも流れた。貸切りバス60台がもう予約されているとも言う。公共勤労をしている零細民たちを脅して投票ができないようにするという話も出回った。
 投票当日には全北道庁と扶安郡庁・邑事務所から動員された公務員500人余りが家々を回って住民投票の「不当性」を知らせて回り、ある公務員は住民たちに暴行されて病院に運ばれていったりもした。かろうじて実施する住民投票を守るために住民たちは緊張のヒモを緩めなかった。ある投票所では賛成側住民の一部が「9月の住民投票の参考にする」とカメラを持って押しかけたといううわさが流れると、屈強な住民3、4人が各投票所に配置されて、しばらく入口を守った。
 午後6時、扶安東初等学校に設置された開票場に投票箱が一つずつ入って来るとともに住民たちの表情には期待と焦りとが示されていった。午後7時30分頃、ハ・スンス投票管理委員会事務処長が投票率72・01%を発表すると、一部住民たちは予想より「低い」投票率に物足りなさを示したりした。しかし本格的な開票が始まって大部分の投票所で90%以上の反対票があふれ出てくると歓声がわきおこり、住民たちの中には涙ぐんで抱き合う人々もいた。
 開票が進行される間、扶安邑内の「反核民主広場」には扶安住民1千人余が集まり、もう勝利の楽しさを分かち合っていた。市場でもち屋をしているある商人は行事に参加した住民たちにペクソルギ(うるちの蒸しモチ)を配り、広場裏手ではドラム缶の上に鉄板を敷いて肉を焼く「バーベキュー大会」が繰り広げられた。
 集会場所を見回っていると、女性住民たちのそばに黄色いリボンを結んだ紙かばんや風呂敷、買い物かごなどどが置かれているのを見つけた。「反核セット」だと言う。街頭デモが多くなるにつれて初めから集会用セットを一つずつ用意したのだ。下に敷いて座る発泡スチロールの板と風よけの毛布、ろうそくの「ろう」がいっぱい入ったしわくちゃになった紙コップが3、4個、ろうそくの切れ端、木板を当てた手袋などが出てきた。イ・マクシルさん(73)は「息子が『寒いから行かないでね』と言うけど。行かないわけにはいくまいって。このセットさえあれば大丈夫」と微笑んだ。
 キム・ジョンウォン核廃棄場反対対策委組織委員長は「6万扶安住民たちの闘いによって核産業についての問題を社会的に知らしめたし、参加民主主義と地方自治をまた悩ませるところとなった」と「闘いを経験しつつ住民たちも自ら生命や環境、平和の問題まで苦悩の領域を広げて行くのを見て驚きを感じた」と強調した。
 だが「参加民主主義の勝利」「地方自治の新しい希望」「市民の抵抗権」を示してくれたという賛辞の裏面には簡単には癒えない共同体の傷が残った。
 「6・25(朝鮮戦争のこと)の時示す左翼、右翼で割れたのよりも、もっとひどい。言葉一つ間違えば、すぐにもいさかいに火がつくんだから」。住民投票後、反核広場で出会ったSさん(57)はマッコリで火照った顔でやれやれと言うように頭を左右に振った。
 扶安ではいま、「賛成」と「反対」という二つの単語によって一緒にやっていける人なのか、顔も見たくない人なのかを判断する。核廃棄場施設に反対するのか賛成するのかによって「同志」なのか「敵」かを判断するのだ。何10年も同じ所で一緒に暮したにせよまた血を分けた家族にせよ、この7カ月間の闘いは扶安住民たちを引き裂いた。
 核廃棄場反対運動に積極的に参加しているキム・ジョンさん(46)は2カ月の前から兄さん(49)と軽い目礼を交わすだけ、お互いに言葉ひとつかけない。幼い時に母方の家で一緒に育ち他の兄弟たちよりも格別の間だが、兄さんが誘致賛成運動の先頭に立つとともに関係は疎くなった。
 キムさんは「私がこんなに反対運動をしているのに、兄さんが出て賛成運動をするのが町内に恥ずかしかった。2カ月前に兄さんに残念だと言ったら電話をそのまま切ってしまった。それが最後の対話だった」と打ち明けた。扶安の地域新聞代表で賛成側に積極的に加わっているおじさんとも縁遠くなってから久しい。
 他郷暮らしに終止符を打って、3年前に故郷の扶安に戻ってきたPさんは「争いごとは、こりごりだ」と言い、引っ越すことを深刻に考えているところだ。「扶安は山も海も車で10分の距離にあります。空気も良くて風光も良くて…。それに一橋渡ればすべて分かる人々だからもめごとなど起きなかったんです」。核廃棄場問題で賛成の立場だったPさんは、「私がなぜ私の考えを口にできない所で暮らさなければならないのか」と言い、「店が整理できれば群山か全州にでも引っ越す」と語った。
 しかしこのような「共同体の崩壊」が一番ひどい所は蝟島だ。住民たちすべてが「兄弟姉妹、おじ、甥の間」という蝟島は今度の核廃棄場問題で相変らず疲れ病んでいる。蝟島出身で「蝟島を守る集い」在京支部会員ソン・ジョンさんは「蝟島に入って行けば近隣の人たちが『反対派が来る』と言いつつ後ろ指をさすとか悪口を言ったりする」と苦笑いをした。
 現金補償はできないという政府の「原則的」立場は出されたが、賛成する方では相変らず「少しでも静かになれば補償を受けることができる」と言う言葉を住民たちに流していると言う。ソンさんは「『反対派たちがうるさくしてお金がもらうことが出来ない』と後ろ指を指すお年よりが多い」「幼い頃から家族のように過ごした間なのに、これからはお互いに一生、顔も合わせない仇にでもなるようだ」と嘆いた。
 住民投票翌日の2月15日、扶安邑内の反核広場では住民投票の勝利を記念する集会が開かれた。対策委側は核廃棄場反対の旗と反核Tシャツ、帽子、ハチマキ、ビラなどをセットにしたかめを車に積んで広場に陣取った。
 豚頭とシルトック(蒸しモチ)で装った告祀床(お供え膳)の前で二度とこんな葛藤と反目が起きないように願う告祀(厄運を祓い、幸運を神霊に祈る祭祀)が行われた。扶安住民たちはこの日「扶安宣言」を通じて「核廃棄場は扶安郡民の手によって断罪されて白紙化された。核廃棄場はただ扶安だけの問題ではなくこの国の破壊の象徴である核発電政策の転換のための闘い」であり「和解と共生を実践して痛い傷をすっきり治癒して、生命・平和の扶安共同体を一緒に作って行こう」と誓った。
 住民たちの圧倒的な反対の意思は確認されたが、葛藤の火種は相変らず残っている。政府の方は住民投票を認めないという立場を明らかにしたし、誘致賛成側の団体である「汎扶安郡国策事業誘致推進連盟」は、今回の住民投票は何らの法的効力がない私的な世論調査であり、徹底的に非民主的で操作された『反核運動の遊び』だった」と反発している。全北道と扶安郡も「暴圧的で非民主的に行われた住民投票は考慮に値しないし、来る9月15日以後に住民投票を実施する」と明らかにした。
 核廃棄場が扶安に設置されないとしても住民たちの間に深くえぐられた反目の溝は簡単には埋まらないようだ。ある住民は「賛成側に立った人々が扶安の地に足がつけることが出来ないようにすること」と言い捨てた。扶安郡守の独断的な決定や政府の安易な対応に扶安住民は「核分裂」し、結局みんなが傷ついてしまった。
(「ハンギョレ21」第497号、2月26日付、扶安=チェ・ヒェジョン)

扶安事態日誌
2004年
1月15日 核廃棄場関連扶安住民直接投票方案発表
1月25日 住民投票管理委員会、2・14住民投票公告
2月5日 産業資源部、「原電収去物管理施設敷地公募公告の案」発表
2月14日 住民投票(投票率72・01%、反対91・83%)




地域と人間を守るための反核闘争は勝利した

 扶安の事態が7カ月ぶりに事実上、解決の局面にさしかかった。住民らが自主的に実施した2・14住民投票で、70%以上の住民が参加し、90%以上の住民が反対を表明した。住民らはその結果にしたがって、それぞれの生業への復帰を宣言したところだ。政府や全羅北道、扶安郡はいまなお「法的効力はない」と連日、住民投票へのケチつけを試みているが、だれであれ、今回の住民投票が法的効力を上回る「事実上の効力」を持っていることが理解できる。
 これは投票以後、これまで扶安の事態に関するかぎり住民の側に立つことのなかったマスコミの報道態度からもうかがうことができる。住民投票の結果が出た直後の2月15日、各紙は「扶安の放廃場(放射性廃棄物処理場)に未練を持つな」(中央日報)、「扶安放廃場、事実上なくなった」(韓国日報)、「多数の住民が、どうしても反対ならば対案を求めざるをえない」(東亜日報)など、強調点の違いはあるものの、住民投票が持っている力を認める社説やコラムを載せた。
 2月14日の投票は住民らが本当に望んでいるものが何なのかをハッキリと確認させてくれた。183日間、持続されたキャンドル集会、老若男女を問わず夏から叫んできていたのは地域利己主義ではなく、事実上、地域と人間を保全するための反核闘争だった。政府が、このような住民の意見をまたもや無視し、他の候補地を求めて乗り出せば、もう一つの扶安の事態を作り出すだけだろう。(「労働者の力」第49号、2月20日付)

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