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韓国はいま                      かけはし2004.01.26号

04年-反帝闘争の新たな飛躍を

新しい国際主義―「帝国」に対する巨大な内政干渉闘争を作り出そう

 2003年12月、サダム・フセインの電撃的逮捕はブッシュにとってはクリスマス・プレゼントだろうが、クリスマス・プレゼントがそうであるように、その薬効は長続きはしないようだ。フセインの逮捕はイラク民衆の抵抗を静め得るだろうと期待するのは不可能であるとともに、ブッシュとブレアが直面した政治的危機を解決できる妙薬でもない。
 04年は、短くは01年の9・11テロによって作りだされた国際公安政局、もう少し長く見れば99年11月のシアトル闘争によって始まった新たな対峙において重大な決定点になるものと思われる。89〜91年以後に形成された「新たな国際秩序」は、全世界の労働者階級と彼らの運動において絶対的に不利な階級情勢と力関係とを意味した。
 だが90年代中半を経過するとともに、その力関係の変化の可能性がシアトル戦闘以後、現実化され始めた。そして極めて短い期間ではあるが、反グローバル化運動として表現された全世界の労働者―民衆の国際主義的運動は、9・11テロと国際公安政局、イラク戦争の攻勢を突破しつつ「もう1つのスーパー・パワー」として登場している。
 03年3月、米英帝国主義連合軍によるイラク空襲はブッシュとブレアに軍事的勝利をもたらしはしたものの、歴史的な2・15国際反戦闘争は彼らの勝利を軍事的なものに限定させ、彼らを政治的危機に追い込んだ。米英連合軍のバグダッド占領以後、イラク全域で火がつき始めた武装抵抗は彼らの軍事的勝利さえ色あせさせた。
 現在の国際政治局局面は新たな局面へと乗り越えていく調整局面であり、帝国主義と反帝国主義の2大勢力は次の戦闘を準備している。今年は大統領選挙がかかっているだけに、米英帝国主義勢力のもう1つの軍事的挑発は事実上、不可能なものと見られ、むしろ反帝国主義陣営の政治的攻勢の勝敗が今後の国際情勢を規定するだろう。
 昨年11月にパリで開かれた第2次ヨーロッパ社会フォーラムは熱を帯びた討論の末に、2・15に代わって米英連合軍のイラク侵攻日である3・20に国際的反戦行動を組織することを決議した。1月16〜21日、インド・ムンバイ(旧ボンベイ)で開かれる世界社会フォーラムは03年のポルト・アレグレの前例にしたがって、この国際共同行動を第2の2・15国際反戦闘争へと拡大・発展させる課題を付与されることとなった。
 04年3・20国際反戦闘争の意味は実は重大と言わざるをえない。先に言及したように、一種の国際的調整局面下での反戦―反帝運動陣営の先制攻勢的闘争であるからだ。
 現在、大量破壊武器の不在、民主的政権交替の座礁など、帝国主義の戦争の名分の虚構性は充分に暴露された反面、持続的な占領軍の死傷者の発生、これに対する無理な対応によるイラク民間人の被害、全く改善されていないイラク人の基礎生存条件、米占領当局の無差別的民営化/私有化攻勢を通じたイラクの資源や財産の略奪など、帝国主義陣営は最悪の状況で最悪の失敗を繰り返している。
 このような状況にあって反帝国主義国際民衆運動は帝国主義勢力を政治的に孤立化させつつ最大の圧迫をしていかなければならないし、この攻勢のスタートラインが、まさに3・20国際反戦行動となるだろう。この闘争のカギは何よりも2・15国際反戦闘争のような大規模な国際的動員にある。仮にも動員規模が貧弱なものであれば、その政治的波及効果は微々たるものとなるだろうし、イラク終戦宣言以後、国際的反戦運動が占領反対闘争を効果的に組織できなかった限界の中で、当分は反戦連動の潜在的消滅状態に入りかねないからだ。
 もちろん、国際反戦運動は9・28、10・25など米国や英国の主要反戦運動連合による国際的行動を組織したけれども、2・15闘争のような爆発的動員力は発揮できなかった。これらの闘争は帝国主義勢力に対する打撃というよりは国際反戦運動の動員力を保存―維持する飛び石橋としての意味を持っている。もちろん、11月の英国へのブッシュ訪問反対闘争の大衆的爆発力は英国特有の反米情勢に力を得たところはあるものの、いまなお反戦―反帝闘争の力量や動員力が燃え尽きてはいなかったことを示している。
 このような意味において、3・20国際反戦闘争の戦略的意義は、どんなに強調してもしすぎということはない。3・20闘争は歴史的な2・15反戦闘争の脈を引き継ぐ闘争であると同時に、各国の反戦運動の力量と戦略に対する確認と点検の機会となるだろう。また今年下半期に予定される米国大統領選挙をねらった国際的反帝闘争の拡張―強化のための戦略的橋頭堡でもある。
 イラク侵略以後、ブッシュとブレアのほかにもスペインのアスナール政権、イタリアのベルルスコーニ政権など帝国主義戦争を主導―支持していた諸勢力は、国内的に強力な抵抗にぶち当たり政治的危機を迎えている。イラクでサダム・フセインを除去して政権交替をなし遂げはしたものの、実際に今後、政権交替が予定されている所は、ほかならぬ帝国主義戦争勢力の各母国だ。
 大量破壊武器と関連した情報操作の暴露によって政治的危機に直面したトニー・ブレア政権は去る99年に新労働党から粛清していたロンドン市長で「アカ」のケン・リビングストンに労働党復党という和解の手をさしのべている。戦争問題に関連した労働党の分裂は労働党の戦闘的価値(国有化と社会福祉)を強調する労働党左派の攻勢を予告している。
 だが、このような内部闘争の本舞台は大西洋を越えた米国だ。候補指名選が始まる今年8月末が公式的な選挙選だが、すでに大権に向けた歩みは始まった。共和党の場合、現在のところ、あえてブッシュに挑戦する候補はいないものの、民主党の場合、いわゆる左派傾向のハワード・ディーンを含む多様な傾向の候補らが大統領選挙に乗り出している。
 だが問題は水面上で進められる儀礼的な選挙戦ではない。国際的反帝陣営は米国の大統領選挙に政治的に介入しなければならない。帝国に対する内政干渉は植民地―反植民地民衆の当然の歴史的権利であり、反帝闘争陣営の政治的義務だ。また同時に、新たな国際主義でもある。21世紀の変化した、いわゆるグローバル化時代に、帝国内の政権交替は、すでに全世界の労働者―民衆運動の主要な闘争課題のうちの1つとなった。
 もちろん、反帝運動陣営が米国大統領選挙に独自的候補をうち立てることはできない。そして選挙自体は全的に米国民らが決定する問題であり、次期大統領の選択は全的に米国民の選択の領域だ。だが米国の運動陣営もまた、すでに幾つかのケースの方針をめぐつて戦略論争を始めた。
 前回、第3の候補として立った緑の党のラルフ・ネーダー候補は相当数の社会運動や左派政党の支持を得た。だが彼の得票が事実上、アル・ゴア民主党候補の票を蚕食、フロリダ選挙の不正とともに弱体候補ブッシュの当選を可能にした経過がある。したがって米国運動陣営の苦悩は、なお深刻なのだ。
 だが米国の進歩運動陣営は、19〜20世紀にかけて豊富な闘争の伝統と歴史があるにもかかわらず、保守2大政党体制に対する代案的政治勢力となることに失敗した。そして広大な土地と人口の多さもまた新たな政治勢力の出現を阻む要素として働き、20世紀前半の強力な労働運動(CIO)と共産党、20世紀後半期の68革命は米国社会をゆるがしはしたものの、米国労働者―民衆の政治的代案として成長できなかったのが米国運動の現実だ。
 現在のように細分化された左派運動や社会運動が独自的に政局への介入力を持てると期待しがたいのは余りにも明白だ。もちろん、シアトル以後、社会運動の変化が見え、労働運動の場合も冷戦時代の最悪の事態を脱け出し、特に9・11以後の強力な反戦運動の高揚は肯定的現象ではあるが、全国的共同闘争の経験を組織や政治―組織的力量のない中での強力な反ブッシュ闘争は、落選運動キャンペーン程度のほかには期待しがたいのが現実だ。
 まさにこのような事実のゆえに反ブッシュ闘争の国際的レベルの取り組みが重要にならざるをえない。現在のところ大統領選挙闘争の戦略や戦術は米国の運動陣営が決定するほかはないけれども、シアトル以後、特に9・11以後、反戦反帝闘争を組織していた国際的反帝闘争陣営は、2・15闘争の場合のような強力な国際的同時多発動員によって米国の帝国主義体制に打撃を与えなければならない。もちろん、多様な形態の国際的キャンペーンを通じた政治的圧迫闘争も必要だが、決定的カギは大統領選挙期間の主要時点、特に候補指名や投票日に国際的な同時打撃闘争を組織しなければならないだろう。
 仮にも国際的反戦運動が、このような強力な闘争を組織できるならば、最悪の場合、そもそもブッシュが当選したとしても彼の戦争攻勢を制限できるだろうし、最善の場合はブッシュを落選させられるだろう。これまで米国の大統領選は主に国内的変数によって決定され、海外世論はいつも外部的変数にすぎなかった。だが新自由主義的グローバル化や帝国主義の戦争攻勢は世界秩序を変えたし、全世界の民衆の新たな創造的抵抗を呼び起こしている。国際的反戦反帝運動は米国の大統領選に介入するだろう。
 もちろん、いまのところこのような闘争を可能にするために多くの要素が必要だ。まず、先に言及したように、3・20国際反戦闘争の成功が決定的カギを握ることとなるだろう。1月にインドで開かれるムンバイ世界社会フォーラムは、この戦略と展望についての討論を拡大―深化する空間として作用するだろうし、問題は各国/各部門の諸運動陣営の実質的な組織―動員力量、そしてその基礎となる政治的展望と戦略的理解いかんだろう。
 この数年間の国際的闘争と運動のサイクルは21世紀のものだ。まだ、これについての戦略的理解や討論は依然として不充分だ。ある面では実質的力量に比べて現実の闘争が先行し、理論はその後追いにあくせくしている。少なからぬ活動家は20世紀の問題意識や活動方式にしがみついている。必要なのは何か新しいことや過去のものと違った斬新なことではない。過去の運動についての批判的反省と未来の戦略的展望の結合、その中で発見される新しさ、完全に新しいものではない新しさが、まさにそれだ。
 この時期、無差別的帝国主義の戦争攻勢によって、反戦―反帝運動が当面する運動の主要な形態として登場しているが、01年12月のアルゼンチンの蜂起、02年ヨーロッパの相次いだ労働者のゼネスト闘争、03年1月と10月のボリビア蜂起、03年5〜6月のフランスの年金改悪反対全国総力闘争など、一国的レベルで主要な諸闘争が爆発している。そしてこれらの闘争もまた反戦―反世界化闘争の主要な動力ヘとつながっている。
 一国的闘争が国際的闘争の一部分であると同時に、互いを補完―強化する闘争だという科学的認識が一層、広がっている。問題はこれにもとづいて闘争の組織的―政治的力量を強化することと同時に、新たなレベルの闘争に調応する新たな組織を建設することだ。今日細分化された左派たちとしては、階級闘争の政治的指導力を発揮できないのは自明だ。もちろん、左派勢力間の政治的対話や新たな組織的再編への試みがあるのは事実だが、依然として不充分な水準であり、全地球的次元での大衆的階級闘争の後追いで精一杯だ。
 99年のシアトル以後、国際情勢のダイナミックな展開の過程は一国的―国際的地形を急速に変化させつつ、新たな闘争の場を開いている。新たな戦略と展望とによって、この闘争を率いていくのか、大衆闘争の波の中で失踪してしまうのか? 韓国の労働者階級運動や左派政治運動もまた、ここから決して自由ではあり得ない質問だ。また、04年は国際的に反戦―反世界化運動が反帝国主義の攻勢を展開する歴史的横合であり、この闘争の実現のいかんは一国運動と国際運動の力量と展望についての冷酷な試験台となるだろう。(「労働者の力」第会号、04年1月5日号、ウォン・ヨンス/会員)

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