もどる

                          かけはし2003.9.29号より

ビル籠城爆発死傷事件

「小泉改革」と新自由主義の行き着く果て――究極の搾取形態と荒廃する社会

 九月十六日、宅配会社「軽急便」営業所名古屋ビルに「契約業者」がガソリンをまいてたてこもり、爆発炎上して三人の死者と四十一人の重軽傷者を出すという惨事が発生した。これは、新自由主義を押し進める現代資本主義の荒廃がどこまで来てしまったのかを象徴する事件である。
 爆発で死亡した容疑者は、「軽急便」と宅配業務の「委託契約」をしていた個人業者ということになっている。しかしその実態は「業者と業者の契約」ではない。社会保険や有給休暇をはじめとするすべての雇用責任を放棄したうえ、設備投資まで労働者に行わせて徹底的に搾り取るという、産業資本主義以前の「問屋制手工業」もかくやという究極の搾取形態にほかならない。
 「軽急便」は、四つの支店、十八の営業所を持つ運送会社でありながら、一人も自社ドライバーを持っていない。自社の宅配業務を行う約千八百人の労働者と雇用契約を結ばず、「独立開業オーナー」という美名で労働者を形式上「個人運送業者」とし、それぞれと「委託契約」を結ぶという形態を取っている。
 死亡した容疑者も、今年一月に軽急便と「委託契約」していた。軽急便は「月五十万円から三十万円の収入がある」と宣伝して、大不況下でワラにすがりついても仕事が欲しい労働者を「契約者」として集めていたのである。
 「契約者」は、まず「入会登録料」「開業指導料」などで約三十万円支払い、さらに配達用に約百万円の軽トラックを購入させられる。死亡した容疑者も、トラックの代金を六十回払いで返済している最中だった。運送会社の最大の設備であるはずのトラックを、労働者自身が借金までして購入するというシステムなのである。
 「独立開業オーナー」という美名とは裏腹に、「オーナー」とされた労働者は「委託運送代金」がどれほど安くても、回されてくる仕事をこなすしかなかった。支払われる「委託運送代金」は極度に安く、「月五十万円」どころか、とうてい生活できる水準ではなかった。
 死亡した容疑者が、立てこもったビルのなかで繰り返した要求は、「七、八、九月分の『給料』を支払え」というものだったと報じられている。いうまでもなく彼の言う「給料」とは「委託運送代金」のことで、その「給料」は三カ月分でわずか二十五万四千三百九十円だった。
 テレビ報道によれば、彼は犯行の前日まで宅配業務に加え、朝刊を百五十軒分、一日も欠かさず配達する副業に従事し、月に約五万円の収入を得ていたという。子どももいる死亡した容疑者が、月にすればわずか八万円余りの「給料」で生活ができるわけがないからだ。その上、購入させられたトラックの借金も支払わなければならなかった。
 規制緩和のなかで、軽急便をはじめこのような形態を取る運送業社は多数あり、「だまされた」ということで東京都だけでも毎年百件近く、消費者相談センターなどに相談が寄せられていた。しかし、形式上は独立した事業者同士の契約関係になっているため、救済は極めて困難なのが実情である。
 彼は、一昨年一月まで勤めていた運送会社でも、昨年一月から軽急便との契約まで配送業務を担当していた食品会社でも、無断欠勤ゼロはもちろん有給もほとんど消化しないで働く「まじめ一筋」な人物と評されていたという(朝日新聞9月17日)。
 彼を自暴自棄としか言うことができない犯行に駆り立てたものが何なのか、死亡したいまとなっては解明することはできない。しかし、「委託契約代金」という名の極端な低賃金、宅配労働と新聞配達のかけもち労働による過労、「だまされた」というやり場のない怒りと絶望が積み重なり、「まじめ一筋」の人間が遂にキレてしまったという想定は、十分に成り立つだろう。
 資本が労働者を擬似的な「自営業者」にして設備投資まで負担させ、互いに競争させて徹底的に単価を切り下げ、自らの「裁量」による過労死労働に追い込んで徹底的に搾取するシステムは、軽急便などの運送業界だけの話ではない。
 家で自立して仕事をする「新しい働き方」として労働運動の一部からさえもてはやされる、パソコンを使ったいわゆる「SOHO」のコンピューター労働もその典型である。いくら単価を切り下げられても引き受けなければ、もう仕事は回してもらえないかもしれない。こなし切れないほどの仕事を抱え込まされ、納期に追われ、徹夜の連続を余儀なくされるコンピューター労働者はたくさんいる。このような「SOHO」労働者もまた、その多くが形式上は「自営業者」なのである。
 資本は、自ら支配して徹底的に搾取していても、このような「自営業者」には一切、雇用責任を負わずにすむ。たとえ過労死しても資本を追及することは極めて困難である。これら「自営業者」という名の労働者には、労働基準法は適用されないからである。
 産業資本主義と工場制手工業が成立する以前、「問屋制手工業」という生産関係が存在した時代があった。当時、小生産者たちは商人資本から原料を渡され、それを自分の道具や仕事場を使って加工した。小生産者たちは、形式上は自営業者であったが、市場を支配する商人資本に実質的に従属させられ、極めて過酷な搾取にさらされていた。
 小生産者はこの搾取の構造のなかでしだいに生産手段を収奪され、零落させられ、無所有のプロレタリアートが形成されていったのである。これが農民からの土地強奪による無産者の形成と並んで、資本主義の前史をなすいわゆる「本源的蓄積」の過程である。
 「軽急便」と契約する「自営業者」や「SOHO」のコンピューター労働者は、問屋制手工業で商人資本に徹底的に搾取され収奪される小生産者に近いと言って過言ではない。資本の活動に対するあらゆる規制を取り払おうとする新自由主義は、かつてマルクスが「資本は、頭から爪の先まで、あらゆる毛穴から血と汚物を滴らしつつこの世に生まれるのである」(『資本論』)と評した「本源的蓄積」の時代に比すべき、すさまじい極限的搾取形態にまで踏み込んでいるのである。
 小泉の最大の売り物である「郵政民営化」とは、このような労働者としての最低限の権利の行使からも切り離された運輸労働者と、郵政労働者を資本の要求のままに文字通りの「底辺への競争」に追い込もうとするものである。
 名古屋で発生した「軽急便」営業所ビルたてこもり爆発事件は、五年連続して自殺者が三万人を超えたことと同様、横行する新自由主義で社会の荒廃が進行し、絶望が広がっていることを象徴している。新自由主義をさらに押し進める「小泉改革」と対決して集団的抵抗を再建し、擬似「自営業者」として孤立させられている労働者の団結と希望を作り出すための闘いが求められている。
(9月21日 高島義一)                             


投書

波崎事件の無実を叫ぶ再審請求中の死刑囚、冨山常喜さん(86)獄死

                                   篠原道夫

死亡時の拘置所当局の不適切な対応

 九月三日、波崎事件の無実を叫ぶ死刑囚・冨山常喜さん八十六歳が獄死しました。東京拘置所の発表によれば「当所に収容中の死刑確定者一名が、本日午前一時頃、巡回中の職員の問いかけに反応しないほど異常が認められたため、直ちに救命措置を講じましたが、午前一時四十八分、死亡が確認されました。死亡者本人については、これまで高血圧症及び慢性腎不全のため、病舎に収容して人工透析等を行い経過を観察していましたところ、次第に全身衰弱が進み、本日死亡に至りましたが、これまでの経過から、慢性腎不全による死亡と考えられます。なお、本件については、東京地方検察庁に通報し、本日午前四時二十分から司法検視が実施されまた」と言うことです。
 この死亡に到る治療経過が全く不適切であることが、医学にど素人の筆者にもわかります。既に危篤状態に陥っていた富山さんについては病状看視カメラ(心電図みたいなもの)を設置していることが常識であります。それに病院でない一般家庭においても危篤となれば、家族がそばに付き添っています。巡回中の職員が発見したとは何事か。拘置所が、いかに人命を軽視していたかということを明白に物語るものです。

冨山さんの病状の経過について

 筆者は波崎事件対策連会議の代表として毎月一回、冨山さん面会に行っていましたが、〇〇年六月の面会の時以来、車椅子生活を余儀なくされるほど、弱ってきており、〇二年七月の面会以来、拘置所内の病舎に入れられていました。そして本年一月二十七日面会した時は、ベッドに寝たまま、声をかけても反応がないため、これは危ないと思い、急いで、急いで弁護団名で、新葛飾病院長清水医師の意見書を貼付して、二月七日に外の病院への移送の申立てを行いました。
 また、同年三月二十四日には保坂展人衆議院議員、清水医師、佐竹弁護士の三人とともに東京拘置所に赴き、本人面会を行い、清水医師が直接、冨山さんの触診を行いました。同時に拘置所の医務部長などに医療体制の確立と治療改善を申し入れました。この結果、冨山さんは蘇生し、次の面会時にはしゃべることができるようになりました。

冨山さんは、な
ぜ死んだのか

 ところで清水医師は、冨山さんを回復させるには、経口栄養摂取と手足などのリハビリが必要だ、しかし拘置所の医療設備には、それはない、したがって外の医療機関に移すことが絶対必要、との指摘をしていました。これについての保坂議員の追及などに対して法務省は「拘置所内で対応できる」として認めませんでした。
 冨山さんが一月の段階の危篤状態に陥った時は、国会で取り上げ、議員、医師、弁護士が拘置所に、治療改善を申し入れ救命処置をとった結果、多少、蘇生しました。しかしその後、相変わらずの人命軽視で外の医療機関に移送しないとか不備の医療態勢のため、冨山さんを死に追いやったことは確実です。断固糾弾します。

今後の方針について

 獄死に抗議し、追悼する会を行います。その中で法務省と東京拘置所に抗議の決議を行うとともに死後再審を考えて、冨山さんの無念を晴らす活動を続けていきたいと思います。どうぞ、ご参集頂きたくお願いします。

波崎事件とは

 一九六三年八月二十六日未明、茨城県波崎町で農家の男性三十六歳が急死する事故が発生し、その妻が「夫は冨山さんに薬を飲まされたと言っていた」と言い出したため、地元で魚介類箱卸売業をしていた冨山常喜さん四十六歳が逮捕された。冨山さんは「何も飲ませていない」と無実を訴えたが、送検、起訴され、裁判は「冨山が被害者に高額な保険金を掛け、鎮静剤を装って青酸をカプセルに詰めて飲ませて殺した」と認定して一・二審・最高裁で死刑宣告しました。
 これに対して冨山さんは公判の中で「保険加入は断わった」と述べ、水戸地裁での第十五回公判廷で保険勧誘員が冨山さんの「そんな面倒な保険やめたい」という解約申し込みを了承していた事実が判明しました。また青酸を詰めて飲ませたと認定したカプセルは、当日は冨山宅にはなく、事件直後の家宅捜査では発見できませんでした。これらは裁判で無視されたのでした。かくして一九七六年四月一日、死刑確定後に、獄中から無実を叫んで再審を請求しましたが、第一次再審は八四年一月二十五日棄却、第二次は〇〇年三月十三日棄却、現在異議申立中でした。



映画「こぼれる月」を見て

              神奈川 S・M

 八月にシネマ・下北沢で「こぼれる月」(坂牧良太監督作品)を見た。
 ストーリーを紹介したい。高(河本賢二)は強迫神経症で、何回も手を洗うことをやめられない。高は、通院先で知り合った。あかね(目黒真希)と一緒に暮らしている。千鶴(岡元夕紀子)はパニック障害で、高と同じ病院に通っている。母親と二人で暮らしていて、部屋からほとんど出られない。ある日、外に出た千鶴は、ゆたか(岡野幸裕)という少年と偶然出会うのだった。
 この映画は面白かった。ラストが、とても微笑ましかった。
 この映画は「精神障害者」をあたたかく描いている。「精神障害者」を人間として描いている。この映画のテーマは「精神障害者」の恋愛だ。「精神障害者」に必要なのは愛であって、偏見(差別)ではないのだ。ぼくは、そう思う。
 パンフレットの中で、及川中さん(映画監督)は「『こぼれる月』は間違いなく今年のきわめて重要な映画の一本です」とコメントしている。同じパンフレットの中で、河本賢二さん(高を演じた)は「この映画を通して、人を観る目が変わりました。それまではうわべの情報しかなかったのが、神経症の人により近くなりました」と語っている。
 「こぼれる月」/2002年/日本映画。(9月21日)    


もどる

Back