| 34年間、三里塚の闘いの現場に姿の見えないときはなかった |
加瀬 勉
強制測量立ち入り阻止闘争
七〇年の強制測量立ち入り阻止闘争を、われわれは三里塚三日戦争と呼んでいる。いよいよ機動隊と公団測量隊が農民の田畑に宅地に立ち入ってくる。三里塚反対同盟は自分たちの丹精こめた田畑に無断で立ち入ることを許さない。あらゆる方法手段を用いて、個人が責任の持てる範囲で戦いを展開する。一人で十倍の敵、一人で千人の敵を相手に戦う方針を決定した。
反対同盟各人は自分の土地、自分の部落を守るために分散して戦闘配置についた。公団測量隊と機動隊はどこから侵入してくるのか。公団と機動隊は三里塚十字路から桜台の本道路を通って一挙に反対同盟本部のある芝山千代田農協に立ち入り測量せんとした。反対同盟の拠点である本部を測量することにより反対同盟を砕かんとした。
千代田学区の反対同盟が本部を守っていた。機動隊と公団測量隊は、農協隣の小川ゆり反対同盟員の畑にくい打ちを開始しようとした。私と戸村委員長が農協から出て猛然と抗議を行うと、畑を対角線上に横切って奥に測量杭を打つために走り出した。初めて農民の畑に杭が打たれたと思った瞬間、測量隊の股の間にすべり込んで左手で杭の頭を握り締めた。そこに掛矢が振り下ろされた。中指の骨がごりっと鈍い音立てて砕けた。真っ白い軍手に血が噴き出した。農民重傷と報道陣が囲む中で、機動隊と公団測量隊は引き揚げていった。
午後、機動隊と測量隊は国道51号線から十余三に入り天神峰団結街道に侵入してきた。自動車のタイヤに火を放ち、気勢は上げるが政治党派の部隊はやすやすと公団と機動隊の測量を許した。石毛常吉、石橋政次副委員長の八十歳になるおばあちゃんたちは鎌を振り上げ測量隊の巻尺、テープを断ち切った。
機動隊と測量隊は東峰部落に入った。公団が杭を打とうとすると反対同盟は肉弾となってそれに突進した。自分の畑に立ち入ることは許さない。丹精こめた作物を荒すことは許さない。所有権者として当然だ。
石井武さんと家族の戦闘はすさまじいものがあった。石井武さんの娘さん光枝さんと恵子さんが逮捕された。梅沢勘一さんが続いて逮捕された。石井さんは言った。「自分の畑を守って逮捕されたことは名誉なことだ。俺の娘二人もよく戦ったし頑張った」。東峰部落では測量がほとんどできなかった。肉弾戦の先頭になって戦った石井さんと東峰部落の同盟員の勝利は、木の根、岩山の同盟員を奮い立たせた。東峰部落の戦いは木の根の人糞をかぶり戦う作戦を生み出し、木の根でも測量を阻止した。
明けて次の日、機動隊と測量隊は岩山の大袋地区に侵入してきた。樹木を伐採しそれを十重二十に積み重ね、人糞をたっぷりかけてさらにドラム缶に大量に人糞を用意して阻止線を張った。それに対して機動隊と測量隊は放水車と指揮官車を守るように侵入してきた。畑道は狭、放水車と指揮官車がやっと通れる道幅なので自由には動けない。放水車も補給ができなくて水は尽きる。簡単に農道を封鎖した樹木はとり除けない。機動隊と測量隊は畑に侵入し、作物を踏みにじって阻止線を突破してきた。
反対同盟の激しい抵抗が機動隊との間に繰り広げられた。測量隊が一列縦隊で畑の奥深く侵入してきた。反対同盟は機動隊が取り囲み大丈夫だと判断したのである。その時、山に潜んでいた反対同盟竹槍部隊が一直線に測量隊に突入して測量隊の隊列を分断した。分断された測量隊は半分は機動隊の方に半分はさらに畑の奥に逃げ込んだ。逃げる測量隊の大股に竹槍がズボリと刺さった。もう一人は股の間に竹槍が入った。睾丸の袋が裂けた。もう一人は袋叩きにされて大の字に打ちのめされた。倒れた測量隊員の胸、心臓の上に垂直に竹槍が立てられた。「人は殺せない、殺しては駄目だ」。にっこり笑って竹槍は収められた。
「一人で十人百人千人の敵を相手に」「自分が責任取れる範囲の抗議行動を全力で展開する」「自分達の畑を荒らす者は絶対に許さない」。
強制測量立ち入り阻止闘争は政府公団、機動隊の惨敗に終わり反対同盟の勝利に終わった。強制測量立ち入り阻止闘争は別に戦術的なものがあったわけではない。個人個人が自分の責任において自分の畑を死守したのであるが、個人の優れた自発性のもとに大衆性、集団性が加わって自然に戦闘体型が生まれてきた。その原型を作ったのが東峰部落であり、石井武さんとその家族であった。(つづく)
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