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                          かけはし2003.7.28号より

石井武さんを偲ぶ(1)

34年間、三里塚の闘いの現場に姿の見えないときはなかった


加瀬 勉

 三里塚芝山連合空港反対同盟代表世話人の石井武さんが亡くなった。以下は、三十六年間闘い続けられてきた三里塚闘争を、常に石井武さんとともに闘いぬいてきた加瀬勉さんから寄せられたものである。今回から3回にわたり掲載する。



澄み切った死生観にふれて

 「泥土放光」の墓碑銘を私たちに残して、反対同盟代表の石井武さんが耳下癌のために二〇〇三年七月八日、行年七十八歳でこの世を去った。
 この世に悟りなるものがもしあるとすれば、それは一つの覚悟を持って生きることであろう。この覚悟とは死を恐れない、何事がおきても動じない覚悟をもって生きる人生を貫くこと、これを「悟」というのであるかもしれない。
 「医者に治療の方法がなく三カ月で死ぬと言われた。もう抗がん剤も飲むのを止めた」と何の屈託もなく明るく話されると、激しい戸惑いを感じて絶句する。「自分が死ぬ」「死期が目の前に迫った」この人間の一生の命の重みをいとも簡単に語られると返す言葉に戸惑う。「俺はもう死ぬ」と蚕が絹糸をはくように美しい透きとおった語感を私の心に響かせてくれるのである。
 美しい絹糸は毛虫の醜い身体から吐き出される。透明で明るく自分に迫った死期を明るく語る、そのことによって緊張が深刻さが増すのではなく人の心に癒しと安堵をあたえる。美しい絹糸は毛虫の体の中から吐き出される。死期を語る石井さんのとてつもない明るさは、絶望と希望、信頼と裏切りの膨大な世界に裏打ちされていて、それを克服し鍛えられた意志の中から一つの死生観が生まれてきたのであろう。
 石井さんと三十六年間空港反対闘争の苦楽をともにしてきたのであるが、私にはその世界を知る由もない。石井さんの最も尊く重い自己の死について、明るく美しい響きを放ち、自己の死を語るによって人々の心を軽くする、そんな言葉を持って人生を死にきることなど、私にはとうてい出来やしない。動揺しうろたえ助け声を張り上げ、のた打ち回って醜態をさらけ出して死ぬことだろう。死を惜しむ、悲しいというより見事に生き切った、死にきった石井さんに嫉妬さえ起きそうである。「泥土放光」肉体は滅びても精神、思想は永久に生きつづける空港反対の石井さんの人生に生涯に深い敬意を表する。

「白昼夢」を覚醒させた一言

 今でも小川嘉吉(天神峰)の録音テープに残る、あの千葉県三里塚竹林所長若月の言葉。草木一本にいたるまで国は移転補償金を出す。日本の土地はすべて国の物、今みんなに貸しているだけのもの、国が取る気になればいつでも取れると農民を脅迫。土地が欲しければ欲しいだけやる。何十町歩でも欲しいだけただでやる。家はコンクリートのビルのような家が欲しいのか、二階建がよいか、平屋がよいか、広さは要求どおりに作ってやる。頭の上を飛行機飛んでそれを一分とか二分見上げる、この時間を一年間集計しておいて農業阻害補償金を出す。鶏を移動するとその間卵を産む率が低下する。それに対しても補償する。
 この若月の竹林事務所での説明会で、三里塚地区の農民は地獄の罠に天国がくると浮き足だったのである。この集まりの中で石井さんは「農民に断わりもなく空港を決定した国の言うことなど信用できない」と反論した。石井さんのこの一言に説明会はざわめいたけれど、反対の声を出す者は一人もいなかった。三里塚の天神峰周辺の農民は竹林から竹を切り出し、それを売って若月と酒を飲んでいた飲み友達であったのである。

反対同盟組織化の基本路線

 十余三部落の前橋新吉さん寄贈の花火が景気よく打ち上げられた。農業構造改善指定の養蚕団地化のための桑の植樹の式典である。三里塚全地区が指定を受け、畑に麦、サツマイモ、落花生等の作物に変わって一斉に桑の木が植えられた。島寛征宅前の宮下の公民館前に高松宮が桑の木の植樹をした。それを祝っての打ち上げ花火である。
 三里塚の農村青年は、養蚕の飼育技術を習得すべく長野県に研修実施に赴いていた。天神峰の石橋政次さんのとなりに養蚕協同飼育のための建設資材が搬入され、研修に赴いていた青年も帰郷してきた。植樹した桑も三年たっていよいよシルクコンビナートの操業は目前になった。
 突如として天から降ってきた空港建設による中止の決定である。千葉県はさっそく補償交渉に乗り出してきた。当然この補償交渉は空港建設に伴う補償交渉であった。三里塚地区農民の多くが条件派に組織されることは、必至の状勢となってきた。
 「空港建設をわれわれ農民を無視して決定し、シルクコンビナート計画で他の作物を作るのを止めて桑を植えさせ、桑が育ったら今度は空港で引き抜き、息子を長野まで研修に行かせたわれわれを馬鹿にするな、国と県は信用できない。すべて金銭で片がつくと農民を馬鹿にしていることは許せない。空港建設決定白紙撤回、われわれ農民に政府は謝罪せよ」。
 これが石井さんの当初の空港建設についての態度であった。竹林事務所での説明会の発言、養蚕団地補償問題に対する石井さんの発言と態度は三里塚空港反対同盟組織化の基本路線となっていったのである。(つづく)

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