| トルコ総選挙(下) かけはし2003.3.31号より |
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親イスラム公正発展党の地すべり的勝利はなぜもたらされたか |
イェテル・ダルサン
社会民主主義的左翼も極左派も、権力の座にあるナショナリスト勢力と公正発展党の両者に代わるオルタナティブとして、民衆の巨大な不満をテコにして登場することができなかったことは非常に重要である。共和人民党の一九%という得票には誤解の余地はない。この党の右派指導部は、社会的要求の代弁者になることよりもブルジョアジーを安心させることに常に関心があった。これからの時期に同党がこの役割に自己を限定し、政教分離主義についての公式的問題に関してのみ公正発展党を攻撃し、開明的官僚や軍隊の付属物であり続けるならば、政府の弱点を突くチャンスをとらえることができず、民衆から見れば公正発展党に代わることができるのは極右ナショナリストということになるだろう。
極左派に関しては、彼らは古いセクト主義の悪霊に再びとりつかれた。自由連帯党(ODP)委員長ウフク・ウラス同志が描いた同党敗北のバランスシートは厳しいものであるが、理性的で正当なものである。自由連帯党(ODP)は権威主義的な中央幹部間の三年間にわたる内部論争により麻痺し、分裂と現実から切り離された論争によって意気消沈し、最終的には複数のセクト主義的グループに分裂して信頼と魅力を失い、初期の複数主義的プロジェクトが高めた希望を失った。しかし、極左の複数グループのほとんどのリーダーたちは、事態の深刻さを自覚さえしておらず、「マルクス主義の長老」や「古い闘士」の伝説に囲まれて自分たちの小さなグループの中で大きな顔をしていたいように見える。
右翼と左翼におけるこのような政治的真空状態の中で、もし公正発展党が状況を改善することに少しでも成功すれば、公正発展党は次の選挙でも前進を続け、右と左へ拡大するだろう。言い換えると、奇跡など起こらなくても、すべての前任者たちがしたような大きな誤りを何回も犯したり、すぐに期待を裏切るようなことをしないだけで十分なのである。公正発展党は、一九五〇年代のDP(民主党)や一九六〇年代のAP(正義党)(両党とも得票率五〇%以上)や、一九八〇年代のANAP(得票率四五%)のようなトルコ右派の大衆政党として自己を確立できるだろう。
この国は、わずか一年半前には、わずかな改善でも「奇跡」のように感じられ、困窮した人々から歓迎されるような、経済的破局の中にあった。それだけでなく、前の政府が調合したIMFの苦い薬を与えられているので、前の「ウルトラ新自由主義者」たちに比べれば、公正発展党政府は最近二十年間で最も「社会的」に見えないこともないのである。
官僚的無秩序、腐敗と浪費は、公共財政の膨大な荒廃を作り出した。国家機構の混乱は慢性的な非能率の想像を絶するレベルに達している。公務員は入れ替わる党派と不安定な連立によって困惑させられてきた。連立諸党の取り引きを伴わない官職の任命はほとんどなかった。ビジネスは多くの場合、ワイロの予算が三倍必要であった。異なる党に従う三人の別々の大臣や高官の官僚的車輪に「油を差す」必要があったためである。したがって、「行政的効率」の単純な改善は真の革命のように見え、大きな財政的節約を実現する可能性がある。
公正発展党はこれらのことをすべてやれるだろうか。それはこれからの数カ月で決まるだろう。どちらにせよ、公正発展党の指導者たちは問題(およびそれがもたらす可能性)を自覚しているように見える。彼らは能力と政治的知性を持っているだろうか。ここで、日刊紙「フリイェット」(二〇〇二年十一月二十五日)に掲載された、新しい「逆行的イスラム主義者」の総理大臣アブドゥラ・グルの言葉を引用することは興味深い。
「私が執務室に入ったとき、そこで物事が行われていた状態を知ってショックを受けた。わが党のオフィスでさえ、総理大臣室よりはるかに近代的である。……私はこの部屋に初めてコンピュータをすえつけた」。世俗派の近代主義者で進歩主義者であった前任者エジェビットが、手紙や演説をすべて旧式のタイプライターで執筆していたというのは、本当である。
さらに新政府は、トルコをEUの規範に適合させることをねらいとした、広範な民主的反官僚的改革と経済的社会的再構築のプロジェクトを発表している。グローバルな再構築のこのプロジェクトは、まさに長い間、大ブルジョアジーが要求してきたような種類の近代化プログラムであり、公正発展党はこれを実施するのに必要な支持を雇用者側から得るであろう。
確かに、トルコのような規模の国を悩ませているあらゆる社会的および経済的問題に対処するには、「より良い行政的管理」さえあれば十分というわけではない。最近の事情を見れば、EU加入資格に適合する過程の困難を克服するには、ヨーロッパの援助をあまりあてにできないことが分かる。
EUはトルコに対して、旧中欧や東欧諸国に対するよりも少ない援助しか行わないであろうことは明らかである。その理由には「経済規模」や世界的な事情や帝国主義者の意思だけでなく、ヨーロッパの政治的階級(ベドリーヌ、シュミット、ドロール、ジスカール、コール)の側の根深い反トルコ人種主義や反ムスリム感情がある。世論の敵意あるいは(良く言って)無関心は言うまでもない。
実際、ヨーロッパ左翼知識人でさえそうである。「クルド人を弾圧している、アルメニア人を虐殺した、軍事独裁の、擬似原理主義の」国、その上、複雑で、変わっていて、理解しがたい国の運命にほとんど同情を持っていない。それでも、トルコ・ブルジョアジーはすべてをEU統合に賭け続けている。実際には、現在の世界状況とこの地理的位置で、トルコの貿易の三分の二が対EUという状況の中では、あまり選択の余地がないというのが真実である。
これらの改革を通じて、トルコ・ブルジョアジーは国際資本からの投資を引きつけられるようになることを望んでいる。この規模の産業化された国としてはトルコ経済における外国資本の存在は驚くほど弱い。この原因は疑いもなく古風なトルコ国家、インフラストラクチャーの相対的弱さ、一九八〇年代後期に実施された保護貿易主義、一九九〇年代の政治的不安定であり、トルコの大雇用主たちは今や改革プログラムによってこの状況を変えたいと望んでいる。彼らは、自分たちがいまやヨーロッパ資本と競争できるほど十分強くなったと信じており、民衆的正当性を享受し十分広範な選挙基盤を持った信頼できる政治的人物を必要としている。公正発展党はこの役割の候補者であり、ブルジョアジーは試してみることを決定したのである。
したがって、公正発展党のイメージやその「イスラム主義的」過去に関わらず、公正発展党がEU統合問題を優先し、特に国連提案の枠組の中でのキプロス問題の最終的解決や「民主化」および「非軍事化」のいくつかの重要問題の解決を約束していることは、驚くに当たらない。選挙における左翼および右翼ナショナリスト(民主左派党と民族主義者行動党)の壊滅的敗北が改革に適した空気を作り出したが、公正発展党がどこまで行けるかを判断するのは未だ時期尚早である。
また、公正発展党も、政教分離主義の厄介な問題に関して調子を変えている。エルドガンが背筋の寒くなるような非妥協的なイスラム主義的言辞を語ったのはそれほど前のことではないし、トルコのイスラム主義には前世紀初頭の共和主義者の勝利を飲み込むことのできない「反動的」次元も存在している(訳注:一九九四年、イスタンブール市長に当選したエルドガンは、EU加盟反対、NATO脱退を主張し、過激なイスラム主義的詩を朗読。軍に逮捕され、十カ月の懲役と終身政治活動禁止を宣告された)。さらに、改革政策が失敗するか、新たな経済危機が起こった場合は、公正発展党がイスラム・カードを切るという誘惑にかられることは十分ありうることである。
しかし、短期的には公正発展党指導部はひどい誤りや政教分離主義の領域での極端な挑発を避けることが予想される。彼らはプロジェクト全体の成功を支えている。また、政府と軍(ケマル主義の原則と政教分離主義の保証人)の間の緊張も短期的には予想できない。軍がエルドガンを信用していないとしても、また、軍が直接的政治的影響力や特権的「開明的」官僚カーストとしての利点を犠牲にする気がないとしても、軍はプロジェクトに公然と反対するには大ブルジョアジーとの結びつきが余りにも強い(軍の年金基金を管理している持株会社OYAKは、今日、この国最強の資本グループの一つである)。また、投票箱の宣告を尊重しないという印象を与えることを望んでもいない。
それだけでなく、トルコの政教分離主義は、フランス型のジャコバン的政教分離主義であり、公正発展党が問題にすることを主張しているのは、政教分離の原則そのものではなく、主としてこの「厳しすぎる」モデルなのである。公正発展党の最終目的は、道徳的側面で非常に保守的な体制であり公共的領域の大きな部分を宗教に与えるような、「ドイツ型」あるいは「英国型」政教分離主義を確立することを軍および大ブルジョアジーに納得させることであろう。
今日の真の脅威は、短期的な「原理主義の危険」ではなく、公正発展党がブルジョア的親帝国主義的安定の極として長期的に政権を握ることである。問題は、現在の状態では、社会主義がブルジョア的安定とヨーロッパ統合のプロジェクトに対する短期的オルタナティブになるには程遠いということである。破局的崩壊と経済的後退、公然たるファシスト的あるいは原理主義的大衆運動の高揚、あるいはかなり暴力的な軍事独裁の登場や内戦の混乱の方が、ありそうである。
人々を引きつける信頼できる左翼の極を構築すること、純粋に民主的で実生活に根づいた、過去からの抽象的議論ではなくオルタナティブ・プロジェクトに関わる左翼の極を緊急に構築することが必要である。同志ウフク・ウラスは次のように強調している。
「左翼は過渡期に入っている。左翼は自らを刷新するか、さもなければ化石になるだろう。過ちは本質的にわれわれの側にあり、人民の過ちではない、というべきである。最後に、左翼が暗記してきた教義が破産したことが証明されたことを知ることは良いことである。新たにこれらの教義を暗誦したいという人々には、せいぜい頑張れと言おう。しかし、今日、最も革命的な任務は、暗記していた教義を破り捨て、自己を実生活の只中に置くことである。左翼が昏睡に陥ったとすれば、左翼を再び目覚めさせるのは昏睡に陥らせた者たちでないであろう。若者に道を譲ることが必要である」。(「インターナショナルビューポイント」03年2月号)
アメリカのイラク侵略反対!戦争反対の活動を広げよう!
ジュビリー・サウス
戦争まで世界に残された時間がわずかとなっているが、ジュビリー・サウスは世界中の平和を愛する人々とともに、ブッシュ政権が行おうとしているイラク侵略に抗議する。われわれは、ブッシュが行っている帝国主義的総攻撃に憤りを感じている。それは、国家と政府の経済・安全保障問題への侵略的介入というグローバルな政策の一部なのである。
一九九九年にジョハネスバーグで結成されて以来、ジュビリー・サウスは様々な抗議行動において、特にいわゆる対外債務問題を通して、外部支配に反対して闘ってきた。新自由主義的政策は、不正な債務の承認と返済を求めているが、それはアメリカの戦略である先制攻撃戦争と明白に結びついたものであり、帝国主義的利益を防衛し、直接的な暴力によって世界中の資源と市場を支配しようとするものである。
ジュビリー・サウスに参加する団体、運動、キャンペーン組織は主張する。アメリカ政府であれ、どんな政府であれ、他国の内政問題に介入する権利は持っていないと。支持できない政権を変えたり、紛争の平和的解決、民族自決権、尊厳ある生命を守る民衆の権利といった基本的原則を侵害している政権を変えるのは民衆であり、民衆こそがその権利と義務を持っているのであり、自らの組織と行動を通してこれらを行うことができる。民衆こそが、世界平和を実現でき、あらゆる形態の暴力にも反対する国際協力に不可欠な民主的な変革を行うことができる。
テロに対する聖戦は、生命のための聖戦、国家テロおよびIMF、世界銀行、WTOなどの多国籍機関が準備している経済テロに反対する聖戦に取って変わらねばならない。これらの機関は、栄養失調と予防可能な疾病の結果、毎日多くの人々を死に至らしめている。
世界の市民として、われわれはブッシュが宣言した終わりなき戦争とイラク攻撃決定を糾弾する。そして、自国政府に対して、世界各地で行われるアメリカの対ゲリラ計画や軍事冒険主義への協力を、勇気を出して思いとどめるよう求める。われわれは、外国の基地や軍隊の駐留が含む、自国の軍事化を止めるよう求める。アメリカの指揮下での合同軍事訓練を止めるよう求める。
債務の強要、不公平貿易、軍事化は、単一の新自由主義的帝国主義モデルの三つの不可分の各面であり、空腹と苦悩を民衆にもたらし、国家主権を奪い、民衆の闘いを抑圧している。このモデルのために、多数の苦痛の上に、富が少数の手に非倫理的に集中し続けている。
われわれは、死と苦悩のグローバリゼーションに対して、生命と連帯のグローバリゼーションで応える。われわれは、地方、国内、地域における社会的なプロセスの一部を担っており、それは、多様な闘いを見せている、様々な創造的抵抗運動に対する国際的な支援を行っている。ジュビリー・サウスは、もう一つの世界を実現するために闘っている人々、特にイラクの人々に対して、戦闘的連帯を送る。われわれは、あなたとともにある。
二十一世紀を、アメリカの終わりなき戦争の、競争なき新自由主義の、人種・性差別の、多国籍企業を通した支配の、そして軍事力の世紀として記憶させてはならない。人類は今日、真の正義とヒューマニズムに基づく別のグローバリゼーションを作り上げることのできる倫理価値、知識、科学技術を持っている。われわれはジュビリー・サウスの各メンバーと世界の人々に対し、戦争の代わりに平和を、債務の代わりに生命を、外部支配の代わりに主権を置き換えることが求められており、それに取り組もうと呼びかける。生命、主権、平和のための活動を広げよう!03年3月19日
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