かけはし重要記事

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「三宅島を救おう!」                かけはし2002.1.28号より

東京都はただちに生活支援を行え!

三宅島被災者支援委員会が阪神・淡路大震災7周年に集会開く

 一月十六日、東京・文京区民センターで、阪神・淡路大震災7周年集会「三宅島を救おう!」が三宅島被災者支援委員会によって行われた。
 最初に主催者から支援委員会の活動が報告された。支援委員会は、二〇〇〇年九月の噴火災害による全島避難を余儀なくされている三宅島の被災者に対して、雲仙・有珠山の被災者と同様に「一人一日千円の食費の支給」「一世帯当たり月三万円の生活支援金の支給」などの生活支援を実施することを東京都・都議会に申し入れ・陳情を行った。
 さらに支援委員会は、二〇〇〇年十月の鳥取西部地震の被災者に対して、片山善博鳥取県知事が住宅再建のために一律三百万円の住宅支援を実施したように、東京都もこれと同等あるいはそれ以上の支援を実施することを求めている。

都から生活支援を
かちとるために

 こうした要求に対して、都は避難生活を余儀なくされている被災者に対して、都営住宅など居住を保障しているのみで、まとまった形での生活支援を行っていない。こうした現状をどう打開していくのか話し合われた。
 参加した都議の秋田穫雄さん(日本共産党)は「東京都の来年度予算は十一兆円だが、三宅島関連では(神津島などを含む)二百十四億円で、生活再建や住宅再建の予算は組まれていない」と都の態度を批判した。
 都議の福士敬子さんは「阪神大震災の後、生活再建のための自律支援金五百万を要求して法律を作ろうと運動したが残念ながら百万円になってしまった。憲法で保障された文化的で健康な生活を営む権利を実現できるかだ。都の予算では小型飛行機を作るのに補助するなど理解に苦しむような予算も細かくたくさんやられている。それを考えると被災者への生活支援は切実な問題であり、そうしたことのためにこそ税金を使わせよう。一人会派で厳しい制限があるがしっかり要求をしていきたい」と語った。

非常に厳しい避難生
活の実態が明らかに

 今回の集会には三宅島被災者の梅田政男さん(村議)、大石徹さん(村議)、奥山彦一(島しょ部農協理事)、佐々木弘佳さん、山口恒雄さんが参加した。
 最初に、梅田さんが避難後の厳しい現状を報告した(別掲)。続いて、大石さんが十月に行われた第二回の生活実態調査について報告した。
 千九百世帯のうち、八〇%の回答があった。非常にきびしい状況がわかる。収入が三〜十五万円までの世帯が三八%。五百四世帯の住宅で大きな被害が出ている。暮らし向きが非常に苦しい、苦しいが三一%。五十歳からは働く場所がない。今後の生活、一年も持たない、限界であるが四八%。
 大石さんは公的支援のために、壁をとっぱらって、特別立法を作ってほしいと訴えた。

「がまんしてきた
がもう限界だ!」

 奥山さんは「われわれだけが被害者ではないということで相当がまんしてきた。しかし、もうがまんも限界だ。声を上げなければならないということで被災者だけの会を立ち上げた。村に求めたいのは@村長に村民を全員連れて帰るという強い姿勢がほしいA村民に対して情報を公開し、住民の要求を聞くような双方向の関係がほしい。村・都・国の行政のハートがほしいB道路やライフラインの復旧などのハード面は業者に頼めばできる。ソフト面が重要だ。秋川高校に避難して学校に行っている子どもたちのこと、借金を抱え子どもを育てている世帯、高齢者のことなど。生活支援が欲しい」と訴えた。
 佐々木さんは「早く、みんなといっしょに三宅に帰りたい。このことにつきる」と語った。山口さんは「アンケートは郵送ではなく、村の職員が回って実情を把握すべきだ。書き方がわからない人もたくさんいる」と村・行政の一方的なやり方に意見を述べた。
 この後の討論の中で、災対連の松本さんは都と交渉すると「@村から正式の要請がきていないAアンケートの結果を待ってからB生活支援をどこまでやっていいのか、境がはっきりしない」などと言って、支援できない理由を村に押しつけているが、どうなっているのか、と質問が出された。
 梅田さんは「なぜ、村は都に要求できないのか。それは助役が東京都からきているからだ。これだけ都にお世話になっているから、これ以上要求できないという意識がある。行政を追及すると『議会と行政が一体となっていない』と非難される。村には五つの部落があったがいま村民は百二十カ所に分散している。村民自身のコミュニケーションがとれない。何とか島民の声をまとめる組織作りを行いたい」と報告した。
 避難が長引く中で、帰島までの生活支援が切実であり、帰島後の住宅や生活再建のための支援を具体化することこそが早急に求められている。    (滝)




梅田政男村議の報告から

都や国はあまりにも冷たい

 昨年七月、被災者の三十八人が滞在時間五時間という制限のもとで帰島した。自宅は予想以上のひどさに驚いた。最高の八万トンの火山ガスの噴出。降り積もった灰。木も赤茶けていた。泥流が家の中まで入り、めちゃくちゃになっていた。この惨状を見て、再度立ち上がることができるかどうかという気持ちになった。妻に携帯電話で「だめだよ。あきらめてくれ、島での生活は困難だ」と伝えた。帰りの船の中で、「家は住めるような状況ではない」と肩を落としていた十八家族はその後、「行政に訴えていこう」と「泥流の被害者の会」を立ち上げ、要望書を提出した。
 しかし、行政は「私有財産の復興には公的資金は使えない。土砂除去だけなら、なんとかしたい」と冷たい態度だ。
 北海道有珠山や長崎普賢岳など災害にあった地域を訪ねて状況を聞いた。公費の投入で生活再建が計られていた。なぜ、こうした所で支援が行われているのに、東京都は行おうとしないのか、国はなにもしてくれないのか。三宅村の予算は十五億円で、地方交付税や事業の補助によって成り立っている。村独自では何もできない。島に帰って生活再建するとなると、農業にしろ、観光や漁業にしろ、半年一年はかかる。そのために貯金は取り崩さないで持っていないと帰れない。カネは使えない。離島してから六十人が亡くなっている。都や国はあまりにも冷たい。生活・生命の維持のために何とかしてほしい。村民を救える道をさぐっていきたい。(報告要旨:文責編集部)


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