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                  84年8月15日発行のパンフレットから

許すなテロ襲撃 内ゲバ主義を一掃するために

 中核派のテロ襲撃―この卑劣なやり口を見よ

 七月五日と十四日の未明、三人の仲間が、「中核派革命軍」と名乗る職業的テロリストによって襲撃を受けた。一月九日、十日の両日、東京、大阪、広島で、五人の仲間が同様の襲撃を受けた事件と合わせて、これで中核派の反動的テロ襲撃の被害者は八人にのぼる。

 《資料―仲間たちの被害状況》
 A君(金属労働者)\頭蓋骨骨折、鼻骨陥没、脳挫傷、脳内出血で重体、B君(印刷労働者)\足の骨折、無数の裂傷、全身打撲で全治二カ月、C君(自治体労働者)\左足複雑骨折でいまだ療養中、D君\足首骨折、全治一カ月、E君(学生)\肩こう骨骨折、両手甲の骨折、足の甲骨折、口腔裂傷、全治三カ月、F君\左足切断を余儀なくされるという重体、G君\全治五カ月の両足骨折、H君\頭部骨折、左腕複雑骨折等で、全治五カ月の重傷

 冷酷で残忍なやり口は革命をめざす者のモラルがないことを示す 

 中核派のテロ襲撃のやり口は、彼らの思想的頽廃状況を示してあまりうる。七月五日の襲撃に際して、テロリストたちは、F君の両足を鉄パイプ状のもので乱打したうえに、さらにアイスピック状の鋭利な凶器を足に突き刺した。F君はこの負傷が原因で、高度挫滅創・ガス壊疽(えそ)感染症の重体となり、左足の切断手術をしなければならなくなった。どの程度のダメージを与えるのか、冷酷な計算にもとづいて凶器が使用されているのである。
 しかも中核派は、F君が攻撃される一部始終をわざとG君に見せつけて襲いかかった。かつて、イランの独裁者の政治警察(SAVAK)が、夫の目の前で妻子を、妻の目前で夫を拷問にかけた、そのような残忍さとどこが異るといえるだろうか! ひとかけらの人間性もないこのやり口は、まさに職業的テロリストのものである。
 しかし、このような残忍さと思想的頽廃は「革命軍」だけのものではない。七月六日の事業認定取り消し要求訴訟判決の日、中核派は、傍聴にかけつけた熱田派反対同盟とその支援者に対して、「次はお前だぞ」「Fのようにしてやる」などとうす笑いを浮かべながら、挑発的な言辞を投げつけた。あるいは、職場の仲間には、「これからは夫婦共にやるんだ」「こういうことがあって、反対同盟(北原派)も空気が入って元気になっている」などと聞くに耐えない電話を入れている。その他にも、「まともな市民生活がおくれると思うなよ」「子供を保育園につれていくときは気をつけろ」「(子供にむかって)お前のお父さんの生命はないぞ」等々。数えあげればきりがない。次に示すのは、そのほんの一部である。

 《資料―一坪共有者に対する罵詈の数々》
 中核派は、一坪共有者を切りくずすための『戸別訪問』について『きわめて丁重に討論』と言っている。しかし実態はそれとは全く逆だ。ヤクザまがいの脅迫と情報収集が彼らの『戸別訪問』なのだ。『今度はお前だ。手がいいか、足がいいか。お前らの政治生命を奪うんだ』『首を洗って待っていろ』『お前らはまだ殺されないからありがたく思え』『命をかけて反省してもらう』『子供がかわいければ手をひけ』等々。

 このような言葉を吐くことができる集団が、大衆運動や、およそ革命をめざすあらゆる運動に対してどのような考えをもっているのか、推して知るべきである。

 権力はテロを利用して組織破壊を狙っている

 国家権力は、中核派によるテロ襲撃を最大限に利用して、第四インター・共青同の組織破壊を狙った不当・違法な介入を強めている。実際、一連のテロ襲撃を最も喜んだのが、警察権力と空港公団であることはまちがいない。
 権力は、われわれのメンバーを日常的に尾行・監視し、職場にまで介入しようとしている。はては、一坪共有者であることをやめろと迫ったり、メンバーをやめろ、この地区から出ていけ、狙われているから事務所に近づくな、等々。テロ襲撃から活動家を守るような顔をして、実は、活動の監視、情報の収集、転向の強要が目的なのである。
 しかも権力は、中核派のテロ襲撃の計画を、あらかじめある程度察知していると思われる動き方をしている。われわれは、中核派が権力と一体となっているとか、反革命であるなどとは考えない。しかし明白に、彼らの内ゲバ主義は、権力に利用されているのである。

 《資料―テロ襲撃を利用した権力の介入》
 テロ発生以後、警察権力は連日全国で、特高警察まがいのわが同志宅への張り込み、尾行、脅し、ローラー作戦をくりかえしている。そのやり口は、「君もねらわれているから保護してやる。保護願いを出せ」とか、「次にねらわれているのは××と××だ」などという撹乱工作など。自宅の前で、「おまえここにいるからこんなことになる。すぐ出ていけ」と大声で騒ぐこともある。職場に張り込んで威嚇し、アパートの住民に「誰々は過激派だから気をつけろ」と言って追い出し策したりもする。権力が事前に襲撃を知っていたふしもある。

 われわれは権力の不当な介入を絶対に許さない。福岡で襲われたH君は、重傷を負いながら、「不当な家宅捜索を拒否する」といってドアにカギを閉め、権力が室内に入るのを阻止した。われわれはH君の戦闘精神を忘れることなく、今後も権力に対して一ミリもつけ入るスキを与えずに闘う。

内ゲバ主義の方法はスターリニズムの方法である

 「反革命」のレッテルはりとテロ襲撃――スターリニズムそのものだ

 中核派は、第四インター・共青同を、「新しい型の反革命」と規定して、その反革命と闘うことが三里塚二期阻止決戦であるという「論理」で、テロ襲撃を正当化しようとしている。たとえば「前進」(一一九五号)ではこうだ。
 「七・五戦闘は、わが革命軍が今秋二期決戦の切迫した情勢を重視し、党・軍の死活と存亡をかけ必勝の信念と気概で再武装し、三・八分裂反革命の下手人にして日帝・公団、権力の二期攻撃の率先した密通者に成り果て、二期決戦勝利・革命的武装闘争に全面的敵対を強める第四インターにたいし、やむにやまれぬ正義の報復戦として敢行した戦闘であり、もって今秋――八五年三里塚二期決戦の突破口を先制的に切り開いた巨弾である」。
 ほとんど読むに耐えないこの文章は、われわれを「権力の密通者」と規定している。つまりわれわれは、単なる反革命ではなく、スパイであり、スパイを摘発・せんめつする闘いこそ「二期決戦の突破口」である、というのだ。
 しかし、「反革命」という規定は、自己の反階級的犯罪を正当化するための口実にすぎない。自己の党派的利害を何としても固守し、大衆運動を自己の全面的な統制下におきたい、そのためにさえ暴力で攻撃を加え、屈服させようとする。それを正当化するために他党派を「反革命」にしたてあげて宣伝するのである。
 こういうやり方を、われわれは階級闘争の歴史の中ですでに何度も見てきた。それはスターリニストの方法を借りてきて、自己の延命をはかろうとしているのである。

 《資料―スターリンこそ内ゲバ主義の元祖》
 内ゲバ主義の元祖は、スターリンである。スターリンは、ロシア革命の勝利につづくべき二〇年代のヨーロッパ革命や中国革命が敗北して、革命ロシアが孤立し、ロシア労働者階級が失望と政治的受動性の状況にたたきこまれているとき、貧困と劣悪な文化水準の中で自己の特権的地位と権力を確保しようとする堕落した共産党官僚層に支持されて権力を握った。スターリンはこの権力と特権を確保するために、数十万人の左翼反対派とオールドボルシェビキを強制収容所に送りこんで、肉体的にまっ殺したのである。その頂点がモスクワ裁判と大粛清である。スターリンは、昨日までは自己の盟友であった共産党指導部(カーメネフ、ジノビエフ、ブハーリンら)を、「反革命」「スパイ」「帝国主義の手先」であるとして次々に処刑した。そして、左翼反対派の指導者であり、第四インターナショナルの創設者として、スターリンと最も非和解的に闘ったトロツキーもまた、メキシコの亡命先でスターリンが派遣したテロリストによって殺害されるのである。
 ロシア国内と世界各国で、スターリンの手によって殺害されたトロツキストは数万人にのぼる。しかし、革命家を肉体的に葬ることによって、革命的思想を根絶することはできない。それは、今日、世界の五十カ国で闘いつづけている第四インターナショナルの歴史によって証明されている。
 スターリンが発明した内ゲバ主義の方法が最悪の結果をもたらしたのは、三〇年代のドイツである。三〇年代のドイツは、世界不況と戦争賠償の重圧で、混乱の極致にあった。ナチズムが急速に台頭し、ワイマール体制は崩壊しつつあった。労働組合や労働者集会へのファシストの武装襲撃がくりかえされる。
 ところがスターリンに牛耳られたコミンテルンとドイツ共産党は、ヒトラーと闘う労働者階級の統一をよびかけるのではなく、「社会ファシズム論」にもとづいて、社民党を主要な攻撃対象に設定する。ナチスと闘うためには、まず社民党をせんめつせよ、というのである。このようなスターリンの指導下でドイツ労働者階級は、ファシズムと一戦もまじえることなく敗北し、ヒトラーの権力奪取に道をひらいたのだった。

 大衆運動の独裁的指導を追求するセクト主義こそテロ襲撃の根源

 中核派は、大衆運動に対する「革共同の独裁的指導」(驚くべきことにこれは彼ら自身が使う言葉である)を確保しようとして、中核派の統制にしたがわない大衆運動への敵対をますます深めている。しかし、これは今にはじまったことではないし、革マル派、中核派など日本新左翼主義の諸党派に共通しているセクト主義の体質が全面化しているにすぎない。
 革マル派による川口大三郎君虐殺事件や三里塚闘争に対する一連の敵対。共産党・民青による全共闘運動への武装襲撃。そして、お互いを「反革命」と規定しながらの殺し合いにあけくれる「内ゲバ戦争」。大学拠点を「武装制圧」して他党派の運動やビラまきさえ排除する縄張り主義。これらはすべて日本新左翼運動が、スターリニズムからひきついだ悪しき伝統に他ならない。
 それらはいずれも、同じ「反革命」でもまず自分に近しいところからせんめつしようとすることで共通している。つまり、「反革命」規定は、党派闘争に暴力的手段を用いるための口実にすぎないのである。

 《資料―新左翼の政治的堕落と内ゲバ主義》
 六〇年代後半から七〇年代にかけて、爆発的に燃えあがった反戦青年委員会と全共闘の運動は、国家権力の集中的な弾圧の前に敗北と後退を余儀なくされた。大衆運動の後退と自己の革命の展望の破たん、そして権力の弾圧の下で、新左翼諸党派はテロリズムと内ゲバ主義へと傾斜していく。連合赤軍・浅間山荘事件やよど号ハイジャック事件などは、労働者人民を革命にむけて粘り強く組織することへの絶望の表現であった。
 内ゲバ主義は、国家権力にたちむかう大衆闘争の前進と、労働者人民の内部で大衆を自己の路線に根底から獲得するための誠実な論争のつみ重ねによって、党派闘争を推進する方法の放棄であった。論争によって大衆を獲得し、党派闘争を推進することがもはやできなくなった自己の政治的破たんの結果が内ゲバ主義なのである。

 革命的暴力の思想を復権するために

 われわれマルクス主義者は、暴力一般を否定しない。エンゲルスがいうように、「暴力とは社会的な運動が自己を貫徹するための手段」(反デューリング論)である。階級社会では、支配階級はあらゆる暴力装置を使って被支配者を抑圧している。だから被支配階級は、敵権力に対してよく組織された暴力を行使することができなければ、自己を解放する社会変革を実現することはできない。ベトナム革命が、巨大なアメリカ帝国主義の軍事力を一掃して革命に成功することができたのは、ベトナム人民が三十年間にわたって武器をとって闘い抜いたからであった。
 しかし、暴力の行使が、革命運動にとって決定的に重要であるからこそ、革命をめざす党派や運動は、暴力を行使する方法に細心の最も厳密な注意を払わねばならない。革命的暴力であるか否かがきびしく峻別されねばならないのである。
 レーニンやトロツキーは、どんな小さな内ゲバ主義もけっして許さなかった。若い党員に暴力をふるったオルジョニキーゼを、レーニンが口をきわめて非難し、除名を要求したのは有名な話である。その除名要求を握りつぶしてオルジョニキーゼを助けたのは、他ならぬスターリンであった。
 日本における新左翼諸党派の内ゲバ主義や連合赤軍事件、あるいは一連の爆弾闘争などは、革命運動と暴力革命の思想をいちじるしく歪曲した。社会党や共産党の日和見主義を指弾して反戦青年委員会や全共闘の運動に自ら参加し、そこに日本の社会革命への熱い期待をかけた多くの労働者人民は、新左翼諸党派が行使する暴力の変質に失望し裏切られた。社会党・共産党の改良主義から政治的に離反した急進的な大衆闘争が衰退し孤立していった。その主体的要因の大部分は、内ゲバ主義をはじめとする新左翼の政治的堕落に求められねばならない。われわれは、国家権力と対決する大衆的実力闘争と暴力革命の思想を復権させるためにこそ、一切の内ゲバ主義を許さずに闘い抜かねばならない。

 《資料―連合赤軍とわれわれの立場》
 「連合赤軍の諸君が意図した「戦争」「武装蜂起」は、国家=人民大衆の問題も不在なのであり、したがって戦争でも、武装蜂起でもなかったのである。……それでは一体、連合赤軍の行動は全体として何だったのであろうか。
 答えは明白である。彼らが戦争とか、蜂起とかの言葉で意図したのは、単なる個人的テロルであり、彼らの思想はテロリズムにすぎなかったのである。
 テロリズムであるが故に、彼らは大衆を必要としなかったのであり、逆に大衆を恐れて山へ逃げたのである。テロリズムであったが故に多数の戦闘力を必要としなかったのであり、強固な意志を持った数人が残れば良かったのだ。」(一九七二年三月「世界革命」第二六七号より)
 
 プロレタリア民主主義を創造するために

 これは「党派間戦争」であるから関係ない、という論理で、内ゲバ主義との闘いを回避する立場は、日本において本当に革命運動に責任を持とうとする立場とはいえない。
 内ゲバ主義に反対する闘いは、職業的テロリストによる武装襲撃に抗議し、このようなテロを支持したり容認したりするあらゆる勢力に自己批判を要求し、大衆運動の全戦線から内ゲバ主義を一掃する闘いである。同時に、この闘いは、闘う戦線の内部でのどんな小さな暴力にも反対して、プロレタリア民主主義を確立するための闘いである。路線や意見の相異を暴力で「解決」しようとする願望する一切の傾向、大衆団体をひきまわしたり、セクト的な立場を押しつけたりする一切の策動に反対して、闘う者同士の国家権力に対決する真の団結を築かねばならない。
 プロレタリア民主主義を確立するために闘うことは、帝国主義と闘う全ての労働者人民の最も重要な義務のひとつだ。なぜなら、プロレタリア民主主義にもとづく相互の固い信頼関係なしには、国家権力と対決する統一戦線をつくりだすことはできないからである。
 内ゲバ主義に反対し、プロレタリア民主主義を確立する闘いを通して、共闘関係の中でさえ、言葉尻をとらえて非難したり、お互いに中傷し合うような状況を克服しよう。闘う者同士が、本音でものをいい、率直で誠実な相互批判と論争ができるような関係を作り出すためにこそ、一切の内ゲバ主義を許さない闘いが急務である。

 階級的労働運動の形成に敵対する内ゲバ主義

 内ゲバ主義は権力への屈服だ

 中核派による内ゲバ主義の全面開花は、全民労協の成立と総評労働運動の崩壊に示される戦後日本労働運動の歴史的敗北を背景とし、基盤としている。
 帝国主義の危機の時代にあって、総評労働運動は、帝国主義の危機をブルジョア国家権力との対決と打倒を通じて突破するという戦略を持ちえなかったがゆえに敗北し、親帝国主義労働運動の軍門に下った。総評労働運動の歴史的敗北は、これまで改良主義的ではあれ資本に対立するものとして保持されてきた労働者階級の団結を解決した。今日、労働者階級は、資本と一体となって帝国主義国家を延命させることで自らも生きのびようとするのか、それとも、国家と資本から独立して、反帝社会主義革命にむけて闘う中で危機の根本的解決を展望しようとするのかをめぐって政治的に分裂している。後者はいまだ圧倒的少数派であり、その闘いは困難だ。
 内ゲバ主義は、この困難さに屈服し、国家権力との対決へと階級を政治的に再組織する闘いを放棄し、自らの勢力を現状維持の枠内で防衛するために、それを乗り越える左派勢力を粉砕しようとするものだ。内ゲバ主義は労働者階級の政治的受動性に依拠し、ますます受動性を増幅させる反動的役割を果たす。それはちょうど、スターリニズムが一九二〇年代のヨーロッパ革命の敗北とロシア革命の孤立という情勢を基礎に成立したことと酷似している。

 中核派の内ゲバ主義と「総評防衛」路線は表裏一体

 日本階級闘争の全戦線から内ゲバ主義を一掃する闘いは、全民労協と対決する階級的労働運動形成のための闘いと一体だ。内ゲバ主義が階級闘争の後退と階級の受動性に基礎を与えられているかぎり、その余地を根っ子から断ち切ることが核心だ。内ゲバ主義の横行が権力の階級分断の攻撃に手を貸し、労働者大衆を社会民主主義やスターリニズムのくびきにつなぎとめるものであることも明らかだ。
 右翼労戦再編の流れに抗して全民労協と対決する階級的労働運動を築くためにこそ、内ゲバ主義一掃の闘いにたちあがろう。中核派は、「社民との統一戦線」、つまり今日意味するところは総評の傘の下に「庇護」されて生きのびるために、総評・民同から独立した潮流形成をめざす運動にことごとく悪罵を投げつけている。「労働情報」を「日帝・中曽根に屈服する右翼転向派」と言い、反トマホーク六・一七横須賀闘争を「ニセ反トマホーク闘争」と中傷し、あまつさえ国鉄当局と動労革マル派の一体となった処分攻撃と闘いぬき結成された全東北鉄道産業労働組合を「裏切り、逃亡」と誹謗するありさまだ。
 三里塚闘争に始まった中核派のテロ襲撃との闘いは、必ずや労働戦線を中心とする階級闘争の全般において、内ゲバ主義とそれと表裏の関係にある労働組合主義との路線的闘争へと発展するだろう。中核派の「総評防衛」路線は全民労協への屈服の道である。

 《資料―中核派の鉄産労への誹謗中傷》
 「日帝・中曽根の二期着工攻撃にふるえ上り逃亡した第四インターは、決戦的激突期を迎えた労働戦線でも恥ずべき逃亡を開始している。動労カクマルとのたたかいに恐怖し逃亡した負け犬がよりそって『鉄産労』なるものをデッチあげたのである。これは三重の逃亡である。まず第一に反革命ファシスト・カクマルの動労支配とのたたかいからの逃亡であり、第二に日帝の国鉄労働運動破壊攻撃からの逃亡、日帝との対決からの逃亡であり、第三には、日帝の大攻撃とカクマルの白色テロ支配のなかで苦闘する動労組合員や動労大改革のためにたたかっている動労千葉を裏切り逃亡したことである。」(「前進」一一八〇号)

三里塚闘争の勝利のためにテロ襲撃を絶対に許さない

 一坪再共有化運動への中核派の敵対

 中核派による一連のテロ攻撃は、一坪再共有化運動に対する彼らの敵対に端を発している。一坪再共有化運動は、空港公団による買収・切り崩し攻撃から一坪再共有地を守る運動である。全国の闘う労働者の手で再共有化することによって、政府・公団の強制収用を困難にし、そこに二期工事阻止の闘いの拠点を築こうとする運動である。この運動は同時に、全国各地に二期用地内農民と運命を共にしようとする同志をつくりだし、三里塚全国大衆運動を再生させていく目的をもっている。
 この一坪再共有化運動に対して、中核派は「公団に土地を売る運動だ」「土地ころがしだ」「金もうけのための運動だ」などと、あらんかぎりのデマと中傷をぶつけた。今日、熱田派に結集している用地内外の反対同盟農民が、三・八総会を準備し成功させて、中核派との絶縁を宣言するに至った原因はここにある。つまり、一昨年十二月十六日の反対同盟実行役員会で、一度は決定された一坪再共有化運動を、中核派が党派的な介入で無理矢理反古にしようとしたからである。

 前進する再共有化運動と暴露された中核派のデマ

 権力と闘う大衆組織は、最大限の民主主義と自主性を持たねばならない。反対同盟は過去において、実力闘争に反対し、闘いに敵対する共産党と手を切った。それと全く同じように、反対同盟農民は、十八年間の闘いの成果と闘う農民の尊厳にかけて、一坪再共有化運動と反対同盟を誹謗中傷する中核派と絶縁したのである。
 現在、中核派のテロ襲撃を背景にしたあらゆる種類のどう喝にも屈することなく、千二百人の闘う労働者が、共有者となっている。そして一坪再共有化運動の有効性は、ますます明白になっている。
 七月一日、空港公団は丹波山の共有地について、空港反対派の共有者の拡大をやめさせよという仮処分の申請を行った丹波山の共有地は空港予定地の内外にまたがっている。公団は、この共有地の内、すでに切り崩しに成功して公団が所有している八六%と、反対同盟が守り抜いている十四%をはっきり分割して、同盟の持ち分を予定地外に追い出したいと考えている。ところがこの十四%の再共有化が行われて、多くの人に共有されれば、分割のための裁判をいくつも行わねばならない。しかも六月二十四日には、反対同盟と支援の手で、この土地に「共有者の家」が建設された。七月一日の仮処分申請は、一坪再共有化運動に対する公団のあせりと危機感の表現なのである。
 さらに、七月二十三日から、木の根のため池の改修工事がばしまった。共有地であるため池を、農業用貯水池としてコンクリートのりっぱなものにつくりかえ、二期阻止の拠点づくりをおしすすめようというわけだ。
 もはやこのような闘いの具体的な事実によって、中核派の主張が、ウソとデマでぬりかためられたものでしかないことがはっきりと証明されているのである。

 中核派のテロは利敵行為以外の何ものでもない

 政府公団の二期着工策動が強まっている。芝山町三月町議会での二期促進決議採択や成田用水八月強行着工の動きは、その端的な例である。中核派のテロ襲撃は、この緊迫した情勢の中で、明らかに政府公団にとって、この運動を進める人々をテロで脅迫し、「脱落派」を粉砕することが二期阻止闘争だとして、闘い刃を権力にではなく熱田派反対同盟とその支援の人々に向けてくれるほど好都合なことはない。実際、ブルジョアマスコミは、中核派のテロ襲撃を「成田闘争支援党派の内ゲバ」と報じて三里塚闘争に対する大衆の幻滅をつくりだそうとしているのである。
 中核派は、テロ襲撃で、「今秋―八五年三里塚二期決戦の突破口を先制的に切り拓いた」などと述べている。しかし、三里塚を闘う活動家をテロ襲撃して、闘争が前進しているなどと主張することほど、最悪の反動的な日和見主義は他にない。

 テロ襲撃で二期阻止闘争が前進するわけがない

 三里塚闘争は今、政府・公団の二期着工のための条件をととのえようとするあらゆる策動を打ち砕いて、用地内反対同盟を守り抜き、強制収用を打ちくだくことができるか否かの重大な闘争局面にある。この闘いに勝利するためには、中曽根自民党と対決する労働者の全国三里塚闘争を強化し、用地内に不抜の拠点を築きながら、大衆的実力闘争の対列を準備する以外にない。
 誰の目から見ても、中核派のテロ襲撃によって政府・公団は一ミリも後退してはいない。敵はただこの事態をほくそえんでいるだけである。権力と闘って「戦果」をあげることができない自らの破産を、テロ襲撃を「戦果」だといつわってスリカエているだけなのである。
 「支援党派の内ゲバによる共倒れ――反対同盟の孤立化」――これが、政府・公団がノドから手が出るほど待ちのぞんでいる事態だ。だからこそわれわれは、決して敵を見誤ることなく、中核派のテロから断固として自己を防衛しながら、国家権力に対する大衆的実力闘争の大道を歩む。一坪再共有化運動の前進によって中核派のデマこそ、われわれは、中核派のテロ襲撃を停止させ、内ゲバ主義者があらゆる戦線で孤立して労働者大衆から完璧に見離される状況をつくりだすだろう。われわれは必ず勝利する。

《資料―「中核派のテロ行為を弾劾する」三里塚芝山連合空港反対同盟の声明(抜粋)》
 「種をまき、作物を育て、命をはぐくむ農民の大地を守る戦いの中で、かくも人の尊厳を傷つける蛮行がおきてよいのだろうか。三里塚農民の誰が、このような蛮行を望んでいると言うのだろうか。……人の命を狙うことが、二期工事を阻止することに役立つというのなら、二期阻止のために何十人の足を切断すればよく、廃港を勝ちとるために何百人の足を切断すればよいのか。……
 全斗煥の光州における虐殺にも似た、このような愚かな行為を許しておいていかなる大義を守ると言うのか。
 私たちがこのようなテロに負けないことはくりかえすまでもない。人を信じ、人の優しさを組織し、最後の最後まで闘い抜く。
 全国の皆さん方も、私たちと共にテロを許さぬ声をあげていただきたい。 一九八四年七月二十日」

 新左翼主義の政治的限界を克服し、内ゲバ主義との非妥協の闘いを

 内ゲバ主義の一掃をめざしてともに闘おう

 何度も繰り返し宣言しているように、われわれはテロに絶対に屈しない。テロリズムによって革命の思想と組織を破壊することは不可能である。テロリズムによって、権力と闘う人民の闘争を代行し、抑圧し、支配・従属させることはできない。これは、歴史が何度も証明した真理だ。現実が幾重にも明らかに示している事実だ。
 階級闘争の前進に寄与することはできず、ただ自己の延命のためにだけ運動を利用し、自己の「闘い」を乗り越え存在をおびやかす党派や大衆運動にテロ攻撃を加えるようなセクト主義者は、早々歴史のくずかごに投げ込まれるだけである。労働者大衆は、旧くて使いものにならない階級闘争の障害物と、闘いの新たな指導部を鋭く見わける能力をもっている。われわれはこの能力に強い信頼を置く。だが、この能力が真に発揮されるためには、闘いを牽引する革命的前衛党が準備されていなければならない。われわれはそのために闘いぬく。
 三里塚闘争の前進と階級的労働運動の構築の闘いを通して、われわれは必ず内ゲバ主義者とその思想を一掃する。社会民主主義やスターリニズムから独立した革命的前衛党と潮流の形成にとって、この闘いの成否が決定的に重要だからである。

 日本新左翼主義の限界を克服するために

 ただ中核派のテロ攻撃をやめさせれば事足りるのではない。闘う潮流の内部に確固たるプロレタリア民主主義の思想と伝統を築くためにわれわれは闘う。革命的暴力とは何かを鮮明にして、暴力革命の思想、大衆的権力闘争の方法を復権するためにわれわれは闘う。
 時代の歴史的で巨大な転換期をわれわれは闘い抜いている。中曽根は`戦後政治の総決算aを叫んで、労働者人民に襲いかかっている。中曽根の攻撃に有効な反撃を組織するためには、闘いの主体もまた自身の`総決算aを通じて、改良主義的戦後労働運動の限界を克服し新たな指導部をつくりださねばならない。そのためには、八〇年代、日本の階級的労働運動と戦闘的政治闘争が、日本新左翼主義を克服して、新たな主体を形成することができるのか否か、この闘う主体の政治的再編成の課題が、内ゲバ主義者との闘いに集約されているのである。
 第四インターナショナル日本支部と日本共産青年同盟は、三里塚の勝利と日本階級闘争の未来をかけて、不退転に闘いぬく。アジア革命の勝利と革命的国際主義の復権をかけて闘いぬく。共に闘わん。

 《資料―トロツキー(過渡的綱領)》 
 「搾取に基礎をおく社会にあっては、最高の道徳は社会革命の道徳である。労働者の階級意識、自らの力にたいする彼らの確信、闘争における自己犠牲の用意――これらを高める手段はすべて善である。抑圧者に対する恐怖と従順さを被抑圧者の間にうえつけ、抗議と憤激の精神をうち砕き、あるいは大衆の意志を指導者の意志によって代行し、確信を強制によっておきかえ、現実の分析をデマゴギーやでっちあげによってすりかえるような手段はすべて許しがたい。マルクス主義をおとしめる社会民主主義、そしてボリシェヴィズムの反対物たるスターリニズムがともにプロレタリア革命とその道徳にとって不倶載天の敵であるのは、まさに以上の理由によるのである。」


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