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「不審船」撃沈事件                 かけはし2002.1.14号より

「平和憲法」を破壊する違法・無法な戦争行為だ

日本帝国主義が「グローバル戦争」の主体的実行行為者として登場した


戦後史を画する暴挙を糾弾する

 二〇〇一年十二月二十二日、中国の「排他的経済水域」にあたる東シナ海の公海上で海上保安庁の巡視船が違法に武力を行使し、「国籍不明」の小型船舶を二〇ミリ機関砲で砲撃し撃沈、少なくとも十五人の乗員を殺害するという事件が発生した。
 第二次大戦後五十余年、「平和憲法」の制約によって、日本の国家権力機関が海外で自ら武力を行使して人間を殺害したことはなかった。平和憲法を破壊し「戦争のできる国家体制」を完成させるために全力をあげてきた小泉政権は、「憲法の制約」を違法な武力行使そのものによって暴力的に突破し、海外での戦争行為についに公然と踏み出したのである。
 それは文字通り、戦後史を画する暴挙である。日本帝国主義は、帝国主義がどこへでも軍隊を送り込んで戦争を行なう「グローバル戦争」「ボーダレス(国境なき)戦争」の時代の、戦争の実行行為者として登場した。「不審船」に撃ち込まれる二〇ミリ機関砲の連射音によって、アジア太平洋戦争の敗戦から五十七年続いた日本の「戦後」は終わった。「グローバル戦争」の「戦時」が始まったのである。
 一九三一年九月十八日、関東軍は柳条湖で自ら南満州鉄道を爆破し、これを中国軍の仕業として「満州事変」を引き起こし、一九四五年八月十五日の敗戦に至るアジア太平洋への全面的侵略戦争に乗り出していった。二〇〇一年十二月二十二日、小泉政権は公海上をただ走り去ろうとするだけの「不審船」に「威嚇射撃」と称して大量の機関砲弾を撃ち込み、大破した「不審船」が反撃すると「正当防衛」と称してこれを撃沈してしまった。この戦争行為によって小泉は、日本が戦争の主体的実行行為者となることを食い止めてきた「平和憲法の時代」の幕を引きおろし、「グローバル戦争を日本が遂行する時代」の幕を切って落としたのである。まさに「関東軍の暴走」を想起させる「小泉の暴走」を許すことはできない。
 われわれは、日本帝国主義小泉政権のこの戦後史を画する戦争行為を満身の怒りを込めて糾弾するとともに、「グローバル戦争」に対決するインターナショナルな反戦闘争を大衆的に築き上げるために、全力を上げなければならない。

違法に違法を重ねた戦争行為だ!

 公海上で「国籍不明」の小型船舶を撃沈した海上保安庁の行為は、全面的に違法な大量殺人であり、侵略戦争に等しい行為である。十二月二十一日午後四時頃、「国籍不明」の小型船舶、いわゆる「不審船」を自衛隊のP3C哨戒機が「発見」したのは、奄美大島から北北西に百五十キロも離れた東シナ海の、日本の主権が及ばない公海上であった。
 国連海洋法条約は、どこの国の船舶に対しても、他国の「領海内」を無害航行する権利を認めているが、同時に「領海内」では国旗を掲げて国籍を明示するなどの義務を課している。しかし「公海」は原則的に、どの国家の主権も及ばない「世界共有の海」であり、そこを航行している船舶はどこの国家に対しても国旗を掲げるなどの義務を負わないし、どこの国家権力機関の命令にも従う義務はない。従って海上保安庁は、「公海上」を航行中のこの「国籍不明」の小型船舶に停船命令を出す権限を、そもそも持ってはいなかったのである。
 ただしそこは、国連海洋法条約で制度化されたいわゆる「二〇〇カイリ」の日本の「排他的経済水域」であり、海洋と海底下の資源の探査や開発についてだけは「沿岸国」としての日本が「主権的権利」を持つ海域ということになっている。したがってここを航行する船舶が、日本との漁業協定にもとづかない「密漁」を実際に行なっていたと疑うに足る十分な証拠があったり、日本政府の許可を得ずに海底資源の探査や開発を行なっていた証拠があれば、海上保安庁はそれを摘発する権限を持っている。
 しかし当該船舶は、海底資源の探査や開発をしていたわけでもなく、密漁を行なっていたわけでもなかった。逆に、船上に漁具が少ないことが「不審船」の根拠とされており、むしろ「漁船ではない」と疑われたのである。海上保安庁と小泉政権は、「漁業法」を適用して停船命令を出した、と主張している。しかし現に違法操業を行なっておらず違法操業していた証拠もなく、しかも海上保安庁自ら「漁船ではないらしい」という船舶に、日本の主権の及ばない公海上で日本の「漁業法」を適用することなど、そもそもできるはずがないのである。
 「停船命令」が違法行為であるだけでなく、武力行使ももちろん一〇〇%の違法行為である。改悪された海上保安庁法二十条二項は、「領海内」で「外国籍とみられる船舶」が「重大凶悪犯罪」を準備しているなどの疑いがあり、「無害航行ではない航行を行なって」いるなどの条件をすべて満たし、繰り返し停船命令を出しても応じず、抵抗・逃亡しようとするとき、海上保安庁長官が認めれば当該船に対して武器を使用できるとしている。
 しかし、海上保安庁が抱いた「疑い」なるものは、「国籍不明」であるということと、「漁船ではないらしい」ということだけである。仮に「領海内」であったとしても、武器使用の条件を満たすものでは全くない。しかも今回の事件は、すべて日本の「領海外」の公海で起きている。そして実際に砲撃が行なわれたのは、「中国の排他的経済水域内」であった。
 ある国の国家権力に所属する艦艇または船舶が、他国の船舶に公海上で法的根拠も権限もない「命令」を出し、それに従わないことを理由として武力攻撃を加えるなどという暴挙が許されるはずがないことは論を待たない。それは国際法を乱暴に踏みにじる侵略戦争そのものである。

「威嚇射撃」と称する「危害射撃」

 海上保安庁は、この国籍不明の小型船舶に法的権限もないのに「停船」を命じ、それに従わなかったとして船体にねらいを定め、十四回にわたって二〇ミリ機関砲で「危害射撃」を加えて数百発を命中させ、炎上させた。海上保安庁と小泉政権は、あろうことかこれを「威嚇射撃」だと主張している。しかしこの船体への砲撃が「威嚇射撃」ではなく、相手の船の沈没や乗員の殺傷をも想定した違法な「危害射撃」であることは、九九年の「不審船」事件をめぐる政府答弁に照らしても議論の余地がない。
 九九年三月に日本海で引き起こされた「不審船」事件では、海上保安庁の巡視船三隻が公海上で二〇ミリと一三ミリの機関砲千三百発を発射し、さらにイージス巡洋艦「みょうこう」など大型護衛艦四隻が五インチ砲三十五発を発射した。P3C哨戒機は十二発の百五十キロ爆弾を投下した。しかし機関砲はすべて絶対に命中しないように「不審船」の上空に向けて発射された。だからこそ「威嚇射撃」なのである。また、自衛隊の五インチ砲発射と爆弾投下は「警告射撃」「警告投下」とされていた。
 これについて小渕政権の野中官房長官(当時)は、三月十四日の記者会見で「先方の船から攻撃されないかぎり、わが方から攻撃することは現行法上許されない。……直撃しないよう留意してやってきた」と述べた。すなわち、「威嚇射撃」で船体に命中させることは違法であり、「船体射撃」は相手に攻撃を受けた場合にのみ可能になるということである。だからこそ野呂田防衛庁長官も同日、「十分に武器の使用ができないという法律上の制約があり、不審船の逃走を許した」と述べて、武器使用権限を拡大する法的措置の必要性を強調したのである。
 小泉政権は、この「武器使用権限を拡大する法的措置」の一つとして自衛隊法と海上保安庁法を改悪した。改悪自衛隊法では従来の「治安出動」の要件を大幅に緩和したに等しい「警護出動」が新設され、テロや破壊活動と無関係の市民に対して武器を使用し、殺傷しても処罰されないことにしてしまった。さらに、自衛隊が「情報収集」活動する際の「武器の使用」まで可能になった(本紙01年10月22日号)。
 海上保安庁法改悪では、「領海内」で巡視船に「停船命令」を出された船舶がその「命令」に従わないときは、「先方の船から攻撃されなくても」これまでの「威嚇射撃」の範囲を超えて、人や船舶に危害を与えても罪に問われない「危害射撃」を加えてもよいことになった。それはいわば、職務質問に応じず立ち去ろうとした人物を背後からいきなり射殺する権限を与えたに等しい、とんでもない大改悪であった(本紙01年11月12日号)。
 もし今回の船体への砲撃が「危害射撃」ではなく、あくまでも「威嚇射撃」だと主張するなら、前回の「不審船」事件でも今回と同様に「威嚇射撃」として船体を直撃する砲撃が法的に可能だったということになる。すなわち、「武器使用に法的制約があるので船体を直撃するような武器使用ができなかった」という、小渕政権の当時の主張はすべて誤りであり、従って海上保安庁法を改定して「武器使用を拡大する法的措置」をとる必要は全くなかったということになってしまうのである。先制的な船体への砲撃が「威嚇射撃」であったという小泉政権と海上保安庁の主張は、完全なデタラメである。
 そして今回、「不審船」が自衛隊機によって「発見」されたのは、改悪された海上保安庁法でも「危害射撃」を加える法的根拠のない「公海上」なのである。今回の先制的な船体への砲撃が違法行為であることを百も承知であるからこそ、小泉は「領海外」での武器使用基準を緩和して船体への「危害射撃」を可能とするような、自衛隊法改悪案と海上保安庁法改悪案を早ければ一月の通常国会に提出するよう指示しているのだ。

「正当防衛」という小泉の暴論

 最初は船尾部分に、続いて船首部分に二〇ミリ機関砲の集中的砲撃を受けて炎上した「不審船」は、ようやく鎮火したのち速度が一五ノットから五ノットに低下し、そこに接舷しようとした三隻の巡視船に発砲した。これに対して巡視船が二〇ミリ機関砲百八十六発を打ち込み、全弾が命中して「不審船」はたちまち沈没した。午後十時十三分に沈没した直後、巡視船は十五人が海に浮かんでいるのを確認している。しかし巡視船は国連海洋法条約に定められた遭難者に対する救助義務を果たそうともせず、三百メートルも離れたところから浮輪六個を流しただけで放置したため、約一時間半で全員が荒れた冬の海に沈んだ。
 この大量殺人について小泉は、「正当防衛でしょ」と平然と言い放った。正当防衛も何もあった話ではない。巡視船は、日本の主権の及ばない公海上を中国方面に向かって航行しているだけの小さな船舶に対し、一方的に十九回にわたり計四百三発の二〇ミリ砲弾を発射したのである。うち十四回が直接船体を狙ったものであった(東京新聞12月23日)。発砲した巡視船は動く標的に照準を自動的に固定する最新装置を持っているから、少なくとも三百発前後は命中し、最後に百八十六発を打ち込まれる前に、集中的にねらわれた船首と船尾はすでに穴だらけになって大破させられ、浸水していたはずである。乗員に死傷者が出ていてもおかしくない。その意味では、公海上での違法な激しい武力行使に反撃した「不審船」の発砲の方が、むしろ「正当防衛」なのである。
 七・七ミリ機関銃や一三ミリ機関砲とは比べものにならない破壊力を持つ二〇ミリ機関砲弾を三百発近くも撃ち込まれて大破し炎上し浸水した小船舶に、さらに二百発近くを瞬時に撃ち込めば、急速に浸水が進行して転覆し、数分間で沈没しても何の不思議もない。しかも巡視船は沈没した船から投げ出された乗員が、全員水死するまで放置したのである。
 福田官房長官は十二月二十四日の記者会見で、「船体射撃」について「この事案の発生した当初からきちんとした対応をしていこうと指示していた」と述べ、当初から違法な「危害射撃」を加えることを想定し、準備していたことを明らかにした。すなわち小泉政権は、このような違法な大量殺人と戦争行為を、すべて承知のうえで計画し、指揮し、実行させたのである。
 小泉首相と福田官房長官、「船体射撃」を行なうことを福田に連絡した杉田和博・内閣危機管理監、そして船体への違法な「危害射撃」を直接承認した縄野克彦・海上保安庁長官、そして発砲を命令し実行した巡視船の船長と海上保安官らは、殺人罪で逮捕され、厳しく処罰されなければならない。
 改悪された海上保安庁法で、重大犯罪を現に犯そうとしている危険性が高いと判断された場合は、同法二十条二項によって、船体を狙った「危害射撃」を行なっても刑事責任は問われないことになった。しかし今回は「不審船」が一度も領海内に入らず、常に「公海上」を航行していたため、この新条項は適用できず、旧来の「威嚇射撃」の一環として「船体射撃」を行なったとしている。再度問う。「威嚇射撃」で船体を「直撃」できるなら、なぜ海上保安庁をわざわざ改悪したのか。小泉らすべての責任者は刑事責任を免れない。彼らは全員逮捕されるべきである。

99年「不審船」事件とガイドライン

 小泉政権は、この違法な大量殺人と戦争行為を、有事立法の制定と憲法九条の破壊による「戦争のできる国家体制」の法的完成に向けた社会的基盤形成に徹底的に利用しようとしている。それは、九九年の「不審船」事件が周辺事態法・新ガイドライン関連法案成立のための大規模なフレームアップ事件であったことと同様に、武力行使と戦争行為の既成事実を押しつけて有事法制定と憲法破壊を究極的に推し進めようとする一大フレームアップ事件なのである。
 九九年三月二十二日〜二十四日に能登半島\佐渡沖の日本海で引き起こされた「不審船」事件について振り返ってみよう。実は、国籍不明の「不審船」が領海内で行動するのは日常茶飯事である。海上保安庁発行の『海上保安の現況』(98年度版)によれば、「操業などの不法行為」や「徘徊(はいかい)等の不審な行動」をとった外国船舶は、九七年には八百十六隻に達していた。毎日、約二・五隻の「不審船」が領海内を行動していたことになる。九〇年代に入って、「不審船」が二百隻を下回った年は一回もない。しかし、海上保安庁や自衛隊が機関砲や大砲で砲撃したり爆弾を投下したことは九九年の「不審船」事件がもちろん初めてであり、多数の艦艇や航空機を動員した「海上警備行動」が発令されたのもこの時が初めてであった。
 「『一体どうしてここまでの騒ぎになったのか。新ガイドライン関連法案の審議を意識しているのでは』と、ある職員(防衛庁)は首をひねった。深夜、初めての海上警備行動が発令されたニュースを繰り返して告げるテレビを見ながら、ある自衛隊員は『こんなに早く発令されるとは』と驚きを隠さなかった。『ちょっと前まで考えられなかったことが、想像以上のスピードで現実になっていく』」(朝日新聞99年3月24日)。
 すでに九九年一月に設置された防衛庁の重要事態対応会議では、海上警備行動の手法や海上保安庁との連携やそのマニュアル化に向けた論議と協議が開始され、準備が着々と進められていた。そこに登場した「不審船」に対して、待ってましたとばかり初の「海上警備行動」が発令されたのである。そして「海上警備行動」が発令される四時間も前に、イージス艦「みょうこう」がすでに高速巡視船と並走しており、サーチライトで「不審船」を照射して巡視船による機関砲の「威嚇射撃」を支援していたのであった。
 しかも、史上初の海上警備行動を発令する要件は全くなかった。八一年四月十四日の参院安全保障特別委での防衛庁の答弁によれば、自衛隊法八二条の「海上警備行動」の発令要件は以下のようなものであった。@「有事が近くなり」海上における不審船舶によって「海上交通が著しく阻害されるような場合」A「海賊的行為」がひん発して「国民の生命、財産を守る必要があるとき」\\に、「海上保安庁の手に負えなくなるような事態」に至ったとき、首相の承認を受けて「海上警備行動」が発令されるというのである。
 いわゆる「日本有事」が近づいていると判断されるような国際的対立と緊張の激化は当時、全く存在しなかった。能登半島沖に出現したわずか二隻の百トン程度の「不審船」によって、「海上交通が著しく阻害される」ような事態も全く起きていなかった。またその二隻の「不審船」が「海賊的行動」を繰り返して「国民の生命・財産」を傷つけたり脅かしていたわけでもなかった。そして事件直後の三月二十四日に開催された衆院安全保障協議会で、日本共産党の佐々木陸海議員(当時)の質問に対して野呂田防衛庁長官(当時)は、八一年四月の防衛庁見解は「正しい見解だ」と答えている。
 すなわち防衛庁の「正しい見解」に照らせば、発令要件が何一つ満たされておらず、必要性が全くないにもかかわらず「海上警備行動」が発令され、イージス艦やヘリ三機搭載の大型護衛艦など護衛艦四隻、ヘリ搭載の大型船を含む巡視船十五隻、P3C哨戒機など航空機十二機が出動して、日本海の公海上で多数の実弾を発射し爆弾まで投下するという大騒動が、たった二隻の小さな「不審船」に対して引き起こされたのである。
 「緊迫 日本海波高し」という大見出しでこの事態を報じた産経新聞(99年3月24日)は、「防衛庁・海上自衛隊は……『まるでガイドラインの予行演習だ』(幹部)と、緊迫した雰囲気に包まれた」と書いている。まさにその通り、それは小渕政権が、新ガイドライン関連法案を成立させるために「脅威」をあおり、危機感を演出し、武力行使の現実を見せつけた一大フレームアップ事件であった。

今回の「事件」も計画されていた

 今回の事件は、当初は海上自衛隊のP3C哨戒機が十二月二十一日午後四時頃、「不審船」を発見したとされていた。ところがその後、米軍の偵察衛星がこの「不審船」が朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の西海岸にある南浦港から出航するのをとらえており、この偵察衛星情報にもとづいて防衛庁は、十二月十八日には種子島西方水域でその無線交信を傍受していたことが報じられている。すなわち、「不審船」が母港を出航したその瞬間から、その行動は米軍と自衛隊によってすべて掌握されていたのである。
 九九年の「不審船」事件と同様に、この「不審船撃沈事件」も小泉政権の承認の下に、米軍・自衛隊・海上保安庁の連携した役割分担と作戦計画が立てられていた可能性は極めて高い。もしそうでなければ、公海上での戦争行為に等しい違法な武力行使を短時間で決断できるはずがないのである。「海上保安庁は今回の不審船追跡劇で、当初から『必ず捕捉する』との決意で臨んでいた」(毎日新聞01年12月24日)。この海上保安庁の猛烈な意気込みは、先に引用した福田官房長官の発言とともに、事前に政治的・組織的準備が整えられていたことを裏づけるものである。
 海上自衛隊の哨戒機が「不審船」を「発見」してから、海上保安庁に通報するまで九時間かかったとさもさもらしく報じられ、「危機管理の弱さ」とその強化の必要性が強調されている。まさにあらゆる真実を逆転させて戦争国家体制の強化に利用し尽くそうとする、小泉一流のデマゴギー政治である。
 すでに、九九年の「不審船」事件を受けた形をとって、防衛庁と海上保安庁は同年末、「不審船」に対する「共同対処マニュアル」を作成している。ここには、共通秘話無線を使って連絡を密にすることや、定期的な共同訓練を実施することなどが盛り込まれていた(朝日新聞01年12月24日)。それ以降、二年間も日常的に緊密に行なってきた「不審船」に関する連絡や共同対処を、かんじんの「不審船」が登場したとたんにすべて忘れてしまった、とでも言い張るのであろうか。
 一月の通常国会には、先に触れたように「領海外」での武器使用基準を緩和し、「正当防衛」でなくとも先制的な「船体射撃」を「合法」にするという、国際法を平然と踏みにじるような自衛隊法と海上保安庁法の改悪案が提出されようとしている。さらに小泉政権は、@巡視船の装備充実A海保と自衛隊の連携の在り方B自衛隊の海上警備行動を発令する要件と時機の緩和C自衛隊に領土・領海・領空を警備する「領域警備」の任務を新設する\\などについて精力的に検討を進めている。
 これらの諸措置が強行されてしまえば、「日本軍」が第二次大戦後初めて日本の領域外で大量殺害を犯した今回の事件のような武力行使と戦争行為が「合法化」され、さらに容易に行なえるようになっていくのである。アメリカで海上保安庁にあたる沿岸警備隊は、警察機関というより陸海空軍と海兵隊に次ぐ「第五軍」という位置づけで、七六ミリ砲や魚雷などを装備した艦艇を保有している。海上保安庁はこのアメリカ沿岸警備隊と同様の、自衛隊と一体となった軍事組織として強化されるとともに、海上自衛隊が海上保安庁と同様の事実上の警察行動を行ない、しかもその中で日常的に「領海外」でも武力を行使するという状況が作られていくことになる。
 こうして、日本帝国主義がアメリカ帝国主義を中心とする「グローバル戦争」の主体的実行者としてますます日常的に登場していくことによって、「現実にそぐわないのはやはり憲法九条の方だ」「武力行使のたびに法的問題が生じるのはまずい。有事法制の整備も必要だ」という意識が、大衆的に形成されていくことになるのである。残るはこれまで二度にわたる「読売試案」をはじめとして提出されてきたさまざまな改憲試案を総合した改憲案を作り、国民投票を実施するだけということになってしまう。
 事態はここまできてしまった。「不審船」撃沈事件は、日本帝国主義が第二次大戦後初めて戦争の実行行為者となったという意味において、報復戦争支援で自衛隊がインド洋に派遣されたことを超える、決定的な歴史のターニングポイントとなったのである。

一月通常国会をめぐる闘いに全力を

 一月通常国会から厳しい闘いが始まる。小泉政権の違法な戦争行為、違法な大量殺人を徹底的に暴き、糾弾しなければならない。マスコミは、戦後史を画する小泉政権のこの暴挙を一切批判しようとせず、「止むを得ない措置」「当然である」という容認論で統一されている。野党ではっきりした批判的見解を表明しているのは、先の国会で海上保安庁法改悪案に反対した社民党だけである。
 報復戦争参戦関連三法案の一つである海上保安庁法改悪案に賛成するという重大な裏切りを働いた日本共産党は、今日に至るも党としての見解を発表していない。「しんぶん赤旗」の紙面は、海上保安庁と小泉政権および政府閣僚、自民党首脳の見解をコメントもなしにそのまま掲載するという異常なものになっている。憲法遵守義務がある政府が「平和憲法」を戦争行為という暴力で破壊するというこの重大事件をめぐって、「しんぶん赤旗」は文字通り政府の広報紙に成り果てている。それは、「安保堅持論者との暫定政権論」や「自衛隊活用論」をはじめ、不破・志位指導部のもとで推し進められてきた右転落路線の帰結である。
 情勢はきわめて厳しいが、「テロにも報復戦争にも反対」のスローガンを掲げて闘いぬいてきた運動の成果の上に、憲法の破壊と「戦争のできる国家体制」の完成へ突き進む小泉政権と対決する大衆的闘いを作り出さなければならない。
 第一に、この「不審船」撃沈事件が、あらゆる点で違法・無法で憲法違反の戦争行為と大量殺人であることを徹底的に明らかにし、最高責任者としての小泉首相、福田官房長官、縄野海上保安庁長官、実際に戦争行為と大量殺人に手を下した巡視船の船長と海上保安官らを殺人罪で逮捕するよう要求しなければならない。
 第二に、事件の真相を究明するために、隠されているすべての情報の公開を要求しなければならない。情報は徹底的に管理され、小出しにされ、操作されている。撃沈された「不審船」が巡視船の一方的「危害射撃」に反撃する際、「ロケット弾」を発射していたと発表されたのは、「撃沈」が発表されてから丸一日以上経って、海上保安庁が撮影したビデオテープが公開されるのと同時であった。
 通常フィルムと赤外フィルムの二種類を使い、巡視船上と上空から撮影された二十時間以上に及ぶであろうビデオテープは、わずか二分足らずに編集され、テロップまで入った「作品」に仕上がっていた。それは、アフガニスタン空爆でも繰り返し放映された「精密誘導弾」による軍事施設破壊の映像と同様に、真実の大部分を隠そうとするものである。すべてのビデオ映像の無条件の公開を要求しなければならない。
 また、防衛庁が傍受し続けていた「不審船」の交信記録の全面的公開を要求しなければならない。それは「不審船」がいったいどのようなものであり、何を目的に、何を行なっていたのかを明らかにするものであるからだ。小泉政権が撃沈を正当化するなら、当該船が撃沈されるに足る「重大凶悪犯罪」を現に犯していたことを立証する責任がある。そのためにも、交信記録を公開する義務をまぬがれることはできない。
 第三に、この決定的に重大な事件の真相を究明するために、国会に「不審船撃沈事件調査委員会」を設置するよう要求しなければならない。そのためにも、日本共産党に対して、違憲・違法な小泉政権の戦争行為に断固たる態度をとるよう強く求めるとともに、社民党と連携して国会内外で事件の真相究明を推し進め、戦争政策のエスカレートに反対する社共・市民運動の共闘を広げるために闘うよう強く要求しなければならない。
 第四に、この事件が国連海洋法条約などの国際法にも憲法にも海上保安庁法にも違反する違法・無法な戦争行為であり、大量殺人であることを明らかにすることを通して、有事立法と憲法改悪に反対する闘いの大衆的な前進を作り出さなければならない。
 小泉政権が「平和憲法」の封印を戦争行為という暴力で突破したことによって、憲法改悪阻止の闘いは「最後の局面」に入ってしまったと言わざるを得ない。国会内では、すでに憲法改悪派が三分の二の多数を占めている。しかしあまりにも強引な小泉政権のやり口に危惧や不安が広がっているのも事実である。徹底的に真実を知らせ、明らかにしようとすることを通して、大衆的抵抗闘争を作り出すことは可能である。そして作り出されたその抵抗の大きさが、次の一時期を決定するのであり、情勢の転換をかちとることができる時期を左右するのである。
 この闘いを前進させるために、「グローバル戦争」「ボーダレス戦争」と対決する全世界の反戦闘争との連帯を強化しなければならない。
 帝国主義にとって「グローバル戦争」は、新自由主義と資本のグローバリゼーションによる貧富の差の世界的拡大と生活破壊のなかで噴出する民族紛争や宗教紛争などを押さえ込んで、多国籍資本にとっての支配の安定性を確保する手段であるだけではない。
 弱肉強食の新自由主義と資本のグローバリゼーションは、帝国主義諸国内部の社会的・政治的安定性をもいやおうなしに解体していく。「グローバル戦争」は、深刻化する社会と政治の不安定化を「戦争」を通じた国家主義的国民統合を強化することによって食い止め、建てなおすためにも、推し進められているのである。その政治的効果は、アメリカの政治史上最も正統性の脆弱だった大統領ブッシュの支持率が、報復戦争によって一挙に頂点まで押し上げられたことによって劇的に立証された。
 全世界で、報復戦争と一体となったテロ対策を口実とした労働者人民に対する管理統制と人権侵害が著しく強化されているように、それは民衆の権力への批判を押しつぶし、「戦争」の重圧によって新自由主義がもたらす賃下げや失業や生活不安に「耐え」させようとするものである。帝国主義の国民統合を強化し、政治支配の安定を作り出すための政策的基軸に戦争がすえられる時代が始まっているのである。
 それは、歴史的生命力を使い果しつつある現代資本主義が、労働者人民に雇用や生活の安定と向上を保障することによって「支配への同意」を担保することが、もはやできなくなったことの表現である。現代帝国主義の「グローバル戦争」は、労働者人民にどのような希望も与えることができない。かつての天皇制日本帝国主義やナチス・ドイツの侵略戦争は、「満州国建設」や東ヨーロッパとロシアへの植民政策によって失業や農村の苦況を突破するという、偽りの「希望」を与えることによって、国家主義的国民統合を強化しようとするものだった。しかし新自由主義と「グローバル戦争」が労働者人民に与えるのは、偽りの「希望」でさえなく、「どこに敵がいるかわからない、いつまで続くかもわからない戦争なのだから、リストラによる失業もテロ対策としての人権侵害も我慢せよ」という、長く続く一方的耐乏だけなのである。
 われわれは、「グローバル戦争」の絶望に、闘いによってかちとられる人民の希望を対置しなければならない。新自由主義と資本のグローバリゼーションに反対し「オルタナティブな世界は可能だ」「もうひとつの世界は可能だ」という希望のスローガンを掲げてインターナショナルに広がってきた反グローバリズム運動と反戦運動を結合し、「グローバル戦争」の時代に立ち向かわなければならない。
 「グローバル戦争」は、あらゆるところで「戦争」と「テロ対策」を口実とした人権侵害や民主主義破壊をともなって進行している。新ガイドライン関連法とともに盗聴法と改悪住民基本台帳法=国民総背番号法が成立した。小泉が成立をめざす有事立法は、戦争遂行のために基本的人権を制限するものである。憲法改悪の「第二次読売試案」の最大の特徴は、「非常事態」に基本的人権を制限する「戒厳令」の導入と、基本的人権の上に「公の秩序」を置くという論理である。そして、新自由主義と資本のグローバリゼーションは、人権の基礎である生存権を世界のあらゆるところで脅かしながら進行している。
 このような状況と対決するわれわれの闘いのキーワードは、平和・人権・民主主義・国際連帯である。海上保安庁による「不審船」撃沈事件糾弾! 小泉政権の違法・無法な戦争行為と大量殺人を許すな! 「グローバル戦争」と対決する平和・人権・民主主義の国際連帯を作り出そう! (01年12月28日 高島義一)


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