| リン・リーン・リム編/著 発行・日本労働研究機構 かけはし2000.3.6号より |
| 現実を知り、人権を回復するために―東南アジアにおける売買春の背景― |
巨大組織化する売買春の全体像
本書は、インドネシア、マレーシア、フィリピン、タイにおける売買春と児童売買春の実態調査(93年〜94年)をもとに東南アジア各国で巨大組織化しているセックス「産業」の全体像を描き出している。英語版は98年に刊行され、ただちに世界的に注目を集め、日本語版(99年12月)もすでに第二刷という状況だ。
編著者のリン・リーン・リムさんは、現在、ILO(国際労働機関)事務局のジェンダー促進プログラム統括責任者である。彼女は昨年12月に来日し、その時のシンポジウム(主催・ILO東京支局と日本労働研究機構)で「ILOがこのリサーチをサポートしたのは、数百万人の女性が働いているこの売春の実態、女性の搾取、虐待、児童破壊の現状を無視することができないからだ。現状を客観的に把握することで、政策立案面で視点を与えることができればと考えている。売買春の実情に対処するには、@現状認識を高めるA売買春を助長する構造に注目するBエイズ問題を考慮するなどが必要だ」と述べ、アジアの売買春問題に対して関心を強めることを訴えていた。
現代の奴隷労働としての児童売買春
本書の第一の柱は、インドネシア、マレーシア、フィリピン、タイにおける売買春と児童売買春の実態報告だ。各国のセックスワーカーの数は膨大な数であり、流動的な性格が強いため人数を確定することが難しい。報告は一つの参考資料として「女性の人身売買に反対する連合」が95年世界女性会議に向けて作成した統計表を以下のように取り上げている。
インドネシアの登録売春婦数(準合法的売春制度にもとづく)は、1994年で6万5千582人。未登録も含めれば50万人以上いる。マレーシアの売春婦数推計は、14万2千人。フィリピンは、売春婦が30万人、7万5千人の子どもが売春させられている。タイの売春婦数推計には、30万から280万人と幅がある。三人に一人は未成年者と子どもである。
児童売買春について96年の国連人権委員会は、アジアでおよそ100万人の子どもが性取引の犠牲者であると推測し、さらに世界的に年間50億米ドルの市場だと報告している。すでにILOは、児童売買春が「強制労働、現代の奴隷労働であり、完全に廃絶すべきものとの見解で一致」(リムさん)しており、ILO182号条約「最悪形態の児童労働禁止」として昨年採択した。
同時に、各国に対して勧告を行っている。さらに、児童売買春の廃絶をめざす政策とプログラムでは「防止のための措置」「児童売買春を取り締まるための措置」「回復と再統合のための措置」「今後さらに必要とされる措置」など具体的に提起するまで取り組みが進んでいる。
セックス「産業」と権力システム
4カ国のGDPのうち、セックス「産業」が2%を占めていると言う。なぜセックス「産業」が繁栄するのか。家父長制と性暴力主義を基盤とする男社会だからだと抽象的に語ることだけではすまされない現実がセックス「産業」を支えている。
この問いに対してリムさんは、各国の事例研究から共通性を導きだし、次のように回答する。「セックス産業から賄賂を受け取り、性の供与を要求し、自らがセックス事業所の顧客であり、時には経営上のパートナーや所有者でさえある腐敗した政治家、警察、軍、公務員が、それを保護し支持している」からだと暴き出し、厳しく批判する。
つまり、このような高度に構造化され組織化された広範なもたれあいのネットワーク、強力な既得権益の存在などによってセックス「産業」が拡大再生産されてきたのである。
これまでILOは、セックス「産業」を支える社会・経済構造と各国の複雑化された権力システムの壁によって売買春問題に関して各国政府の対応に委ねるという姿勢を選択し、明確な立場を示してこなかった。だが、今回の調査報告は、売買春が「基本的人権、雇用、労働条件、性差別、商業的搾取、特に売春をさせられる子どもの犠牲など、きわめて重要な課題」であることを確認し、この課題がすべてILOの活動領域に関わるものであり、緊急性を持っていると位置付けた。
さらに報告の中の「セックス産業に対する法律的アプローチと法律の施行」では、@政府がセックス産業を禁止し非合法化するAセックスワーカーを非犯罪化し合法化するBセックス「産業」を厳しく規制・登録させ合法化するという三つの法的アプローチを提示している。この法的アプローチに対して報告は結論的立場を表明していないが、今後各国で検討していくことを訴えるとともに、とりわけいまいるセックスワーカーの適正な労働条件の適応、搾取や差別からの保護を確保することが課題であると強調する。
セックスワーカーをめぐる論争
この問題は、本書が世界的に注目された一つの要因でもある。重要な論点なのでもう少し具体的に紹介しておこう。
「セックス産業を全面禁止した場合」―反論として@セックス労働を理由にセックスワーカーを処罰することは、きわめて不公平であるAセックスワーカーは被害者であり、他に生計を立てる手段がない場合、その仕事をやめさせることにはつながらないBセックス「産業」を地下にもぐらせるだけで、今そこにいて搾取や虐待からの保護を最も必要としている人たちを完全に周辺化してしまう危険性が大いにある。
「セックスワーカーを非犯罪化し、合法化した場合」―セックス「産業」の制度そのものの非犯罪化ではなく、セックスワーカーが他の労働者と同様に労働者としての権利と社会保護を享受できるよう売春を合法的な職業として認める。同時に、人身売買、搾取、虐待する者、未成年買春をした者に対して処罰する。
「厳しい規制・登録を通してセックス産業を合法化した場合」―このケースは、特定の地区に制限して一般的に採用されている。いわゆる国家による「管理売買春」のことである。規制と登録によりセックスワーカーの最低年齢規定、児童売買春や強制的売春の規制などセックス「産業」の犯罪的な側面を厳しく取り締まることができる。だが、これに対してセックスワーカーたちは、差別が助長され続けるとして反対意見を主張している。リムさんは、この意見に対して「考慮が必要である」と注意を喚起している。
日本における論争とその主要な論点
これらの論議については、すでに日本でも行われており、代表的な文献として『女たちの21世紀 特集買春と男性を考える No16』(アジア女性資料センター98年10月1日)がある。論議を深めるために若干紹介しておく。@伊田広行さん(大阪経済大)「性的保守主義を排除しつつ、性暴力の被害者実態から学び、誰の性的自己決定権も侵害せず、性別による差別秩序をなくしていこう」A鈴木水南子さん(現役・元セックスワーカーのためのピア・カウンセラー)「買売春の是非ではなく、女性がそこに働かざるを得ないようにさせられている状況、労働環境、男性の抑圧などを問うべきだ」B桃河モモコさん(セックスワーク活動家)「人間としてあたりまえに保証されるべきことを獲得するために『売春を労働(職業)である』と認識できることが、私たちにとっては何より重要だ」C浅野千恵さん(東京都立大学)「労働としてのセックスワーク論」など各ポジションから率直な提起をしている。
なお桃河さんによれば97年マニラで国際エイズ会議(アジア太平洋地域)が開かれ、その会議で「マニラ宣言」が採択され「売春を労働(職業)とみなすこと」とされていると報告している。この会議には、数十カ国のセックスワーカーとNGOなどが参加した。
ていねいな論議のつみ重ねを
本書のアプローチも含めてこの論議は、拙速な結論を出すのではなく丁寧な論議と整理の積み重ねが必要だと痛感させられる。リムさんも同様のニュアンスで冒頭で表明している。つまり、「この問題は人権上の諸問題と、道徳・犯罪性・公衆衛生への脅威などに関する懸念とを切り離すことが困難であるがゆえに、難問」であり、「従来のILOの管轄と活動領域を越えるものなのである」と。
このように現段階の水準を自己規定しながらも、最後の章で売買春を生み出す根本原因と結果の両方の取り組みが必要だと繰り返し、熱く読者に訴えている。最低限、ここからのスタートがまったなしで求められているのである。(遠山裕樹)
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