感染再拡大「第4波」の危機宮城・仙台に「重点措置」適用
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宮城全労協ニュース/第355号(電子版)/2021年4月10日
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コロナパンデミックは、菅政権の楽観的「思い込み」を超えて、4月に入ってから、さらに新たな感染の拡大局面に入っている。宮城全労協ニュース(電子版)から転載する。
大阪府は4月7日、1日の新規感染者数が過去最多の878人と発表、「医療非常事態宣言」を発出した。翌日には905人、3日連続の過去最多となった。政府の「まん延防止等重点措置」の適用決定が4月1日、大阪で実施されたのは5日だ。直接的な効果の判断までには時間差があり、緊迫の日々が続いている。
4月8日、東京都は2日連続で500人を超え、首都圏では単独で「重点措置」適用の正式要請に踏み切った。菅首相は衆議院本会議で「全国的な大きなうねりとまではなっていない」「新規感染者数や病床の状況などを勘案し、東京都や専門家の意見を伺いながら、適切に判断していく」と従来の発言を繰り返していた。翌9日、東京都とともに京都府、沖縄県への適用が正式決定された。局面はあきらかに転換した。政府分科会の尾身会長は「重点措置」の効果が薄ければ「緊急事態宣言」は当然と述べている。
「第3波」の「宣言解除」に政府分科会では異論も多かったという。懸念が強く表明され、西村大臣は「条件付きの解除」と表現した。3月21日、政府は「下げ止まり」のなかで「全面解除」した。再拡大が各地で始まっていた。しかも変異ウイルスの広がりが確認され、専門家は既存ウイルスから置き換わるのは「時間の問題」だと指摘してきた。大阪の事態は変異ウイルスの懸念が現実となったことを示していた。
「宣言解除」にあたって、そのタイミングの是非と同時に、解除後の対策が問われた。首相は「5本柱」の対策を提示、感染拡大阻止に注力すると表明した。しかし、それらの対策は間に合っていない。「解除」から約20日、6都府県で「準非常事態」とも称される「重点措置」の実施となっていることだけで明らかだ。首相の責任が問われねばならない。予算は通した、「重点措置」も新設した、あとは行政の運用次第だ。そういう首相の態度ではなかったか。首相は事態を国民に説明し、「第4波」に全国で備えるための対策に集中しなければならない。
昨年後半以降も政治の腐敗、官僚の堕落、不祥事の数々が発覚してきた。尾身会長は9日、記者会見で「人々に協力を要請する前に国や自治体が実際に行動する姿を見せてほしい」と訴えた。
首相が官房長官時代を通して蓄積させてきた政治の劣化が「コロナ事態」の中で重大な障壁となってきた。民衆犠牲は社会の様々な領域で広がっている。この政権では「コロナ危機」を克服することはできないという不信が深まっている。しかし、支持率は下げ止まり、回復のきざしが見えるという世論調査の解釈がある。
聖火リレーがスタートし、ワクチン接種が始まれば雰囲気は一変する。デジタル庁など手持ちの政策カードを次々に切り、米国大統領との世界初の「対面」会談を実現させ、解散カードをちらつかせながら反転攻勢に出るという観測が飛びかっている。「コロナ対策」を通した若者への政権パフォーマンスも強められるだろう。そんな暴挙を許してはならない。
「5つの柱」を早急に点検し、
「第4波」の危険に対応せよ
首相は4月8日、感染拡大防止の対策方針を述べたが、それは非常事態宣言解除にあたって示した「5つの柱」を踏襲したものだ。局面は大きく変わったのであり、方針も早急に点検し直す必要がある。
3月18日、4都県での延長からの「解除」を前に、ようやく首相記者会見が開かれた。「飲食店の営業時短を中心とする対策は成果をあげている」「感染確認者は8割減った」「これが事実だ」、と。
成果の強調に続いて首相は「リバウンド懸念」「変異株警戒」をあげ、「今が大事な時期」だとして「感染の再拡大を防ぐため5本の柱の総合的対策」を示した。
@飲食の感染防止。マスクを外した会話が多くなる飲食が対策の中心。大人数の会食は控える。
A変異株への対応。陽性者の検査の抽出割合を現在の10%から40%程度に引上げ、変異株を割り出し、拡大を食い止める。航空便の搭乗者数の抑制、水際措置も強化する。
B感染拡大の予兆をつかむ戦略的な検査。繁華街や駅などでの無症状者のモニタリング検査を順次、主要都市で大幅に拡大。4月には1日5千件の規模とする。高齢者施設などで3月末までに3万カ所の検査、4月からはさらに集中的な検査の実施。
C安全、迅速なワクチン接種。4月12日からは高齢者への優先摂取、6月までに1億回分が確保できる見通し。
D次の感染拡大に備えた医療体制の強化。コロナ病床、回復者の病床、軽症者療養のホテル、自宅療養などの役割を分担し、効果的に療養できる体制を各都道府県につくる。
多くは特に新しいものではない。首相は政権支持サイドからの注文も盛り込んだ。野党要求から取り入れられた事項など、前進した内容も含まれている。しかし、保健所機能の強化・拡大、「ココア」や「ハーシス」、国民との「コミュニケーション」、科学者たちとの協働など、政府が問われてきた懸案には言及していない。とにもかくにも首相が示した「第3波」解除後の対策方針なのだ。
これらが現在、どこまで進捗し、何が問題でどのように補強や修正を必要としているのか。すでに野党からはPCR検査の拡大や補償・支援など、規模と達成速度が追いついていないと指摘されてきた。ワクチンも現場の困難が医療や感染対策に影響を及ぼしている。その場しのぎの答弁を止め、緊急に点検し、政府方針を再提示しなければならない。
政治責任を棚上げした
議論ではだめだ
昨年末から年初にかけて「コロナ敗戦」などの言葉が月刊誌などを飾った。政府対応が批判を浴びていることに対する危機感の反映でもある。政権の責任を棚上げする意図もあるだろう。成長戦略会議の複数の委員が政府分科会の位置づけや経済専門家の立場について、ネットやテレビで疑問を投げかけるということもあった。
今年初の経済財政諮問会議で民間議員がそれぞれ見解を述べている。新浪剛士議員は宣言解除後の「短期収束に向けた明確なアクションプラン」を今から用意しておく必要を強調し、ワクチンについて「6月までに集団免疫獲得に必要と言われる6割の国民に接種を行えるようなシナリオ」、そして次善の策として「しっかりとした検査及び隔離のための体制作り」を提起している(1月21日「議事要旨」)。
そこで新浪議員は、クラスター対策を中心とするこれまでの感染対策に「限界があったことは明らかではないか」として「対策を見直すべき」と述べた。第1に「無症状感染者へのPCR検査の大幅拡大」による「感染源の早期発見、隔離」。第2に医療機関への負担軽減対策、具体的には入院と療養の区分、そのための財政措置や施設の活用・建設などだ。国民に対する「政府広報」、情報提供の改善にも言及している。これらには首相の方針に反映されたものもあるだろう。
「感染対策の限界」と指摘した意図は何か。専門家の限界なのか、政府の問題なのか。政府は議論をどのように深めようとしているのか明らかではない。そのことが憶測を呼び、解釈が広がる。
議論はねじ曲がった方向にも進んだ。その象徴が「医療崩壊」だった。「世界一の日本の医療(?)」が「崩壊」とはおかしい。医療資源が適切に配置されていないからだ。民間病院の受け入れが消極的だなどの意見がマスコミなどで交わされていた。これらのなかには医師会や民間病院の自己防衛的姿勢が「医療崩壊」の原因だという議論にねじ曲げ、政府の責任を棚上げしようとする意図も働いているのではないか。労働組合の抵抗が「資源配分」が進まない一因だと指摘する論者がいたほどだ。
首相公邸での会談が注目されたことがある。「医療人材や病床を確保するための方策」をめぐって大学教授と意見を交わしたと報じられた(1月16日NHK)。首相は「久しぶりに元気の出る話を聞いた」と感想を述べたという。この感想を医療現場はどのように感じただろう。医師会の話は元気を奪うということか。3月、参院予算委員会で野党議員が「医療崩壊の原因は民間病院のせいだと思っているのか」と政府をただしたが、首相も田村大臣も返答しなかった。医療・病院支援の予算措置は講じたという形式的な政府答弁ですむような問題ではない。問われているのはウイルス感染症分野を含む政府の医療・保健政策なのだ。
宮城県に「重点措置」、
誤った知事の「緩和」判断
4月5日「まん延防止等重点措置」が大阪府、兵庫県とともに宮城県に適用された。仙台市が対象となり、仙台市以外の県全域では独自の対策が飲食店などに要請された。
宮城県は3月下旬以降、感染確認者の急激な増大にみまわれ、人口比全国トップが続くというかつてない状況に直面していた。仙台の感染確認者数は一時よりは下がっているが、一定数が継続しており、抑制傾向とはいえない。一方、県内各地への広がりが顕著だ。医療現場は危機感を訴えている。「どの医療機関も通常の医療を守りながらコロナの病床を確保しようと、ギリギリのところまで検討を重ね・・調整を続けている」「これ以上感染者が増えると、自宅や療養先のホテルで亡くなる事態が起きかねない」(東北大病院長/NHK東北4月8日)
村井知事は直前まで「重点措置」を政府に要請することは考えていないと述べていた。3月29日には「国に要請する予定はない、協議にも入ってない」と強調している。感染再拡大に直面した県と仙台市は3月18日から、法的根拠のない独自の「緊急事態宣言」を出し、酒類提供店への営業時短を要請、知事はこの「時短効果」を見極めると述べていた。西村大臣も「適用は考えていない」と知事に呼応するような受け答えであった。したがって地元では、知事の突然の転換だと受け止められた。飲食店からは当惑とあきらめが報じられた。「緊急事態」と「重点措置」の違いに戸惑う声も多い。
「重点措置」の要請に転じた村井知事は「(感染状況の)潮目が変わった」と述べた。知事はその間の経緯、とくに政府とのやりとりを説明する必要がある。近隣諸県、諸地域に感染が波及している。大都市圏とは人口も人出も少ない宮城県で、再拡大の事態に至った経緯に関心が集まっている。「重点措置」の実際の経験を各地にリアルタイムで伝えることにも意味があるだろう。地元新聞は次のように検証を求めた。
「2月に新規感染者がゼロの日もあった宮城県で、なぜリバウンド(感染再拡大)したのか。県独自の緊急事態宣言が実効を挙げていないのはなぜか。弱点はどこか。県と(仙台)市には感染者急増の背景と要因の検証を求めたい」(河北新報社説「宮城にまん延防止措置/小出しの策 決定打ならず」4月2日)
宮城県も「第三波」の危機に直面してきた。たとえば12月中旬には県内の30を超える小中学校が臨時休校となっていた。県議会最大会派10人をはじめ議員たちの「集団感染」が大きな問題になっていた。
もちろん県や仙台市は手をこまねいていたわけではない。医療現場からは危機感が何度も訴えられた。県は昨年12月に「医療調整本部」を設置、患者の受け入れ体制を強化した。感染拡大に備えて複数のホテルと契約し、療養先の確保に努めた。年が明けて医師会や看護協会、教育関係団体、県議会などが連名で「コロナ差別」への反対を宣言し、県民にアピールした。
宮城は1月上旬から中旬が「第3波」のピークとなり、その後2月に入って感染確認の低下傾向が続き、中旬までの数日、新規感染者がゼロの日もあった。その過程で繁華街などの人出の増大が見られるようになった。2月中旬以降、温暖な日も続き、また年度替わりの時節が人々の行動を活発にさせていった。3月に入り明らかなリバウンド局面に入り、中旬以降には加速し、月末には最多の200人を超えるまでになった。
問題は感染抑制から再上昇の局面にあったことが多く指摘されている。とくに2月23日からの「GoToイート」の再開であった。3月15日、感染の急速拡大にいたって知事は「プレミアム付き食事券」販売の再停止を表明した。知事は会見で判断の間違いを認めた。再開した時点の判断は間違ってなかったと思うが、「結果的にその後、感染者が増えたことを考えると再開が気の緩みにつながってしまったことは事実だと思う」、と。
県民の努力、医療や保健所や介護をはじめ新型コロナウイルスと向き合ってきた現場の努力が大きく損なわれた。懸命の努力に応えるためにも、人々の連帯を築き、この困難を克服することが求められている。
県知事と仙台市長はそれぞれの立場から、保健所の連携が不十分であったと認めた。全国的な課題であるが、急拡大によって仙台市では保健所機能が限界に達していた。複数の種類が確認されている変異ウイルス対策、医療体制強化をはじめを専門家から具体的な指摘もなされている。浮き彫りになった問題点を早急に克服し、次の困難に備えることが急がれる。
「宮城県150年」と「大震災10年」
打撃を受けた飲食店などの経営と生活のためにも「GoToイート」を再開したと知事は述べた。東北経済を案ずる気持ちもあっただろう。知事の判断は菅首相の「GoTo」強行の失敗を繰り返すことになった。影響は大きく、東北全体に及ぶ。
知事の気負いが「判断ミス」を誘ったのだろうか。そこには県の事情も見える。東北各県とJR東日本などによる大きな観光キャンペーンが4月から予定されていた。「GoToイート」の再開はこのキャンペーンにつながるものだったのか。その宣伝が開始される時期がリバウンドと重なり、東北の共同事業は感染拡大によって分断、縮小を余儀なくされている。
宮城県は来年「150周年」を迎える。「震災10年」をへて、新型コロナウイルス感染症の「収束」を見据えて「次代の新たな県土づくりの起爆剤(河北新報1月4日)」にしようという心意気が県政にあるという。知事としては一連の流れのなかに「GoTo」もあったのだろう。
知事はさらに「大震災10年」に言及し「深く反省」していると語った。「人が動くことは分かっていたが、対策を取らなかった」(4月4日、全国知事会)。工事関係者など県外からの流入増加の影響も指摘されている。
3月11日、仙台市中心部の公園で「式典」が開催された。道行く市民が普段着で献花台に立ち寄るというこれまでの光景とは明らかに異なっていた。大型スクリーンが設置され、東京での式典が中継された。「国歌斉唱」も行われた。正装姿が目立ち、団体参加なのか整列した人たちも見られた。
被災地への里帰り、墓参や懇親も感染リスクを高めたかもしれない。しかし「大震災10年」を前後する被災地を「気の緩み」と一括りにできるだろうか。
不幸なことに2つの大きな「余震」が3・11を前後して発生した。2月13日深夜の地震は2011年春の余震以降、最大級の揺れだった。「震災10年」を目前にした強い揺れは被災者をはじめ、県民の感情を揺さぶっただろう。「家族の死に目にも会えない」というコロナの不条理を、あの地震・津波・原子力被災に重ねた人たちもいただろう。被災地の心情に対して、政治や行政がどのように接するかが問われていたのではないか。政権の「被災者、被災地に寄り添う」という言葉はすでに惰性にすぎない。地元の政治、行政はそうであってはならない。
(U・J記)
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