ボリビア
左派政権の崩壊
パブロ・ソロン(元ボリビア国連大使)
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解説
民衆が強権支配を拒否した
社会運動と左派政権の成果を
右派の攻撃から防衛しよう!
ボリビアで一〇月二〇日に大統領選挙の第一回投票が実施され、四選を目指したエボ・モラレスが四七%余の得票で当選した(同二五日の選管発表)。しかし、第一位の候補の得票率が五〇%未満の場合は第二位との得票率の差が一〇%以上でなければ第二回投票を実施するという規定があり、第二位の野党候補カルロス・メサの得票率が三六・五%だったことから、辛うじてこの基準を満たしたことになる。野党は開票の不正を主張し、反政府デモを呼びかけた。モラレスと与党MAS(社会主義運動)はこれに対抗して政権支持のデモを呼びかけ、また、反政府デモに対して軍・警察を動員した。
各地で暴力的衝突や破壊活動が拡大する中、警察官がデモの弾圧のための出動を拒否、軍がモラレス大統領に辞任を勧告する中で、一一月一〇日、モラレス大統領は辞任を表明、MASの有力者たちも辞職した。同一二日、ヘアニネ・アニェス上院副議長が暫定大統領への就任を宣言、モラレス前大統領はメキシコへ亡命した。その後も両派のデモは続いており、MASの支持者への報復や極右勢力による先住民族への攻撃が広がっている。
今回の政変に関して多くの左派活動家・知識人や連帯運動グループは、米国やOASによる介入や極右勢力や軍による計画的行動が見られることを根拠に、クーデターであると主張している。一九九〇年代後半以来の南米における反新自由主義の運動を背景に台頭した左派政権に対する米国や南米の反動勢力の執拗な敵意、ホンジュラス、ブラジルにおけるあからさまなクーデターや最近におけるベネズエラにおけるクーデターの企図を想起するなら、そのような主張は十分に根拠がある。
また、ブラジルのボルソナロ政権が左派政権の下で達成されてきた重要な成果を根こそぎにして、グローバル資本のために国内の一切の資源を収奪・破壊していることから類推して、ボリビアで権力を握った右派勢力がグローバル資本と結託して進めようとする政策が破滅的であることは十分に予想できる。ましてやエクアドルとボリビアの左派政権が当初、先住民族の価値観を受け入れて「自然の権利」、「ビビール・ビエン(良く生きる)」を憲法に明記し、気候危機への公正な取り組み、開発主義からの撤退を国際社会に訴えたことに応えることなく、気候危機への対処のための限られた期間を空費した「北」の「先進国」側の責任を抜きに南米の進歩的政権の崩壊を座視することは許されないことである。
しかし、今回の政変に到った危機を作り出してきた主要な要因を米国や極右勢力に求めるのは誤りである。また、反政府デモが米国や極右勢力に動員されたものだというのは荒唐無稽なファンタジーである。その点については別掲のパブロ・ソロンさんの声明を参照していただきたい。
ブラジルの労働党政権の崩壊、エクアドルのモレノ政権の親米・新自由主義路線への転換、ベネズエラのボリバル革命の強権的独裁体制への変質、そして今回のボリビアの政変によって一九九〇年代後半以来の南米における左派の台頭の一つのサイクルが終焉した。
この間に左派が主導する社会運動は国際的な左派の運動を牽引し、鼓舞し、この地域の帝国主義からの自立に寄与してきた。しかし、二〇一〇年前後をピークとして左派政権はそのようなダイナミズムを失ってきた。世界的な石油価格の下落と外国資本の流出、対外債務の増大の中で、ボリビアではモラレス政権が資源開発への依存、国内資本家との協調、社会運動や先住民族への弾圧を進め、かつての支持層の離反が進んだ。その結果が強権化であり、それに反発する抗議運動の拡大・持続であった。
遅きに失したとはいえモラレス大統領の辞任は賢明な選択だった。しかし、暫定政権の確立とその下での再選挙の道筋を示さず(その余裕がない状況に追い込まれ)、政権を投げ出すことによって、右派が権力の空白を利用することを許してしまっている。右派は米国の支援を得て、MASや社会運動、先住民運動への攻撃を強化するだろう。
われわれはモラレス政権の下での一連の進歩的政策の成果とMASや社会運動、先住民運動を防衛するために、現地の状況に即した効果的な国際的連帯運動に積極的に参加するべきである。
(小林秀史、一一月一六日)
ボリビア
左派政権の崩壊
何が起こった? クーデター?
パブロ・ソロン(元ボリビア国連大使)
1 エボ・モラレスは二〇二〇年一月二二日に非常に人気のある大統領として三期目の任期を終えることもできたし、四年後の二四年に再度立候補し勝利することさえできたかもしれない。強引に四選を目指さなかったならの話である。
しかし彼はボリビアの大統領として、@一六年に彼の再選を認める憲法改正が国民投票で否決されたことを承服せず、A一七年には憲法裁判所に、再選は一度だけとする憲法の条文の効力を停止させ、B一〇月二〇日に実施された選挙で、第二回投票を回避するため、および与党が議会の過半数の議席を確保するために不正を犯した。
2 政府は次のような重大な不正行為が判明しているにも関わらず選挙での勝利を宣言した。@選挙当日に開票速報が突然、不可解な状況で中止された、A開票速報を委託されていた会社が、中止の指示は最高選挙裁判所(TSE)の長官からだったこと、および電力とインターネット接続が切断されたため作業を継続できなくなったと言っている、B独立的アナリストおよびラパス大学管理者が種々の選挙法違反行為を明らかにしている、C選挙裁判所から選挙の監督を委嘱された会社が選挙のプロセスはいくつかの理由のために不正であり無効であると宣言している、Dエボ・モラレスの政府によって要求され、米州機構(OAS)によって実施された選挙監査の報告書は、「現在の選挙の結果を検証できなかった」と結論付けている。
3 政府は選挙の不正によって引き起こされた怒りを無視しようとした。当初エボ・モラレスは抗議運動がカネや学校の成績で買収された一握りの若者たちによるもので、この若者たちは道路封鎖の方法も知らなかったと言っていた(彼は若者たちに道路封鎖の方法を伝授しようとさえ提案した)。その後、ストライキがすべての都市に広がる中で、彼は脅迫の戦術に訴え、彼の支持者たちが都市を包囲することにゴーサインを出し、「抗議運動が持続可能かどうか」を見ようとした。対立と暴力は多くの死と数百人の負傷をもたらした。都市での道路封鎖とストライキは鎮静化するどころか、運動はますます激しくなった。
4 政府は抗議運動をファシストと人種差別主義者によるクーデターとして扱った。反動的な右翼勢力が抗議運動を祝福していることは事実である。サンタクルスの市民委員会の主要なリーダーであるルイス・フェルナンド・カマチョは極右組織「クルセニョ・ユース連合」に属している。しかし、他の都市では抗議行動は独立的なグループによって異なる形で展開されており、右派と左派の両方の政治家が主導している。ポトシでは選挙以前から反政府運動が急進化していた。これは政府がウユニ塩湖での水酸化リチウム(蓄電池などの用途に使われる)の生産に関して七〇年契約(採掘権料なし)を締結したことが発端となった。ラパスの場合、民主主義防衛全国委員会の主要なリーダーの中に、エボ・モラレス政府の下でオンブズマンとして活動し、一一年のTIPNISにおける先住民族[居住地を分断する道路建設に反対していた]に対する弾圧などの人権侵害を非難した二人が含まれている。一方、選挙でエボ・モラレスと争ったカルロス・メサは新自由主義政策を進めたサンチェス・デ・ロサダ政権で副大統領を務めたが、自身の組織的な基盤を持たず、選挙のために反政府派に担ぎ出され、そのまま抗議運動の主要なリーダーの一人となった。ボリビアで今起こっている反乱は主に権力の濫用に反対する自然発生的な行動であり、特に若者たちが先頭に立っている。
5 政府側にも反政府側にも先住民族と労働者がいることをはっきりと認識することが重要である。政府は明らかに農村部ではより多くの支持を得ているが、反政府派にもユンガス地方のコカ生産者や、農民リーダー、鉱山労働者、医療労働者、教育労働者が参加しており、特に中流階級出身の学生も労働者階級出身の学生も含まれている。これまでの紛争の時とは逆に、人種差別を煽ったのは政府の側であり(「抗議運動は政府を支持している農村の先住民族の票を奪おうとしている」と非難した)、抗争の中では双方の側から人種差別的な攻撃が行われた。アイマラとケチュアの人々の旗であるウィファラを燃やすという行為は絶対に許されない。しかしソーシャル・メディアでは抗議運動に参加している多くのグループもそのような行為を非難し、ウィファラを擁護している。
6 警察は当初、封鎖を攻撃していた政府支持派のグループを防御した。最も象徴的な事件はコチャバンバで起こった。ここでは若者たちがMASの支持者および警察と激しく衝突した。エボ・モラレスの政府は抗争が続いている間、警察の支援を確保するために三〇〇〇ボリビアーノ(431米ドル)の「報奨金」を与えた。数日にわたって住民との衝突を繰り返した後、警察は反乱を起こした。これは警察の最高指揮官が下した決定ではなく、現場警察官による決定だった。政府は警察と交渉を試み、現場警察官から最も強く非難された一部の指揮官を交替させたが、反乱は駐屯地の大半の警察官に拡大した。警察は若者の抗議行動の弾圧をやめ、それによって力関係が変わった。
7 デモの全期間にわたって現認されているように、軍の最高司令官たちはエボ・モラレスの側に立っていた。ボリビアで軍は給与の一〇〇%に相当する年金を受け取ることができる唯一の公共部門である。モラレス政権の下で軍人たちは多くの便宜を受け取り、国営企業や大使館への転職もできた。しかし、軍司令部の政治的計算では、街頭デモの鎮圧に出動することは高いリスクがあった。前政権の下での〇三年一〇月の虐殺の時のように、後で訴追を受けたり投獄される可能性がある。そのため軍は反政府デモの弾圧のためには出動しないことを決め、OASからの監査報告を聞いた後、エボ・モラレスに辞任するよう「提案」した。軍は権力を奪うことを意図したのではなく、自らの利益と組織を守ろうとした。
8 全国の多くの都市の現在の状況は極度の緊張、暴力、破壊行為によって特徴づけられる。政府や野党関係者の多くの建物が襲撃され、放火されている。テレビのスタジオや放送塔も攻撃を受けた。一一月一〇日夜には破壊者のグループと一部のMAS支持者がさまざまな都市のさまざまな地域を攻撃した。地域の住民たちは事業所、工場、薬局、公共交通機関に影響を与える攻撃や略奪から地域を守るために自らを組織している。
9 エボ・モラレスは口頭で辞任を表明しただけであり、まだ議会に辞職届を提出していない。TSEの長官と審査官は逃亡しようとした時に警察に拘束された。一般的に言えば、権力の空白の状況を制度的手段によって、議会を通じて解決しようとする傾向がある。しかし、そのためにはMASが3分の2以上を支配している議会がエボ・モラレスの辞任を受け入れ、可能な限り短い期間で新しい選挙を実施する暫定大統領を選出する必要があるため、この戦略は容易ではない。MASの議員たちが制度的手段による危機の解決の道を円滑にしなければ、政治的空白が一層の破壊行為、暴力そして報復の拡大をもたらし、極度に危険な状況を生み出す可能性がある。
ボリビア
クーデターを拒否する
2019年11月11日
社会主義と自由党(PSOL)執行委員会
この日曜日(一一月一〇日)は、南米史上もっとも暗い日の一つとして記録されるだろう。何週間かの制度的な不安定化を経て、事業家諸グループ、地主たち、そしてボリビア軍部は、エボ・モラレス大統領とガルシア・リネラ副大統領をその座から除くことに成功した。これは、反動的な特質と強いレイシズム的構成要素をもったクーデターだ。たとえばそれは、先住民諸組織本部に対する継続的攻撃、さらに民衆主権を支持する活動家に対する極右の暴力、に示されている。
数時間前エボ・モラレスは、OAS(米州機構)の勧告を受け入れていた。そして選挙最高裁内で権限をもつ新たなメンバーを含めて、新たな総選挙実施を発表し、この政治的な危機に対する平和的な解決を見つけ出す意志を表した。しかしながらこれは、非先住民人口が圧倒的な地域を合わせた一地域、「メディア・ルナ」を本拠とする寡頭支配層のクーデターを押し戻すには不十分だった。
ボリビアのさまざまな民族性をもつ住民の願いに対して何らかの敬意や思いやりを一度として示すことのなかったエリートたちは、主流メディアからの政府に対する悪名轟く圧力を使ってクーデターを加速した。警察の反乱、および国軍司令官が行った「辞任の示唆」がクーデターの最終的勝利にとって決定的だった。
留意されなければならないことは、ボリビアの民主的秩序におけるこの断絶が、ラテンアメリカにおける政治的不安定化の加速を背景に起きている、ということだ。われわれは現在、たとえばチリ、エクアドルまたハイチで起きているように、保守的かつ反民衆的な政権に反対する大規模な民衆的反乱を目撃中なのだ。さらにたとえばアルゼンチンのマウリシオ・マクリ、あるいはコロンビアのイバン・ドゥケのように、新自由主義の諸構想が再び投票箱で罰を受け続けている。
したがって、ボリビアの右翼と極右がMAS運動(社会主義のための運動、モラレスが率いる先住民を主体とする政治勢力:訳者)の政府を妨げるために自らを組織してきたのは(エル・ペリオディコ〈バルセロナに拠点を置く日刊紙:訳者〉により公表された音声が暴露したように、おそらくボルソナロ政府の工作員の助けを受け)、まったく偶然ではない。ちなみにMAS政権の起源は、この一〇年のはじめにおける先住民と民衆の蜂起に遡る。
この情勢の中でPSOLは、ボリビアのクーデターを激しく拒絶している諸々の国際組織に加わる。われわれは、ボリビア民衆の抵抗の決起をあらゆるエネルギーをもって支援する。さらにわれわれは、二〇〇六年の憲法制定会議が生み出した多民族体制を守ろうとしている社会運動、労組組織、さらにMASの活動家に対する迫害を糾弾するために、われわれの自由になるあらゆる手段を使うだろう。
ボリビアの反動的かつレイシズムのクーデター打倒!ボリビア民衆の抵抗に対する全面的な支援を!
諸部隊は兵舎に戻れ!
二〇一九年一一月一一日、社会主義と自由党(PSOL)執行委員会
▼PSOLは、ルラ政権への参加を拒否しブラジルPTを離れた諸潮流によって形成された。ブラジルの第四インターナショナルメンバーはPSOLメンバー。(「インターナショナルビューポイント」二〇一九年一一月号)
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