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    かけはし2019年11月25日号

現地とのつながりを広げよう


11.8〜10

アジア連帯講座・沖縄ツアー

反基地運動の歴史と現在を知る

伊江島・石垣島の闘いから


天皇警備に沖縄県警も

 一一月八日〜一〇日、二泊三日で、沖縄ツアーに出かけた。沖縄の警察機動隊も天皇即位祝賀パレード警備に動員され、辺野古などでの弾圧ができないということで、埋め立て土砂の搬入・投入がストップした。そうしたこともあり、今回のツアーは沖縄戦の激戦地であり、三分の二の土地が米軍に強制収用された伊江島と自衛隊ミサイル基地建設が始められている石垣島での反対運動についての報告を石垣島在住の仲間に聞くことを目的にした。
沖縄はまだ気温二〇度を超し、セミが鳴く「夏」に近い気候であった。東京との温度差は一〇度。名護のクッションの家に宿泊し、九日朝、安和と塩川の土砂積み出し港に向かった。安和では運搬船が二隻停泊していたが案内役のOさんによると、辺野古向けではなく、離島に向かうのだという。海の反対側には琉球セメントがあり、その後ろには山肌が削られた赤土がむき出しの山が悲鳴をあげているようにそびえたつ。赤土混じりの土砂は使わないことになっているのにそんなことはおかまいなし。ゲートにはたくさんの警備員が配置されていて車の出入りをチェックしていた。

伊江島の闘いを学ぶ

 次に本部港から九キロメートル離れた伊江島に向かう大型フェリーに乗り、三〇分で着いた。伊江島は真ん中に城山というポコッと出っ張った山があるのみで全体は平たんな島である。落花生、タバコ、菊、サトウキビ、伊江島牛など農業が盛んだ。
最初に、米軍土地収用に反対し乞食行進を組織したことで有名な阿波根昌鴻さんの反戦平和資料館を訪れた。資料館の前の壁に次のような言葉が書かれていた。
「平和とは人間の生命を尊ぶことです。この家には人間の生命を虫けらのように粗末にした戦争の数々の遺品と二度と再び人間の生命が粗末にされない為に生命を大切にした人々また生命の尊さを求めてやまない人々の願いが展示してあります」(ヌチドゥタカラの家 反戦平和資料館)。
資料館の中には、米軍が落とした一トン爆弾や機銃の薬きょうなどあらゆる武器の残骸が山ほど積まれている。そして、当時の布団や衣類など生活用品が展示されていた。そして米軍による土地取り上げに抗議した乞食行進や抵抗の写真。全国から送られた檄布。驚いたのは朝鮮戦争が休戦になった後に、米軍は本格的に沖縄を核基地として整備・拡充したこと。核戦争のために模擬弾投下とパラシュート訓練を行っていた。ベトナム戦争が激しくなる一九六四年には、ベトナムサイゴン政府軍の少年兵の訓練まで行っていた。
伊江島では沖縄戦で死者四三〇〇人が出た。そのうち住民一五〇〇人、米兵八〇〇人という激戦地だ。米軍は島の三分の二を基地用地として強制収用していった。
展示写真の説明がある。「餓死者が出るところまで追いつめられた農民はふたたび演習地内で耕作を始めた。米軍は畑にガソリンをまいて放火。三日間燃え続け、さつまいも、らっかせい、砂糖きび、防風林、山林など焼かれた」。
「生きていくために演習内で実力耕作開始。米軍は自分の畑で仕事をしていた八〇人の農民を逮捕・暴行を加え、三二人を連行した」(1955年)。
「米軍の不発弾解体中に焼死した二人。演習地の外で草刈りしていた平安山さんが射殺された」。
それに対して、阿波根昌鴻さんらは一九五五年〜五六年に沖縄本島に渡り、米軍の土地強制収用により、餓死者が出るような悲惨な実態を乞食行進(非暴力抵抗闘争)で訴えた。それまで、伊江島の状況を知らなかった沖縄の人々は衝撃を受けたという。
伊江島の人々の闘いによって、今ではようやく米軍基地は三分の一に減らされている。島のど真ん中にあった米軍の滑走路は返還された。旧滑走路はまだ別に使用されることなく放置されていた。その近くの団結道場(1967年に起工し、1970年に完成)には「米軍に告ぐ 土地を返せここは私たちの国 私たちの村 私たちの土地だ」(伊江島土地を守る会)と大きな看板が掲げられていた。戦前に建てられた公益質屋は砲撃によって穴だらけだが、戦争の歴史的遺産として残されていた。米軍の捕虜になることを恐れ、爆雷により自爆。村民一五〇人の命が失われたアハシャガマ、戦争中防空壕として使われ千人壕とも言われるニャティヤガマも訪れた。石灰岩で出来ている伊江島では水の確保が重大だ。海岸にあるワージー(湧き水)に行った。米軍はここにポンプを据えて水を供給した。住民たちは手で組んで運んだと言う。透き通るような海水と波が押し寄せる風景はすばらしかった。

石垣島の反基地運動

 夕方宿舎に戻り、石垣島で自衛隊陸自ミサイル基地建設反対運動を行っているAさんに話を聞いた。

 島の中央部、於茂登前岳の麓の農村地帯に自衛隊の駐屯地を建設しようとしている。この駐屯地に対艦・対空ミサイル部隊、警備部隊の合わせて、約六〇〇人を配置するとしている。弾薬庫なども作ろうとしている。弾薬庫は地区の居住地から数百メートルしか離れていない。とても危険だ。このミサイル部隊は移動式で、もし戦争になり、「敵」からミサイルをぶち込まれたら、結局は島の住民が被害を受けることになる。自衛隊基地なんかとんでもない。作らせてはならない。
二月二七日、住民説明会をやったが二八日には資材搬入した。三月一日工事開始、抗議集会を行った。その後、三月二八日自衛隊の警備隊が作られた。自衛隊基地用地は四六haあり、市有地が二三ha、幸福の科学所有のゴルフ場の土地を国が買った。残り一〇haが民有地。市議会は反対派八議席、賛成派・自民九、公明二、幸福実現党一となっている。石垣島に軍用基地をつくらせない市民連絡会は二〇人ぐらいで監視行動を行っている。四〇の公民館があるが、基地の近くの四つの公民館は反対決議をあげている。
人工の池や谷を埋めて土地の平たん化のための造成工事を行っている。一日、一二〇台ぐらいのダンプが入っている。工事はゴルフ場買収地で始まったばかりだ。今後弾薬庫やヘリポートを作る。オスプレイも飛ぶだろう。
この自衛隊建設をめぐって、住民投票で決めようと若者たちが呼びかけて署名を集めた。住民の四割にあたる一万四二六三筆集まり、議会で審議された。すると賛否が同数になり、公明党の議長が否決にまわり否決された。これは島民の声を無視し、民主主義を否定するもので許せない。住民投票を進める議員たちが議員提出で条例をつくろうと議会で動いたが市議会で否決された。
観光ブームで建設ラッシュが続いているが本土の資本が利益を持っていってしまい島の産業が発展していない。過疎化問題、酪農・農業問題など、島が抱えている問題をどう解決していくのか。自衛隊基地建設によっては島の問題は解決しない。
石垣での自衛隊基地反対運動は辺野古のような島ぐるみ闘争になっていない。工事がどう進められているのか、反対行動はどう行われているのか、そうした情報を発信して、注目されることが重要だ。辺野古基地反対の闘いとつながりをもっと作り出さなければならない。闘いに注目し、支援をよろしく。

サンゴ礁を守る


翌一〇日、辺野古港の監視テント村に立ち寄った。座り込み五六八三日。代表の方が辺野古埋め立て方向を指さし、「何のためにそうしているのか分からないが埋め立てた上にテトラポットを置いている。ムダなカネをわざと使っているようなものだ」と説明してくれた。港とキャンプ・シュワブ基地を隔てる有刺鉄線と防波堤の上には民間の警備員がいた。以前訪れた時のように、たくさんの基地建設の抗議の横断幕ははがされていた。有刺鉄線の先には埋め立てが進む辺野古基地建設予定地が見えた。
この後、大浦湾の漁港からグラスボートに乗り貴重なサンゴ礁を見た。四〇代くらいだろうか、船長の西原さんが説明してくれた。西原さんはサンゴ礁や海の生物に興味があり、そうした生物の保護のために活動していたから、基地建設によってその貴重な自然・生物が絶滅させられるということで、基地建設も反対するようになったと説明してくれた。このグラスボートは四年前に辺野古基金で船を改造して作ったという。
「穏やかな冬の海が一番いい。大浦湾は周囲一〇q。五〇〇〇数種類の生物がいて多様性があり貴重な海だ。今でも新種が見つかる。日本にいる千種類の魚のうち、四分の一が棲息していて、世界にも類がない。基地建設によって、大浦湾の海を壊してはならない」。
港を出て、サンゴ礁の群集している姿を船底のガラスを通して見ることができた。イソギンチャクや色とりどりの魚たち。
辺野古側には漁船を借り上げた監視船が浮いている。三〇隻あまりが二四時間交代。一日一隻五万円。ここでもムダな税金が使われている。

人びとのつながり


今回の沖縄ツアーで感じたこと。それは人のつながりの強さだ。「辺野古の家」を運営している稲葉さんと戦跡ガイドのOさん、東京東部の労組活動家だった平和船団団長、辺野古監視テント村の代表、グラスボートの西原さん、カヌー隊のTさん。
かつて三里塚空港反対闘争に全国から援農に入り、現闘団になって闘った仲間たちは、反対同盟農民と家族の一員のような関係をつくりあげ、激烈な闘争を闘いぬいた。
今、沖縄で活動している多くの人たちは自立した活動の延長線上で沖縄の闘いに参加している。沖縄の地元の人たち、そしてヤマトから参加した人たちの強い仲間としての信頼感を感じた。さあ、沖縄に行こう。闘いが待っている。(滝)

11.5

辺野古実が防衛省抗議行動

山城博治さんが電話で訴え

持続的かつ集中的な行動を

 一一月五日、辺野古への新基地建設を許さない実行委(辺野古実)は、午後六時半から防衛省正門で抗議・要請行動を行った。第一月曜日が定例の防衛省前行動日だが、一一月は第一月曜日の四日が振替休日となったため、火曜日の行動となった。右翼が「防衛省への感謝」と反対運動への罵声を浴びせる中での行動は一一月二日の辺野古現地での県民総行動が一〇〇〇人の結集で成功したことの報告から始まった。さらに第三木曜日には五〇〇人の座り込み行動を行う、という方針も紹介された。
 さらに岩国でも米軍による暴行事件、米軍機パイロットによる規律違反(飛行中の読書など)が起きたことが紹介され、占領者然とした米軍の違法行為、傍若無人さに住民の怒りが高まっていることが訴えられた。そしてそれは決して米軍だけの問題ではなく日本政府もまた共犯者であることが明らかにされた。
 沖縄現地から電話でアピールした山城博治さん(平和運動センター)は「沖縄でも岩国でも米軍人の占領者然とした振る舞いと違法行為は共通している。この間、米軍機からの落下物事故が続出しており、米兵の傍若無人な行為に対して何も言えない、聞こうともしない日本政府を厳しく批判した。山城さんはさらに宮古島への弾薬庫建設、先島への自衛隊配備強化をやめさせようと訴えた。

ヤマサクラ 
に抗議しよう
抗議行動に参加した仲間たちから発言が続く。沖縄とむすぶ八王子の会の発言に続き、練馬の仲間は、一二月に行われる「ヤマサクラ77」(日米共同方面隊指揮所演習)を批判した。この演習には沖縄から米海兵隊も動員されて朝霞駐屯地内で作戦訓練が行われる。一一月三〇日には午後二時から、東武東上線朝霞駅南口ロータリーで抗議の集会とデモが呼びかけられている。
日本山妙法寺からは中東への自衛隊派兵に反対しようとの呼びかけが行われた。さらに一坪反戦地主会関東ブロックの仲間からも大浦湾の埋め立て中止を求める呼びかけが行われた。止めよう辺野古埋め立て・国会包囲行動実行委員会からも、安和桟橋での二月二五日から二九日までの五日間集中行動の呼びかけが行われた。まさに持続的であるとともに全力を集中した闘いが必要になっている。
辺野古の闘いを全国の力で勝利させよう。  (K)


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