10.31
狭山事件の再審求める市民集会
不当有罪判決から45年
鑑定人質問・再審開始を
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誤った裁判を
ただすべきだ
一〇月三一日午後一時から、東京・日比谷野外音楽堂で「不当有罪判決から45年!東京高裁は鑑定人尋問・再審開始を!」狭山事件の再審を求める市民集会が同市民集会実行委の主催で開かれ、全国から部落解放同盟員や支援の市民・労組員らが集まった。
うじきつよしさん(ミュージシャン)の歌で集会のプレイベントが行われ、その後本会議が始まった。組坂繁之さん(部落解放同盟中央本部委員長)が開会あいさつを行い、続いて参加した国民民主党、立憲民主党、社民党、新党大地の国会議員たちが連帯のあいさつを述べた。
次に、再審請求人の石川一雄さんが「無実の獲得のために忍耐強く闘う」と決意表明をした。連れ合いの早智子さんが「五六年無知だったゆえにえん罪に陥れられた。石川は文字を覚え、真実を伝えたいと学んだ。夜間中学に行きたいという夢は今も持っている。一刻も早く証人尋問を行わせたい」と話した。
弁護団を代表して中北龍太郎さん(狭山弁護団事務局長)が「一九一点の証拠開示をさせ、有罪がくつがえっている。鑑定人尋問をさせる段階に入ろうとしている」と報告した。そして、壬生隆明さん(福岡県直方市前市長、元検事)が今回狭山弁護団に参加した理由を「誤った裁判をただすことはとても大切なことであり、それが正しい道だ。石川さんはまぎれもなく無実だ。これが実現できなければ日本の司法に希望はない」と話し、大きな拍手を受けた。
検察は追いこ
まれている!
片山明幸さん(部落解放同盟副委員長)が基調報告を行った。
「後藤まり子裁判長が来年の六月退官になる。できるだけ早く決着をつけたい。万年筆が偽物とする下山第二鑑定人の尋問を実現したい。それに対して、検察は昨年の八月に反論をしたいと言い、一二月には実験を準備していると表明した。しかし、今年の四月になっても準備ができていないとし、七月には検討中と言い、現時点でも反証していない。検察は追い込まれている。最後の決戦の時期にきている。がんばろう」。
続いて、袴田秀子さん(袴田巌さんの姉)、山崎俊樹さん(袴田さんを救援する清水・静岡市民の会)、菅家利和さん(足利事件えん罪被害者)、桜井昌司さん(布川事件えん罪被害者)がそれぞれ連帯のアピール、石坂啓さん(漫画家)、鎌田慧さん(狭山事件の再審を求める市民の会事務局長)のアピールが行われた。集会アピールの採択の後、銀座を通り常盤橋公園まで「狭山再審実現、石川さんは無実だ」と訴え、デモ行進を行った。 (M)
9.20
「獄友」たちが思いを語る
警察を絶対に許さない!
狭山再審求め、荒川で集会
【東京東部】九月二〇日、東京・荒川区のサンパール荒川で「「狭山差別裁判の再審を勝ち取ろう!9・20東京集会」が開催され、約一〇〇人の人々が集まった。部落解放荒川区民共闘会議が主催した。
この日の集会は、「私たちはこうして『犯人』にされた」と題して、再審請求中の石川一雄さん夫妻のほか、桜井昌司さん(布川事件)、菅家利和さん(足利事件)を招いた。二つの会議室を一つに合わせた会場は満員になった。
地域で情宣を
つづけてきた
主催者を代表して坂本繁夫共闘会議議長があいさつに立った。
昨年の映画「獄友」の上映会には一六〇人以上が集まり大盛況だった。今日は映画に登場した本人が来てくれた。警察は犯人を捕まえ刑に処することが最大の目的。それで石川さんを逮捕し犯人に仕立て上げた。しかし弁護団をはじめとする闘いのなかで、確定判決を突き崩す証拠が次々と出てきた。
とにかく世論を盛り上げなきゃいけない。解放共闘はこのかん街頭情宣や新聞折込み、ポスティングを続けてきた。石川さんの見えない手錠をはずすために、周りの人に訴えていただきたい。よろしくお願いします。坂本さんはこう訴えた。
司会の高羽圭子さんが、集会の進行をインタビュー形式で行なうと紹介した。質問役は解放同盟荒川支部の小野崎佳代さんが務めた。
小野崎さんは、「世間一般には、やってない人がどうして自白をするのか、という素朴な疑問があります。どうして自白に追い込まれていくのか。まずその点について話してください」と切り出した。
桜井昌司さん
の発言から
私の事件は五二年前に起きた。警察が悪いことをするとは誰も知らない時代。社会の正義を守るために存在している組織だと。彼らは自分らが怪しいとにらんだら、一〇〇%犯人だと確信する。菅家さんも私もそうだ。杉山さん(故人)も素行が悪かった。菅家さんも一人暮らしで怪しい奴だと思われた。
警察の留置所は特殊な空間だ。自殺防止でベルトは取り上げられる、全裸にされる。時計はない。テレビもニュースもない。その中で朝から晩まで「犯人はお前だ、お前だ」と言われ続ければ、どこかで折れてしまう。朝から晩まで痛めつけられる。責め続けられればだれでも折れてしまう。私は五日目で折れた。
石川さんは一カ月も粘った。つまりあの特殊な空間を想像できるかどうかだ。石川さんの場合は部落が利用された。そして私も杉山も不良でした。それくらいしか言いようがない。
菅家和利さん
の発言から
私の場合は、何の根拠もなくいきなり犯人にされた。九〇年五月一二日に事件があった。四歳の子供が渡良瀬川で誘拐された。私はその日午後、一人でスーパーに行った。空にヘリが飛んでいた。何だろうなと思っていた。翌日の新聞に事件が出ていた。
警察を絶対に許さない
そして半年後ですかね。交番のおまわりが一人で私のところに来た。彼は「押し入れの中に何があるか調べさせてくれ」と言った。私は「どうぞ」と言った。
布団から掃除機から全部出された。その日は三〇分ぐらいで帰った。それから一年間尾行されたが、私は気がつかなかった。
九一年一二月一日の朝。六人の刑事が来てドンドンと戸を叩いた。「お前、子どもを殺したな、証拠があるんだ」と言った。DNA鑑定など、当時は私も刑事も知らなかった。任意同行とか強制とか私は知らなかった。そして警察署に連れて行かれた。
HとYという刑事が取調室に入ってきた。「お前が犯人だコラァ、お前しかいないんだ」と。当時の私は無口と言うか、何を言われても返答ができない。ああいう所に行ったら何も言えなくなっちゃう。本当に頭にきた。夜遅くなって「私がやりました」と「自白」してしまった。
その前にも事件があった。四歳とか五歳の被害者ですよ。それも私が犯人とされた。その件では不起訴になったが、もしそうでなかったら私はおそらく死刑ですよ。今頃私はこの世にいない。冗談じゃない。
だからあの二人の刑事を今でも許す気はない。HとYよ謝れ、出て来いと。新聞の人に言いましたよ。
あの二人は宇都宮で警察官を辞めましたけど、辞めても関係ない。謝るまで許さない。二八年経ってるけど、今でも許す気持ちはまったくない。検察も許さない。私はそう思っています。
石川一雄さん
兄ちゃんを
かばうために
私の場合は別件で二回逮捕されている。狭山事件に限って言うと、私が逮捕される少し前に地区外の人が、「三人でいるところを見た」と言ったらしい。私は毎日のように「お前たちがやったんだと」言われた。
警察で「お兄さんはどうだった」と聞かれた。兄は当日夜遅く帰ってきたので、てっきり兄ちゃんが犯人だと思った。桜井さんが言った通り、犯人だと疑われたら逃れられない。警察は私が自白しなければ兄貴を逮捕しようと思ったんじゃないでしょうか。
嘘発見器に二回かけられた。一回目は出なかったが二回目は出た。私がやったと言えば、兄さんを逮捕しない上に「一〇年で出してやる」と言われた。「本当に兄貴を逮捕しないか」、「しない」と。あとは警察官の言いなりに調書は作られていきました。
高裁になって私が無実を訴えるきっかけになったのは、兄ちゃんが面会に来たこと。兄貴は「事件当日は集金で遅くなった」と言った。それじゃ無実を訴えようと転換した。
3人の「獄友」
たちに聞く
進行役の小野崎さんは、「厳しい獄中の闘いを支えたものは何ですか」と三人に聞いた。
桜井昌司さん
完全なアリバ
イがあった
私も杉山もワルかった。事件の日は二人とも中野区野方の兄のアパートで一緒だった。偶然にです。
当時竜ヶ崎市で、地元の暴力団・松葉会とテキヤの乱闘事件があった。杉山がケンカを売って乱闘になった。それから逃げるために私の兄のアパートにいた。もしわれわれ二人が利根町で事件を起こしたとしたら、一一時四五分以後にしか野方に着かないことになる。犯人じゃないことを、二人が一番よくわかっていた。無実を知っている二人が犯人にされた。それが大きい。何があっても自分たちの犯行ではないと。
そういう私たちを信じて、東京高裁から支援してくれた「国民救援会」という組織の存在が大きかった。いつも人を殴って金を取る杉山さん。黙って金を取る桜井さん。こんな人を応援しても何の得もないじゃないですか。ところが、「あなたたちの真実が大事なんですよ」という人に出会うと、ああ、こういう人たちがいるんだと考えさせられた。
いろんな冤罪被害者と知り合うと、いつでもどこでも証拠を捏造する警察がいて、それを平然と採用する司法試験に合格した検察官がいて。本来だったら、石川さんの家に行ってあの顔を見たらわかるだろうよ。こんな社会とは何か。「これが正しい」と平然と言う社会への怒りだ。許せない。間違っていることに声を上げること。杉山がいたこともそうだし、世の中の矛盾が私の闘う力になったんです。
菅家和利さん
傍聴席の刑事
怯えた私
私は殴られましてね、刑務所で。いろんなところをね。急所がありますよね、あそこも蹴っ飛ばされました。半分は死んでますよね。気を失って起き上がれなかった。
裁判が始まって一年間苦しんだんですよ。誰も支援者がいないんです。ところが求刑あたりですか、地元の西松さんというかたが手紙をくれたんです。どうしても会ってほしいと。もしやっていないんなら正直に言ってくださいと。
私は「やってない」とはっきり言った。それからずっと支援していただいて、二審から新しい弁護士についてもらって、それでDNA鑑定が始まったわけです。その人のおかげです。
六回目の公判ぐらいまで自白を維持していました。傍聴席に刑事がいるような気がしたからです。それでずっと自白を維持してた。でも六回あたりから刑事がいないような気がして、それで「自分はやってません」と裁判官に言ったんですよ。
石川一雄さんの発言
大量の文具が
差し入れられた
私の場合は、字を教えてくれたのは確かに看守さんだったのですが、むしろ看守さんの奥さんの方が支援に積極的だったと後に聞きました。
私が読み書きの勉強をする際に必要なボールペンとか切手とか。千葉刑にいた一〇年間、欠かさず大量に差し入れてくれたのは、看守さんの奥さんだった。だけど、それを明かすと石川さんの負担になるだろうから、絶対に言わないでくれと口止めをしていたらしい。
刑務所では物々交換なんです。五日に一回とか一週間に一回とか、インキがなくなるとすぐに入ってくるんですよ。私も「おかしいな」と思っていたが、勉強第一で、あまり気がまわらなかった。
千葉刑で一番うれしかったことは、部落の小中学生が私に激励の手紙を送ってくれたことです。部落は全国にあるから、時には一〇〇から二〇〇通が一度に来ることがある。部落の兄弟姉妹を思うとき、「自分は部落民でよかったなぁ」と思う。
関係者は刑
務所に入れ
桜井さんの発言
「最後の質問です。今の生活で、どんなことが楽しみですか。桜井さんは国賠訴訟に勝利されたんですよね」と、小野崎さんが問いかけた。
今でも検察庁と法務省は、桜井と杉山が犯人だと公言してますね。じゃあ、今でも隠している証拠を見せてもらおうじゃないか。私たちが無罪である証拠はあります。それを出させようと思って裁判をしたんですけど、だめですね、日本の法制度は。検察官が私物のように証拠を握って出さない。
でも勝ちました。布川弁護団は優秀でした。「裁判所は敵じゃない。説得すべき相手だ」といって何でもやりました。石川弁護団と同じように。
布川事件では、誰かが玉村さんという人(被害者=玉村象天・たまむらしょうてんさん)を殺したために、私の人生が曲がりました。犯罪は誰かの人生を曲げるから、歪めるから許されない。その犯罪を取り締まる警察官が、人の人生を曲げてどうするのか。そう思いませんか、みなさん。
布川事件に関わって冤罪に加担した人は、二〇数年刑務所に入ってください。今なお怒っている菅家さんの心を癒してください。私はそういう法律を作りたいんです。そのために「えん罪犠牲者の会」を作りました。間違ったことが許されるような職業はあってはならない。簡単な話だ。
これから何年生きるかわからないけど、今でも勝てない冤罪の仲間たちのために力になろうと思っています。今日は歌を歌おうと思ってきました。でも隣の部屋で集会やってるからダメだと(会場笑)。今日はありがとうございました。
警察をぶっとば
してやりたい
菅家さん
最近の様子と言われても、みなさんと同じような生活ですよね。なにも変わったところはない。ただ、こういう集会があるときは出ていきます。
自分の趣味はカラオケ。それと模型を作ること。日本のお城です。姫路城、名古屋城、今二〇個くらい作っています。部屋は狭いんですけど、どうにか置いてあります。これが好きなんですよ、事件当時も作っていました。でもおまわりが持って行っちゃった、証拠として。
ふざけてますね。ぶっ飛ばしてやりたいですよ。夢ですか。お嫁さん? 半分はあきらめて、半分は望みがあります。
石川一雄さん
の発言から
今の裁判長は来年の六月に退官されるということで、再審決定にはならないんじゃないかと思います。ただひとつ言えることは、検察は下山第二鑑定について反論をすると言っているが、それを半年以上経っても出さない。おそらく検察が望んでいるような鑑定ができないのではないか。下山鑑定を否定するような鑑定は。だから引き延ばして現在に至っている。後藤裁判長もそれを分かっているから、事実調べをやりながら後任に引き継ぐのではないか。
今年一二月に三者協議が予定されていますので、その時に何らかの結論が出るのではないか。荒川の皆さんにもご迷惑かけるが、来年ももう一年、ご指導ご鞭撻を賜りたく、この場を借りてお願いしておきたいと思います。
ビール風呂
に入る夢
私は桜井さんや菅家さんと年代が同じと見られているんです。でも私は二人より年上なんです。だけど元気は人一倍。それこそ彼らに負けないほど元気です。健康でないと皆さんにご迷惑をかけるから、自分の体を鍛えていく。荒川支部の皆さんも健康で、来年もどうかご支援を賜りますよう、この場を借りてお願いいたします。
進行役の小野崎さんが問いかけた。
「石川さんは前に、無罪を勝ち取ったらケニアにいくという夢は変わっていませんか。それとビールの風呂に入るという夢は?」。
石川さんは、「皆さん方に支援をいただいていながら、無罪になった途端にケニアに行けば、あまりにも虫がよすぎるのではないか。だからそれは、訂正しなければいけないかなと」。
参加者との質疑応答の後、石川佐智子さんが発言した。早智子さんは、新聞に意見広告を掲載した経緯を説明した。
「事件発生から五六年、石川は多くのものを奪われてきた。奪われつくされてきた。桜井さんも菅谷さんもそうですけど、青春時代を刑務所で過ごした。そういう人生だった。でも文字を取り戻し多くのことを知り学んだ。そして心豊かになった。決して無駄な時間ではなかった」。
裁判所を包囲
する大きな力
「桜井さん先ほど言いましたね、『裁判官は説得すべき相手だ』と。裁判官も人間ですからね。間違いもする。しかし裁判官が正しい判断をすることが一番大事だ」。
「敵は追い詰められている。石川の年齢を考えても今こそ大事な、最終的な最大のチャンスだ。この集会を皆さんの大きな力で、裁判所を包囲するような大きな力でやり遂げたい」。佐智子さんは力を込めて発言を締めくくった。
解放同盟荒川支部書記長の小野崎篤さんがマイクを握った。
「寺尾判決から四五年だ。あの時、あの場所に私もいた。みなさんもいましたよね。四五年間何をしてきたか。いろんな人が狭山と関わってきたが、なぜみんなが取り組んだのか。冤罪に対する怒り、部落差別に対する怒り。僕は最初に狭山に出会った時の怒りを、今日また新たにしました。それを胸に明日から来年の六月まで、後藤真理子裁判長を動かすために闘っていく」。
すべての差別を
なくすために
閉会のあいさつとして、東京清掃労組の仲間が登場した。
「私個人は狭山の現地調査に二回ほど行った。鴨居も見た。警官が家宅捜査で二度も見つけられないなんておかしい。なんでこんなおかしなことを続けているんだ」。
「私たち東京清掃労組は、すべての差別をなくすことを運動方針としている。来月には部落解放荒川区民共闘の年次総会がある。誰でも参加できますので、ぜひ参加してください」。
清掃労組の仲間はこう呼びかけて、「見えない手錠を外すために、再審を勝ち取るために、全員で団結して、ガンバロー」と音頭を取り、全員で拳を振り上げた。集会は最後まで熱気を帯びて幕を閉じた。
(10月19日、佐藤隆)
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