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山本太郎の挑戦と背景にあるもの
「ポピュリズム」の今日的意味
左派の今後を展望するために
林 一郎
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現代日本の不平等
―山本太郎の反撃
御存知のように「れいわ新選組」は立党三カ月間の活動において参議院議員選挙で二二八万票、四・五五%の票を獲得した。日本においては55年体制以降の既成野党の政策、路線とは異なる新たな政治勢力、すなわち政治路線としての「ポピュリズム」、経済政策としての「現代貨幣理論(ММT)」の登場ではないかとして注目を集めた。
れいわ新選組の「八つの緊急政策」を少し振り返ってみよう。最も中心的な政策は「消費税は廃止」である。過去には消費税の段階的値上げに伴い、法人税は段階的に引き下げられてきた。二〇一一年以前の三九・四%の法人税は二〇一八年度には二三・二%まで引き下げられ、資本金一〇〇億円以上の約七〇〇社は租税特別措置法、海外支社利益非課税制度などにより、実質的には約一一・二%の法人税しか支払われていないのが現実である。結果的に大企業の内部留保金は四五〇兆円まで膨れ上がった。富岡幸雄の「税金を払わない巨大企業」によれば、データは少し古いが二〇一三年三月期では三井住友グループは〇・〇〇二%、ソフトバンク〇・〇〇六%、みずほフィナンシャルグループ〇・〇九%だけしか法人税を支払っていない。こうした巨大企業の優先政策に山本太郎の怒りはあるのだ。
貧困脱出のため
の緊急政策は
そして全国一律の最低賃金一五〇〇円を政府が補償せよ、同時に生活保護基準も引き上げ、年収二〇〇万以下世帯をなくす、という政策である。ここまでは山本太郎の政策にはないが、現在「農業実習生」なる名目でアジアから多くの労働者が奴隷的な低賃金労働者として働かされている人々、また介護施設の現場で働くアジアの人々のすべてに「一五〇〇円保証」は必要である。その運動にこそアジアの人々との連帯が生まれ、経済的な底上げもできるのだ。 また職業安定と、福祉事業の安定のために保育、介護、障害者介助、原発作業員などの公務員化である。先進国の中では日本の公務員数は特別に少なく、フランス、イギリス、アメリカの約半分であり、特に女性は各国の三分の一程度である。国鉄、郵政、電信、清掃などの民営化により公務員数は激減し、地方の自治体の職員の半数は非正規化されている。公務員を増やすことは国民の生活を安定させる「大きな政府」の一歩である。
山本太郎の怒りは日本の自殺者が毎年二万人以上、日本の約一六%の子供が深刻な貧困であること(ユニセフのレーク事務局長)、一人親世帯ではOECD加盟国中、貧困率がワースト一位という現実である。こうした社会に対して「死にたくなるような世の中やめたいんですよ!」という怒りが彼を立ち上がらせた。これは毎年寄せ場での炊き出しに参加してきた彼の実感でもあり、六年間の議員生活の中で学んだことでもある。
もちろん「れいわ新選組」の数ある経済政策を現実化するには、巨大な財政が必要である。その財政確保の前提は、大企業にとって日本がタックスヘイブン(租税回避地)化し、「税の抜け道」を許す巨大企業保護政策をさせないことである。
さらには大企業への法人税の累進課税政策であり、所得税の累進課税化、巨大な防衛費の削減、日本が国連常任理事国になりたいとの欲望のための海外への無駄なバラマキの停止等である。しかし日本の貧困の緊急性から彼は即時の「大胆な財政出動」「大胆な新規国債の発行」を要求している。
安倍政権の経済財政政策
安倍政権の経済政策は当初、新自由主義的な緊縮財政路線ではなかった。『そろそろ左派は〈経済〉を語ろう』(プレイディみかこ、松尾匡、北田暁大)によれば、「アベノミクス」の「第一の矢(異次元金融緩和)」と、それを原資とした「第二の矢(機動的財政出動)」政策は「金融緩和と政府の財政出動の組み合わせ」という反緊縮政策の欧州左派の一般的な政策であったという。
日本の右派である安倍政権が欧州では左派的な経済政策である財政出動とインフレ政策を取り、逆に野党が「バラマキ」と批判するように「経済政策が政治的対立に従属している悪魔的状況」にあるのが現在の日本であると指摘している。そもそも富裕層がインフレよりもデフレを好むのは、インフレになれば物の値段が上がり富裕層の金融資産が目減りするからである。通常は低金利とバラマキを批判するのが富裕層であり、貧困層は政府に国民にいきわたる「バラマキ」を要求するのが普通である。
しかし「アベノミクス」の「第三の矢」は「民間投資を最大限に喚起する」、つまり企業に最大限の利益をもたらすための条件を創り出す小泉構造改革の延長線上にあり、これまでの日本の労働者の労働条件を規制していた労働者の権利を一切はく奪した、企業利潤を最大限可能にするための規制緩和路線である。
国民の購買意欲を喚起する需要拡大のための「第一の矢」「第二の矢」とは全く別物の企業側のためのものであり、「残業代ゼロ」「国家戦略特区」という政策は労働者の生活の困窮化を進める政策である。
そもそも安倍政権の「財政出動」も福祉や介護、教育や医療の国民の為の財政出動ではなく、公共事業、オリンピックなどという昔ながらの政策である。つまり安倍政権の経済政策は「人民のための経済政策」ではなく、安倍政権が本質的に目指す、憲法改悪と安保法制強化のために政権を維持し、国民の視点をごまかすための手段であることが暴露されているのである。
「経済成長」とは国民の需要を高めることであり、国民が豊かになることが「経済成長」である。安倍政権は企業に恩恵をもたらす法人税減税などの理由として、「企業に厳しくすると海外に逃げる」と言い訳をする。しかし日本の企業が海外に生産拠点を移すのは二〇年以上続くデフレ下での日本国内では国民の需要が見込めないからであり、海外の極端に安い労働力を求めてのことである。大企業にとって日本はすでにタックスヘイブン(租税回避地)とまで言われている。
「第三の矢」は多くの国民を貧困状態に落とし込み、「第一の矢」「第二の矢」とは何の関係もない真逆の政策である。いつの間にか「第一の矢」「第二の矢」は消え失せて「財政健全化」という財務省路線が政府路線となり、企業保護政策である「第三の矢」だけが「経済成長の目玉」とされているのである。今回の消費税の一〇%への増税は国民の消費意欲をますます減退させるものであり、更なるデフレを進行させ、国民生活を苦境に追い込み、国民経済をますます縮小させるものである。
次の「新三本の矢」なる経済政策、「新・第一の矢:希望を生み出す強い経済」はGDPの底上げ政策であり、「新・第二の矢:夢をつむぐ子育て支援」は結婚や出産の希望が満たされる社会の実現、「新・第三の矢:安心につながる社会保障」は介護離職者をゼロに、介護基盤の整備と、お題目は国民に耳障りのよいだけのスローガンであり、現実は全く何もなされてはいない。
「新・第一の矢」はGDP五〇〇兆円から六〇〇兆円まで上げるという目標らしいが、現実は二〇一八年度、四兆九七一九億ドル(約五三五兆円)であるが二〇一九年度には減少に転じることが予測されており、今後の日本国内経済の伸びしろ的要素は何もない。消費税を増額し国民生活に貧困を押し付け、国民の需要を喚起せずに国内企業の供給力を上げようとしても不可能である。こうして安倍政権は名目的GDPを上げるために再び法人税減税を行うのであろう。しかしこの安倍政権の国民を騙すだけの「新・経済財政政策」に一抹の希望を寄せながら騙されている人々に、現実的で、有効な経済政策を提起することが出来ない野党勢力の責任をわれわれは問わなくてはならないのだ。
左派に求められる
経済政策とはなにか
消費税の増税が貧困家庭に打撃を与える最悪の収奪である以上、消費税の廃止はとくに重要な左派の政策であるが、戦略的な左派の経済政策とは、国民生活の安定の為に社会保障、社会福祉、国民の生活向上のために政府が積極的に財政投資をすることである。
特に子育て支援に財政を投入することは、子供を育てる環境が整うということであり、少子高齢化問題を解決し、将来の財政安定化にもつながることである。「国の資産づくり」とは国家にとって「一番の財産である国民」を育てることではないのか。それとも九九%の下級国民は一%の上級国民と巨大企業の捨て石になれというのであろうか。そして「人への投資」は子供、大人、老人、身障者など全ての人々にいきわたるものであり、まさに「人は石垣、人は城」であり、いつの時代でも国造りの基本である。
左派の経済政策は、新自由主義的な緊縮政策・小さな政府論に反対する、反緊縮政策であり、国民の社会福祉と安心な生活を送ること、有効な再分配を行うことが出来る「大きな政府論」である。
「右派に民衆の胃袋を握らせてはいけない」というのがヨーロッパ・ニューディール派の共通認識であり、日本に於いても根拠のある「経済政策」が求められているのである。
デフレからの
脱却が優先課題
ここで山本太郎の経済政策を見てみよう。山本太郎の政策は「二〇年以上続くデフレ下で、少なくともデフレ脱却ができるまで、累積債務の大きさと関係なく、大量の国債を発行した政府支出をするべきであり、日本はそれが可能である」という主張だ。
そして財政出動の結果、インフレ率が高まった時には政府支出を停止する。つまり国の経済バランスは国の借金量ではなく、その国のデフレ率、インフレ率で推しはかるべきである、という現代貨幣理論(MMT)的な主張である。
ММTの政策論の根拠は、「国家が貨幣を自分で作り、国民に対してその貨幣で税を払う義務を負わせている限り、その国の貨幣の信認がなくなることはない」ということを根拠としている。つまり通貨発行権を有する政府が、返済不能になることはあり得ず、現に日銀は市場から国債を買い入れ、その代わりに貨幣を発行・供給しているということである。
だが現代貨幣理論(MMT)的政策ができるのは、自国貨幣を自国の意志で発行できる国家だけであり、EU加盟国は自国通貨を発行することは出来ず、EU加盟国には当てはまらない。
ケインズ経済学者であるアバ・ラーナーによれば「支出される貨幣が不充分であれば、不況が生じる。支出される貨幣が過剰であれば、インフレが生じる。政府は、命令と課税により公衆から貨幣を取り去る権力を保有しており、この貨幣を創出したり破壊したりする政府の権限に基づいて、不況の防衛と貨幣価値の維持という政府の二大責任を満足させるのに必要な水準に経済における支出の比率を維持する立場にある」とする主張は現代貨幣理論の核心である。
これは現代の主流派経済学者が主張する国家経済の「数量的黒字化」を求める「均衡的財政論」ではなく、インフレ率、デフレ率によるバランスから国家経済を推し量る「機能的財政論」といわれるものであり、国家の役割は深刻なインフレ、デフレを監視し、防ぐことだという主張である。
経済学者の青木泰樹氏は「ММTの知見からすれば、財政赤字は単なる民間経済への貨幣注入に過ぎず、財政上の問題とはならない。ただし、それは野放図な財政規模の拡大を意味するものではない。民間経済の資源の賦存量は有限だからである」と主張する。
だが反緊縮政策としてのММTを貧困にあえぐ民衆のために使うのか、それとも安倍政権のように更なる国家権力強化のために使うのか、「誰がどのように使うのか」が大問題であることを忘れてはならない。
「国民のための健全な経済」とは政府の完全雇用保証プログラムに裏打ちされた、国民が飢えることなく生活できる実質賃金上昇による完全雇用政策である。 「現代貨幣理論(ММT)」についての言及はこれ以上はとどめ置くこととするが、今までの主流派経済学の「商品貨幣説」を否定し、「租税を支出の原資としない貨幣国定説」「表券主義」を取る現代貨幣理論を「左翼」を自称する人々は学習、研究することが今、問われている。
山本太郎と左派ポピュリズム
九月二八日の朝日新聞に山本太郎へのインタビュー記事が掲載されている。その中で「関心を引くために、できもしないことをやれるという山本さんはポピュリストだと批判されています」という記者の質問に対し、「生活困窮に陥っている人を何とか救うのが政治で、それを実現すると訴えることがポピュリストなら、間違いなく私はポピュリストですね」と答えている。
左派ポピュリズム戦略の根源は少数派の経済的、政治的勝者に対して多数派の経済的、政治的敗者のために闘うことである。それでは左派ポピュリズムとはどのような思想であろうか。
シャンタル・ムフは「左派ポピュリズムのために」の中で左派ポピュリズムの政治手法と既存のマルクス主義的左派の違いについて以下のように述べている。
「『極左』の基本的な過ちは、現実において人々がどのように存在しているかではなく、彼らの理論に従い人々がどのように存在すべきか、ということに取り組んできた。その結果、極左は自分たちの役割を、人々に対して彼らがおかれている状況についての『真実』を理解させることであると考えている。人々が同一化できるような仕方で対抗者を指し示すことなく、代わりに彼らは『資本主義』といった抽象的なカテゴリーを使用する。そうすることで、政治的に行動するよう人々を動機付ける情動的次元の動員に失敗しているのである。事実、彼らは人々の実情に即した諸要求に対しては鈍感である」。
民衆のための
政治を再構成
まさにそうである。マルクス主義者を自称する人々、その他の日本の野党の指導者たちは現実の日本の貧困者の現実、すなわち生計を立てられない非正規労働者、一人で子供を育てている母親、未来の見えない高齢者、教育ローンの返済にあえぐ若者、自己の生活を維持できない障害者等の余りの悲惨な現実を理解しようとせず、「社会的敗者」「下級国民」といわれる人々を根本的に救う方法を見出すことが出来ていない。特にマルクス主義者と自称する人々は「資本家階級と労働者階級」という固定概念にこだわり、そこから抜け出ることが出来ず、その本質と現実の世界に分け入ることに挑戦しないのである。「そろそろ左派は〈経済〉を語ろう」の中で、プレディみかこ等が語るように、日本の左翼は余りにも経済を無視し、無関心であり、資本主義的下部構造の問題を無視しては国民の支持を得ることは出来ないと繰り返す。安倍政権がやりもしない「新・第一の矢」「新・第二の矢」のような福祉的幻想を振りまく中で、「それでも少しは何かしてくれるであろう」とすがりつく疲弊した庶民たちが安倍政権を支えているのである。
しかしながら左派ポピュリズム戦略はマルクス主義的な反資本主義革命を目的とはしていない。左派ポピュリズム戦略が目指すものは、民衆の政治参加を通じて「より良き政治」、「民主主義の根本的回復と根源化」を目的として、新自由主義との決裂を目指す一つの政治手法であり、立憲主義的な自由―民主主義的な枠組みの中で虐げられた者たちのヘゲモニー秩序を打ち立てようとするものなのである。
もう一つの左派ポピュリズムの政治手法として特徴的な方法は「政治において感情が果たす重要な役割、および感情の動員方法を認識する事は、より効果的な左派ポピュリズム戦略をデザインするために必要なこと」であり、「人々の感情に届く方法で訴えかけなければならない」「人々が日常生活の中で直面している問題と共鳴するよう呼び掛けを行うためには、彼らがどこで暮らし、何を感じているのかという問題から出発する必要がある。彼らを非難する立場から抜け出て、未来の展望と希望を示さなければならない」(シャンタル・ムフ『左派ポピュリズムのために』)
ここで私たちは山本太郎のカリスマ的な資質、たぐいまれなリーダーシップ的手法を顧みてみよう。彼は演説を聞く民衆の位置に自分を置きながら、民衆との共通感情を創り出すことを最も重要な政治手法としている。演説方法は一方通行ではなく、常に聴衆者に語り掛け、感情の共有を第一においている。自分でも認識することが出来ないような追い詰められた生活や、社会の片隅に追いやられていた聴衆の「仕方がないのだ」「生活が出来ないのは自分が悪いのだ」「親が貧しすぎたのだ」等と、すべてを「自己責任」とされていた「多数の敗者たち」に自己解放の方向を手さぐり的に指し示している。
こうしてポピュリズムは人民の中に、「政治の再構成」を作りだすのである。「すなわち重要な課題を経済や司法の場にゆだねるのではなく、政治の場に引き出すことで、人々が責任をもって決定を下すことを可能にする。」(水島治郎『ポピュリズムとは何か』)
果たして「れいわ新選組」は隷属され、貧困の淵に追いやられた人々を救うことができるのだろうか。ポピュリズム政党は組織的戦略を持たないがゆえに、シャンタル・ムフが言うように「ひとたび政権の一翼を担うと弱まってしまう」のだろうか。
水島治郎の言うように「解放と抑圧、熱狂と非難、魅力と危険の交差するポピュリズム」に対して、「れいわ」「新選組」の名前に違和感を持ち「危険な匂い」と感じる人々が多くいることも事実である。
しかしながら私は当面、山本太郎を最大限支持する。
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