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    かけはし2019年10月7日号

子どもたちの未来を奪うな


9.26

朝鮮学校にも幼保無償化を

学ぶ権利は同等だ

差別をなくし共に生きよう


 【大阪】「朝鮮高級学校無償化を求める連絡会・大阪」主催の幼保無償化を求める集会が九月二六日、大阪市中之島水上ステージで開かれた。

負担が増加する
例も見られる
幼稚園・認定こども園に通う子どもの教育費、保育園に通う子どもの保育料を国が補助する幼保無償化が、突如一〇月一日から実施されることとなった。この制度は、二〇一九年四月一〇日の衆議院本会議、五月一〇日の参議院本会議で成立した「子ども・子育て支援法改正法」に基づいて実施される。その実施は、消費税の一〇%への値上げに連動していて、二%増税で見込まれる五兆六〇〇〇億円の税収増の一五%を税源とするものである。消費税増税と当時に幼保無償化制度をスタートさせるのは、消費税増税に対する世論の反発を緩和したいという政府の意図によるものであろう。
現行の児童手当には所得制限が設けられているが、幼稚園の公立・私立、保育園の認可・認証・認可外など施設の種類に差別は設けていない。しかしながら、無償化といっても、教育費・保育料が全額無料になるわけではなく、子どもの年齢や施設によって助成される金額に上限がある。保育園に入所している〇〜二歳児の場合は、住民税非課税世帯のみが助成の対象となる。また中には、無償化により各自治体からの補助が減額されて、むしろ負担が増加するという場合もあるという。

朝鮮学校不指定
追認した最高裁
大きな問題は、助成の対象が、幼稚園・認定こども園・保育園に通っている子どもの場合のみであって、子どもが待機児童である場合は対象外であるということ。現在日本では、共働き世帯数は九七年以降専業主婦世帯数を上回り、二〇一七年では共働き世帯数一一八二万世帯に対し、専業主婦世帯数六四一万世帯だった。またさまざまな理由により一人親世帯の数も増加している。幼保無償化の財源を、保育士や幼稚園の教諭の待遇改善や待機児童の解消のための保育園・幼稚園の増設に当てるべきだという声が上がっている。幼稚園や保育園で働く幼稚園教諭・保育士が大きく不足していることが、園の増設を抑制しているという面もある。国会審議でもその観点からの意見が多かった。
もうひとつの大問題は、外国人学校の幼稚園には適用しないということだ。つまり、具体的には朝鮮人学校の附属幼稚園は適用しないということ。
ちなみに、高校無償化制度から唯一排除されていた朝鮮学校に無償化制度の適用を要求した(また自治体の補助金支給制度から除外されている朝鮮人学校に対し制度の適用を求めた)裁判の一つで今年八月二七日最高裁が上告を棄却したことによって、国の不指定処分の適法が確定した。この度の幼保無償化からの除外は、その延長線上にあるといえる。

学ぶ権利は同等
のはずなのに!
集会には、大阪・兵庫・京都から在日の人びとが保護者・生徒合わせてたくさん参加した。
大阪のオモニは、「昨年無償化裁判で敗訴し、涙を流す高校生の姿を見て、胸が潰れるほどのショックを受けた。罪のない子どもが泣くのをただ見ることしかできなかった無力な自分だった。いま、普通の日常をなくしてこの場に立っている」。
京都のアボジは、「子どもには、異国の地で朝鮮人としてのアイデンティティを育み、堂々と生きてほしい。だから朝鮮人学校に通わせている。二〇〇九年朝鮮初級学校に在特会が襲撃をかけた事件から一〇年。この社会はどう変わったのか。高校無償化からの除外、そして今幼保無償化除外。激しい怒りを感じる。振り返ると、日本の植民地化で親たちが自分たちの言葉や文化を守り、戦後自分たちの学校をつくり、それが閉鎖されることに反対して闘い、その中で守った民族教育。外国人学校法案反対、JR定期券問題、大学受験資格問題等々での闘い。そのことで今の自分がある。子どもたちの未来が奪われてしまうことを黙視していてはいけない。声を上げよう」。
神戸のオモニは、「ウリ・ハッキョの何がいけないのか。納得できない。阪神教育闘争で、先輩たちが守ってきたウリ・ハッキョ。無関心が一番の敵だ。誰かが守ってくれると思うのは間違いだ。行動を起こそう」。
大阪朝鮮高校生は、「最高裁での上告棄却には、怒りと悔しさで一杯だ。無償化は敗訴したが、闘いは終わったわけではない。生まれながらに差別されてきたが、祖国を愛することがそんなにいけないことなのか。学ぶ権利は同等に与えられるべきだ。僕たちにも学ぶ権利を!」。
最後に藤永さん(主催者団体共同代表)は、「つい先日九月一八日に緊急集会を開き、最高裁の上告棄却に抗議し、改めて幼保無償化適用要求署名八五四二筆を集約した。これは保護者会が政府に手交する予定だ。残念ながら、私たちは人権後進国に生きている。幼保無償化には、大きな欠陥があり、適用されない子どもたちが多いということだ。子育て支援法では、すべての子どもが健やかに成長するようにという趣旨で実施されると謳われているが、実態はそうではない。欠陥の一つが、各種学校すなわち外国人学校の附属幼稚園には適用されない。政府は欠陥を解消しようとせず、それを逆手にとって、排除しようとしている。国連からは何度も適用除外をやめるように勧告が出されてきたが、政府はこれを突っぱねている。今回の最高裁の判断は、朝鮮学校を排除せよとはいわず、適用するかどうかは文科大臣の裁量の範囲内だといっている。そのような態度を取らず、法律の理念に基づいて判断すべきだ。私たちの力では、今政府の態度を改めさせることはできないが、怒りの気持ちを風化させず、訴え続けること、これしかない」と、決意を述べた。

恨みを植えつけ
てはならない!
集会終了後、人通りの多い一号線沿いにデモを敢行し、「幼保無償化対象施設は全国に五万五〇〇〇カ所あるというが、私たちの幼稚園は全国で八八カ所、わずかに〇・一六%だ。学校法人大阪朝鮮学園は一九八九年に大阪府から各種学校として認可され、小中高級学校や附属幼稚園を運営し、幼児も広く受け入れてきた。二〇〇九年までは、大阪府・大阪市から私学助成を受けてきた(橋下府政・安倍政権になって無償化制度から除外され、補助金支給をカットされている)。朝鮮人である自分たちは税金を払い、地域の活動に参加し、子どもたちは大阪を愛している。子どもの健やかな成長を願うなら、すべての子どもたちを平等に扱ってほしい。適用除外は、子どもたちに恨みを植え付けるだけだ」と訴えた。     (T・T)

台湾 金門島 9月6〜8日

平和の海 国際キャンプに参加して  (中)

沖縄K・S 9.19

民宿のある集落の朝の風景

 九月六日朝、陳さんの案内で宿舎の近くの食堂で朝食をとって周辺を散歩した。サンドイッチやハンバーガーを販売する食堂には次から次と客足が絶えない。自営業で家族総出でやっているように見える。サンドイッチと言っても、コンビニで売られているようなパンの耳がなくきれいに三角に切られて透明の包装紙に包まれた物ではなく、耳付きの薄切りのパンの間に焼きたての卵焼き、ハム、トマトが分厚く挟まれた手作りサンドだ。作りたてだから美味しいし、しかも値段が安い。日本円にして九〇円弱。
 台湾式の伝統家屋の中に、二〜三階建て鉄筋コンクリートの建物が所々に目につく。この食堂も三階建てのアパートのような建物の一階部分に営業している。道路わきに店舗を構えソーメンを天日干しにしている製造店も何カ所か見かけた。台湾の人はソーメンをよく食べる。集落の様子は、ガジマル、モクマオウ、ブーゲンビレア、へちまの黄色い花やドラゴンフルーツなど、沖縄とよく似ている。
 猛威を振るった蒋介石軍事独裁の痕跡もあちらこちらに残っている。村の人々を集めて軍が演説し命令を下したという舞台、民家の壁に残る軍政を鼓舞するスローガン、かつて軍部隊が駐屯していたがペンキで塗り替えられた建物、長い髪を軍人にとがめられ殴られたという記憶や軍人が家の中に入ってきてやりたい放題だったという記憶など、台湾の人々にとって軍政の経験は遠い昔話ではなく、つい昨日のことなのだと感じた。

「?光楼」「古寧頭戦史館」へ
 
 ピース・キャンプの公式のスタートは、六日午後一時、金門空港集合だ。昼前に空港に到着しスタンバイ。到着ロビーの出口付近には各地からの参加者が徐々に集まり始めた。全員揃ったところで、午後一時半、大型バスで出発した。はじめに、要塞のような伝統建築の「?光楼」を見学。中国との戦役を闘った台湾の兵士を顕彰するために建てられたという。最高の栄誉とされる「青天白日勲章」も展示されている。建物最上階のデッキからは、高層ビルが立ち並ぶ対岸の中国厦門市が見渡せる。距離にして一〇キロ余りとのことだ。
 そのあと、「古寧頭戦史館」へ。一九四九年一〇月一日の中華人民共和国の成立から時を置かず、中国軍は台湾金門島への攻撃・上陸作戦を敢行した。台湾ではこの戦闘を「古寧頭戦役」と呼んでいる。二〇年にわたって続いた戦争状態が一九七九年の双方の砲撃停止を受けて終わると、台湾政府はここに戦史館を開設した
 陣地構築、中国軍の奇襲、戦闘、上陸船の炎上、中国軍の敗北と捕虜などと、一九四九年一〇月二五日から始まる戦闘の模様を時間を追って描いた巨大な額縁の絵が壁一面に掲げられている。迫力がある。これは台湾のプライドなのだと感じた。
 海岸べりに歩いていくと、真っ先に目に入るのは「北山放送壁」と呼ばれる四八個の巨大集積スピーカーだ。二五キロ先まで届くという。中国の対岸まで一〇キロそこそこなので、大陸まで十分に届く。戦争時代、心理戦の最前線として、さまざまな放送を流していたという。また、すぐそばの崖からは、戦史館の額縁の絵に描かれていた中国軍九〇〇人が一網打尽に捕虜になったという海岸が見渡せる。海岸から離れて集落の方に移動すると、両軍の戦闘の舞台となった二階建ての建物がある。銃弾の穴だらけだ。

ガジマル通りの夕食交流会


 巨大ガジマルが何本も立ち並ぶ通りに面した市内のカフェで夕食をとり、そのままプレゼンテーション兼交流会に入った。司会は地元金門の小学校の先生、陳さん。金門島の戸籍登録人口は一四万人以上いるが、住民登録制度がないので正確な人口は不明(実質六〜七万人)とのことだ。小学校は一七カ所あり、大体一クラス二〇〜二四人。週一回金門語の授業をしているという。なんと素晴らしい!
 はじめに金門の翁さんが金門の歴史、文化、特産品などについて映像を用いて報告した。金門島には一四世紀に起こった中国の明からの移民が集まってきた。国共内戦で国民党が破れて金門島に逃げてきた。そして金門島が戦場になった。金門の人々の中にはいつまた戦争になるかもしれないという恐怖感があり、中国の重圧を感じている。
 停戦が成立し平和が訪れた後は中国からの観光客が多く、七〇〜八〇万人の年間観光客のうち七〜八割は大陸からの中国人とのこと。戦争遺跡が観光資源になっている現状でいいのかという疑問も出されているそうだ。フェリーや送水管など中国との経済的結びつきは強い。金門は矛盾の中にあると語った。主な特産品は五八度の高粱酒、砲弾の薬きょうを利用した刃物(砲弾ひとつで六四丁の包丁が作れるらしい)、ピーナッツ菓子の三つだ。
 馬祖島、沖縄、香港、チェジュ、マレーシアからの報告も行われた。そのあと、各人の自己紹介に移った。
 高雄で生まれて金門で暮らしています。金門生まれの金門育ちで幼稚園の教師をしています。台湾から来たが金門は初めてです。台湾の退職教師です。台北大生だが平和のためにどうすればいいのか知りたくて参加しました。私は韓国人で、インドネシアで一二年間ボランティアをしてきました。などなど参加者の率直なスピーーチが続いた。初めての参加者もかなりいるようだった。
 日本からは沖縄を含めて五人。日本語通訳は日英中語に通じ韓国語も少しできる許さんが担った。金門大学の教官も二人参加した。夜遅くまでにぎやかに交流が進められた。(つづく)


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