香港
死活をかけた闘い
世界の再形成めざす意識的共同を
ウィルフレド・チャン
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香港における引き渡し法案を引き金に高まった、香港行政当局(および中国本土政権)と民衆の対立はさらに緊張した局面に入っている。以下は、香港の特に若い民衆が直面しているこの厳しい闘いへの連帯はどのような課題を提起しているのか、を香港の経済的、地政学的位置の変化を下敷きに検討している。この論考を紹介した「インターナショナルビューポイント」には筆者紹介がなく、どのような背景をもつ筆者であるのか不明だが、興味深い観点も示されていることから以下に紹介する。(「かけはし」編集部)
当局と民衆の
非妥協的激突
香港は、その存在の根拠を、中国の国家主義的な権威主義的資本主義と西側の新自由主義的グローバリゼーション間の接点として確立してきた。しかし中国はもはや、その役割を果たすこの都市を必要としていない。つまり香港は、一つのオルタナティブを死活を賭けて必要としている。
八月のうだるような最初の月曜日、香港の住民――金融業者や放送事業者からバスの運転手にいたるまで――はゼネストに乗りだし、通常は多忙を極めるビジネスを無力にした。この都市の几帳面に時間を守る地下鉄ネットワークは、抗議行動参加者が何時間もドアを押さえる中でその機能を喪失した。国際空港ですら、労働者が家にとどまる中で無人に近くなり、世界中への波及効果を伴いながら、何百便もの飛行機が離陸を不可能にされた。
それは、当初は香港市民を中国の司法システムの下に置くことが可能になると思われる引き渡し法案が火を着けた、厳しい九週間の巨大な反政府デモを受けた、一つの打開策を求める必死の努力だった。
キャリー・ラム――北京が後ろ盾になっているこの都市の頑固な指導者――は午前中半ばまでに、この政治的な緊急事態から危険を取り除くための何ごとも行わないだろう、とはっきりさせた。その緊急事態は今まで、街頭に二〇〇万人以上を、多くの自死者を、さらに六〇〇人近くの逮捕を見てきた。この逮捕者の中には多くの学生が含まれ、彼らは各々、暴動の罪で一〇年もの投獄刑に直面するかもしれない。
彼女はその代わりにある記者会見――彼女の大群になる警官が暴力的にデモ参加者を追い散らした中で行われた――で、香港特別行政区に関する中国の主権を擁護し、この運動を「香港を倒そうとしている」とこき下ろした。夕方までに、抗議行動参加者は武装したちんぴらからも攻撃を受け、自動車をぶつけられた。ジャーナリストは血を流した。警察は、月曜日だけで八〇〇発以上の催涙ガス弾を発砲した、と報告した。
香港の未来へ
の悲痛な苦悩
二〇一九年の反引き渡し運動は、香港のあらゆる以前の抗議行動よりも、香港をもはや必要としていないように見える世界における、この都市の位置に関する悲痛な苦悩を体現している。前英植民地主権が中国に移されてからの二二年間、香港は、西側の新自由主義グローバリゼーションを中国の国家主義的権威主義的資本主義につなぐことによって、その仲介者的存在を正当化してきた。
この強いられた取り決めの下での暮らしは容易なものにはならなかった。香港を名高い金融ハブ――また本土の中国資本にとってのもっとも重要な出口――にしている同じ国家―ビジネス談合はまたこの都市に、世界でも最も高い部類のジニ係数を残した。そこでは五人に一人が貧困線以下で暮らし、跳ね上がる家賃が、平均的大卒者が今では、アパートの頭金を出すためだけで彼らの俸給一三年分すべてを貯めなければならない、ということを意味しているのだ。
しかし普通の香港人ですら、この都市が中国のエリートにとって「世界への窓」であり続ける限り、彼らの文化、言語、また生活のやり方が不確かながら無傷で保持されるかもしれない、と信じた。それは確かに、全体を丸呑みされるよりも望ましかった。
今その窓は閉じようとしている。中国はもはや、香港に依存していない、そしてそれは、西側ももはや同じだ、ということを意味するのだ。この都市がいつの日か本土に自由な民主主義をもたらすかもしれない、との一九九〇年代――香港のGDPが中国の四分の一に等しかった時代――の香港における進歩的政治家の期待を呼び戻すことは、ほとんど不合理に感じられる。今日中国のGDPは香港のそれよりも三〇倍以上大きく、中国は香港を、それ自身のイメージで改造中なのだ。
北京はこの二〇年、香港のもっとも力ある諸機関を系統的に獲得し、寡頭支配層を買収、独占を固め、白象インフラ計画を通して打ち固めてきた――その権威主義的野心を達成するために、香港の前植民地統治者が残した組織を再使用し――。
香港人はこれらの変化に、怒りのこもった抗議行動と忍従的適応のある種の混合によって、最終的な政治的解決への期待を手元にとどめながら対応してきた。二〇一四年の雨傘運動――そこでは抗議行動参加者が普通選挙を求めて七九日間の大規模な街頭選挙を敢行した――の胸が張り裂けるような敗北は、先の期待に衝撃的な打撃を与えた。今年の抗議行動が直面した北京から公然と承認を受けたますますひどくなる警察の無慈悲な暴力は、香港人がもっとも懸念した怖れを確証している。つまり、彼らの暮らしは、この都市の未来に向けた中央当局の計画には無関係、という怖れだ。
権威主義による
新自由主義接収
一定の抗議行動参加者内部には一つの共通の叫び、「自己香港自己救」――大雑把に、「われわれの香港はわれわれだけが救うことができる」――、がある。まさに多くの香港のスローガンがそうであるように、このフレーズは多重的な意味を語っている。つまりそれは、気力を奮い立たせる呼びかけであると共に、この都市の存在に関わる孤立に対する怒りをはらんだ所見でもあるのだ。それは同じように、グローバル資本主義の無能さ、そしてあらゆるところの(裕福な)社会における「自由」を保護するというその空約束を指し示している。
香港の抗議行動は非道な西側の工作員から支援されている、との中国の宣伝的告発とは逆に、西側が何らかの関与を欲しているということを示す指標はほとんどない。抗議の人々が「民衆的外交」をめざす必死の試み――外国国旗を掲げること、世界的新聞の広告枠の買い取り、公職者へのロビー活動――を行ってきた中でさえ、英国と米国の政治家たちは、ただ僅かに二、三のツイートや控えめないくつかの言明で、時折象徴的な立法で応じただけだった。しかもその多くは、他の者ならそれを大声で言えば礼を失すると考えたようなことを、つまり、抗議行動参加者は「暴徒」であり、「中国はそうしたければ彼らを止めることができるだろう」などと、うっかり言ってしまうドナルド・トランプによって傷付けられた。
アジアにおけるこの資本主義の砦が発している悲痛なシグナルに新自由主義者の神々は答えることすらしないだろうということは、世界中の抑圧された者たちが長いことわきまえてきたことの中でも、もっともはっきりした事例とならなければならない。つまり新自由主義は、世界的搾取がはらむ自己救済論理の枠組みほどには、国を超えた連帯のための枠組みになったことは一度もない、という事例だ。
しかし、香港と他のところの意識ある観察者が、自由市場の世界平和というポスト冷戦期のおとぎ話に見切りを付けることに躊躇を覚えている限りで、それは、実行可能な代わりになる枠組みの不在に起因しているのだ。
香港の危機が示していることは、進歩主義が勝利しつつあるからではなく、権威主義的資本家の暴力をはらんだより新しく、より効率的なイデオロギーによって新自由主義が取って代わられつつあるから、新自由主義が後退しつつある、ということを示している。そしてそのイデオロギーは、警報に値するほどまで断片化した反対勢力を向こうに回して権力を打ち固めている最中だ。それはまた、筋の通った国際的左翼の立場の不在を原因に、まさに世界がどれほど危険になったか、を示している。
積極的ビジョン
探り出す協力へ
今日の香港人にとって、どのような逃げ道も、この都市を中国の国家権力による掌握から自由にすると思われるポスト植民地の自己決定モデルも、まったくない。抗議行動参加者のもっとも人気のあるスローガン、「光復香港、時代革命」(多くの場合、「香港の解放を、わが時代の革命」と翻訳されている)でさえ、イデオロギー的にはごちゃ混ぜと言える。つまり動詞の光復は、「復興」あるいは「復古」すら意味する可能性があるのであり、それは、前を向いているのか後ろを向いているのか、をぼやけさせているのだ。難局を切り抜けるために香港の人々は、彼らの歴史的な力を取り戻し、彼ら自身の故郷のために積極的なビジョンを発展させる道を見つけ出さなければならない。
同時に必要不可欠なこととして国際的左翼は、香港の諸条件に西側のオウム返しにされた枠組みを単純に置き換えるのではなく、この仲介者的な場の見通しからの生き延びという反資本主義的、反権威主義的政治を大胆に再イメージする、そうした新しい分析を形作るために、香港人と共に努力しなければならない。
そうすることは、世界の再形成を必要とするだろう。米国左翼からのこの種の連帯には、戦後の地政学的システムを、グローバルな新自由主義の論理に基づき第三世界の自己決定の切望を故意に無視してきたシステムを作り出し維持する上での、米国の核心的な役割り――マーシャルプランを起点にワシントンコンセンサスを挟んでその先まで――を終わりにすることが含まれるだろう。英国の左翼は、彼らの元の植民地システムがつくり出した損害に対し、彼らの政府が責任をとるよう求めることから始めることができる。そしてこのシステムは、新たな権威主義者の支配下での搾取と抑圧の、効能のあるツールとなったのだ。
七〇〇万人が住む小さな境界の一都市は、それを誘惑する支配的な影響力を独力で解体することはできない。しかしこの決定的な時におけるその闘いは、これらの諸構造をほどくのを助ける――国民国家の資本主義的モデルを超える社会諸組織を再考しつつ――ためのあらゆる左翼に向けた急を要する呼びかけとならなければならない。
そして香港の民衆はおそらく、バーニー・サンダースが「国際的進歩戦線」と呼んできたものの建設――そして彼が書くように、「無責任な政府権力であろうが無責任な企業権力であろうが、われわれを分裂させ、互いに敵対するように仕向けようとする、すべての勢力に反対するために、われわれができることすべてを行う」――に加わることができるだろう。この新自由主義の都市の死からは、一つの解放の歴史が誕生する可能性も考えられるのだ。(「インターナショナルビューポイント」二〇一九年八月号)
トルコ
選挙後の嵐
エルドアン体制が不安定化
ウラズ・アイディン
トルコのエルドアン政権については世界のメディアが、対ロシア関係と対米関係におけるその外交的位置取りにもっぱら焦点を当てている。しかしその背後では、エルドアン政権の基盤でも重大な亀裂が発展中であることを現地の同志が伝えている。中東の今後にも大きな影響を及ぼす可能性を秘めた動きであり以下に紹介する。(「かけはし」編集部)
イスタンブール市長選における野党統一候補の勝利、および彼自身の党内における分離運動によって異議を突きつけられたエルドアン大統領は、さらに今米国と彼の関係で大きな危機に直面しようとしている。
地方選敗北でも
強権対応を継続
エルドアンは果たして、三月三一日における自治体選挙結果に対する勝手な取り消し(イスタンブール市長選での敗北を、不正の疑いという理由で取り消し、再選挙を強行したがまたも敗北した:訳者)を受けた、六月二三日の再選挙における彼の後退から教訓を学ぶことができたのだろうか? 彼は、彼の選挙基盤内部における、特に若者層内部における彼の諸政策への反応の理由を理解しようとするだろうか? これらの疑問に対するエルドアンの回答は誰も驚かせなかった。
多くのジャーナリスト、学者、さらにクルド運動指導者に敵対するさまざまな「復讐的」裁判に加えて、CHP(共和人民党、世俗派の中道政党で野党:訳者)イスタンブール代表のジャナン・カフタンジオールに対する裁判もあった。実に彼女は選挙から五日後になって法廷に現れ、大統領に無礼を働き、テロ宣伝を行い、トルコ国家を侮辱し、人々に憎悪と敵対を扇動し……と告発された。そのほとんどが数年前に書き込まれたツイートに基づくものだった。
しかし本当の動機は明白だ。つまり、イスタンブールで野党全体から支持を受けた候補者、エクレム・イマモールの勝利の「設計者」と目された者を罰することだ。彼女には、一七年に達する懲役刑の危険がある。
政治の当局はさらに、市議会に結びついた諸企業の指導者――AKP(公正発展党、エルドアンの党:訳者)――が彼らのポストから辞任することを拒否することによって、CHPによる市政執行を妨害しようと今試みている。その辞任の申し出が最終的に行われたのは先週にすぎなかったが、しかし市議会におけるAKP―MHP(極右、民族主義者行動党)ブロックが保持する多数派は、この市の運営に対する永続的な障害になっている。
AKP隊列内
でも混乱進行
元経済相でAKP副党首のアリ・ババジャンは最終的に、新たな親西側政治勢力の建設を加速するために彼の党から離れた。「ウムマ(イスラム共同体:訳者)を分裂させ」たがっているとエルドアンから責められたババジャンは、元大統領のアブドゥラー・ギュル(憲法改正以前に議会で承認された最後の大統領で、二〇〇七年から二〇一四年まで就任:訳者)から後援を受け、さらに元党の古参たちから支持され、はじめからAKPの親EU主張から刺激を受けることになる一つの政治運動を再び固めるつもりでいる。
西側世界との、特に投資家とのババジャンの関係は、民主化および国際関係の回復に向けた自由主義的な課題設定に基づく、経済的かつ政治的な二重の危機からの出口として示されている。これは、トルコ国家と西側帝国主義の利益との再調整になると思われる。そのような政党が世論におよぼす作用を測ることは現在難しい。特に、元首相のアフメト・ダウトオールも新党を船出させようとしている以上そう言える。
しかしエルドアンがその基盤における分解傾向を逆転できないならば、そしてそれは深まる一方の経済危機を前提に難しく見えるのだが、ババジャンは国際的支持に基づいて、その元指導者に多少とも厳しい打撃を加えることができるだろう。
地政学的策動の
戦略は限界点に
ロシアのS―400対空ミサイルシステムの購入は数ヵ月の脅しを経て最終的に、米国からの具体的な対応に行き着いた。ロシアのミサイルの引き渡しが二週間前に始まった後、米国防省は、F35戦闘機計画からトルコを排除すると決定した。これが意味することは、アンカラはすでに一四億ドルを支払い済みである同機一〇〇機の獲得が不可能になり、数百のスペア部品製造(一一〇億ドルを生むと期待された)も不可能になる、ということだ。
これは、二〇一六年のクーデター策動――米国が支援したと考えられた――後に始められた外交政策における立場の変更とロシアとトルコ国家の和解、そしてISとの戦闘におけるシリアのクルド勢力とのワシントンの連携、これらの結果だ。こうして、さまざまな国際的な役者との関係を追求し、策動の余地を広げるためにその対立的関係を利用する(そこにはすべて反帝国主義の主張が伴われて)というエルドアンの戦略は、限界に達しつつあるように見える。米国とのこの決裂――トランプがそれを好んでいるようには見えないとしても――は、モスクワへのアンカラの依存を加速するはずだ。そしてモスクワはおそらく、それがNATO内に一つの対立を引き起こした可能性があると思われる、ということに満足を覚えているだろう。
▼筆者は、第四インターナショナルトルコ支部の雑誌である「イエニヨル」の編集者。また二〇一六年のクーデター策動後に指令された非常事態を背景に、クルド民衆との和平を支持する請願に署名したことをもって解雇された数多くの学者の一人でもある。(「インターナショナルビューポイント」二〇一九年八月号)
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