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    かけはし2017.年12月4日号

女性への男の暴力に反対する


フェミニズム

11・25ローマ全国デモへ

 イタリアのフェミニスト運動のノン・ウナ・ディ・メノ(「劣った者ではない」)は、女性に対する暴力反対国際デーの一一月二五日における全国デモに向け以下の呼びかけを発した。

われわれには
プランがある!


 われわれは、去年の一一月二六日ローマの街頭に溢れた潮だ。われわれは、今年三月八日、ポーランドからアルゼンチンまで、米国からトルコまで、スペインからブラジルまで、全世界の女性と足並みをそろえて、世界的な女性ストライキを共に作り上げた者たちだ。次の一一月二五日、われわれは再びローマの街頭に溢れ出すだろう。われわれはあらゆる形態と種類の男の暴力およびジェンダーの暴力から自由になるまで止まらない、という鮮明なメッセージを送るためだ。
 われわれは、諸々の決起、全国会議またテーマ別の会議、フェミニストの知識と経験をネットワークでつなぐ一年を通して、「男の暴力とジェンダーの暴力に反対するフェミニストのプラン」、つまり闘争と主張のための一つのツール、一一月二五日に街頭に繰り出す行動と提案を含んだ一つの文書、を書き上げた。それは、男の暴力とジェンダーの暴力を体系的で構造的な現象だと考える、政治的かつフェミニズムの文書だ。
 そしてこの現象に立ち向かうことを可能にするものは、刑罰の引き上げや判決、あるいは特別措置といった取り組みに基づくものではなく、反暴力センターの経験やフェミニズム運動を出発点とするものなのだ。複雑性をもつ男の暴力とジェンダーの暴力をはっきりさせるために、われわれは道筋へのもっと多数の警官も援助も求めない。われわれが求めるのは自律性、自由、そして社会的公正だ!
 男の暴力とジェンダーの暴力と闘うことが意味するものは、それを維持している文化と社会的諸関係への挑戦だ。われわれには後見人も保護者も必要ではない。われわれは犠牲者ではない。そして保護を頼んできたこともない。われわれは、学校、仕事、医療、司法、報道をはじめに、構造的変革を求めて闘う。われわれは、自由と自己決定とわれわれの自立というわれわれの道に対する尊重を要求する。この理由からわれわれは、われわれの自己決定のために、またわれわれ自身の暮らしを選ぶために、手段と財源を要求する。
 この「プラン」は、家父長制と資本主義の暴力に反対する闘争の綱領だ。われわれが日々のできごととして見ているレイプや女性殺しがわれわれを止めることはないだろう。われわれは、われわれが職場で経験している性差別的暴力からの、ハラスメントからの、差別や権力の乱用からの、しかしまた搾取や不安定性という日々のものごとからの自由を得るまで、止まらないだろう。
 われわれは、各国と欧州の諸政権が行った財政削減がわれわれの暮らしを貧しくし、反暴力センターとわれわれの自律性を攻撃している中で、われわれが自由になるまで止まらないだろう。われわれは、われわれに責めを帰せたり、われわれを苦しめ黙らせようとしている、そうした新聞やソーシャルメディア上の暴力から自由にならない限り止まることはないだろう。
 われわれは、諸制度と諸々の境界線に込められたレイシズムから自由になるまで、女性の名の下にレイシズムを正当化するためにレイプが操作として使われるのを止めるまで、止まらないだろう。われわれは、難民キャンプ内で移民の女性を日常的な暴力にさらしている制度的な諸方策が取り去られるまで止まらないだろう。リビアとトルコ間の二国間合意のような、またミネアティ法令(イタリアの閣僚であるミネアティが策定し、今年四月に採択された移民の権利を著しく制限する法令:訳者)のような事例は、容認しがたい「品位」を名目に、移民の女性、売春を行う女性、トランスセクシャルの女性に激しく襲いかかっているのだ。
 われわれは、われわれの主張に対する、われわれの日々の変革、相互主義、連帯の行動に対する、決意を言明するために公的な場にあふれ出るだろう。
 われわれは、われわれの自律性を求めて闘うために街頭にいるだろう。われわれは、われわれの町での、また国境をまたいだ運動の自由を、病院、法廷におけるわれわれ自身の暮らしを決定する力を、われわれに押しつけられている規則から離れてわれわれ自身の運命を選ぶ力を、強く求める。われわれは、われわれの身体と暮らしを選ぶ上で自由になることを目的に、自己決定が可能になる所得を、欧州規模の最低賃金、社会福祉、諸権利を強く求める。

われわれは止まらない。われわれにはプランがある!
(二〇一七年一一月七日)(「インターナショナルビューポイント」二〇一七年一一月号) 

ミンダナオ

ミンダナオは依然不安定

マラウィ連帯なお不可欠

Mihands連合は活動継続中

 フィリピン政府は、マラウィの戦闘は終わった、このムスリムの歴史的都市は、五カ月におよぶマウテ一派とその同盟勢力のジハーディストグループとの猛烈な戦闘の後に、完全に取り戻された、と公式に声明した。
 ISISへの忠誠を声明で明らかにしてきたフィリピンのジハーディスト最高指導者の二人、アブ・サヤフグループのイスニロン・ハピロンとオマルカヤム・マウテは、戦闘の最終局面で殺害された。
 戦闘の公的終了は正常状態への回帰を意味しているわけではない。
 マラウィ市の多くは破壊されてしまっている。他の諸国における市街戦の中で行われたと同じ軍事戦術――敵の狙撃手が陣取っている可能性があると見られた建物の破壊、激しい集中砲撃……――が実行されたのだ。マラウィの住民の多くは、最悪を避けることができたと思われたこの市のあり得た明け渡しのための、ジハーディストとの接触すべてを拒否したとして、大統領を責めている。
 およそ六〇万人が戦争から逃れなければならなかった。そして、誰もがいつ家に帰れるか(あるいはそうすることを許されるか)を知ることができずにいる。市のいくつかの地域は住むことができるが、大学地区のように、他はひどく破壊されている。とりあえずの評価によれば、再建には一〇億ドル……のコストがかかるだろう。避難民のほとんどは戻るまで、その期間長い間とどまることになるだろう。
 テロリズムへの対抗を名目に、ミンダナオ島全体に無差別に発動されてきた戒厳令は、一二月まで延長された。それは今後解除されるのだろうか? これに関し当局は、決定が下される前には情勢の「評価」が行われなければならない、と公表している。しかしながら、ミンダナオにおける新たなジハーディストの波の出現を可能とした諸条件は今も存在しているのだ。
 五カ月の間政府軍は、その人的、物的資源をマウテ一派とその同盟勢力に向け集中した。フィリピン共産党は、武器の貯蔵庫を確保することを含め、軍事的主導権を取るためにこの機会を利用した。そのゲリラ部隊である新人民軍(NPA)が最強であるところがミンダナオだ。しかしながら、山岳住民が暮らす先祖伝来の地域に脅威を与えつつ、この島をこれまで接収してきたのは、林業と鉱山業の利権に群がる者たちだ。そしてこれが、NPAの地政学的拡張に好都合な条件を諸々つくり出している。
 ロドリゴ・ドゥテルテは、政府軍はジハーディストに対する仕事を終えればすぐにNPAを相手とした動員にかかるだろう、と公表している。その時はすでにきているのかもしれない。
 さまざまな観点から見て、ミンダナオの情勢は著しく不安定なままだ。
 それゆえ、マラウィ戦争の犠牲者に対する連帯は、今なお完全な妥当性をもっている――依然家に戻ることができない人びと、あるいはそれができたとしても再建のさまざまな困難に直面している人びとすべてに対して――。
 Mihands連合は、戒厳令という危険に満ちた諸条件の下でその連帯活動を継続している。
 われわれはこれまで一万四六五九ユーロ受け取り、その費用として(ほとんどは銀行手数料)三五一ユーロ強支払った。
 ESSF(欧州国境なき連帯)はこれまでにマラウィ連帯として一万四二一二ユーロを送金した。継続しよう!
(「インターナショナルビューポイント」二〇一七年一一月号)



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