もどる

    かけはし2017.年11月13日号

海外最大の米軍基地カデナ


沖縄報告:11月6日

核戦力拠点に立ち向かう

沖縄 T・N


10.27

カデナピースアクション

弾薬庫ゲート前で抗議

巨大米軍基地に拒否の意思

 毎週金曜日は市民団体「カデナ・ピースアクション」の嘉手納基地撤去ゲート前行動日だ。嘉手納町、沖縄市、北谷町にまたがり、三七〇〇mの滑走路が二本ある米国外では最大の米空軍基地。「有事」には昼夜を分かたず二四時間地球の裏側まで戦闘機・爆撃機が出撃する。
そのため基地内では頻繁にタッチアンドゴー訓練が繰り返され、エンジン調整の轟音が響き渡る。特に面積の八二%を基地に占拠された嘉手納町民の爆音被害は計り知れない。夜間一〇時以降の飛行自粛や、九六年のSACO合意で決まった嘉手納町側の駐機場移設、パラシュート降下訓練の移転など日米合意は日本政府の黙認で反故にされたままだ。

核爆弾を枕に
寝ていた日々
ピースアクションは、昨年四月から、辺野古新基地阻止行動に加えて海兵隊ばかりでなく在沖縄米軍の中心的戦力である嘉手納空軍基地に対しても拒否の県民意思を示そうと取り組まれてきた。毎週金曜、朝七時から八時半まで一〇〇人程が北谷町の第1ゲート、沖縄市の第5、第2、第3ゲートの四カ所に分かれて出勤してくる米兵にプラカードを示して「クロウズ カデナベイス」「ウィ ドント ニーデュー」「アウト ナウ」など、声を上げてゲート前を往復デモでアピールする。
そのピースアクションの呼びかけで、この日は嘉手納飛行場の北側に隣接する広大な嘉手納弾薬庫のゲート前での抗議行動が取り組まれた。きっかけは先月一〇日に放送されたNHKスペシャル「沖縄と核」のなかで、冷戦時代日本に置けなかった核兵器を、占領下の沖縄に一三〇〇発貯蔵していたことが当時の米軍兵士の証言で改めて明らかになったからだ。
二〇一五年に米国防総省は復帰前の沖縄に核兵器を配備していたことを公式に認めたが、その後撤去された証拠は当時の政治家や行政の誰一人確認していない。番組では一九五九年に那覇飛行場で核弾頭を搭載したミサイルが誤って発射された事実も明らかになった。
県民は少なくとも五〇年代から日本復帰まで、いや現在も毎日核爆弾を枕にして寝ているのか。日米政府に対し厳しく問いただす必要がある。
番組終了後、カデナピースアクション、うるま市具志川9条の会など六団体で「核兵器から命を守る沖縄県民共闘会議」を構成し、二六日に沖縄県と県議会に対し弾薬庫の査察などの行動を起こすよう陳情するとともに、この日の弾薬庫前抗議行動となった。

嘉手納弾薬庫は
即刻撤去だ!
先週に続き台風の接近で、時折雨風の吹き付ける中、朝七時には各ゲート前行動のメンバーをはじめ約一六〇人が、嘉手納飛行場北東側誘導灯脇の嘉手納弾薬庫ゲート前に集まり、「核疑惑の弾薬庫撤去」などの横断幕を広げ、具志川9条の会事務局長宮城英和さんの進行で抗議集会が始まった。呼びかけ人の伊波義安さんが「NHKスペシャルで、米軍の出撃基地とされた沖縄の危険性があらためてよみがえった。平和を守るにはベトナム、アフガン、イラクと世界中の人々を殺戮し、私たちの生活を破壊するカデナ基地と核兵器を撤去するしかない」と訴えた。
続いて各ゲート前四カ所の仲間がこれまでの取り組みを報告。それぞれ辺野古・高江基地建設阻止と共に、沖縄のすべての米軍撤去に向けた県民の意思を米兵に突き付ける意義を呼び掛けた。その中で第5ゲートの仲宗根勇さんは、一九六八年一一月にベトナムに出撃するB52爆撃機が離陸直後、すぐ目の前の誘導灯脇に墜落して1時間以上にわたって炎上。嘉手納町民一六人が重軽傷を負い、住宅一三九戸が被害を受けた事件に触れ、「当時核兵器が貯蔵されていた弾薬庫側に墜ちていたら沖縄は消滅するところだったことから、弾薬庫とB52の撤去を求めて『命を守る会』が結成され、翌年の二・四ゼネストに向けて県民の闘いが盛り上がったが、当時の屋良主席を通して日本政府から復帰運動に圧力がかかり、不発に終わってしまった。今も当時と何一つ変わっていないことが改めてわかった以上、二・四ゼネストを上回る闘いで、核兵器と嘉手納弾薬庫を撤去しよう」と訴えた。

創価学会も反基
地行動した時代
元読谷村長の山内徳信さんは、村民の立ち上がりで弾薬庫の拡張計画を阻止した体験から「米軍を動かすには、民衆の立ち上がりしかない」と参加者を励ました。
普天間爆音訴訟団の島田善次団長は「核兵器を枕に寝かされている県民はもっと怒らんといかん。わたしはこれ以上ないくらい怒っている。物言わぬ民は滅びる。ウチナーンチュよ起ち上がれ。」と檄を飛ばした。
沖縄市議の池原秀明さんは、一九九四年四月に弾薬庫敷地内の自らの黙認耕作地にF15戦闘機が墜落した事故を巡る米軍とのやり取りで、地位協定の不条理を指摘。今も続く核疑惑と弾薬庫の危険性について注意を喚起した。
二〇日から二九日の一〇日間、本島北端の辺戸岬から南端の糸満市摩文仁まで、黄色の衣と団扇太鼓で行脚する沖縄平和行進の途中で合流した日本山妙法寺のお坊さんたちは「一九八五年から始めて三一回目の行進だが、毎回皆さんの粘り強い闘いから勇気をもらっている。日本を守るために米軍がいるという誤った考えの日本人に、沖縄の米軍の真実を伝える努力を続けていきたい」と連帯のメッセージで合掌。
最後に、辺野古・高江でもおなじみの京都の歌姫、川口真由美さんの鍵盤ハーモニカにあわせてみんなで「今こそ起ち上がろう」「沖縄を返せ」「がんばろう」を歌い、シュプレヒコールを挙げて一時間半の抗議集会を締めくくった。
集会後、四〇人程は、NHKスペシャルに登場した、恩納村谷茶(たんちゃ)の核巡航ミサイルメースB基地跡を視察した。跡地は七〇年代後半に創価学会が買い取り、一階部分は当時のまま保存、二階の発射台部分は改装し、当時沖縄の学会青年部が取り組んでいた沖縄戦の遺骨収集などの平和運動で聞き書きした日本軍による残虐行為のスケッチや、中国との友好を説いた池田会長の詩などが展示されている。安倍政治を支える今の公明党議員達にぜひとも見学してもらいたいものだ。

10.30

山城さん、稲葉さん14回公判

辛淑玉さんが応援に

無罪を必ずかちとろう

不当な弾圧を
はねかえそう
台風一過、時おり風花が舞う灰色の空の下、一三時半からの山城さん・稲葉さんのブロック積みに関する第一四回公判を前に、地裁前の城岳公園には辺野古・高江の仲間をはじめ支援の人たちが集まり始めていた。黄色の合羽を着て車いすに座る島袋文子さんが今日も駆けつけてくれている。
一二時になり平和運動センター大城悟事務局長の司会で、初めにシュプレヒコール。
「不当逮捕を許さないぞー」「埋め立て工事を止めるぞー」「完全勝利を勝ち取るぞー」
主催者を代表して、東門美津子元沖縄市長があいさつ。「台風が近づく中での異例の選挙だったがみんなの頑張りで、今回も沖縄の民意を示すことができた。お疲れのところ今日も山城さん、稲葉さんと共に闘う気持ちでたくさんの仲間が結集いただきありがたい。安倍政府の不当な弾圧を跳ね返し、最後まで共に頑張ろう」。
伊波洋一参議院議員は「総選挙はドタバタの結果、本土では安倍の復活を許してしまったが沖縄は辺野古反対の民意を守った。特に普天間のある二区、辺野古のある三区で自民党候補の比例復活も阻止することができた。このところ辺野古の現場では基地内地下道の拡幅工事や海上からの搬入など、仲井眞前知事の承認事項にない工事が画策されている。沖縄選出の衆参議員協力して国会で追及していく。裁判の中でも辺野古新基地建設押し付けの不当性を暴き、完全無罪を勝ち取ろう」と励ました。

 

他者を恐れず
にすむ社会を
次に、東京から駆けつけたサプライズゲストの辛淑玉さんがマイクを持つと大きな拍手。「稲葉さん、山城さんをここで応援しようとやってきた。二人の元気な顔をそばで見られてうれしい。今度の選挙、沖縄はよかった。全国に希望を与えてくれたことに感謝したい。でも沖縄へ来るときは楽しい気持ちだけでは来られない。私たち在日もそうだが沖縄も日本との関係の中で、先輩たちが積み重ねてきた苦闘の歴史の上に今の私たちの生活がある。そこで本土からくる支援の仲間たちを受け入れてくれてありがとうと言いたい。この裁判は今の日本が通らなければならない裁判だと思う。この裁判を通して他者を恐れなくてよい日本社会を共に作っていこう。博治さんたちはそういう闘いの同志だ。この社会を一ミリでも前に動かしたい。一緒に生きていこう」と熱く呼びかけた。
そして山城博治さんの決意表明。「ステキな集会になった。辛淑玉さんのおかげです。この裁判も三月から始まって終盤に差し掛かってきた。おそらく一二月に求刑、年明け三月に判決が出るのではないか。先週末、一緒に頑張ってきた上原成信さんが九〇歳で亡くなられた。ご遺志は必ず私たちが引き継いでいく。文子先輩のカジマヤー(かざぐるま=数え年九七歳の生まれ年祝いのこと)までは頑張ろう。小池劇場は終わってみれば改憲策動だったのでは? と思えるような結果になった。四分の一勢力になってしまった平和派は、次の国政選挙に向けて早急に立て直しが迫られる。かりゆしホテルグループの平良朝敬さんが言っていたように辺野古新基地を阻止してサンゴとジュゴンを守り平和と文化の拠点として沖縄から全国に発信しよう。戦争に向かう安倍の目論見を必ず止める」と訴え、「心はやんばるの地に」「今こそ起ち上がろう」「座り込めここへ」をメドレーで歌った。
続いて三宅弁護士が「きょうは検察側からの尋問。先日うるま市の刑事事件で『疑わしきは被告人の利益に』の原則を守って無罪判決を出したのは一定評価できるが、あくまでも刑法の範囲内の話だ。私たちの裁判は、国の政治弾圧に対する沖縄の抵抗権を裁けるのか? が本質だ。その点では国際的な人権基準や、刑事特別法の研究者などの証人を拒否しており、沖縄の歴史や憲法の精神に照らして判断する姿勢が感じられない。昨年夏の高江での警察による車内拘束を訴えている別の裁判で、県警が反対運動に参加するとおぼしき車を拘束することを予め決めていたことが明らかになった。現場の警察官には何を聞かれても答えるなと命じていたことも。一連の逮捕から長期拘束とこの裁判自体が如何に不当なものであるかを明らかにして、裁判所を市民世論・国際的関心で包囲し、完全無罪を勝ち取ろう」と訴えた。

犯行事実を明
らかにできず
一二時半になり、山城さんは辛淑玉さんと握手を交わし、向かいの那覇地裁へ。みんなのヒロジコールで送り出した後、稲葉さんがマイクを取る。「わたしはヒロシです」と笑いを取って「ウッハッウッハッ安倍、菅」ジンギスカンの替え歌から。「きょうもたくさんの仲間が来てくれてありがとう。私たちがブロックを積んだのは基地反対の正当な抗議を暴力的に弾圧された結果起こったことで、一〇カ月後に私だけ逮捕されたのは山城さんを長期勾留するための口実にするためだった。ヤマトゥンチュの中から私が選ばれてある意味光栄に思う。沖縄の民意を暴力で排除する日本政府こそ裁かれるべきだ。公判も終盤だがいい正月を迎えたい。」と決意を述べ、法廷へ。今度はヒロシコールが起こる。
「完全無罪を勝ち取る会」の平良真知さんからは、新しくできた「裁判闘争中間報告U」冊子の紹介と、先月のNHKスペシャル「沖縄と核」の放送で、あらためて疑惑の深まった核兵器貯蔵の査察を求める「核兵器から命を守る県民共闘会議」の再結成が、一一月一三日(月)六時半から嘉手納中央公民館で行われるので結集してほしい、との呼びかけがあった。
最後に、オール沖縄会議の稲福さんが「これは私たち全員の裁判だ。みんなが証人だ。」と述べ「ガンバロー」を三唱。司会の大城悟さんから、三時半頃再びここで事後報告集会を持つと案内があり、一旦集会を閉じた。
ところが、一時半からの公判で検察側は、不当にも「ブロックを置いた」という事実以外にはほとんど言及せず、裁判長からの尋問もなく、たった三〇分程で公判は終了してしまった。事後報告集会はやむなく残っていた人だけで行われたようだ。やはり弁護団が危惧した通り、裁判所は事件の歴史的社会的背景を意図的に切り離して、ゲート前にブロックを置いたことのみを裁こうとしているようだ。であればこそ、私たちはより一層現場への結集を強化しつつ、この裁判そのものの不当性を広く発信していかねばならない。この国の民主主義の未来がかかっている。


もどる

Back