もどる

    かけはし2017.年11月6日号

ナロードニズムからの大きな転換


連続講座

永続革命としてのロシア革命─
マルクス・エンゲルスからトロツキー・グラムシまで

第3回 「ロシア・マルクス主義の成立から一九〇五年革命まで」(上)


 九月二二日、文京区民センターでトロツキー研究所とアジア連帯講座の共催で森田成也さん(大学非常勤講師)を講師に連続講座「永続革命としてのロシア革命――マルクス・エンゲルスからトロツキー・グラムシまで」の第三回目が「ロシア・マルクス主義の成立から一九〇五年革命まで」をテーマに行われた。
 森田さんの提起の柱は、「1、もう一度、晩期マルクスのロシア論について」、「2、ロシア・マルクス主義の生成――革命的ナロードニズムからマルクス主義へ」、「3、ロシア・マルクス主義者による晩期マルクスの隘路の克服」、「4、ロシア・マルクス主義の本質」、「5、プレハーノフからレーニンへ」、「6、一九〇五年革命の衝撃と革命論の分化」であった。
 提起内容の一部の要旨を以下紹介する。   (Y)

森田成也さんの報告から(一部の要旨)

第3回 ロシア・マルクス主義の成立から一九〇五年革命まで

1、もう一度、晩期マルクスのロシア論について

 晩年マルクスのロシア論は、何が問題で、何が根本的に間違っていたのか、この点を改めて理論的に確認しておきます。まず一つ目は、階級的主体なきロシア革命論になっていることです。「『祖国雑報』編集部への手紙」(一八七七年一一月)や「ザスーリチへの手紙の草稿」(一八八一年二〜三月)では、ロシア革命の展望について語られているが、どの階級がその主要な担い手になるのかという階級主体論がまったく欠如していることです。かろうじて出されているのは、「ザスーリチへの手紙の草稿」の第一草稿において削除された部分の中で、ロシア革命の担い手として「ロシア社会の知性ある部分」と言っている箇所です。しかしこれでは典型的にインテリゲンチャが階級を代行して革命を上から行なうというエリート主義的理論でしかなく、労働者階級の解放は労働者自身の事業であるマルクス主義の根本命題を自ら否定しています。
二つ目はそのロシア論がかなり抽象的で空想的な複合発展論になっていることです。マルクスは、そのドイツ革命論ではドイツ社会の具体的分析に基づいた現実的な複合発展論をとっていたのに対して、ロシアに関しては、たしかに複合発展論ではあるが、空想的できわめて一面的な発展論になっています。つまり、ロシアの伝統的な農村共同体と西欧の最新の資本主義的成果とが単純に結合することであたかもロシアに共産主義が実現するかのように言っています。
三つ目に、今後のロシアの発展パターンに関して、かなり極端な歴史的二者択一が提起されていることです。「『祖国雑報』編集部への手紙」では、ロシアがもしこのまま資本主義的発展を続ければ、農村共同体の大部分が解体され、農民の大部分が収奪された挙句に他の資本主義国と同じ道を歩むことになるというパターンと、西欧とまったく異なった道、すなわち「ひとつの革命」を通じて農村共同体への悪影響が取り除かれ、農村共同体が共産主義の基盤になるという道という、いずれも抽象的で極端な二者択一論が提起されています。
実際にはそのどちらも間違いです。一方では、ロシアの大部分の農村共同体が収奪されなくても、したがって農民の大部分が収奪されなくても本格的な資本主義化は十分可能であるし、他方では、農村共同体がそのまま維持されて、ロシア外部からの単なる技術的援助だけでそれが共産主義の基盤になるという見通しもまったく空想的です。真理はこの両極端の中間にこそあるのであって、実際ロシアはその道を歩んだわけです。晩年のマルクスのロシア論には、このような真に現実的な発展の道の可能性を分析するという姿勢はまったくありませんでした。最近、晩年のマルクスの農村共同体論がやたらと賛美される傾向が見られますが、まったく周回遅れもはなはだしいと言うべきでしょう。
このような抽象的な歴史的二者択一論は、同時に抽象的で極端な地理的二分法論と結びついています。フランス語版『資本論』の「本源的蓄積」編(この部分は一八七五年に出版)では、ドイツ語版と違ってイギリスにおける農民収奪の歴史があたかも西ヨーロッパに限定されているかのように書き換えられています。後にマルクスは「『祖国雑報』編集部への手紙」や「ザスーリチへの手紙」の中で、この変更に言及することで、イギリス型の本源的蓄積過程が西ヨーロッパ限定であることを強調しています。こうして、「本源的蓄積」の過程は、西ヨーロッパ型とそれ以外に地理的に二分されたわけです。実はこれもおかしな話であって、まず西ヨーロッパがすべて同じ道を歩むわけではありません。実を言うと、このことはマルクス自身がフランス語版『資本論』で言っているんですね。ところが、マルクスは「『祖国雑報』」編集部への手紙」でも「ザスーリチへの手紙」でもこの重要箇所については一言も触れていないし、その後、これらの手紙を取り上げた多くの研究者もほとんど触れていません。そこでその部分を見てみましょう。
まずドイツ語版の「本源的蓄積」章の第一節の最後の部分では「農村の生産者すなわち農民からの土地収奪は、この全過程の基礎をなしている。この収奪の歴史は国によって違った色合いをもっており、この歴史がいろいろな段階を通る順序も歴史上の時代も国によって違っている。それが典型的な形をとって現われるのはただイギリスだけであって、それだからこそわれわれもイギリスを例にとるのである」となっていました(『資本論』第一巻第二分冊、大月書店、九三五〜九三六頁)。この部分は一八七二年に出された第二版と同じです。ここでは「色合い」「歴史的順序」「いつの時代に経過するか」が各国によって異なるとされています。
次に、一八七五年に出されたフランス語版『資本論』の当該箇所を見てみましょう。そこでは当該箇所は「だが、西ヨーロッパの他のすべての国も、同じ運動を通過する。ただしこの運動は、環境に応じて地域的色合いを変えるか、あるいはもっと狭い範囲に閉じ込められるか、あるいはさほど目立たない特徴を示すか、あるいは異なった順序をたどる」(『フランス語版資本論』下、法政大学出版、三九六〜三九七頁)となっています。このようにフランス語版では、まず「西ヨーロッパも同じ運動を経過する」というように「西ヨーロッパ」という限定を入れた上で、さらにドイツ語版の「色合い」や「歴史的順序」と並んで、さらに「もっと狭い範囲に閉じ込められる」場合や「さほど目ただない特徴を示す」という限定が付け加えられています。
このような限定さえ付け加えれば、実は、そもそも農民の土地収奪過程を「西ヨーロッパ」に限定する必要はなかったのであり、実際、ロシアの資本主義的発展では農民の土地収奪が「より狭い範囲に閉じ込められた」典型的なパターンだったわけです。逆に、このような社会的限定を加えておきながら、西ヨーロッパという地理的限定をさらに加えるということは、西ヨーロッパ以外では、農民の土地収奪が「もっと狭い範囲内に閉じ込められる」こともなければ、「さほど目立たない特徴を示す」こともないぐらいに完全に西ヨーロッパ型とは異なる発展経路をたどるということになります。これはまったく極端で非現実的な地理的二分法です。

2、ロシア・マルクス主義の生成――革命的ナロードニズムからマルクス主義へ

 さて次にいよいよロシア・マルクス主義の話に入ります。ナロードニズムとは、前回のお話で簡単に述べたように、一八四八年革命敗北の衝撃を受けて、西ヨーロッパ型の発展に幻滅して、ロシアの伝統的なミール共同体を基盤にして、資本主義段階を飛び越して、直接、共産主義に移行することが可能だし、そうするべきであると考えた思想的潮流を指します。この潮流はこの理想を実現すべく、「人民の中へ(ヴ・ナロード)」と農村共同体に大量に入っていって、農民を啓蒙しようとしました。この思想は同時にバクーニン主義の影響も受けていて、「政治」に関わるのはブルジョア的誤りであって、全人民の下からの暴動によって国家を吹き飛ばし、農村共同体の下からの自治連合が共産主義を実現するという考えも持っていました。
しかし、このナロードニズム運動は農村ではほとんど受け入れられず、逆に活動家が農民によって警察に突き出される始末でした。そして、彼らは国家と警察によって徹底的な弾圧を受けます。こうした苦い経験を経て、ナロードニキたちの中の革命的部分は、必然的に政治に無関心でいられないとして、ツァーリ専制政府の打倒を必要不可欠の任務であると考えるようになります。彼らが結成した「土地と自由」という組織の名称はまさに、この転換を示しています。しかしこの組織はやがてテロリズムをめぐって、テロを組織的に追求する「人民の意志」派と、テロを部分的に承認しつつも基本的には従来どおりの農村でのプロパガンダを重視する「黒い割替」派に分裂します(後者が後にロシア・マルクス主義の基盤となります)。
「人民の意志」派の組織的テロリズム路線は一八八一年にツァーリの暗殺成功という華々しい成果を挙げた後に、徹底的な弾圧を受けて崩壊することになりますが、それでもこの一段階はナロードニズムの中からマルクス主義の潮流が出現する上で重要な役割を果たしました。
まず第一に、ナロードニキの路線を非政治主義から直接的な政治闘争へと大きく転換しました。それはテロリズムという一面的な形態となったのですが、この極端さはこれまでの非政治主義をできるだけきっぱり清算するうえで重要な意味を持ちました。レーニンが言うように、曲がった棒をまっすぐにするには、逆方向に曲げすぎなければならないわけです。
二つ目に、この路線はロシアで革命闘争をするうえで強力な中央集権的組織を結成することの必要性をロシアの革命家に教えました。ツァーリ専制下では、明確な綱領と指導部を持った中央集権的な組織が必要であるという教訓の最初の実践形態だったわけです。(つづく)

コラム

海と孫と一合の酒


 「権力者」は叫ぶ!「整列」「前へ倣え」と。日常に忍び入り少しずつ右へ右へと立つ位置を変える。号令一過、付き従わせるために!其の目論みを許さぬ闘いは始まっている。
 「慣れぬように」「馴らされぬように」を肝に銘じて。
 潮風に吹かれながら櫓を漕ぎ続ける船頭さん。「昔は腹がへって、腹がへって、何でも喰ったな〜!」「そごらへんにあるもの何でも口に入れたもんだ」。ひもじかった少年時代の遠い想い出。「今はな〜でもあるし……」「何でも」の中に「ギュッ!」と詰まったいろんな意味。殺しあい命を奪いあった「戦争」の時代を経て。
 友人達との「ハゼ釣り」。遠足前夜の小学生に戻ったかのように早々と目覚めてしまった。二度寝するわけにもいかず、そそくさと起き、迎えを待つ。肌寒い空気のなか浮かれ気分の車は進み、朝霧が秋晴れを予感させる。例の如く「遅刻者」が出て出航時間の六時はとうに過ぎちゃった。「わり、わりっ!」と憎めない笑顔を乗せ二艘の船で「いざ!出発」。赤銅色に輝く話し好きの船頭さんは八三歳になる。
 「いいど!」の声で、一斉に仕掛けを放り込むと、間もなく「ぐぐっ!」と竿にアタリが!喰い付き、引きも強く「良型」のハゼが初っ端から掛かる。釣り仲間同士の「ウデ」の「貶し合い」が始まり笑いが拡がる。やがて潮止まりの退屈な時間に入ってきた。若き日「ホンダ」のバイクで突っ走った「カミナリ族」の話しから、生きんがための「苦労話」や「笑い話」を交えながらの会話は仲間内の楽しい一時。家族旅行での孫と一緒の温泉入浴を披露し「今年の牡蠣は身入りがいい」と自慢げに船頭さんは話す。
 話題は「漁業特区」へと。降って沸いた被災地での「漁業特区」。「創造的復興」の名で強引に進める知事・行政と漁民・漁協の対立。「既得権益打破!」の声!漁民が育んできた浜の歴史を壊し民間参入に道を開く。「あんなごとやっから漁民がいがみ合うんだ」「みんな頑張って、助け合って来た」と。三m堤防を指差し「なんぼゆってもダメ。あんなどこに金使うんだら、困った人に分ければいがっぺ」と怒る。グルッと真新しいコンクリートの壁が湾を囲んでいた。
 上げ潮になりアタリが少し戻ってきた。さーて!「始め良ければ終わり良し」となるのかな?残り少ない釣餌の「ゴカイ」。日々、潮の匂いを嗅ぎ。「可愛くてしょうがない」が溢れる孫の話題。毎日一合の晩酌を飲み、苦労した末の穏やかな日々を楽しむ。
 「Jアラート」が鳴り響き、破られる朝の眠り。町で、村で、学校で、幼稚園での「ミサイル避難訓練」。人為的に「脅威」が作られ日常が脅かされる。誰だ!陰でほくそ笑んでいるのは!奥底にたまった怒りが噴出す。ささやかな日常「海と孫と一合の酒」を奪う不逞の輩に!     (朝田)


もどる

Back