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    かけはし2017.年10月23日号

前回と違う結末は到来するのか


サード、いつか見た光景

「望まない選択」迫られた果てに


 北韓(北朝鮮)が核開発に乗り出した。米国が軍事オプションの可能性を開いた。戦争の機運がたれこめた。韓国大統領が乗り出した。「戦争反対」を明確にした。米国は北韓に「まず核の廃棄」を要求した。駐韓米軍(削縮=削減)の論議が公々然と行き交った。北韓は引き下がらなかった。核実験を続けていった。

「手続き的正当性」も守られず


 ここで言う「韓国大統領」とは誰なのか。ノ・ムヒョンだ。大選(大統領選挙)勝利の喜びもしばし、だ。再発した北核問題は参与政府(ノ・ムヒョン政府)初期のすべてのイシューを飲み込んだ。就任1年目から支持層の離脱が始まった。当時、青瓦台(大統領府)民情首席だったムン・ジェイン大統領も、この状況を目撃した。突破口は見えなかった。
 あれから14年の歳月が流れた。ムン首席は今や大統領となった。歴史は繰り返す。ムン大統領もまた執権初期から北核問題という大きな試練を味わっている。ノ・ムヒョン政府初期の韓(朝鮮)半島をめぐる北核の危機状況にムン・ジェインという名前を持ち出しても内容は大きく変わらない。
 ノ・ムヒョン政府の時の北核問題の展開過程はこうだった。米国が高濃縮ウラニウム(HEU)を使用した核開発疑惑を提起し、「ジュネーブ合意」を事実上廃棄すると、北韓の外務省は2003年、使用後核燃料を再処理した。北韓はこれを通じて作った「プルトニウムを核抑制力強化のための用度に変更した」と発表した。2017年の状況も同じだ。北韓は去る7月、2回の大陸間弾道ミサイル(ICBM)実験の余燼がさめやらない状況で9月3日、第6次核実験を断行した。北韓官営通信は今回の核実験について「大陸間弾道ロケット装着用の水素弾試験が完全成功した」と発表した。北韓は今や事実上の核保有国だ。
 ノ・ムヒョンとムン・ジェイン。個人としての2人の志向は明らかだ。けれども彼らは大統領として望んでいない選択に追い立てられた。ノ・ムヒョンはイラク派兵、ムン・ジェインはサード(THAAD、高高度ミサイル防御)の追加配置を決定した。一国の最高指導者が、このような決定を下さざるをえなかった「裏の事情」は政治の現実にあっては後日談にすぎない。すべての責任は大統領が負わなければならない。実際、ノ大統領はイラク派兵を決定した後「(私の決定によって)支持者の半分は離れるだろう」と予想した。当時、青瓦台では「平和のための派兵」という論理を押しだした。しかしこのような現実論は「正義とは言えない戦争への参加」だとする進歩陣営の攻撃にたやすく崩れさった。
 サード配置の過程をよく承知しているムン・ジェイン政府内外の人々は、ムン大統領が「どうすることもできない選択をした」、と一様に語った。ムン大統領は昨年7月「サード配置決定の再検討と公論化を要求する」と語った。以降、彼はサード配置をめぐって先鋭に対立した進歩・保守陣営の間で、サードの配置も大韓民国の憲法と法律の手続きに従わなければならないという「手続き的正当性」をうち出した。ムン大統領は7月28日にも「環境影響評価以前にサードの追加配置はない」との原則を明らかにした。だが、まさにその日に反転が起こった。北韓が2度目のICBMを撃ちあげると、ムン大統領は数時間後「サードの追加配置を米国と論議せよ」と指示する。ムン大統領は7月、就任100日の記者会見で「ICBMに核弾頭を装着すること」が、韓国がこれ以上容認することのできないレッド・ラインだと定義した。北韓がまさにそのレッド・ラインを越えたのだ。このような脈絡を検討してみるとき、9月7日未明になされたサードの追加配置は決められた手順だったと言っても過言ではない。
 ノ・ムヒョン政府初期に進められた核問題をめぐる攻防は今後、続けられる「巨大な破局」の入り口にすぎなかった。今日の状況は当時とは比較することができないほどに悪い。だがムン大統領に有利な部分もある。参与政府初期の政局は混乱ぎみだった。だが現在ムン大統領の支持は依然として天をつくばかりだ。

異論は極少、が亀裂のきざしも


 「ハンギョレ21」がサード配置に関連した政府関係者たちの証言を集めてみた結果、今回の措置の不可避性について異論を唱える人は見つけがたかった。米国が主要な安保の利益として考えているサードをただ放置しておくことだけはできなかったという現実論も強かった。現在のところは米国の信頼を得た後、北核問題についてのイニシアティブを握る機会を求めるのが唯一の方法だという論理も力を得ている。
 イム・ジョンソク大統領秘書室長の態度は象徴的だ。9月7日、サード配置の強行過程で慶尚北道星州の住民たちと警察のもみ合いが激化すると、青瓦台の一部では「進入作戦を中断しよう」という意見が出てきた。イム室長は「簡単ではない」として否定的な意見を示したものと伝えられた。事実上、強行の意思を明らかにしたのだ。13年前、当時のイム・ジョンソク「開かれたウリ党」議員は「政府が(イラク)派兵を決定するならば議員職を辞退する」として断食籠城に突入した。彼は派兵反対の主役だった。
 青瓦台の雰囲気も同じだ。2003年、青瓦台は国防・外交・経済のラインと政務・市民社会のラインなどが派兵をめぐって賛成・反対に二分された。これに反して青瓦台は現在「沈黙モード」だ。今回の事態の主要当事者のうちの1人であるソン・ヨンム国防部長官は戦術核の配置まで言及している。ソン長官は9月4日の国会で、個人の意見であることを前提として「(戦術核問題を)対案として検討してみる」と語った。これは国防部の雰囲気を反映した態度だ。武器獲得の分野に詳しい国防部のある高位関係者は「韓米同盟を考慮する時(サードは)どうすることもできない状況だ。米国の武器で国民の生命や財産まで保護できるのなら軍も喜んで然るべきことだ。(軍の)政治的判断や外交的判断はその後の話だ」と語った。これはかつてのパク・クネ政府の時から繰り返されてきたお決まりの論理だ。韓米同盟の垣根の中で米軍の戦略資産を利用して、北韓の非対称戦略にバランスを実現しようというのは軍を含む保守陣営の積年の主張だ。
 与党である「共に民主党」の内部も静かだ。国会国防委員会のある与党議員は「サードは事実上、終わった話だ。ただミサイル防御は高度によって多層的になされるだけに、サードと共に韓国型ミサイル防御(KAMD)体系を構築することが残っている」と語った。国全体を支配しているのは「サードの配置はどうすることもできない」という現実論だ。
 もちろん穏やかな表現の下でも亀裂のきざしも見える。首都圏のある与党重鎮議員は「(サードの追加配置は)かつての政府が作っておいたワナから脱けだせないのだ。これは思考の動脈硬化だ。北核問題が危機をもたらし重さを増すと、再び韓米同盟という習癖によって何にもできなくなった」と鋭い批判を加えた。別の1年生議員は「今はその時ではないけれども」と言って言葉を選びながらも、これまでムン大統領が掲げていたサード配置の手続き的正当性さえ守れなかったことに残念さを表した。院内政党の中で「正義の党」だけがサード配置の当日に「サード配置は外交的経済的自害行為だ。政府はトランプ大統領のプードルに転落した」として直撃弾を飛ばした。批判は市民社会からも出ている。参与連帯は声明を通じて「ムン・ジェイン政府はサード配置の合意や推進過程についての真相調査と手続き的正当性を整えて国会の同意を得ていくという約束を破ってしまった。せめて真夜中の配置はしないという小さな約束さえ守らなかった」と批判した。
 問題は、これからだ。サードの配置はサードのみにとどまらないという展望が説得力を得ている。チョン・ウクシク平和ネットワーク代表は「遠からず星州付近にパトリオット(PAC―3)を配置するという話が出てくるだろう」とし、「サードの迎撃高度は40〜150qであるがゆえに(40q以下で)低くやってくるミサイルを阻むことはできない。軍事的に見ればサードという戦略資産を防御するために低高度ミサイルを防御するための体系が必要だ。それがさまにパトリオット」だと語った。パトリオットを実戦配置して実効をあげるための砲台1個の費用は最大1兆ウォンに達する。

闇を過ぎて対話の扉開かれるか


 心配される点は意外にも多い。まず、中国の経済的報復による民心の離反だ。ドナルド・トランプ大統領も北韓の問題で苦境におかれたムン・ジェイン政府に韓米自由貿易協定(FTA)破棄のカードをちらっとほのめかした。今回の事態を積極的に活用して経済的利益を極大化するという計算だ。サードに対しては中国やロシアが強い反対の立場を維持している。ムン・ジェイン政府が米国ばかり見ていて国内外的に孤立するのではないのかという分析が力を得ている。
 サードの配置はケリがつけられた。参与政府が北核に触発された緊張のうちに、イラク追加派兵という険しい道を経て出合ったのは6者会談だった。北核問題を解決しなければならなかった韓国は南北と米、中、ロ、日の4カ国が集まり韓(朝鮮)半島の非核化を論議するための6者会談の構想を主導した。サードの追加配置という深い闇の後、ムン・ジェイン政府は何に出合うことになるのだろうか。長い闇のトンネルの向こうに存在している一筋の光となる対話の扉は開かれ得るのだろうか。(「ハンギョレ」第1179号、17年9月18日付、ハ・オヨン記者)

星州サード配置関連日誌

2016年1月6日 北韓(北朝鮮)4次核実験。
1月13日 パク・クネ大統領「サード配置を検討」。
7月8日 国防部と駐韓米軍、サードの配置決定を公式発表。
7月13日 国防部、慶尚北道星州郡星州邑星山にサードの配置発表。星州で毎日、サード配置反対のキャンドル集会始まる。
8月9日 星州郡13の保守団体、「星山を除いた他のサード配置場所を探してくれ」。
8月22日 キム・ハンゴン星州郡守、「星山除外した他のサード配置先を探してくれ」。
9月9日 北韓5次核実験。
9月30日 国防部、星州郡草田面ダルマ山にサード配置先変更。
11月30日 星州郡草田面韶成里で毎週水曜日サード配置反対集会始まる。
2017年3月7日 駐韓米軍、サード韓国到着。
4月26日 駐韓米軍、ダルマ山にサード・レーダー1基と発射台2基配置。
7月4日 北韓、大陸間弾道ミサイル級「火星14型」1次試験発射。
7月24日 国防部、環境部にサード基地の小規模環境影響評価書提出。
7月28日 北韓、大陸間弾道ミサイル級「火星14型」2次試験発射。
9月3日 北韓、6次核実験。
9月6日 国防部、「明日、サード発射台4基追加配置」。
9月7日 駐韓米軍、サード発射台4基追加配置。

朝鮮半島通信

▲金正恩朝鮮労働党委員長は9月21日、朝鮮労働党中央委員会の庁舎で、北朝鮮を「完全に破壊する」と警告したトランプ米大統領の国連演説に対し、「過去最高の超強硬な措置の断行を慎重に検討する」との声明を発表した。声明に対し、在日本朝鮮人総連合会中央常任委員会は22日、「金正恩委員長を決死の覚悟で擁護し、母なる祖国を最後まで防衛する」と強調する声明を発表した。
▲9月21日の朝鮮中央通信の報道によると、金正恩朝鮮労働党委員長は黄海南道クァイル郡を現地指導した。視察の日時は不明。
▲韓国の国会は9月21日、大法院長に金命洙前春川地方裁判所長を任命する人事への同意案を可決した。文在寅大統領が指名した金氏は人権派の判事。過去2代の保守政権下で韓国の大法院日本による統治時代に朝鮮半島から動員された徴用工についての判決を見送ってきた。

コラム

身体の異変と政治の変動

 一〇月一一日朝四時前に起き、五時には家を出てバイト先へ向かう。今朝はいつもと調子が違った。ザックを背負う上胸の筋肉が痛いのだ。おまけに汗がたくさん出る。ゆっくり歩いたが痛みと汗は止まらない。あえぎながらようやく仕事を始めた。去年心臓発作で急死した川出さんや脳出血で倒れた大門さんのことを思った。彼らも突然こんな体調異変に襲われたのだろうか。頭痛、めまい、気だるさ。救急車のサイレンの音、倒れた姿が浮かぶ。それでも五時間後の午前九時頃になるとようやく痛みが和らぎかけに。
 二カ月前、早朝バイト先に向かう信号の所で、突然信号が大きく揺れた。「あれ、大地震だ!」。数分後、それは収まったが、周りをよく見ると電柱が揺れていない。どうしたことか。守衛さんに聞いてみると、地震などあったというニュースは流れていないと言う。地震ではなく、自分のめまいだった。
 さて病気も予兆はあるが政治の世界も同じだろう。安倍の突然の解散・総選挙は民進党党首選を見て、民進党の分解と「北朝鮮の核・ミサイル開発の追い風」で勝てると判断したものだった。民進党が「政権交代」を旗印に一夜にして、希望の党への解体・合流を決めた。誰もそこまでは予測できなかった。
 前原と小池都知事には民進党内リベラル・立憲派の排除、野党四党と市民運動のブロックの解体という明確な意思があった。この点では安倍の思惑とも一致するものだった。
 ところが、小池の「右翼・保守派」たるやり方は民進党議員の思惑をすりつぶし、完全な「イエスマン」の要求であった。希望の党は小池私党である。大阪維新の会は地域に地盤のある自民党議員を取り込んで作られた。
 しかし、希望の党や都民ファーストの会は小池ブームに頼って作られ、その基盤きわめて脆弱である。小池都政は豊洲移転問題や情報の公開など様々な問題点が明らかになりつつあり、小池ブームにもかげりが見え始めている。小池が都知事をやめれば都民ファーストの会は崩壊するだろうし、小池流独裁が続けば、希望の党も分解するだろう。
 立憲民主党が作られ、共産・社民と市民運動が全国的に再度組織された。希望に肩入れした連合は立憲と希望にまた裂き状態になった。
 序盤戦の選挙結果予測は軒並み、与党が過半数を超え三〇〇議席に届くか、希望の党の失速、立憲民主党の躍進、共産党の議席減を伝えた。小選挙区制の非民主的仕組みが、野党がバラバラだと与党・自民党を圧勝させる結果を作りだすかもしれない。
 選挙後は改憲問題が最大の対決軸になる。国会発議と国民投票という重大な決戦が迫った。勝ち抜こう。 (10月16日)(滝)


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