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    かけはし2017.年10月9日号

極右台頭と新自由主義の失速
抵抗の主導権を取り戻そう!



投稿

パブロ・ソロン(ボリビア元国連大使)10月講演ツアーを成功させよう

喜多幡佳秀
(ATTAC関西グループ)

気候を変えるな、シス
テムを変えろ

 ボリビア多民族国の国連大使として、気候変動をめぐるCOP交渉やコチャバンバ会議(二〇一〇年)の開催で活躍したパブロ・ソロンさんと、WTO反対運動をはじめアジアの社会運動のネットワークの発展のために奮闘してきたマリー・ルーさん(現在は在ボリビア)が一〇月下旬に来日し、東京、京都、大阪で講演会が開催される。
 パブロさんとマリーさんは世界社会フォーラムなどさまざまな機会に、「気候を変えるな、システムを変えろ」と訴えてきた。
 八月下旬に米国テキサス州は巨大ハリケーン「ハービー」の影響で記録的な大雨が続き、大規模な洪水被害が出た。
 同じ時期に南アジアでも過去数十年で最悪の洪水被害が起こり、インド、ネパール、バングラデシュの三カ国で死者一四〇〇人、被災者の総数が四〇〇〇万人と伝えられている。
 いずれも地球温暖化による海水温度の上昇との関係が指摘されている。
 米国・トランプ政権が石油・エネルギー企業の意を受けて、前政権の下での気候変動問題への取り組み─きわめて不十分であるが─をすべて廃止し、「人類への最大の犯罪」(チョムスキー)に邁進している中で、クライメート・ジャスティス(公正な気候変動対策)を求めるグローバルな運動の再構築が切迫した課題となっている。

水への権利、マザーアースの権利


 二〇〇〇年代に南米ボリビアとエクアドルでは先住民族運動を先頭とする広範な社会運動が発展し、それを背景にした左派政権が登場した。
 一九九九年一〇月から二〇〇〇年四月にかけてボリビア中部コチャバンバ市で激しく展開された水道民営化反対の闘争は、一九九九年一二月のシアトルにおけるWTO反対のデモと共に、新自由主義に対するグローバルな抵抗の画期となった。
 この闘いを背景として二〇〇五年一二月にMAS(社会主義運動)のエボ・モラレスが大統領選挙で勝利し、エネルギー産業の国有化や貧困対策などの進歩的政策を進めた。〇九年には新憲法が制定され、国名をボリビア多民族国と改める、先住民族社会の中で継承されてきた「ビビール・ビエン(良く生きる)」の考え方に基づいて、水への権利、自然の権利を明記する、外国の基地を設置しないなどの画期的な内容が盛り込まれた。
 二〇一〇年七月には国連総会でボリビアなどの諸国が提案した「飲み水と衛生へのアクセスは人権」とする決議が賛成百二二カ国、棄権四一カ国(米国、日本など)で採択された。また、二〇〇九年四月にはボリビアの提案で四月二二日を「国際マザーアースデー」とするという決議が全会一致で採択されている。
 こうして小国ボリビアは、新自由主義がもたらしている地球環境の危機と貧しい人々の生活の破壊について国際社会に告発してきた。
 パブロ・ソロン氏はまさにこの時期、国連大使として奮闘してきた(在任は二〇〇九年一月から一一年六月)。

左派政権の失敗と
開発政策の加速

 パブロ・ソロン氏は国連大使退任後、「フォーカス・オン・ザ・グローバル・サウス」(本部・タイ)の代表に就任し、クライメート・ジャスティスの運動の国際的な再結集を呼びかけると同時に、資本主義に代わるオルタナティブ(対案)をめぐる共同の討論を呼びかけてきた。
現在はボリビアに戻り、モラレス政権の開発政策に反対する先住民族や環境団体と共に闘っている。
パブロ・ソロン氏の最近の論文「ビビール・ビエン(「良く生きる」)の日本語がATTAC関西グループのウェブに掲載されている。この論文はソロン財団とフォーカス・オン・ザ・グローバル・サウスとATTACフランスの共同のプロジェクト「オルタナティブ・システム」の一環として発表されたものであり、ボリビアの左派政権の下での経験を総括した重要な文書である。
この論文の中でパブロ・ソロン氏は左派政権の開発主義を批判して、次のように述べている。
「……われわれはなぜこんな状態に陥ったのだろうか? 単に外部的要因のためなのか、それともビビール・ビエンに反していたためなのか?
ボリビアもエクアドルも、公式な議論では、中心的な目標が原材料輸出への依存を減らし、単一商品輸出国を脱し、経済を多様化し、工業化を促進し、生産性を向上させ、生産物に対する付加価値を高めることであると自己確認しているが、今日これらの国が以前よりも原材料輸出への依存度を高めていることは否定しようがない。
経済の多様化は起こらなかった。なぜなら資源採掘と原材料輸出に賭ける方が即効的には利益が大きかったからである。進歩的政府は公共のインフラや社会的プログラムを通じて即効的な成果を示すことを望み、そのための財源を確保する手っ取り早い方法は過去にしばしば批判されてきたやり方を続けることだった。反資本主義的で進歩的な性格を持つこともあったビビール・ビエンの議論を用いながら、彼らは輸出依存の強化を促し、同時にいくつかの所得の再分配の仕組みを導入したが、それは資本主義的蓄積のシステムの本質を変えるものではなかった」。
「今では政府自身が効率と新自由主義的な収益性という基準を採用し、工場を閉鎖し、社会給付の増額を制限し始めている。・・・われわれは進歩的政権と、ビビール・ビエンの名の下で進められてきたポピュリスト的な資源採掘主義のサイクルの終わりを目撃している」。
また、彼はギリシャのシリザの元中央委員のアンドレス・カリツィス氏との興味深い対談の中で、次のように述べている。
「私たちは権力を維持することを目的化しはじめた。ボリビアは常に自然資源の採取に依存してきた。銀の次にゴム、それからスズ、天然ガスというように。私たちが目指したのはアグロエコロジー(農業を基礎とした生態学的に持続可能な経済システム)の国への転換だった。私たちは再生可能エネルギー、エコツーリズムへ移行できたのに、そうしなかった。政府は天然ガスの採掘への依存を続けた。他に選択肢がなかったのか? そんなことはない。政権を維持し、権力を手にする最も簡単な方法が、天然ガスを抽出し、それを売って収入を得ることだったのだ」(「ラウラ・フランダーズ・ショー」、Youtubeで九月八日公開)。
南米左派のこの経験と教訓は資本主義に代わるシステムを目指す多くの人々が共有できるだろう。

ナショナリズムではなく
参加・自治を基礎にした抵抗へ

 トランプの登場とフランス、ドイツにおける極右勢力の台頭は新自由主義グローバル化がもたらした帰結であり、反動である。
昨年末から今年初頭に全国で講演会を開催したウォルデン・ベロー元フィリピン下院議員が指摘したように、「反グローバル化の運動は左翼が主導したのに、成果を手にしたのは右翼だった」。
その重要な原因は既成の左派・リベラル政党や労働組合が政権参加と経済成長のドグマに縛られていたことにある。新自由主義に対する人々の不満は、広場占拠やガスパイプライン建設反対の直接行動などのラディカルな闘いや、サンダース、コービンへの共感、オルタナティブなシステムへの関心と経験的な挑戦の開始としても表現されている。そのような展望が見えないとき、多くの人々はポピュリスト的リーダーに希望を託し、ナショナリズムに拠り所を求める。
一九九〇年代後半からの反新自由主義の運動は、その豊かな経験、参加型民主主義、連帯経済や自治への試行錯誤を基礎にして、新自由主義とナショナリズムの二つの流れに抵抗することを求められている。
ATTAC JAPANは〇二年のジョゼ・ボベさんの招請、〇八年G8サミット対抗アクションへのスーザン・ジョージさんの招請に続いて、パブロ・ソロンさん、マリー・ルーさんを招請する。グローバルな運動の最先端の知見と経験と課題を日本の広範な分野の活動家たちと共有するためである。
すでに各地で実行委員会が重ねられ、賛同が広がりつつある。全力で講演ツアーを成功させよう!
■講演ツアー日程
一〇月二七日(金)東京、午後六時半 連合会館
同三〇日(月)京都、午後六時半 同志社大学
同三一日(火)大阪、 午後六時半 エルおおさか

9.19

戦争法廃止・安倍内閣退陣を

1万500人が国会前集会

臨時国会召集日解散に抗議


 九月一九日、戦争法が二年前に強行採決されたこの日、午後六時半から国会正門前で「戦争法廃止と安倍内閣退陣を求める九・一九大集会が行われた。集会には一万五〇〇人が参加した。主催は「戦争させない・九条壊すな」総がかり行動実行委員会。
 主催者あいさつを行った総がかり行動実行委の高田健さんは、北朝鮮のミサイル発射で危機感を煽り立て、不安を拡大させながら、それを「解散」の理由にする安倍政権を厳しく批判した。さらに衆院選での野党共闘に触れ、野党と市民の共闘関係の中で培われた政策を基準にして十分に可能だ、と訴えた。
 政党発言は、共産党の志位和夫委員長、民進党の小川敏夫参院議員会長、社民党の福島みずほ副党首から。議員たちはそれぞれに、九月二八日召集の臨時国会が、審議もないまま解散と予想されていることを厳しく批判。「森友・加計」問題で窮地に立たされた安倍政権が、三カ月に及ぶ臨時国会開催要求を無視したまま、召集即解散となるだろうことを批判した。
 安全保障関連法に反対する学者の会の佐藤学さん(学習院大教授)は、臨時国会冒頭解散という安倍内閣の暴挙を厳しく批判した。        (K)

コラム

残暑閑話

 今年も酷い暑さだった。夏が来る前から夏バテになり、私の活動量は年々低下するばかりだ。秋風が立っても疲れは癒えない。料理番はなんとかこなしてはいるが。
 どうしたのだろうか。いつも届いていた暑中見舞が昨年に続いて今年も来なかった。近況報告を含む暑中見舞の中で認知症が始まったと書いてあった。私より一〇歳以上も年上だからしかたがないとは思っていたが心配だ。そういえばメールもカラのままだ。
 阪神・淡路大震災を共に同じ職場で経験した。彼は私とは異なる職種で施設管理の電気に属していた。壊滅した職場の中で、その軽い身のこなしと明るい笑顔にずいぶん励まされたものだ。
 彼は自分の車に私たちを乗せ、西日本各地の美味いものを食べに連れ回した。境港や能登、太地等では、私にとっては初めて口にするものが多かった。私たちは呑んべえだったが彼は一滴も飲まなかった。
 定年退職後、彼は妻と二人で遠方の温暖な地に移り住み、適当なパートに就き悠々自適の生活を送っていた。今では自慢の娘夫婦と共に暮らし、その写真も送られてきていた。八〇歳を前にして孫を車に乗せ長野にまでスキーに出かけていた。
 思い出は尽きない、それにしても心配である。
 数年前、何時ものことだがこの先輩が突然やって来た。呑んべえ用の良い土産が手に入ったと言う。花屋が経営する喫茶店でコーヒーを飲んだ。会うのはそれが最後だった。
 「おたふくなんてん」という名の植物の苗が売りに出されていた。その名前が面白く百円の小さな株を買い鉢に植えておいた。
 原産地は日本。南天の一種だが花も咲かず実もならない。葉も南天とは似ても似つかない。矮性で背も高くならないのでグランドカバーとして用いられる事が多い。常緑樹だが冬の寒さの中で見事に紅葉する。
 おたふくは「お多福」と書き縁起が良いとされる。「ひょっとこ」と対にされる「お亀」の面がそのイメージだ。日本神話のアメノウズメが起源であり、古来は美人の代表とされたと言う説が有力である。南天も「難を転じる」ことから縁起が良いと言われている。
 無数の針のような硬い軸が立ち、その一本一本に幅広の柔らかな葉が付いている。全体としての立ち姿は様になっている。
 当初は株が小さいこともありあまり気に止めていなかった。少し大きくなった頃、軸が硬く立ち上がる力がありそうなので密集させたまま立木として育てることにした。
 成功した。成長のスピードは速くはなく背丈は低いが、今では立派な紅葉樹のように見えるから不思議である。
 別れ際に買った一〇〇円の小株の成長した姿を写メールで送った。「お前も暇じゃのう」と言いながら彼はそれなりに喜んでいた。
 私もまた時々ゴミ出しを忘れるようになってきた。
 それにしても心配だ。(灘)



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