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    かけはし2017.年10月2日号

軍がふりつける政治がなお継続


パキスタン

打開の鍵は民衆的オルタナティブ

ファルーク・スレーリア


 本紙九月四日号では、先頃のパキスタン首相解任をめぐる、アワミ労働者党の声明を紹介した。以下は、この事件の背景を歴史的推移を含めて分析し、現在の政治情勢に働いている力学を見極めようとしている。アワミ労働者党の同志たちを取り囲む厳しい条件、そして同志たちが何と闘っているのかを理解する一助にもなっている。(「かけはし」編集部)

判事たちは常に
軍を支えてきた


 パキスタン首相のナワズ・シャリフの追放は、裁判官の不公平さと軍のはなはだしい影響力のもう一つの事例だ。
 パキスタンにおけるチェック模様のような断絶的政治生活を形作るクーデターは、少しもニュースではない。しかしながら、七月二八日の法廷における判決を通した、腐敗容疑によるナワズ・シャリフ首相のその職務に対する資格剥奪には、クーデターに関わるニュースについて新しい要素がある。このクーデターは、パキスタン軍に代わって、この国の最高位の判事たちにより遂行されることになったのだ。
 以前のクーデターの場合であれば、軍がその打倒の先頭に立ったことだろう。そしてその言いなりになる司法が、それに合法的覆いを提供することで、恥ずかしげもなくそのクーデターを正当化していただろう。この司法部は一つの機構として、自らを身売りしてきたのだ。
 最高位の判事たちは、あらゆる軍事クーデターを正統なものとし、将軍たちに説明責任を果たさせることを拒否してきた。司法はもっとも近くでは、前独裁者のムシャラフ将軍が海外にそっと出ることを放任し、それにより、クーデターに参加しこの国の憲法を侵害したことで、彼が法的訴追を受けること――そしておそらくは死刑判決を受けること――を逃れることができるようにした。
 判事たちは、軍服を着た男たちが公的資金を横領した、あるいは彼らの権力を乱用したとして捕らえられたときはいつでも、この将軍たちに説明責任を果たさせることを、頑強に拒否してきた。法的な説明責任は常に腐敗した政治家で始まるがそこで終わるのだ。
 シャリフ一門――ブット一門に対抗するために、軍自身により一九八〇年代に据えられた――は土台から腐敗しているとしても、司法の不公平さが意味していることは、現職の首相を策を凝らして終身の資格剥奪にするという七月二八日の判決には、それが何であれいかなる信用性もない、ということだ。

ナワズ・シャリ
フの失脚と浮上


 保守的な社会的かつ政治的な外観をもつ実業家であるシャリフは、彼の政治的経歴を軍の恩顧に基づいて始めた。彼の個人的富と政治経歴は、互恵的なやり方で豊かにされた。彼は、この国の四州の中で最大の州であるパンジャブ州の首相を務めた後、一九九〇年代の非定期の諸選挙において、ベナジール・ブットのパキスタン人民党(PPP)を何とか打ち破ることに成功した。その選挙が軍により彼に有利に偽装されていた、ということはこの国の最高裁も認識していた事実だ。
 彼は首相になるや否や、彼が企業帝国を拡大してきたやり方で、彼の公的権力を拡大したかった。しかしこれは一九九三年に、総司令部(GHQ、パキスタン軍の中心本拠)との対立に導いた。そしてそれが、シャリフを権力の座から追い出すための大衆扇動を始めるために、シャリフのライバルであるベナジール・ブットと協力するよう将軍たちに火を着けた。ベナジール・ブットは、全体としては公正な選挙で、復帰を実現した。しかしほどなく、さまざまな陰謀を通して彼女は軍によって解任された。これらの解任すべては、反腐敗といった主張を通して正当化された。
 一九九七年、低投票率を特徴とした新しい総選挙の中で、シャリフは三分の二の多数を携えて権力に返り咲いた。彼は即座に、彼の弟のシャーバズ・シャリフをパンジャブ州首相に指名した。その時からずっと、シャリフの娘の夫、甥、娘、また他の親戚が議会で、また彼の党である保守的なパキスタンムスリム同盟ナワズ派(PMLN)で要職を占めてきている。
 彼はこの二回目の任期中、エルドアンばりのイスラムに傾いた独裁を確立しようともくろんだ。私有化が加速されたばかりではなく、私有化された事業体はシャリフ一族の取り巻きに引き渡された。また彼は、サウド王家との緊密な個人的関係を深めつつ、パキスタンをリアドにもっと近づけた。
 しかし彼は間違いを犯した。すなわち、インドとの和平プロセスに着手したことであり、それが軍を怒らせた。一九九九年一〇月一二日、彼は取り除かれ、ムシャラフ将軍の命令の下に収監された。その後彼は、三ダースの家族と共に、サウジアラビアに追放されたが、それがサウジ王国の干渉に基づくということも大いにありそうなことだ。
 彼は、二〇〇八年にムシャラフがさっさと払いのけられた後でなければ、帰国はかなわなかっただろう。その年彼は総選挙に参加したものの、二〇〇七年のベナジール・ブット暗殺を受けたPPPに対する同情の波のおかげで、多数派を得ることにはならなかった。今やベナジールの残された夫が率いるPPPが、二〇〇八年に政府を組織した。しかしながらPMLNはパンジャブ州で何とか多数派を確保し、シャリフの弟、シャーバズ・シャリフが州政府を作った。そして、PPP政府がまったくの非効率さと誰にも分かる腐敗を通して自ら信用をなくす中で、シャリフの政治的運は矛盾した形で開けた。

新興中間階級と
新たな政治勢力


 PPPの不人気の高まりは、シャリフが、二〇一三年に再獲得することになった首相の位置に、ゆっくりと近づきつつあることを意味した。しかしながら、PPPに対する幻滅とシャリフの運の高まりは、PMLNの支持基盤の反射的な拡大に移されることはなかった。むしろ、元のクリケットスター、イムラン・カーンが率い、パンジャブにおける支持基盤の成長に後押しを受け、さらに軍からの暗黙の後援を受けたパキスタン・テーリク―e―インサフ(PTI)として知られる政党が、パンジャブにおけるPMLNのライバルとして浮上した。
 PTIはPMLN同様、弁護士運動として知られる反ムシャラフ扇動に参加していた。そして、PPPにもPMLNにも魅力を感じなかった新興中間階級をその基層に引きつけた。この層は、医師、技術者、弁護士の同業者仲間、またさまざまな種類の専門家から構成された。
 商人、保守派そして都市周辺の下層中間階級といったシャリフの基盤とは異なり、イムランの支持は、学者が当世風に「上昇志向の中間階級」と描くものから構成されている。それは政治的には保守派だ。しかしながら、主張はより断言的であり、都会的であり、主流メディアとソーシャルメディアを通して一層自己主張が強い。それは政治におけるいわば領地と社会的な上昇可動性を欲し、軽蔑の念をもって労働者を見ている。
 シャリフ一門とPMLNは恩顧で報いるネットワークを通して、未組織なまた従属的な諸階級をまとめてきた。PTIの支持者はこうした恩顧で報いるネットワークを腐敗の諸形態と見ている。こうしてPTIの主な政綱は反腐敗の主張となってきた。いわゆるパナマ文書が二〇一五年にリークされたとき、そこには海外企業の所有者としてシャリフ一家のメンバーが含まれていた。PTIはこの好機に飛びつき、ナワズ・シャリフを含むシャリフ一族反対で最高裁と行動を共にした。
 イムラン・カーンは事実上、シャリフの腐敗に反対する請願提出について最高裁判事のコーサ判事から働きかけを受けた、と主張した。結果として、裁判所による調査チーム――軍情報部要員の特色を帯びたチーム――がつくられた。最終的には、二〇一三年の選挙書類にシャリフの所得源を彼が明らかにしていない――憲法違反――という口実の下に、彼は職務を続ける資格がない、とされた。状況証拠は、軍がこの望みの判決を保証した、ということを示唆している。

司法を表舞台に
出した軍の弱み

 しかし、軍事クーデターではなく、むしろ司法によるクーデターが選ばれた理由は何だろうか? 一定数の理由があるが、もっとも重要なものとしては次の三つをあげることができる。
(1)軍事独裁が大衆運動によって打倒されたのはほんの一〇年前にすぎなかったということがある。一方、この弁護士運動に背骨を与えた都市中間階級は、彼らの政党、PTIが次の政府になるだろうと信じつつ、民主的プロセスに今も希望を抱いている。
(2)経済情勢、電力危機(日に八時間もの停電が日常のできごとになっている)、高い失業、悪化するインフレ、さらにタリバン支持の政策は、これらの危機すべてとそれらの解決に対する、軍による直接の責任を暗に意味するだろう。
(3)GHQは、アフガニスタンにおけるパキスタン軍の干渉のせいで、ホワイトハウスの忠誠者名簿上にはない。現在、悪化を続ける社会・経済諸条件のために熱を出しながらも、パキスタンの軍部を米国の圧力から守っているのは文民政権なのだ。
その上で、七月二八日の司法によるクーデターの背後にある動機は何だろうか? ナワズ・シャリフの支持者の主張は、インドとの違いを調停しようとした彼の意図、および「反エリート」の姿勢を示したことが、この国の全権を握る軍部を怒らせることになった、というものだ。
シャリフの親密な腹心の友であり、内閣の一員であったサアド・ラフィクはさらに、イエメンにおけるリアドの戦争を助けるための軍部隊の派遣をシャリフ政権がことわったこと、またここに来てのカタール・サウジ紛争に対しこの政権が中立を保ったことを指摘しつつ、サウジアラビアを暗にとがめてもいる。いくつかの条件付きだが、これらの主張は信用できるように見える。

司法使った文民
政府圧迫は続く

 しかしながら、実際の理由は、民主主義に対する軍の本能的な嫌悪感だ。パキスタンは、執政官国家と特性付けることが可能であり、そこでは、軍が鍵を握る経済的、政治的、またイデオロギー的な圧倒的ヘゲモニー保持者として現れてきた。
文民支配の制度が確立されて以来、軍に説明責任を果たさせようとの試みがこれまでにあった。一定範囲の労働組合や専門家団体に対する禁令が凍結されてきた。それ以上のこととしてPPP政府は、小さな州に利益となる、連邦権力の脱中央集権化に向け憲法を修正した。そして自由なメディアに向けたより大きな空間がある。軍はおそらくこれらの変革を、自らの権力を代償にした民主主義の強化と見た。文民と軍の均衡の中で、民主主義の強化はおそらく、文民を有利にするバランスの傾きになりそうなのだ。こうして司法のクーデターとなっている。
次は何だろうか? パキスタンでの民主的経験を印す短命の交代期、選出された文民政権は事実上、軍に対する反対派となる。シャリフの党は、彼の弟で現在のパンジャブ州首相、シャーバズ・シャリフが彼に代わることで支配を続けるだろう(腐敗した兄弟をもう一人の腐敗した兄弟で置き換えることは、世界銀行――そして腐敗のシステムを取り除くために、構造的な原因を探求する代わりに「清潔な個人」の重要性を中心に置くPTIスタイルの反腐敗論――に対する肘鉄砲となるだろう)。
総選挙は一年以内に予定されている。軍部はその一歩ずつの司法クーデターを続けるだろう。その目標は、権力の回廊からのシャリフ一族追放を結論とするだろう。しかしながら、選挙に対する偽装なしには、そのような結論も不可能だろう。それゆえ、パキスタンの労働者が、新自由主義的なしかし選出された政治家と、反民主的な軍部、またその司法のしもべとの間に閉じ込められたまま、進歩的な、親民衆的なオルタナティブ不在の中で、現在の政治ショーが続くことになる。

▼筆者は現在スウェーデンを拠点にしている著名な急進的ジャーナリストで、オンライン雑誌の「ビューポイント」の編集者。パキスタン労働党の指導的メンバーとして、同党のパンフレット「政治的イスラムの台頭」を書き上げ、タリク・アリによる「原理主義の衝突」もウルドゥ語に翻訳した。(「インターナショナルビューポイント」二〇一七年九月号)  


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