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    かけはし2017.年9月18日号

沖縄を弾圧するために税金使うな


8.25

機動隊派遣は住民福利に反する

真の自治をよみがえらせ
憲法破壊に立ち向かおう


 八月二五日午後六時半から、東京・文京区民センターで「警視庁機動隊の沖縄への派遣は違法8・25住民訴訟大集会」が警視庁機動隊の沖縄への派遣中止を求める住民監査請求実行委員会の主催で開かれ、一八八人が参加した。主催者あいさつに続き住民訴訟の経過報告が高木一彦弁護士によって行われた。

住民監査請求
という民主主義
警視庁機動隊など全国から機動隊が高江のヘリパッド建設阻止行動を弾圧するために派遣され、反対運動をする人たちへ暴力的に襲いかかり、工事を強行した。これに対して、東京で何ができるかということで、「派遣された機動隊への給与支払いは、違法・不当な公金の支出に当たる」として、二〇一六年一〇月東京都に住民監査請求を行った。しかし、何の審理もすることなく、一一月に却下した。それに対して一二月に一八四人の原告と弁護士代理人六二人で住民訴訟を起こした。
最初に立ちはだかる壁は、派遣決定が違法だとしても、給与の支給に財務会計法規違反がなければ、警視総監に損害賠償責任はないということになる。これに対して、第二回裁判で、裁判長は「警察法六〇条を見ても、誰が警察官の派遣決定をするのかがよく分からない。法的な権限だけでなく、その運用においても警視総監が機動隊の派遣について事前・事後にどのように関与するのかを明らかにせよ」と都にせまった。このことから門前払い判決はしないのではないか。次に、問われるのが、機動隊派遣が違法なのか、どれほど重大な違法なのかについての実態審理である。
この裁判は闘う沖縄県民への連帯であると同時に、警察の暴走との闘い、本来自治体警察であるはずの警視庁を、都議会や都民のコントロールの下に置く、東京の住民自治を取り戻す闘いである。

山城博治さんが
熱烈アピール
諸見力さん(全国港湾労働組合連合会、辺野古新基地建設反対対策委員会事務局長)が連帯のあいさつを行った。「二〇一五年九月、辺野古での米軍新基地建設工事は違法であり加担できない。辺野古を埋め立てる土砂の運搬作業を拒否することを決めた。業界に対して、作業を行わないよう求めて労使協定の締結も働きかけている。この闘いは土砂搬出の阻止につながる」。
次に、高江の闘争で長期勾留された山城博治さんがあいさつした。
「北朝鮮のミサイル問題で武力と武力の対立をやめさせるべきなのに、安倍は北朝鮮に圧力一辺倒の態度だ。マッハの速度のミサイルをミサイルで撃ち落とせない。戦争をしてはならない。対話で平和をつくるべきだ。安倍は中国の力添えが欲しいと言うが、中国包囲網のため、石垣島、宮古、徳之島、佐賀、佐世保と自衛隊を新たに配備する。中国からすればふざけるなとなる。力と力で封じることはできない。辺野古・高江の基地建設をやめるべきだ。沖縄は今、一千万人の観光客が来て、成り立っている。核弾頭が撃ち込まれ、戦争になれば観光産業が壊滅する。軍事基地は抑止力にならないしいらない」。
「昨年、高江の工事を強行するため、全国から五〇〇人の機動隊が派遣された。逮捕されたが闘いはくじけずだ。機動隊を派遣した地元で派遣反対の声が出て来たことが重要だ。これが広がれば警察は自分の仕事のペースが崩れる、プライドがつぶされることを最も嫌う。今後の機動隊の派遣を止めるためにもこの闘いに大きな期待をもつ。高江では補修工事を止める闘いそして、オスプレイの全面飛行を許さない闘いに入る」。
「今後私の裁判は私の主尋問が始まる。暴力によって民主主義を奪う国家の権力行使が問われる。これでめげない。屈するわけにはいかない。平和を守り、自らの未来をかけて闘う。安倍をくたばらすまでがんばろう」。
宮里邦雄弁護士が本住民訴訟の意義について話した。
「住民自治が形骸化している。自治をよみがえらせ、違法な行為を抑止する。法廷の中と外の連携が必要だ。安倍首相は憲法改正をして自衛隊を憲法上の存在にしようとしている。今は法律で決められているにすぎないので憲法の制限が課せられている。加憲して九条に自衛隊が加えられれば、単に現状の追認ではなく、時の政権の思うままに自衛隊が使えるようになる。安倍政権の反憲法的なやり方との闘いとして今回の住民訴訟もある」。

トークセッショ
ンで思いを語る
続いて、山城さんと宮里さんのトークセッションが行われた。
宮里さん。「宮古島出身。キセンバル闘争の弁護団の一人。一九七六年九月、国道104号線を止めての米軍の実弾演習に対して、一五〇人が基地内に立ち入り阻止行動を起こし、着弾地点で狼煙をあげた。決死的闘いで四人が逮捕・起訴された。立川基地拡張反対の砂川事件で初めて刑特法が適用され七人が有罪になったが、一審で無罪判決(伊達判決)が出された。その伊達さんがキセンバル裁判の弁護団長になった。伊達さんは裁判の最初に、『憲法を忘れてはならない』と発言した。この時は、本土の支持はなく、沖縄だけの闘いであり、今と違い安保反対闘争としての基地反対闘争だった」。
「一九九六年、大田昌秀知事の時、基地の土地を地主と契約しなければならなかった。しかし、反戦地主が契約を拒否し、土地収用がかけられた。この時、大田知事は署名を拒否した。結局、大田・橋本会談によって基地の縮小に取り組むことになった。大田さんは意見陳述で、『私は被告とされているが、政府が被告になるべきだ。あなた方こそ被告だ』と何回も言われたので、政府側がつい、私たち被告がと言ってしまったというエピソードが残っている。この大田知事の闘いが日本全国に沖縄の基地闘争を広げたきっかけになったのではないか」。
山城さん。「キセンバルの闘いを原点として闘っている。それまでは沖縄県警とは話し合いができていたが、二〇一五年一一月、警視庁機動隊一〇〇人が高江にきてから様変わりした。命と暮らしを脅かす機動隊になり、私に指揮をとらせないようにした。二〇〇七年から私は高江に入ったがその頃から全国からも支援者が来始めた」。
「今の状況は辺野古・高江を超えて、与那国、石垣、宮古…と基地建設が進められている。東京に核弾頭が飛んでくるかもしれない。そういう意味ではみんな当事者だ。安倍のスタンスによっては戦争が起こるかもしれない。沖縄で戦争させない」。
宮里さん。「支持・連帯ではなく、自ら当事者だ。宮古島に基地が作られる。沖縄の世論を全国化することが重要だ。あきらめない。息長く闘う」。
続いて、原告の二人がなぜ、原告になり訴訟を起こして闘っているのかを思いを込めて語った。九月二〇日午前一一時半、東京地裁103号法廷への傍聴などの行動提起があった。山城さんのここに座り込め、キセンバル闘争の歌など三曲が披露され、とても盛り上がった集会であった。(M)

三里塚の証言 悪魔の731石井部隊 C

我が内なるファシズムの思想を克服せよ

三里塚大地共有委員会代表 加瀬 勉 2017年4月10日


瀬利誠

 瀬利誠〈千代田村香山新田横堀〉反対同盟副委員長。社会党員。中国戦犯として撫順刑務所に服役、最後の戦犯として帰国してきた。731部隊員であった。反対同盟副委員長でもあり社会党員であったので瀬利と私は特別な人間関係にあった。
瀬利が町会議員の立候補についても、横堀大鉄塔闘争本部の土地買売交渉について、瀬利の家が火災にあって全焼、借り住まいのプレハブ建設について瀬利が移転を決意したときにもそれを止めるために意見交換した。このような人間関係の中で瀬利が漏らしたのは731部隊員であったことである。瀬利は石井部隊が寧波で細菌戦を実行したときの部隊員であった。
瀬利昭義、瀬利誠の長男である。「父は戦地での生活が長かった。内地勤務から外地勤務に、その時に母が私を身籠もった。そして終戦、父は戦犯として中国に長くいた。父が中国から帰ってきた時には私は三〇歳を過ぎ結婚し、子供もいた。父のことについては母から話を聞いて育ってきた。父の写真もみた。だが俺の体には父親に育てられたという実感はない。確かに自分の父親に間違いないと理屈はそうであっても肉親の感情が湧かない。感情の問題実感から言えば父親は他人なのである。だから移転するか残るか、生活をどうするかの話になると父親と喧嘩になってしまう」。戦争による親子の断絶、平和に見ている普段の生活の中にどうしても越えられない戦争の断絶の悲劇が存在する。
この断絶した瀬利親子の前で戦争と平和についてどのように語ればよいのか。

牛尾はる

 桓武天皇を祖に持つ千葉一族牛尾能登守胤仲の末裔牛尾良之助〈多古町牛尾〉のところに、多古町仲町港屋食堂から牛尾はるさんは嫁いできた。この牛尾はるさんの弟が多古町新町で精肉店を開いている。731部隊員である。再三紹介をお願いしたが断られた。

萩原久子さんの叔母

 私の小学校の同級生の萩原直司君が久子さんと結婚した。久子さんの父親萩原弥海軍少尉サイパン島で玉砕。久子さんの母親は多古町新町「魚佐」から嫁いできた。久子さんの母親の妹君代さんが千葉県勝浦市出身の731部隊員と結婚した。
私は、731部隊のことについて教えてもらいたいと再三お願いしたが「死んで墓場までもっていく」と断られた。

瓜生栄二

 瓜生英二は反対同盟瓜生安治〈千代田村菱田辺田〉の弟である。石井四郎の親族。平房施設ロ号棟監獄監視特別班員。

石井剛男

 石井四郎軍医中将の実兄で平房の特別班班長。八月一〇日丸太二〇〇を処理するように命令。一人一人に首を括るロープが渡された。初めて死ぬ自由があたえられた。鉄格子にロープをかけて死んでいった。抵抗し死に切れぬものはピストルで射殺し毒ガスで全員殺した。太い鉄棒の上に死体を乗せて油をかけて焼いた。黒煙と臭気は天を覆った。熱い骨を石炭に混ぜて踏み固め叺(かます)に詰めてトラックに積み込んで松花江に運んで捨てた。

石井三男

 石井四郎軍医中将の実兄平房の監獄管理責任者。千代田村大里加茂の出身。

731部隊篠塚良雄隊員の証言

 聴くということは「それを聴いてお前どうするのだ」と跳ね返ってきて自分自身の主体が問われることである。組織者にとって知るということだけではすまされない。知ると同時に信頼関係まで高めていったときに組織者としての資格が生まれてくる。党利党略、個人の野心など問題外である。聞き流す、聞かないことにしておこう、知らないで済むならそれでよいではないか、そんな人生の選択もあろう。自分の良心に嘘をつかず、せめて自分だけには欺かず忠実に生きてゆこう。そんな主観主義自己満足では現状は変革できない。
〈731のことは墓までもってゆけ〉〈口外したものは地獄の底までこの石井が追いかけて行く〉。日本の支配者階級、アメリカ帝国主義が731のことは歴史の底深く闇の中に沈めてしまった。731部隊篠塚良雄さんは世界史の闇の底から真実の叫びを挙げたのであ。
絶対主義天皇制、帝国主義、ファシズムの空気を疑いもなく胸いっぱいに育ったら人間は悪魔になれるだろうか。「殺し尽くす、焼き尽くす、奪い尽くす」三光作戦を遂行する悪魔に人間はなれたのである。悪魔が人間に戻れる道はあるのか。それはどんな道なのか。誠実にして謙虚に全身を傾けようと決意した。期待と畏れの交差する血の高鳴りを覚える。

 加瀬「お忙しいところ突然訪問いたしまして申し訳ありません。篠塚さんのお生まれはどこですか」。
篠塚「私は長生郡東郷村で生まれました。現在は茂原市に併合されました」。
加瀬「茂原市には谷木寛作〈総評国民運動局〉の奥さんの雅子さんは市会議員です。長生郡では県会議員の狩野政一、一宮町の近藤三郎町長。日農農民組合長の近藤忠治郎。私の先輩の方が沢山おられます。生家は農業ですか。なぜ731部隊になったのですか」。
篠塚「私は昭和一四年町立本納実業学校を一五歳の時に卒業しました。当時は軍国主義一色で学校に配属将校が来ていました。そこに東京牛込区戸山町陸軍軍医学校「防疫研究会」からの募集があって願書を出したら合格して入ることになったのです」。
加瀬「陸軍『防疫研究会』に入隊したのですけれどそこでどんな教育や指示を受けたのですか」。
篠塚「牛込陸軍軍医は済生会病院、陸軍病院、軍医学校があってそのなかに『防疫研究室』があって三〇人の応募者がおりました。防疫研究室の授業は石井式濾水機の試験、普通寒天製造見学、中国語の学習でした。私たち少年隊は近くの清源寺の庫裏屋で生活していました。そんなある日、石井四郎軍医大佐(四六歳)がきました。『お前たちハルピンで活動することになった。ハルピンはいい街だぞ』と言ったのです。石井軍医大佐の風貌は体格は大きく、口ひげを生やしていて、靴も皺だらけ、軍刀もだらしなく腰に下げていました。そんな印象が残っております」。
加瀬「『支那には四億の民がいる狭い日本には住み飽きた』軍人、軍属は勿論、満蒙開拓、大陸の花嫁等国策の呼びかけもあって当時満州は日本人の夢を育てる大陸であったと思いますが、一五歳の篠塚少年の心と胸は希望に燃えていたのですか」。
篠塚「『立派な軍人になって御国のためにつくすぞ』『希望の大陸で立身出世をして故郷に錦を飾る』等強い希望はもっていなかったと思います。当時、男は兵隊なることが義務でありましたのでそれに従ったそんな気持であったと思います」。     (つづく)


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