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    かけはし2017.年9月4日号

北朝鮮の核・ミサイル開発反対


討論のために

高松論文を読んで考えたこと

今こそ「平和の力」を発揮しよう


  朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)は米国に「体制」保障を求めて、弾道ミサイルと核の実験・配備を急速に強めている。高松竜二さんの「かけはし」八月一四日号の提起を含めてどう考えるか、私の考えを提起したい。

どう考える「労働者国家核武装」

 北朝鮮の核武装を考える場合の前提となる、ソ連・中国の核武装をどう考えるか。ソ連はアメリカの核開発の情報を得て、一九四三年から核開発を始め、一九四九年八月、セミパラチンスクで長崎型と同じプルトニウム爆弾の実験に成功した。そして、アメリカに続き水爆実験にも成功し、米ソは地球上の生物を何回も破滅させることのできる程の核兵器を保有するにいたった。そして、中国も一九六四年に核実験に成功し核保有国になる。
労働者国家防衛のために、核保有は必要であったのか。一発の原爆によって、一五万人もの人間と都市を破壊し、その後も長く放射能被害を及ぼし続ける「悪魔」の兵器=核兵器を帝国主義からの防御のためとして、開発・保持することに何の意味があるのか。アメリカが核兵器を使ったら、対抗してソ連もアメリカに核兵器を使い、報復するのだろうか。こうした戦争に、人類の未来があるのか。革命の大義があるのか。どう考えてもノーである。ソ連の核開発はスターリンの人民に対する「不信」の体系が関係している。日本に対するアメリカの原爆投下を非難し、自分たちはそうした兵器を開発しないと宣言し、世界の平和運動の先頭に立つべきではなかったのか。
アインシュタインはナチスの原子爆弾開発に対抗するために一九三九年に当時の科学者たちがルーズベルト大統領に送った、原子爆弾の開発を提言する手紙に署名した。アメリカは一九四一年に、マンハッタン計画を開始する。
その後、アインシュタインはアメリカの日本への原爆投下は間違いだとし、戦争のない世界をつくるために世界連邦を提案する。
「あらゆる場合に私は暴力に反対します。但し、敵対者が生命の抹殺を自己目的として意図している場合は、別です。日本に対する原子爆弾の利用を、私は常に有罪だと判定しています。しかし私はこの宿命的な決定を阻止すべく殆ど何事もできませんでした――日本人の朝鮮や中国での行為に対して、あなたが責任があるとされうるのと同じ程に、少ししかできなかったのです」。
「ドイツ人に対する原爆の使用を、是認するというようなことを、私は主張したことはありません。しかしヒトラー治下のドイツだけがこの武器を所有することは、無条件に阻止しなければならないと、私は信じていました」(684-685ページ)(「アインシュタイン平和書簡3」ネーサン、ノーデン編、みすず書房、1977年2月)。
アインシュタインの最後の署名、最後の手紙は、一九五五年四月一一日付けでバートランド・ラッセルに宛てられた、科学者たちによる原爆反対声明、への賛同を示したものだった。いわゆる「ラッセル=アインシュタイン宣言」である。
ソ連の核開発は自国内での重大な核爆発事故を起こしていた。
「一九五七年秋、ソ連のウラル地方のチェリャビンスクで、原子炉が爆発し大規模な放射能漏れが発生した。ウラル核惨事と言われているこの事故は、当初、全くの秘密とされ、その規模、原因等は一切明らかにされていなかった。この事故の真相が知られるようになったのは、ソ連から亡命した科学者ジョレス=A=メドベージェフが、イギリスの科学雑誌に論文を発表したからだった。事故後の汚染調査を独自に行った彼は、核兵器製造過程で廃水が地下に漏れ、プルトニウムが地下で濃縮されて何らかの原因で爆発したもの、と原因を推定し、汚染地区の住民は数千人が死亡、また数万人が強制退去させられたことを明らかにした」。(「世界史の窓」より)
また、核実験場とされたセミパラチンスクや北極圏では住民に放射能被害が多く出たことも今で分かっている。アメリカのネバダ砂漠やビキニ環礁などでの核実験によって、多くの住民たちや兵士たちがモルモットにされ、放射能被害を受けた。第五福竜丸の被爆もそうであったし、このことをきっかけに日本国内で爆発的な反核運動が作られ、その運動は世界に広がった。
核開発がさまざまな放射線被害者を生み出した。さらに、環境破壊もすごいものだ。そしてこの核開発競争の費用は莫大なものであった。これを民政のために使っていたら、どれほど人類は救われたか。
アメリカ帝国主義に対抗するために、労働者国家の核武装を擁護してきたかつてのわれわれの立場も再検討すべきではないか。日本における反核兵器運動が世界の核兵器廃絶運動に大きな影響を与え、米ソの核兵器開発に一定の歯止めをかけてきた。帝国主義だろうが労働者国家だろうが核兵器はいらない。これがわれわれの立場だ。
そして、この考え方は脱原発政策や運動の考え方に通じている。ウラン鉱開発での被ばくに始まり、原発によって作り出される膨大な核廃棄物の処理・管理はどこの国でも出来ていない。ただ放置されるか、地下深く埋められる。これとて一〇万年の管理が必要とされる。生きた地球の造山活動からすると管理は不可能だ。どこの国にも原発はいらない。
同じように、生物化学兵器の全面禁止やクラスター爆弾の禁止などは全世界における平和運動が勝ち取ってきた重大な成果だ。今、「使えない核兵器」に対して、核兵器相当の武器・レイザー兵器や無人ロボット兵器など多種多様な兵器を駆使して、戦争が行われている。こうした武器の開発にも全面的に反対していかなければならない。

核兵器に「抑止力」はあるのか

 高松さんは「朝鮮戦争でもベトナム戦争でもソ連の報復と国際世論の反発を恐れ、核使用をやめた」とし、核の「抑止力」が働いたとしている。果たしてそうだろうか。第二次世界大戦が終結して五年しか経っていない。世界の人民は二度と世界戦争はいやだと心底思っていた。中国への原子爆弾の投下と米中戦争によって第三次世界大戦が起きるかもしれないという恐怖感がトルーマンをして原爆の使用を却下したと思う。
スターリンは絶対に朝鮮戦争が第三次世界大戦にまでなることを恐怖していた。彼の関心はヨーロッパと東欧にあった。アメリカが原爆を使用したとしても、それに対抗してアメリカに原爆を投下することはしなかったであろう。一九四九年に原子爆弾の実権に成功したのみで、アメリカ本土などに原子爆弾攻撃をする力があったかどうか。米ソの「核抑止力」が原爆投下をしなかったのではなく、世界の人々の反戦・平和の力こそが原爆投下を止めたのであつた。
ベトナム戦争当時に言われたのは戦術核を使い、ゲリラ戦の基地となっているホーチミンルートをたたくというものだ。これとて、ベトナム戦争反対の全世界の運動の高まりを見てみると、アメリカは核爆弾を使用できなかったし、アメリカが使用したとしても、ソ連が報復しようとしたとはとても考えられない(キューバ危機時のソ連の核引き揚げを見ても分かる)。
「核の抑止力」なるものは、核武装・競争を行うものを正当化する論理で、証明できるものではない。

金日成の「敗北宣言」は本当か

 「一九七二年の米中平和共存が、北朝鮮主導の『祖国統一』が完全に放棄されたことになる」と高松さんは書いているが果たしてそうなのだろうか。
一九七二年七・七南北共同声明によって、南北朝鮮が平和共存に向かうと思われたが、韓国ではこの年の秋に衛戍令というクーデターが行われ、朴正煕の軍事独裁体制がいっそう強化された。一方北朝鮮の動きを元ソウル毎日新聞特派員であった重村智計は次のように分析している。
「金正日書記の後継者決定(1974年)と時を同じくして、北朝鮮は『対話路線』から『統一優先路線』に方針を変えた。……その最大の動機はベトナムの統一とアメリカ軍の撤退であった。一九七三年三月二九日、アメリカ軍はサイゴンから撤退し、一九七五年四月三〇日サイゴンが陥落し、ベトナムの統一が実現した」。
「一九七五年四月一八日から二六日まで金日成主席は中国を訪問した。その時、金日成は『南朝鮮で革命が起これば、同じ民族であるとの立場から傍観はしない。南朝鮮人民を積極的に助けるであろう』。『もし敵が無謀にも戦争を仕掛けるならば、断固として戦争で応じ、侵略者たちを完全に破滅させる。この戦争で失うものは軍事境界線であり、得るものは統一である』。「北朝鮮の外交戦略」(重村智計著、講談社現代新書、2000年)
その後、日本人拉致事件や二つの重大なテロ事件(1983年、ラングーン事件。全斗煥大統領を狙った爆弾テロ、1987年大韓航空機爆破事件、ソウルオリンピック阻止を目的とする)などを起こしている。結局、金日成の南北統一路線は、韓国民衆運動を本当に支え、韓国の軍事独裁を倒して統一するというより、北の金日成官僚独裁体制を維持するために南北の軍事緊張を利用するものへとなっていたのではないか。一九九〇年ソ連・韓国国交正常化、一九九一年ソ連崩壊、一九九一年韓国・北朝鮮国連加盟、一九九二年中国・韓国国交正常化。この流れが「完全に金日成的南北統一路線」の終わりを示した。
ちなみに、北朝鮮は一九八二年にソ連の技術を得て核開発を開始したが、一九九一年五月韓国・北朝鮮が国連同時加盟した後、一二月一八日、韓国盧泰愚大統領は韓国にあった米核兵器の撤去終了を宣言した。同一二月、韓国と北朝鮮が「朝鮮半島の非核化に関する共同宣言」を発表し、「南北間の和解と不可侵及び協力と交流のための合意書」を採択した。

北朝鮮民衆にとって脅威


故荒沢同志は次のように書いている。
「核開発は北朝鮮民衆への脅威 北朝鮮による核実験・核開発に対する批判は核廃絶に向けた毅然とした立場、核保有国すべてに対する批判として貫徹されなければならないし、そうしてこそ北朝鮮に対する説得力をもつことができる」。
「北朝鮮核開発が加速している今日にあってわれわれは、北朝鮮での放射能汚染と被曝労働の実態についても明確にしていくことが必要だ。すでに何人かの脱北者の断片的証言からは北朝鮮の核開発施設末端現場での杜撰な核関連物質の管理や健康被害の実態が伝えられており、限られた情報の中からも追跡の調査・検証が必要とされている。北朝鮮核開発は周辺諸国にとっての脅威ではない。北朝鮮の地に生き生活を営む人々にとっての脅威なのだ。そして、北朝鮮が核開発を加速させるなら核惨事を引き起こす可能性は増大するし、それは体制自壊の決定的要因に転化するだろう」。(荒沢峻「朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の新体制について 金正日・正恩の棄民化政策―民衆連帯の立場こそ問われる」「かけはし」2012年7月2日号)
金正恩体制になってからの北朝鮮の核・ミサイル開発はこの荒沢の言っている段階を飛び越え、周辺諸国へ悪影響を与えている。せっかく韓国でキャンドル革命によって生まれた文在寅が北朝鮮との対話路線をとっているがそれを台無しにしている。日本の安倍政権の沖縄・辺野古新基地建設や戦争のできる国づくりを背後から援護射撃を与えるようなものだ。
北朝鮮は核・弾道ミサイル開発を即時中止せよ。米日韓による軍事的な北朝鮮への包囲をやめろ。朝鮮休戦協定を平和条約への転換、米国・北朝鮮国交回復を、日本・北朝鮮国交回復を。北朝鮮民衆へ人権と平和の実現を。(2017年8月13日 滝山五郎)

コラム

ゲリラ豪雨と劣化する政党

 八月末になってこの夏一番の三五度を超える毎日が続いている。掃除のバイトで朝四時前に起き、現場に向かう。外は早朝なのに熱い風が吹き、仕事を始めると瞬く間に玉の汗が吹き出す。温暖化現象の現われか、ゲリラ豪雨が全国各地で起きている。
 八月一九日午後四時から、安倍の働き方改革反対の国会前行動、その後月例の19行動が行われた。国会に向かう時、外は晴れていたので傘を置いてきた。ところが午後四時半過ぎに、空がにわかに暗くなり、雷が鳴り始め、大粒の雨が激しく降り始めた。ポールや傘に雷が落ちないかと心配の声があがる程、雷が近くに落ちた。
 私は雨具の用意をしていないので雨にぬれていた。すると横にいた女性がカッパを着て、小さめの折りたたみ傘をさして、「どうぞ」と言って、私の頭上にさしてくれた。「いつもここの第二衆院議員会館前で参加しているんです」と話してくれた。天の助けと思って有難く傘の下に入った。
 ところがこのゲリラ豪雨はいっこうに止む気配を見せず、雨脚は激しくなるばかりだ。一時間程すると、背中からパンツまで雨がしみ、靴にも水が入ってきた。寒さも加わり震えが走る。このまま居続けると体調を崩すと判断して、会場を後にした。
 政治の世界でも重要な出来事が起きている。それは民進党の代表選だ。安倍自民党が森友・加計学園問題、都議選の大敗北で支持率が急落したにもかかわらず、九月から体制を立て直し、憲法改正へ走り出そうとしている。この重大な局面に立ち向かう反対派の陣営のさらなる強化が問われている。にもかかわらず、民進党代表選で前原誠司は、共産党との選挙協力の見直し、憲法改正論議の容認、消費税増税、辺野古への新基地建設を推進、大金持ち・大企業への増税反対などを主張している。民進党の国会議員の多数を抑えたと言われる前原。前原支持を表明している政治家はどこを向いているのか。安保法制反対、共謀罪反対でがんばった民進党はどこへ行ったのか。
 参院選新潟選挙区や仙台市長選での野党統一候補の勝利を見れば分かるとおり、議会野党と市民が手を取りあって、自公候補に立ち向かえば、勝利しうる条件があるということだ。それを見直すということは、自ら自民党の補完政党の道を歩むことであり、政党として解体していくことになるだろう。
 安倍改憲が成功するかどうかは民進党の行方にかかっている。改憲反対の市民大衆運動が民進党を安倍と対決する側に引き戻せるかどうか。暑い夏が終わっても、政治の世界はもっと熱い闘いが待っている。追記:Dさんのこと。秋田の元郵政労働者Mさんを中心に手紙や電話で励ましの支援が広がり、本人もとても喜んでいる。コラムで病状の報告がある。(滝)



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