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    かけはし2017.年8月7日号

立憲主義の起源は王権との闘い


6.24

アジア連帯講座 天皇「生前退位」問題めぐって

国富建治さん(新時代社)の報告(下)

 

2 「退位特別法案成立のプロセスの問題点」について

 去年から有識者会議が政府の指名によって作られ、専門家の意見聴取のプロセスがあった。これを通して生前退位を望むという天皇の意志が直接に法律の作成へと結びついていった。天皇が生前退位のメッセージを行って、それに国民からの支持が集まる、国民の総意による退位支持の動きが作られていった。つまり、天皇の意図的な政治行為への反対論封殺の世論操作が行われていった。有識者会議と専門家の意見聴取の中で、天皇の生前退位の訴えに反対したのは、極右の天皇主義者だった。
極右の天皇主義者、一種の天皇主義原理主義者にしてみれば、「天皇がある都合で、政治の思惑で退位するということはあってはいけない。天皇というものは神聖なものであって、政治の道具になってはいけない。天皇が辞めさせられたり、自分で辞めたいと言い出して、天皇が代わったりするのは、天皇の政治的な利用というものに他ならない。そういうものはあつてはならない」ということだ。それをハッキリ言ったのは、極右の天皇主義者だけであった。
共産党も、いわば最終的には、この生前退位の流れに乗ることになってしまった。共産党は、ここ数年の間、象徴天皇制に対して、非常にはっきりした形で態度を変えてきた。通常国会の開院式の日には、天皇の「お言葉」が行われるが、それは憲法違反であるということで本会議を退席し続けてきた。去年の一月からその開院式での天皇発言は政治的ではなかったとして、天皇が話す「お言葉」の時に欠席しなくてもいいと弁明した。
今年の四月からは、「赤旗」は日付に元号を並記するようになった。今まで西暦しか使っていなかったのが、ほとんど説明もせずに元号を使用している。
さらに共産党は生前退位特例法が成立する前に修正案を出した。「国民は皆賛同している」「国民の意志を尊重する」「天皇の意志も尊重する」というのが生前退位特例法法案だったが、「国民が皆支持している」からといって法案に書き込むのはおかしいと、削除要求の修正案を出した。結局は共産党修正案は否決された。だが否決されたにもかかわらず、原案を支持し、賛成にまわった。
採決に欠席したのは、自由党だけだった。自由党は、原則的に皇室典範を改正すべきだという態度だった。自由党欠席のもとで特例法は全会一致で可決されてしまった。
特例法の法文の違憲性は、天皇の生前退位の強い意志が示され、それによって国民の圧倒的多数が支持していると書かれていることだ。普通、法律にこんなことを書くわけがない。天皇の意志が法文に明記されるという異様な形となっている。
第一条は、字数が四〇〇字ぐらいあり、句点のマルがない。全部、テンで繋がっており、一つの文章になっている。ものすごい文体になっている。これは一種、教育勅語と似ているところがある。教育勅語は、テンもマルもない。行替えも終わりのほうに一箇所あるだけだ。それと似ている。法律の文は、わかりやすくするために切ったりしているが、まったくマルがない。とにかく一気に繋がっている。そこに国民が天皇のメッセージを支持しているということが書かれている。
特例法は、天皇の意思をつけたうえで公的行為を積極的に位置づけている。憲法の中で書かれているのは、国事行為だけだ。国事行為は、外国との条約を承認、日本に来た大使の信任状を発行するとか、いくつかの項目に限られている。天皇は、憲法上は国事行為以外のことをやってはいけない。それ以外は、すべて私的行為だ。
しかしながら超憲法的な形で公的行為がこの間、いろんな形ではさまるようになった。国体に出席するとか、被災地を訪れて被災者を慰めるとか、海作り大会に出るとか、こういうことが公的行為という位置づけで、超法規的に天皇の行為となっている。憲法上は国事行為と私的行為しかないけれど、その間に公的行為を挟んで、それを象徴という地位に基づく行為だと、天皇自ら、生前退位メッセージの時にも言った。これは法律的根拠はまったくないものだった。
特例法の第一条には、実質上、天皇の公的行為が、これが正式な天皇としての行為だという格好で、合法化してしまった。公的行為はまったく法的根拠がなく、それに対して国費が出されている。これは違憲である。マスメディアを中心に「国民の総意」だという世論操作も行われた。

3 「天皇は祈っているだけでいい」という神権的天皇論


反対論として「天皇は祈っているだけでいい」という神権的天皇論があった。天皇は、これを意識的にメッセージの中で拒否している。天皇は、象徴である以上、象徴としての行為をやらなればいけないんだと、天皇は自分の意見として生前退位メッセージを行った。
日本国憲法に天皇は、「日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴」であると言っている。そのことを逆手にとる格好で、象徴であるためには象徴としての行為をやらなければ象徴にはならないんだと主張した。放っておいても、天皇は「国民統合の象徴」になるわけではない。自分は被災地に赴いたり、海づくり大会や国民体育大会に出たりして、象徴としての行為を積み重ねてきたから象徴になっているんだと。したがって象徴としての行為ができなくなった以上、自分は退位しなければならない。こういうような言い方で明仁は退位したいと言った。
これまでの公的行為、象徴としての行為についていろんなところで言われたが、その法律的根拠はまったくなかった。しかし今回の特例法は、明らかに八月メッセージの核心としての公的行為論を法文化してしまった。そういう意味で深刻な問題だ。
安倍内閣は、明確に極右天皇主義を切り捨て、天皇の代替わりを認めていった。特例法によって憲法の第一条に明文化されていないが、天皇の公的行為の容認による天皇政治の部分的復権が始まった。つまり、天皇の意思にもとづいて天皇の政治的役割を規定するそういうプロセスが始まった。これは立憲主義との関係で、明らかに歴史に逆行する行為だ。
立憲主義は、どのように成立してきたのか。ヨーロッパは、王政との闘いにおいて勝ち取られてきた概念である。王の権力、独裁と闘うなかで、王権を制限する闘いの産物だったという教訓である。
イギリスにおいても、一三世紀にできたマグナカルタがあるが、それは王の恣意的な命令、課税に対して貴族や領主たちが、逆らって王の権限を制限したものだ。王は一方的に税金を決めたり、上げたり、そういうことをしてはいけないとなった。封建的な領主たちと王との争いの中で、王の権力を制限することで立憲主義が作り出されてきた。絶対主義的な王政、皇帝の政治、それに対して貴族たちが制限していく闘いだった。
だが今回の生前退位特例法では、天皇の意志、王の意思によって法律が作られていった。まったくの逆転現象である。このことについて立憲主義を主張する学者の中から大きな反対の声が聞こえない。このことも深刻な問題だ。
これからの反改憲運動との関係から言っても、現在、九条改憲問題に絞りこまれているが、立憲主義の立場から九条改悪に反対することは重要だ。しかし立憲主義の立場に立っている人たちが、事実上、天皇の意志によって憲法第一条が、実質的には変えられようとしていることを認めてしまっている。

4 皇室典範と憲法

 大日本帝国憲法において「皇室典範」は、憲法と並ぶ最高法規であるという位置づけで天皇、皇族を規定した。現憲法で同じ名前だが、皇室典範がある。昭和天皇裕仁は戦後最後まで、皇室典範の改正と改正の発議を議会に与えることに反対だったと言われる。皇室典範とは、天皇家の家内法、一族に適用される法律であって、その法律を議会が手をつけたりすることに昭和天皇は反対だった。今回は明仁天皇が発議して、皇室典範を事実上変えてしまった。
今後、代替わりの中でどういう闘い方をしていくかが、われわれにとって問われている。昭和Xデーの場合は、戦犯天皇の戦争犯罪を許すな、免罪するな、そういう共通の問題意識があった。同時に強烈な弾圧があり、それを突破していく共通の意思もあった。
今回の場合は、かならずしも同じではない。代替わりについて世論調査では、八〜九割近い人たちが支持している。しかも平成天皇は、国民の苦しみに寄り添って、色々と慰めてくれる、ありがたい存在だという雰囲気がある。このことに対して生前退位反対運動は、このことを意識し、人々にどう伝えていくか。色々と論議をしていかなけれはならない。
しかもこのプロセスは、改憲のプロセスと重なる。安倍首相は、五月三日の日本会議系の集会へのメッセージで二〇二〇年に新しい憲法を施行すると言った。二〇二〇年は東京オリンピックの年だ。新しい憲法の下でオリンピックを迎えようという設定だ。実際上は、自民党は今年中に憲法草案を確定したいと言っている。二〇一八年には、憲法改正を発議するというスケジュールだ。その際、憲法改正の国民投票と総選挙を同時にやったらどうかまで言い出した。
現在の衆議院議員の任期は、前回総選挙は二〇一四年一二月だから二〇一八年一二月までだ。衆議院、参議院では改憲派は、三分の二以上の議席を持っている。総選挙で改憲派が三分の二を確保できるかわからないから発議と同時にやってしまえというプランも出ている。改憲の問題、天皇の代替わり問題がセットとなる可能性がないわけでもない。新しい天皇、新しい憲法、新しい元号へと誘導していくねらいだ。代替わりの政治利用だという批判もあって、スムーズに動くかわからない。安倍内閣にとっては、かなり冒険だが、その可能性がないわけではない。
このプロセスにおいてわれわれは、どのように反天皇制運動を作り出していくのか、決定的に問われている。       (了)  

 

コラム

映画「三里塚のイカロス」の光と闇


 七月二七日、仕事を早々に切りあげドキュメンタリー映画「三里塚のイカロス」(監督=代島治彦)の試写会に行ってきた。ぜひ、全国公開の前に見ておきたかったからだ(それに、全国公開といっても地方では観ることはできまい)。その理由は、監督が「あの時代≠ノけりをつけさせるための映画、ちゃんと死んでもらうための映画である」という、その中味を自分の目で早く確かめたかったからである。それに、「けり」をつけると言っても三里塚闘争は、まだ終わっていないからだ。
ただ試写会が渋谷ということが難問。まったくと言っていいほどその地理に疎いのだ。地図を片手に円山町へと急ぐのだが、その歩みは遅々として進まず渋谷駅を降りてから自分が立っている場所を認識するのにえらく時間がかかってしまった。そのため、しばらく猥雑なホテル街を右に左にさまよい、道行く人に尋ねながら会場の「映美学校」にたどり着いたのが上映開始一〇分前。階段を下り、試写室前の受付で「代島さんの関係ですか」と尋ねられあたふたするボク。「映画に登場する人物の関係者です」とだけ答え、パンフレットをもらってようやく席に着くことができたしだいである。
閑話休題。映画は、反対同盟の加瀬勉さんの回想から始まり、地元農家に嫁いだ支援女性、そして強制代執行を闘い、管制塔占拠を成し遂げた同志たち、元空港公団職員の話と続く。朽ち果てた朝倉団結小屋跡に横たわる「一坪共有地」の看板は今もなお色あせていない。
笑えるのは、プロ青の中川さんを交え現地で撮影している際、巡回警備をしている機動隊が登場するシーン。「何をしているんですか」という問いかけに対し、中川さんが「僕が管制塔占拠の犯人です。成田闘争の歴史を学ばなくちゃいけないよ」などと諭すシーンは、ドキュメントならではの醍醐味である。この映画には、全編を通して各々から発せられる貴重な回想と現在、そして底抜けに明るい眩しいほどの笑顔と純粋な涙に満ちあふれている。試写会場では、時折笑い声が漏れるほどだった。
それに対し、離党はしたとはいえ中核派政治局員にして三里塚現地責任者を二五年間もつとめた故岸宏一の回想には、いささか疑問を感じずにはいられなかった。それが真実だとしても、である。特に岸の語る中核派の思惑が絡んだ反対同盟分裂の過程や、一方的な第四インター活動家へのテロ襲撃に対する反省の弁はどこか白々しい。「まったく知らされていなかった」という発言にも驚いた。それに一坪共有地反対を掛け声に、分裂を主導した中核派が、今になって「一坪共有地」は正義の闘いと居直る姿勢について何も語っていないのだ。
映画のパンフレットには、今年の三月に山スキーで遭難したことから追悼と「最初で最後の証言となってしまった」という文言が記されているが、前述の通り映画の中にたびたび登場する岸の発言に、どこか腑に落ちないと感じるのは果たしてボクだけであろうか。
「三里塚のイカロス」に光と闇があるとすれば、反対同盟をはじめとする農民たち、そして管制塔占拠と農家に嫁ぎ今もなお営農を続ける女性たちの光と、中核派の暗闇だと言い切れる。
繰り返して言うが、三里塚闘争はいまだ継続中であると言うことだ。
(雨)


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