もどる

    かけはし2017.年8月14日号

民衆にとっての危機からの出口とは何か


ベネズエラ

不倶戴天の敵の攻撃押し返す
民衆的決起が何としても必要

スターリン・ペレス・ボルゲス


 ベネズエラが、政治、経済、社会全般をおおう深刻な危機に直面している。議会多数を基礎に、経済危機も利用しつつ、マドゥロ追い落としのみを目的とした右翼による社会不安定化工作が、マドゥロ政権の強権化に傾きすぎたように見える対応と相まって、暴力の高まりをもたらしている。この状況への具体的対応が左翼に厳しく問われている。突きつめれば、まず右翼への反撃か、中立かだ。この分岐は、ベネズエラの帰すうがラテンアメリカ全域の今後に大きな影響を与えるものであるだけに、国際的にも広がり始めている。このことを背景に、ベネズエラ左翼の二つの対立的立場を以下に紹介する。なお、ベネズエラの暴力的状況を理解する一助として、ブエノス・アイレス大学教員であり、アムステルダムIIREのスタッフであるクラウディオ・カッツによる論評(はるかに長文の論考に付された序文部分)も合わせて紹介する。(「かけはし」編集部)


 ベネズエラにおける近頃の混乱の結果として、ベネズエラ内部でも国際的にも、左翼内部で重要な論争が始まっている。英語を使う読者に草の根のベネズエラ活動家の観点を届ける試みとして、週刊「グリーンレフト」のフェデリコ・フエンテスがスターリン・ペレス・ボルゲスにインタビューした。
 経験の長い労働組合と社会主義の活動家であるペレス・ボルゲスは今日、ベネズエラ統一社会党(PSUV)内の急進派潮流、チャベス主義社会主義統一同盟(LUCHAS)の一メンバーだ。
 LUCHASはマレア・ソシアリスタ(社会主義潮流)の元指導者と活動家の一グループによって形成され、その労組活動家の多くを含んでいる。LUCHAS形成の決定は、PSUV離脱をマレア・ソシアリスタが議決し、ボリバール革命にますます敵対的方向を取り始めた後に、出てきた。
 ペレス・ボルゲスはまた、ベネズエラ最大の労組連合、労働者ボリバール社会主義センター(CSBT)の諮問会議でも活動している。

不十分な変革突いた右翼の策動

――ベネズエラにおける現情勢に対する基本的な説明は今日のところどうなるか? これはボリバール革命の終わりなのか?

 そうではない。私が確信しているところでは、これはボリバール革命の終わりではない。しかしわれわれは今、右翼が権力に復帰する可能性が極めてありそうに見えるように、そのもっとも困難な時の一つを通過しつつある。
この革命プロセスの社会主体として諸々の民衆層は、(故)チャベスがベネズエラ政治の場面への彼の突入に続いて構築し始めた政治構想に、巨大な多数として忠実にかつ誠実にとどまってきた。そしてこの危機の最中においてさえ、ボリバリアンチャベス主義は、強力な社会基盤を確保し続けている。
われわれが今日前にしているよりもはるかにもっと困難なものは、二〇〇二年四月のクーデター遂行後の、右翼が権力の座にあった四八時間だった。その瞬間は四月一三日だった。すなわちその日、人びとは街頭に登場し、軍部隊の中核と共に、独裁体制を倒し、チャベスを救い出した。
われわれは、二〇〇二年四月一三日に似たもう一つのできごとを早急に見つけ出す、あるいはそれを生み出す必要に直面している。
われわれは、われわれの前にある折り重なった諸問題を前提に、ある種不確実な情勢の中にいる。官僚制、腐敗、また間に合わせ的業務処理の影響は大きい。われわれは、これらの悪徳の作用、さらに、チャベスが政府とボリバール革命は反帝国主義かつ社会主義となると宣言して一〇年以上たってもわれわれが資本主義をしのぐことができていないという事実、これらを日々感じている。
われわれは、官僚制、腐敗、間に合わせ的業務処理といった、資本主義の枠内にあるこれらすべてに今苦しんでいる。
そしてチャベス主義の構想に決して同意はしなかったこれらの資本家たちの諸行動、また以前にはまったくなかったような今日のそれから見て、彼らは今ニコラス・マドゥロ大統領の政府を打倒しようと共謀している。
古くからの資本家たちは、原油収入の配分に対する支配を確保するために、国家に対する支配を取り戻そうと必死になっている。それは、一九九八年のチャベスの勝利によって彼らが失った支配権だ。
古くからの資本家たちは熱に浮かされたように駆り立てられてきたが、この三年、この収入が原油価格の下落のために落ち込んだがゆえに、なお一層そうなっている。
この収入の配分では、政府は、原油価格がはるかに高かったときに開発された社会計画への支出に優先順位を置き続けている。一方、もう一つの部分は腐敗の中で失われ、別の部分は、この革命を支持すると主張する、いわゆる「ボリブルジョアジー」なる新興資本家に渡っている。

米帝国主義と地域資本家の共謀


当地の資本家は、この大陸の残りの資本家から、特に米帝国主義のそれから支援されている。米政府は、ベネズエラに特別の利害関係をもつ他の諸国と共に、マドゥロ政権打倒に向けた策動に資金を供与し続けている。
米政府は、それがどういう形をとるかにかかわらず、マドゥロ政権の取り除きという考えにとりつかれている。それがうまくいくならば彼らは、一〇年以上前に南米で始まった変革の歩みに、そしてホンジュラスとパラグァイでのクーデター、アルゼンチンでの選挙によるクリスチナ・キルチネルに対する勝利、さらにブラジルにおけるミシェル・テメルによる議会を通したクーデター(ディルマ・ルセフ大統領に対する)をもって逆転され始めた変革の歩みに、とどめの一撃を加えるだろう。
原油収入に対する支配を取り戻したいと欲しているベネズエラの米国の子分的資本家たちとまさに同じく、米政府も、その裏庭への支配を取り戻したいと欲している。彼らはマドゥロ政権取り除きの点で共通の利益に達した時点で双子だが、彼らが仮にマドゥロ政権とチャベス主義の構想を打ち破るならば、新政権形成に際した利益の諸条件で体まで一体化した双子のようになるだろう。
それゆえ、一方に官僚制、腐敗、間に合わせ的業務処理、他方に経済のサボタージュを続ける資本家が仕掛け続けている戦争、というこれらからなるこの爆発的カクテルが、住民の大きな部分の中に存在する不満を説明する。そしてそれに政府が、この状況のただ一つの犯人と考えられているかのように、罰を受け続けている。
右翼諸政党は、彼らが訓練してきたファシストのならず者たちと住民居住地区の犯罪集団の暴力行為が生み出している不満と一体的に、これを今利用している。そして先の犯罪集団は、国の一定の都市と地域で、特に反政府派が統治している地方自治体で、暴力と死の状況を作り出すために右翼諸政党からカネを受け取っている。
次いでこのすべては、ソーシャルネットワーク、彼らが所有し続けているメディアの際限のない表出(新聞、TVチャンネル、ラジオ局)さらに国際通信社を通して大きく誇張されている。

民衆内部に息づくチャベス主義

――ボリバール革命を支持している労組や社会諸組織は、現在の情勢の中でどのような立場をとってきたのか?

 労組と社会組織の多数は、左翼とチャベス主義派の同調者および活動家の影響力の下にある。労働者と民衆層は、これらの指導部を支持している。彼らが、その多数という形で、この特定の層の中で首尾一貫して闘士であったからだ。
しかし事実として、草の根はこれまで私が述べてきたこの情勢によって厳しい打撃を受けてきた。すなわち彼らは、政治的、経済的、また社会的危機、これら人びとの士気に染み込んできた大きな危機の犠牲者だ。そしてそれ――私にとってもっとも悲しく危険な側面――が、展望の危機にまでなっている。
ひとが気付いていることだが、労働者の同志たちの大きな部分内部には、政府が言うことを信じ続けることへの懐疑があり、若者は自分たち自身にとっての当面する未来をまったく見ることができない。そしてこの後者こそ、彼らの多数が他の国に移住した理由であり、その程度は、オーストラリアにさえ、今や相当数のベネズエラ人がいるまでになっている。
そうであっても、チャベス主義は労働者と民衆層の内部に相当な水準の支持を維持し続けている。そしてそれは、それが遂行してきた諸決起の中に見ることができる。

憲法制定会議を暴力停止の場に


――今提案されている憲法制定会議についてのあなたの考えは?

 打ち明けるがそれは、大統領が可能な前進の道としてそれについて発言した五月一日より前、チャベス主義にとって力関係がこれほど不利であるとき、当座の首尾一貫性があり適切な提案と私に感じさせるものではなかった。
しかしながら五月一日以後、この危機が帯びている規模、何よりも螺旋状に高まる暴力をよく考えると、私は今この提案を、ことさらに前に出ようとしているように見える暴力を停止し、現在の経済情勢改善への道を開く助けとなり得る、一つの挑戦に似たものを多く含む何かと見ている。
すべての者がそこに見るべきものとしての現実は、右翼が求めているものは、交渉に向けて政府をぎょっとさせそこに圧力をかけるということではなく、むしろ政府を軍事的に打ち破るために、武器や狙撃者や武装犯罪集団を使った、軍事的形勢をめぐる戦闘だ。
こうした集団が生み出した暴力を治安部隊が終わらせようと挑んできたという事実により人びとに警報が届く可能性がある、という考えは素朴、と私が考える理由がそこにある。
憲法制定会議に向けた提案が具体化し、この国が置かれている経済情勢からの出口を提供できるかもしれないというのは、上のような事情を背景にしている。そしてこれは、多くの労働者集会の中で私が気付くことになった感情であり、さまざまな職場の同志たちが私に中継して伝えた感情だ。
われわれはLUCHASの他の同志たちと共に、憲法制定会議に向けた候補者として自らを推薦する。選出されるかどうかは分からない。
候補者として確認されればわれわれは、憲法制定会議が行うべきこととしてのわれわれの提案に基づいて懸命にキャンペーンを行うだろう。われわれは、この国が必要としている変革、民主的で革命的かつ社会主義な方策に必要な変革を提案できる民衆、新顔として選出されるためにキャンペーンを行うだろう。
これらはこの危機からわれわれを抜け出させることができる唯一の方策だ。
われわれは、選出される者が、同じ旧来の顔、すでに権力をもつ地位にある者、選出されることで終わりとなる者、にはならないことを期待している。そうでなければ、われわれは同じことをもっと多く経験するだけとなるだろう。

闘いの中で敵と味方の峻別を


――ベネズエラの情勢に対し、社会主義的で国際主義的な組織はどのような立場をとるべき、とあなたは考えるか?

 ベネズエラの、また世界のあらゆるところの革命派は、現実を見つめ、ベネズエラの勤労民衆に真実を告げなければならない。
そしてわれわれすべては、次に何が起きようがこの進展から学ばなければならない。それは比類のない歩みだ。書物はほとんど役に立たない。それは、階級闘争の中で構築され書かれてきたものであり、その中でわれわれは、誰が不倶戴天の敵であり、誰が決して闘ってはならない者なのかについて、常にはっきりしていなければならない。
われわれはまた、官僚制は遅かれ早かれ革命の歩みにとって致命的になるということを知らなければならない。これこそわれわれがその始まりから、「資本制でも官僚制でもなく」のスローガンを掲げてきた理由だ。
われわれは、世界中の他の組織、中でもオーストラリアの社会主義連合と共に一つの声明を起草できたという事実を喜んでいる。それは、ベネズエラがその中にある危機からの出口は、民主的、革命的、そして社会主義的でなければならないとはっきりさせている。(二〇一七年六月一一日)

▼スターリン・ペレス・ボルゲスは、UNT労組連合の全国世話人であり、「マレア・ソシアリスタ」紙編集者でもある。(「インターナショナルビューポイント」二〇一七年七月号) 

ベネズエラ

暴力めぐる突出した報道

大々的な印象操作が進行中

人道がメディアの懸念なのか

クラウディオ・カッツ

恐るべき暴力の
実態とイメージ

 この二カ月、ベネズエラは恐るべき暴力の波に直面してきた。すでに略奪を受けた学校、焼き討ちされた公共の建物、破壊された公共交通機関、また避難を余儀なくされた病院のただ中で、六〇人以上が死亡した(七月初旬時点:訳者)。マスメディアは、政府に関する一連のぞっとするような報道を流し、反政権派の民主派と対立する一人の独裁者というイメージを打ち立ててきた。
 しかし、起きたことの事実は、特に死亡との関係で、そうした物語りを確証してはいない。死者総数が三九人だった時点での最初の報道は、治安部隊による犠牲者は四人だけだった、と述べた。残りは、略奪の中で、あるいは反政権派の諸決起内部における混乱した銃撃で死亡した(注1)。もう一つの評価は、これら殺害された人びとは、衝突とはまったく関係がなかった、と述べた(注2)。
 これらの特性付けは、多くの殺害を反政権派に結びついた狙撃者に帰している評価と矛盾するものではない。もっと近頃の調査は、犠牲者の大きな部分が破壊行為や勘定清算の中で命を落とした、という事実に光を当てている(注3)。また、右翼に結びついた民兵グループによる襲撃、そして反政権派が支配する自治体で当局の保護を受けた高度な暴力という証拠、こうしたことに関する数え切れない報告もある(注4)。
 これらの評価は、チャベス派に近い人びとに対し使用されたファシストの残忍さと一致している(注5)。政府支持者を生きたまま焼くということは、伝統的政治組織に結びついたというよりも、むしろコロンビアの民兵あるいは地下社会に緊密に結びついた行為だ。何人かの評論家は、六〇人の死者数の内二七人はチャベス派の同調者だ、とも評価している(注6)。
 他の者たちは、突撃隊として訓練を受けた者およそ一万五〇〇〇人が反政権派の行進に参加した、と語っている。彼らは、混沌の雰囲気をつくり出し、「解放区」を確立するために、フードをつけ、楯をもち、手製の武器を使用した(注7)。

報道の評価には
背景理解不可欠


反政権派が出している評価はまったく逆だが、犠牲者に関する詳細な報道がそれを反駁してきた(注8)。「どちら側にも立たない」評価の存在を誰も認めていない中では、起きたことをその背景を思い起こすことにより判定することが適切だ。二〇一四年二月の「グァリムバ」(マドゥロ政権に暴動で対抗しようとした右翼の試み:訳者)の中では、四三人が死亡した。しかしその死のほとんどは、政治的衝突あるいは警察の弾圧に連なるものの外側にあった。またわれわれは、同等の異議突き付けに今の反政権派がかつてどのように対応したのかをも、よく考えなければならないだろう。彼らの政府は、一九八九年の「カラカーゾ」(当時の右翼政権に対し、カラカスで起きた反政府決起:訳者)を、数百人の死者と数千人の負傷者を出すことで鎮圧したのだ。

情報のダブル
スタンダード


ベネズエラの情勢は確かに劇的だ。しかしだからといってこれが、この国が諸々のニュースの中心にあることを説明するわけではない。他の諸国にあるより大きな重みのある情勢は全面的に無視されているのだ。
コロンビアでは今年始め以来、社会の指導者四六人が殺害された。そしてこの一四カ月で一二〇人が死亡した。二〇〇二年から二〇一六年までに、民兵諸部隊は民衆の指導者五五八人を虐殺し、過去二〇年で命を奪われた労組活動家の数は、二五〇〇に達している(注9)。ベネズエラの主要な隣国で続いているこの虐殺に関し、言及がまったくないのはなぜなのだろうか?
メキシコの外観はもっとぎょっとするようなものだ。毎日、殺害された学生、教員、社会活動家の数え切れない数に、ジャーナリスト一人の死が加えられている。「麻薬取引に対決する諸行動」によって強いられた社会的戦争の空気の中で、二万九九一七人の人々がこれまでに行方不明になっている(注10)。この虐殺のレベルは、ジャーナリストの注意をもっと引き起こすべきことではないのだろうか?
ホンジュラスがもう一つの例だ。ベルタ・キャセレスと共に、他の一五人の活動家が殺害された。二〇〇二年から二〇一四年の間に殺害された環境保護活動家の数は一一一人だった(注11)。支配的影響力のある報道が無視している恐怖支配の犠牲者のリストは、ペルーの政治犯にまでも拡張可能だろう。さらに、三五年を獄中で過ごしているプエルトリコの独立運動指導者のオスカル・ロペス・リベラが味わってきた苦難を知っている者は、ほんのわずかでしかない。
ラテンアメリカの住民の多数は、右翼が統治している諸国ではびこっている悲劇について、単純に知らない。情報に関するこのダブルスタンダードは、メディアがベネズエラに与えている役割が人道的懸念に発しているわけではない、ということを確証している。

(注1)から(注11)は、スペイン語による情報源が出典、ここでは省略する。(「インターナショナルビューポイント」二〇一七年七月号) 

ベネズエラ

国際論争によせて

第三の空間創出こそ任務の核心

セルジオ・ガルシア

マドゥロも右翼も支持できない

 ベネズエラは大きな危機を経験中だ。日々、諸決起、社会的不満、飢え、抑圧、死、そして衰微がその街頭に絶えずつきまとっている。多数の利益となる政治的変革と重要な社会的諸方策に扉を開いたボリバリアン現象の急速な上昇の年月に似たものは、一つもない。今日その同じ住民は、マドゥロ政権および同時に政治権力をつかみ取ろうとする右翼のもくろみ、それらが巻き起こした惨害を、その日々の暮らしの中で経験している。
 今インテリゲンチャのさまざまな部分は、論争の中に入り込み、自らさまざまなやり方で位置を取ってういる。ベネズエラではチャベス主義者の隊列内に高まる不満を伴った諸論争と意見対立があるが、国際舞台では、論争はもっと開けっぴろげだ。
 インテリゲンチャの一部門は、右翼の反政府派を支持することなく、同時に、マドゥロ政権の反民主的かつ抑圧的特性に疑問を呈し、この危機における国家の中心的な責任を示しつつ、暴力と死という現在の進路を止める必要を一つの国際的声明の中で表現してきた。そして、党の指導者たちに合わせた実用本位の分極化に疑問を突き付け、他の声が聞き届けられることを求めつつ、一方で、左翼はもっと参加型の民主主義のために、そして少数のためではなく闘わなければならない、と力説した。この声明、「ベネズエラでの暴力の拡大を止めることを求める緊急呼びかけ」は、そのいくつもの対立を付随してさえ、さまざまな種類の批判的な声を高めているマドゥロ主義の深い危機を映し出している。
 「ベネズエラに関する声明」もまた、他の部門に対する直接的批判として伝わってきた。インテリゲンチャのこの部門は、ベネズエラ政府を防衛し、この危機における政府の責任を完全に最小化し、ボリバール主義の最初の構想とそれを内部から破壊した者たちとの間にある偽りの類似性を強調している。彼らは正しくも右翼のMUD(民主統一円卓会議)と帝国主義の諸々の計画を糾弾する。そして、今日は存在していない、チャベスと過日の運動と社会的獲得物に関する時代錯誤的章句によって、政府の退行的諸行動に覆いをする。この声明は、アティリオ・ボロンや他の者のようなネオスターリニストのはっきりしたスポークスパーソンを含む、さまざまな部分を結集している。
 われわれの場合、この論争を二つの中心的要素から始める。一方で、はっきりしていることは、われわれは右翼と親帝国主義派が推し進めている政策と行動すべてを否認しなければならない、ということだ。直接にこの国の完全な屈服を確実にしたいと思っているこうした者たち、完全に拒絶されなければならないそれらの過激な徒党をも抱えている諸部門、こうした部分からベネズエラ民衆にとっての前向きな道が現れることは決してないだろう。同時にわれわれは、マドゥロとPSUV(ベネズエラ統一社会党)の計画に、またマドゥロを支持することで、またベネズエラの真の情勢を認めないことで深刻な政治的過ちを犯している左翼知識人の一部に同意することもない。

現政権を擁護する分析の過ち


マドゥロを支持する左翼の諸部分による分析は、三つの誤った想定から始まっている。すなわち次のことがらだ。
1)マドゥロはボリバリアン革命の継続である。
2)彼は間違いを犯し、より度の高まった官僚制があるが、彼は支持されなければならず、正されなければならない。
3)一方には民衆がいて、他方にはこの国の帝国主義への屈服を欲している他の者たちがいる。
この三つの定義は間違っている。これらの三点をよく検討してみよう。
第一に、ボリバリアンモデルのもっとも前向きだった年月と現在の間に連続性を見、そこに迫真性をつかむことは不可能だ。あらゆる進展は、量的な変化が質的となった地点に達している。その転換はすでにずっと前に起きた。われわれがチャベスをもって資本主義の枠内においてであっても反帝国主義的民族主義の政府を前にしつつあったとしても、今日あるのは一つの混乱だ。われわれが前にしようとしているのは、一方で調整政策を適用し、他方で戦略的な諸資源の帝国主義への引き渡しを行っている、その当初の立場から右へと移行した政府だ。同様にその政治モデルはいっそう非民主的な進路に向かっている。それは、その継続ではなく、以前のモデルとの明確な決裂だ。
第二に、政府が「間違い」を犯している、あるいは少しばかり度の高まった官僚制がある、というのは真実ではない。この政権には世界的な反民衆的計画があり、それは何らかの度の高い官僚制という問題ではなく、ブルジョア的原油・地代国家の頂点で裕福になった新たなマフィア的カーストという問題だ。それこそが、われわれが今語り合っている政府なのだ。
たとえばマレア・ソシアリスタのカルロス・カルシオネは次のように説明する。
「経済分野では、あなたはニコラス・マドゥロ政府のはっきりした二つの時期を認めることができる。第一局面は、漸進的なマクロ経済的調整であり、それは劇的に破綻している。われわれはこれを、チャベスの死の一カ月前にあたる二〇一三年二月の通貨切り下げと、『使命』計画に込められた財政支出と社会的投資を下方に調整しようとのもくろみにおける授権法の最初のひとそろいが認可された二〇一四年後半、この間に位置を定めることができる。ちなみにこのもくろみは、輸入の削減、そして、通貨膨張プロセスという刺激策を介した実質賃金水準の引き下げだった。この調整策は主に、勤労者家族ともっとも恵まれない層の基本的商品を入手する可能性および所得に負荷がかけられていることを理由に、この政策は破綻した……」。
「……われわれが指摘した第二期は、指令による統治を大統領に許した新たな権威主義化の容認をもって、二〇一四年末に始まった。これらの法律は、ベネズエラの法の統治が効かない『特別経済ゾーン』の創出を可能にした。そしてこれは、原油価格下落から強い推力を受けていた。そして何よりも、生産に基礎づけられた経済に向けたいわゆる一五のモーターと一体的に二〇一六年以後そうだった。ちなみにこれらのモーターは、彼らが実際にやっていることが、採掘主義の未開拓の領域そしてこの国の経済の初歩化を、途方もないやり方で拡張することである時に、原油地代主義克服のための一計画として提案された。オリノコ川流域鉱業地帯と一体化されたモトル・ミネロ、オイルベルトの全面開放と一体化されたモトル・エネルゲティコ、フォレスト・モトルそしてトゥリスト・モトルこれらすべては、多国籍資本に対するひどい開放政策として特性づけられる」。 この経済情勢と政府の退行的政策によって、社会的使命は清算され、賃金は粉砕された。政府を防衛しそれを正当化する者は誰であれ、それを好む者もそうでない者も、社会的腐食と人びとを痛めつける計画の主な原因を支持し続けているのだ。
第三に、民衆が一方にいて、他方にはこの国を帝国主義に引き渡したいと思っている者たちがいる、と信じることはまったくの間違いだ。現在の分割線はそれではない。本当の分割線は、民衆の利害とは相容れない二つの部分間の戦闘、帝国主義諸企業との合意下で原油貿易するために何百万人をも支配する者たちの戦闘だ。MUDとPSUVは、社会的諸成果の引き渡しと解体を続けようと決意している。賭けられているものは、それを誰が進めるのか、どんな方法でか、ということだ。
たとえばカルシオネはそれを以下のように言っている。すなわち「指導者間の現在の衝突に対する特性付けは、二〇〇二年/二〇〇三年の場合とは異なり、政権指導部を支持している者たちが繰り返し、国際的レベルでそれを支持している知識人たち同様、大量のインクでそれを飾り立てていることとはまったく逆であり、寡頭支配層に対する民衆諸層の闘いではない。それは逆に、次の時期に所得を管理し配分する点で、どちらの指導部が国家の支配を保証するか、を明確にする闘争だ。これらは、国際金融資本に従属した、エリートの二つの部分、伝統的な一つと新興のもう一つだ。そしてどちらの側も民主的ではなく、両者とも明確だが、彼らは、達成された政治的かつ社会的成果に対する進行中の経済的反革命と逆行政策を成功裏に実行するために、完全に権威主義的な政治システムを必要としている。そして先に言及した政治的社会的成果は、チャベス時代の最良の年月においても、あらゆる点で不足と限界を抱えていた」と。

MUDでもPSUVでもなく

 われわれは、ボリバール革命それ自身から発し、政府に対する左翼反対派として位置を定める、そうした新たな政治の出現に向け道を開かなければならない。この任務が、マレア・ソシアリスタのわが同志たち、ベネズエラインテリゲンチャーの一部分、その社会的関係層、学生、労働者、元チャベス主義活動家、また他の民衆層を結集する。そこに、反資本主義の進展に向け拡張された最良のボリバール主義の旗を携えた、左翼に位置をとる者にとって可能な未来がある。
マドゥロ主義者の退廃の中で、一つの分割線の境界が定められている。つまり、それを支持するのか、それともMUDとPSUVに反対し下から新たなものを推し進めるのか、だ。この板挟みの中で左翼の一部分は、あらゆる反資本主義と社会主義の展望を捨て去り、支配的官僚制の最悪なものに結びついている。われわれとしては、私的な利害あるいは日和見主義的な政治的あるいは経済的連携と結合することなしに、まさに政治的勇気を持ってMUDとPSUVと対立している人びととマレア・ソシアリスタに対する支持を断言する。

▼筆者は、政治的ジャーナリストであると共に、社会主義組織のマレア・ソシアリスタの共同創設者。この組織は今、「批判的チャベス主義」に向けた主要参照点になっている。(「インターナショナルビューポイント」二〇一七年七月号)


もどる

Back