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    かけはし2017.年2月20日号

「本土」政府の言いなりにならない


沖縄報告:2月11日

辺野古海上工事再開許すな

沖縄 K・S

2.6〜8

辺野古現地報告

サンゴ礁の海は世界の宝だ

ブロック海中投下をやめろ

 防衛局は日曜日の二月五日朝、深田サルベージ建設の新造海底調査船「ポセイドンT」、一個一五トン近くののコンクリートブロック合計二二八個を積んだ台船二隻、大型クレーンを装備した作業台船二隻を大浦湾に配置した。昨年三・四和解の時点で終了していなかったボーリング調査を再開するとともに、汚濁防止膜を設置する際固定するコンクリートブロックを海底に投下する計画だ。海上チームは急きょ抗議船二隻とカヌー八艇を繰り出し抗議行動を行ったが、大型作業船の航路を守る二〇艇近くもの海保のゴムボートに阻まれ、悔しい思いで見守るしかなかった。

2.5

翁長知事、訪米団出迎え

「訪米で大きな手応え」

これからも沖縄の現実を伝える

 五日夜一〇時頃、一週間の訪米行動を終えた翁長知事をはじめ訪米団一行が那覇空港に到着した。空港一階ロビーには出発時と同様、一〇〇人を超える人々と多くのメディアが出迎える中、一行は長旅の疲れも見せず元気にあいさつした。翁長知事は「訪米は今回が三回目だが手ごたえは今回が最もいい。県民と心を一つにして頑張っていきたい」と述べ、オール沖縄会議の呉屋共同代表は「連邦議会は動きつつある。三年前と同じではない。道半ばだが、相手も道半ばだ。頑張ろう」とアピールした。
今回の訪米行動で訪米団は、歳出委員会や軍事委員会、外交委員会に属する民主党、共和党合わせて一二人の下院議員、四一人の上下両院議員の補佐官、米国務省日本部長や国防省日本部長代理、議会調査局の職員、シンクタンク六団体や労働組合などと面会し、新基地NO!の民意を伝え、意見交換をした。また知事は、沖縄関連の図書をそろえたジョージ・ワシントン大学「沖縄コレクション」の公開セミナーで講演し、一五〇人の学生・教官が参加した。稲嶺市長も市民団体、弁護士、大学教授などとの会合を通じ「沖縄には民主主義もない、地方自治もない。提供する側の責任もあるが使うのは米軍だ。米国民も、沖縄でどういうことが起こっているのか、県民がどういう思いをしているのかを分かってほしい」と訴えた。
日本政府や一部のマスコミは、訪米行動を「成果がなかった」「無意味なもの」とおとしめている。国家による中央集権を是とする輩には、一地方自治体が組織をあげて中央政府に対抗して独自の「外交」を行うなど容認できないのだろう。しかし、沖縄が中央政府の言いなりになることは二度とない。

2.6

抗議船5隻、カヌー16艇

ブロック投下に抗議

直ちに工事を止めろ!

 知事の訪米中に大型工事船の作業現場への配備を強行した日本政府防衛局に対し、翁長知事は、「事前協議が整った後でなければ工事の着工は認められない。直ちに工事を停止し事前協議を行ってほしい」と強く批判した。ところが防衛局は知事の訴えを無視し不法作業に着手したのだ。六日早朝海のテント二に集まった海上行動チームは、冬型の天気で波風の強さが懸念される中、抗議船五隻、カヌー一六艇、ゴムボート二艇で海上工事現場に打って出た。
ブロック台船とクレーン作業船が停泊する辺野古弾薬庫の崖下の浜の沖合は海上作業ヤードの設置が計画されている付近だ。この日の作業は、ブロック台船からクレーン作業船へコンクリートブロックやブイ付きのワイヤーロープなどを移し替えるというブロック投下の準備作業だった。午前中長島のフロート付近で抗議と監視を続けたカヌーチームは、午後から抗議船に乗ってブロック台船・クレーン作業船の現場に合流し監視と抗議を継続した。
抗議船からマイクで呼びかける。「作業員のみなさん。皆さんの行っていることは海の破壊です。沖縄県は工事を認めていません。不法工事です。直ちに工事を止めて下さい」「海保のみなさん。皆さんの仕事は平和的な抗議活動を取り締まることではありません。言論の自由は憲法に保障された国民の権利です。皆さんが本来やるべき海の安全を守る仕事に戻りなさい」。

2.6

ゲート前に250人

午前いっぱい、工事車両と
作業員の進入を阻止

 一方、キャンプ・シュワブのゲート前は、コンクリートブロックの海中投入が始まるという危機感から多くの人々が自主的に結集してきた。この日、団体や組織の動員はなかったにもかかわらず、七時過ぎには約一五〇人が座り込んだ。辺野古の集中行動日は水、木曜日であり、普段の月曜日はさほどたくさんの人がいるわけではない。しかし、いてもたってもいられず互いに連絡を取りあい駆け付けて来たのだ。キャンプ・シュワブのゲートは第一と第二、そして弾薬庫側に使用されていない第三ゲートがある。工事車両の出入り口は第一と第二ゲートの中間にあって、ここから工事車両が出入りする。作業員が入るゲートは定まっていないが、工事を阻止するためには海上作業員を基地内に入れなければよい。
われわれは第一、第二ゲートと工事用ゲートの三か所で各ゲート四〇〜五〇人体制の阻止線を張った。八時半ごろ作業員の車列の一部が第1ゲートから入ろうとしたため、第1回の攻防。スクラムを組み座り込んだが、彼らは出口側から逆走して入っていった。しかし作業員はまだ半分も入っていない。なおも警戒中、今度はトラック三台とクレーン車そして作業員の車が車列を組んで工事用ゲートから入ろうとした。
この頃になるとさらに人々が集まり加勢がついていく。車列は道路中央線上に止まったまま動きが取れない。座り込みの抵抗はいつにもまして粘り強く、機動隊も簡単に排除ができない。排除し囲っても座り込みの人数が機動隊員の数を上回るために押し合いが始まり、機動隊が対応できなくなる。また道路中央に止まった車列の前にプラカードを持って立ちふさがる人々を排除するにも機動隊の人手不足だ。
一二時近くになって、県警は応援の機動隊員を現場に呼び寄せ、ようやく座り込みを排除した。午前中いっぱい工事車両と作業員を阻止したのだ。これは大きな成果だ。ゲート前の座り込みは最終的に二五〇人を超えていた。そうなると、沖縄県警だけでは排除できないことがはっきりした。三〇〇人集まればその日の工事を止めることができる。
「法治国家」と言いながらあらゆる不法行為を重ねる安倍政権に対抗する方法は、主権者はわれわれだと声をあげ立ち上がることだ。

2・7防衛局がブロック投下を開始
翌七日、防衛局はコンクリートブロック投下を始めた。この日四個のブロックが大浦湾の海底に沈められた。沖縄県が度々要請してきた「着工前の事前協議」のない不法行為だ。しかも、「潜水夫が見ながらサンゴのないところに落とす」との二年前の防衛局の確認自体を反故にするものだ。ブロック投下には時間がかかる。二二八個のブロック投下と汚濁防止膜の設置に二〜三カ月かかるという。
ブロックの海底投下を今すぐ止めよ!二月七〜八日、海上行動チームは抗議船とカヌーを出して作業現場に行きフロートを越えて、作業の中止を訴えて行動した。水曜集中行動の八日は、ゲート前に三〇〇人が結集し座り込んだ。工事車両・作業員の進入は全面的にストップした。
海と陸での現場の闘い、翁長県政の行政面からのアプローチ、全国からの支援と各地での闘いの輪の広がり、これらが一つになって大きな力を発揮すれば必ず勝利を手にすることができるに違いない。

2.3

辺野古海上行動

抗議船3隻、カヌー12艇で
監視・抗議行動やりぬく


二月三日朝海上チームは抗議船三隻、カヌー一二艇で監視・抗議行動を行なった。フロートはまだ完成していない。辺野古アから長島を過ぎて大浦湾に入ると、フロートは一部設置されておらず自由に航行することができる。ODB(沖縄防衛局)の横幕を付けた海上警備船の警告のマイクをしり目に「海保の浜」に近づくと、浜には海保のゴムボート数隻が浮桟橋に係留され、作業船一〇隻以上が砂浜に並べられている。隣の通称「レジャービーチ」では、大型クレーンがアームを折りたたんでいるが、二台のユンボと数百個のフロートが浜に整然と並べられている。
午前中は抗議船による海保の浜での作業船の監視と辺野古アから長島に張られたフロート付近でのカヌーチームの抗議行動が行われた。防衛局はカヌー隊がフロートを越えて作業現場に進入することを防ぐために今回新たに緑色のネットをフロートに設置した。フロートそのものが海の不法投棄物であり、直ちに撤去すべきものであるにもかかわらず、さらに鉄パイプやロープ、ネットといった危険な付属物が増やされていく。
辺野古アの浜には、米憲兵隊のもとにある軍警備員七〜八人がカヌーチームの様子をうかがっている。米軍は最高裁判決で片がついたかと思いきや、一向に収まる気配を見せない抗議行動に「懸念」と「いらだち」を抱いているに違いない。
カヌーチームは平島で昼休みを取った後、午後の行動に移った。防衛局は午前中行わなかったフロートの設置作業を午後に行ったが、海保に拘束され海に落とされてもへこたれず、夕刻まで果敢な行動を貫徹した。

2.4

植村隆さん講演会

歴史を改ざんしようとする
勢力に屈してはならない

 二月四日午後、沖縄大学で、朝日新聞記者を三〇年以上勤めた植村隆さんの講演会「私は捏造記者ではない」が開かれ、約一〇〇人が参加した。
植村さんは二週間にわたって韓国を訪問・取材し、一九九一年八月一一日付朝日新聞に「元朝鮮人従軍慰安婦、戦後半世紀重い口開く」「思い出すと今も涙」「韓国の団体聞き取り」との見出しで、「女子挺身隊」の名で戦場に強制的に動員された、ある日本軍慰安婦被害女性が、「韓国挺身隊問題対策協議会」の聞き取り調査に応じて証言を始めたという記事を書いた。その女性は三日後の八月一四日、はじめて実名で証言をした金学順(キム・ハクスン)さんだった。証言は一九九一年八月一五日付の「東亜日報」に報じられ、朝鮮人女性の日本軍慰安所への強制動員は否定することのできない歴史的事実であることが公にされた。
この時期、朝鮮人女性の日本軍慰安婦としての強制動員を報じたのは朝日新聞だけではなかった。日本の新聞はみな朝日と同じように報じた。北海道新聞は金学順さんの単独インタビューを掲載し、読売新聞は朝鮮人女性が「女子挺身隊」として強制連行された、と書き(1991・12・3付)、産経新聞も金学順さんは日本軍に強制連行された、と報じた(1991・12・7付)。つまり、植村さんの記事は当時の日本メディアの一般的認識だったのである。
植村さんが「ねつ造」キャンペーンを受け始めるのはそれから二三年後、二〇一四年二月六日付の『週刊文春』の「慰安婦捏造”朝日新聞記者がお嬢様女子大教授に」の記事からだ。それからのネット右翼、櫻井よしこや西岡力、読売・産経などメディアによるデマ・中傷、勤務する大学や学生、家族に至るまでの人身攻撃はすさまじいものだった。朝日新聞の検証記事(2014・8・5)と第三者委員会の報告書(2014・12・22)は、植村記事に対し「事実の捻じ曲げはない」と結論付けた。植村さんは問題のある「吉田清治」証言を一つも書いていない。しかし結局、常軌を逸した人身攻撃に、植村さんはこの女子大と次に勤めた北星学園大での教授の職を離れざるを得なかった。
植村さんと家族、弁護団は理不尽な攻撃に対し屈せず、言論の場でも裁判の場でもよく闘い抜いた(詳しくは『真実 私は「捏造記者」ではない』、岩波書店、2016年2月。『週刊金曜日』2016年5月抜き刷り版)。二時間近く気持ちのこもったスピーチを続けた植村さんは、「自分にとって一番の武器は何か。それは事実」と述べ、『NEWS 23』のアンカー・岸井さんの「一連の圧力の背景に歴史の事実を書き換えようとする勢力がいる」とのコメントを引用して、植村バッシングの背後にいる人々の悪意に対しひるまず闘い続ける意思を語った。
植村バッシングは、東京MXテレビ「ニュース女子」の沖縄反基地運動に対する事実に基づかない誹謗・中傷などと根が同じだ。政治が凶暴化してくる中で、基本的人権を守る運動や歴史の事実に対するデマや中傷が表舞台で勢いを増してきているかのようだ。デマには事実で対決していく。うまずたゆまず、へこたれず。それが勝つ方法だ。


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