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    かけはし2017.年2月13日号

トランプ発言と新たな中東の緊張


イスラエル

ミシェル・ワルシャウスキに聞く

国際外交の無能化の根源―犠牲者と処刑人を同列に置く過ち

 以下のインタビューは、アラン・ポジョラトとアラン・クリヴィーヌによって行われ、フランスの反資本主義新党(NPA)機関紙「アンチカピタリスト」一月一二日号に掲載された。トランプの露骨な親イスラエル姿勢が、イスラエルを巡って中東にもう一つの緊張をもたらしかねない状況が生まれている中で、イスラエルの行動への警戒が高まっている。それらのいわゆる国際社会の動向にふれつつ、以下では、イスラエルへの民衆的圧力とパレスチナとの連帯運動が一層重要性を増していると力説されている。(「かけはし」編集部)

格差の拡大と
貧困の増大
――ネタニヤフは「不法な贈り物」(数万ユーロ相当の)の件で起訴されそうな雲行きにある。この贈り物はビジネスマンから受け取った……と言われている。これに対する世論の反応は?

 世論はこの問題に関し、他のすべてと同様二つに割れている。一方には政治と階級の、特に首相を中心とするサークルの腐敗のひどさからショックを受けている――しかし驚いてはいないが――者たちがいる。しかし他方には、これらの事件を選出された政権に対する非正統化を狙ったものと見なす国民の多数がいる。この多数はこの狙いを、彼らが「エリート」と呼ぶ者たちによるもの、この「エリート」の意志に反した民衆の選択に対する非正統化と見ている。メディア、司法システム、また一定程度で警察は、極右支持者から見て先のようなエリートの表現だ。そしてこれが、司法相のアイエレト・シャケドによる、司法システムを根本的に改革する、それにより司法システムが「多数の意志をもっと反映する」ようにする、との決定の理由だ。
われわれは政治体制移行の一時期にいる、と言うことは誇張ではない。その移行は、議会制の支配、そしてイスラエル内にいるパレスチナ人マイノリティーの人々とその選出された代表者をはじめとした、民衆的な諸々の自由、この両者を犠牲にするものだ。
貧困線以下で暮らすイスラエル人の子どもが三分の一にのぼることに基づけば、貧困の増大は否定できない。しかしそう言ったとしても、多数の貧困は、またこれは資本主義の下では確かに事実なのだが、経済情勢が悪いということを意味するわけではない。
欧州経済に比べれば、イスラエルのそれはうまく回っている。つまり、成長率はOECD諸国のほとんどよりも高く、失業率は四%以下、財政は均衡し、全世界への資本と先進テクノロジーの輸出がある。イスラエルは今危機を経験していず、その経済は国際格付け機関からトリプルAに分類されているのだ。新自由主義の資本主義においては、うまく回っている経済は、貧しい人々の数の増大に矛盾するのではなく、実はまったくその逆でそれこそが正常だ。

問題を棚上げする
中東和平会議
――国際的なレベルで、情勢は不透明だ。何十年もの間ではじめて入植停止を求めた、昨年一二月二三日の国連安全保障理事会票決は、どのような結果をもたらす可能性があるだろうか?

 ヨルダン川西岸の入植に反対する安全保障理事会による票決は、何よりもまず、イスラエルの非妥協、その指導者たちの傲慢さ、またこのユダヤ人国家と友好的な関係を結んできた諸国からの広範な警告を彼らが一切無視していること、これらに対し国際社会全体がもついらいらの反映だ。世界の光景におけるイスラエルの孤立化の高まりは、民主党と共和党双方の米政府によるイスラエルに対する無条件的支持を理由に、迂回可能なものだった。
バラク・オバマによる拒否権を行使しないという決定は初めてだ。国連総会ではイスラエルの入植に反対する決議が何十回も採択されてきたとはいえ、安全保障理事会が米国の拒否権という障害にぶつからずに反イスラエルの票決を行ったのは、一九八三年後では最初だ。
オバマは彼の退任前夜、ネタニヤフ政権から食らわされてきた数知れない侮辱に対し、イスラエルに対価を払わせようとした。しかしながら、こうした辱め――米議会演壇でのことを含め――を前にしてもオバマは恨みを抱かなかった、ということを思い出そう。たとえば二カ月前彼は、今後一〇年間にわたる三五〇億ドル相当の軍事協力協定に署名した。ネタニヤフの謝意は嫌々のものだった。そしてネタニヤフは躊躇なく、ドナルド・トランプの勝利を辛抱強く待っているところだ、と語った。

――一月一五日に、中東和平会議がパリで開催される。イスラエルはそれに参加しないだろう。そこから何らかの結果は出るだろうか?

 フランスの主導による中東和平国際会議は、絶対的に何の結果ももたらさないだろう。そしてイスラエルはすでに、参加の意思はない、こうして、フランス当局に恥をかかせることもいとわない、と公表している。オバマがイスラエル政府を一インチでも進ませることに成功しなかったとしたら、ジャン―マル・アヨウルトがそう……することになる者とはならないだろう。
そう言った上で、パリ会議は、国際法とパレスチナ人の人権に対する繰り返された侵犯に関し、イスラエル植民地国家を被告席に着かせるもう一つの機会になる可能性がある。しかし夢を見ないようにしよう。つまり、すべては、「二つの部分」間に責任を分配し、いわゆるパレスチナ人の暴力を厳しく非難することを絶対に忘れることなく、ベルギーのわが同志たちが「等距離」と呼んだところにとどまるために行われるだろう。処刑人と犠牲者を、入植者と入植される者を同列に置くことは、国際外交の中心的定式なのであり、それこそその無能性の理由だ。

パレスチナ問題は
世界の進歩性を問う
――国内的諸困難と込み入った外交上の絡まりは、BDS(ボイコット、投資引き上げ、制裁)キャンペーンに対し新しい機会を提供することはないのだろうか? その先で、それはパレスチナとの連帯にどのような展望を開き得るだろうか?

 パレスチナ問題に関して国際外交が提起しているもっとも重要な問題ということでは、採択された諸々の立場――安全保障理事会決議の確認――に、ここでの決議を効力ある圧力手段に変えることの拒絶として、大した意味はない。いわゆる国際社会はイスラエルを、その犯罪が免責されるという地位に残しているのだ。
BDSキャンペーンに主要な重要性があるというのは、こうしたことを背景にしている。つまり、もし「S」がこれまであったとしたならば、言葉を換えればもし国際社会が「制裁」を使っていた――南アフリカのアパルトヘイトに反対してか、中国国内の民主的自由抑圧に反対してか、どちらにせよこれまでしばしば行われてきたように――とすれば、「B」(ボイコット)であれ「D」(投資引き上げ)であれ、その必要はまったくなかったと思われる。そしてわれわれのパレスチナ人の諸権利を求める闘いは、勝利する間際に近づいたと思われる。
BDSキャンペーンを通じた諸々の社会の精力的な決起を求めるものは、見てきたような国際社会の臆病さであり、もっと言えばしばしば行われるそのイスラエル植民地体制との共謀なのだ。そしてこのキャンペーンはこの一〇年で、相当な前進を遂げた。つまり、「ジャッファ」のオレンジに対するボイコットから、オレンジ(フランスの携帯電話会社)によるイスラエル内前提携相手との契約からの投資引き上げ、あるいはオランダの水道企業とイスラエルの水道企業間で結ばれた提携関係の解消まで、の前進だ。
強力な外交的イニシアチブをとるようにとの諸政府への民衆的圧力は、諸々の声明を超えて進むことはないとしても、重要だ。しかしイスラエルを後退させるためには、はるかに多くのことが必要だ。われわれは、経済上かつ商業上で、それだけではなく文化や大学やスポーツの分野でも、具体的な制裁の実行を必要としている。これもまた南アフリカ民衆の経験が示す教訓だ。
私はこのインタビューの結論として、フランスで、同様に他の欧州で、パレスチナ人との連帯運動を築き上げるもっと多くの努力を行う必要を強調したい。ネオコンが計画した中東におけるサイクス・ピコ協定(現在の中東における国境分割を定めた英・仏間の秘密協定)的秩序の解体は、いわば真空をつくり出すことになり、それはダーイッシュが代表する新たなバーバリズムで埋められようとしている。
地域のこうした現実は、パレスチナ問題の周辺化として作用している。しかしながらパレスチナ問題は、この地域の政治的現実に対してではないとしても、少なくとも、その進歩的な解決の可能性に対しては、鍵を握るものとして今なおとどまっている。
われわれは、アレッポのことであれ、ブリュッセルのことであれ、世界の諸問題をパレスチナ問題それだけに切り縮めることはできないし、またそうすべきでもない。しかしそうであってもこの問題は、今なお膿を流し続けている腫れ物の事例として残っている。そしてそれは、もし対処がなされないとすれば、正義を求める戦闘の根源として、それだけではなくそれらがテロリズムの方向に進展する根源としても、存在し続けるだろう。(「インターナショナルビューポイント」二〇一七年一月号)


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