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    かけはし2017.年1月16日号

全右翼相手に左翼の存在を鮮明化


ブラジル

リオデジャネイロ市長選大善戦の教訓(上)

武器は一年半費やした民衆的討論

マルセロ・フレイショ

 マルセロ・フレイショは、二〇一六年一〇月の地方選でPSOL(社会主義自由党)のリオデジャネイロの市長候補者だった。彼は、ポルトガルの左翼ブロックと第四インターナショナルの指導部の一員であるフランシスコ・ルカからインタビューを受けた。二〇一六年一一月二七日に行われたこのインタビューは、最初左翼ブロックの電子版日刊紙に掲載された。

社会の基盤での活動が実を結ぶ


――リオデジャネイロの地方選キャンペーンをあなたはどのように評価していますか?

 それは非常にすばらしく、非常に強力なキャンペーンだった。われわれは今ブラジル左翼の極めて深刻な危機を経験中だ。それゆえに、そのキャンペーンはいわばアスファルトに咲いたひまわりだった、と言いたい。この危機は、一つのサイクル、労働者党(PT)の時代の終わりだ。その源はクーデターだけではなく、PTが政権にあった時にこの党が犯した諸々の間違いでもある。この危機は、政権に参加した諸政党だけではなく、左翼全体に及んでいる。われわれは、誰であろうが、左翼像に同化している、あるいはそれに引きつけられている者すべての危機が進行している中にいる。
左翼は今回の地方選で極めて高い代償を支払うことになった。地方選はブラジルでは非常に重要だ。この国には五〇〇〇以上の地方自治体があり、暮らしがますます都市的になっている中で、町々の選挙に込められた全体的関係は、全国政治に相当な影響を与えている。われわれはここリオデジャネイロで、ブラジル共産党(PCB)(注一)およびいくつかの社会運動と一つの連合を形成した。ここでの社会運動とは、モビメント・セム・テト(屋根なき運動)、モビメント・セム・テラ(土地なき運動)、レバンテ(反乱)、その他だ。

――そうしたすべてにより、またこれらすべてにもかかわらず、リオデジャネイロには何か非常に特別なものがある。つまりそこは、左翼が決選投票へと切り抜けることができたただ一つの都市だ。

 まさしく。

――そこには一つの違いがあるはずだ。つまり、そこでの左翼はオルタナティブとして現れることに成功し、それは他の諸都市にはないケースだった。

 他の諸都市でもいくつかうまくいったキャンペーンがあった。しかしそれらも、決選投票まで進むことはできなかった。私が考えるに、リオデジャネイロの左翼を他の諸都市の左翼と違わせているものは、われわれが多くの活動を基盤となね地域で行ってきた、ということだ。そこには一つの左翼の連合が作られてきた、と私は考える。これは、テレビでの公式キャンペーンでより多くの演説時間を得ようとする、諸政党間連合ではなかった。一つの綱領を基礎として、社会運動との間で作られた一つの左翼連合だった。
こうしてわれわれはここリオデジャネイロでは基盤で活動した。そして私が確信していることだが、これこそが、テレビでは最小限の時間しかなかったとしても、先の可能性に帰着した。つまりわれわれは第一回投票で、公式キャンペーンでは約一一秒の広告時間しか確保できなかったが、一八%を得票し、PMDB(ブラジル民主運動党、最大政党で現政権党:訳者)を打ち破り、強力な活動家を携えて決選投票に進んだ(注二)。われわれは決選投票では得票を倍化し四〇%を得たが、相手となったクリベラを倒すには不十分だった。
われわれは、自治体政府に関するわれわれの綱領、それには「もしこの都市がわたしたちのものならば」という名前が与えられたが、その論争に一年半を費やした。それは、五〇〇〇人以上の人々が参加し、この都市に彼らの意見を表明した綱領だ。それは、あらゆるファベーラ(ブラジル大都市周囲の貧困地区:訳者)、住宅地区、また諸層の中で論争されてきた綱領であり、民主的で幅広く論争された綱領だ。
われわれは地域での大規模な活動をつくり出してきた。ある意味でブラジル左翼はこうしたことを置き忘れてきた、と私は確信している。一定のやり方におけるPTの統治が地域での活動を妨げた、と私は考えている。人は、地域での活動よりもむしろ、頂点における大政党間協定という選挙戦略に合わせて考えたのだ。

民衆をめぐる宗教的右翼との対抗

――事実としてあなた方は決選投票で、クリベラがPT政権での一閣僚だったことがある以上、政権諸政党に向き合うことになった。その上彼は、「~の王国ユニヴァーサル・チャーチ」のいわば監督であり右翼の代表者だ。あなたは彼をどう特徴付けできますか、あるいは彼をどう表現したいですか?

 それは難しい。クリベラは、レデ・グロボに次ぐ二番目に大きなテレビ局であるレデ・レコルド経営者の一人だ(注三)。また、彼がその者の甥であるエディル・マセドと共に、ユニヴァーサル・チャーチの主な指導者の一人でもある(注四)。そして彼は上院議員であり、ディルマの下での閣僚だった。また決選投票ではPSDB(ブラジル社会民主党、中道右派:訳者)とトゥカノスの支持を受け、PSD(社会民主党)から、さらにアンソニー・ガロティノ(前リオデジャネイロ州知事)のPMDB自身の支援を含めて、右翼の全部分から支持された。彼は保守勢力すべての支持を確保したのだ(注五)。
そしてユニヴァーサル・チャーチは相当な活動を社会の足下で行っている。われわれは、アフリカを起源とする諸宗教内部で支持されていた。またカトリック内部にも強力な支持があり、何人かのカトリック司祭は、大司教の指令に逆らってわれわれを支持してキャンペーンを行った。しかし福音派信者の八五%以上はクリベラに投票した。これは左翼にとって、特にこの都市の貧しい諸層内部における基盤でのこの活動が正確には何であるのかに関し討論するという、今なお残る一つの挑戦だ。
ユニヴァーサル・チャーチは一つのユートピア、つまり、もう一つのユートピアに基づいて活動している。それはわれわれのユートピアではないが、しかし彼らもまたユートピアに基づき活動しているのだ。そして私は、それにもっと多くの注意を払わなければならないと考えている。
しかしわれわれはすばらしいキャンペーンを、いくつかの層、多くの若者、さまざまな居住区、を組織したキャンペーンを実現した。そしてわれわれの成長がもっとも強力に現れた地域は、北部と西部の居住区、つまりリオデジャネイロのもっとも貧しい郊外だった。われわれは民衆的な有権者の中で成長した。そして私はそれが重要だと確信している。

熟慮要す対宗教的原理主義闘争

――ポピュリストであり、カリスマ性を持ち、宗教的な一人の指導者、それが宗教に訴えているがゆえに、政治的領域に直接的には移すことのできない主張を行う指導者に対決して勝利を得ることは可能なことですか? あなたは宗教的原理主義にどのようにして打ち勝つことができますか?

 キャンペーンの第一週、われわれは時間を無駄にした。実際われわれは、決選投票まで行くとは分からなかった。われわれは、投票日の夜になってはじめて、決選投票に行き着くようだと理解した。われわれは、この決選投票のための準備は前もって準備できていなかった。そしてわれわれは突然、テレビでの一〇分間を獲得し、より多くのカネを見つける必要が生じ、こうして、決選投票に向けて自らを組織するために、われわれはキャンペーンの一週間を無駄にしたのだ。そしてこれは、クリベラに結びついているソーシャル・ネットワーク上で数多くの攻撃にさらされた一週間だった。この、極めて低水準の攻撃、ソーシャル・ネットワークや電話ネットワークでの嘘に基づく攻撃は、特別にむかつくような、クリベラの連携者たちによる悪名轟くキャンペーンだった。
それはここであらためて対抗のためいくらかの時間をとられたキャンペーンだ。これらは、われわれがどう対応すべきかが分かっていなかった下劣な攻撃だった。それは、われわれが麻薬取引に結びついていた、などと言うまでに進んでいた。法的手段を取ることが必要だった。しかしこれによってわれわれはキャンペーンの一週間を無駄にしたのだが、これは決定的な一週間だったと私は確信している。キャンペーンのためにあと一週間あればわれわれは彼らにきわどいところまで近づいていたと思われる、と私は考える。
いずれにしろそこには、地域におけるこの活動に関して、福音派信者との討論に関して、また改善されるべきキャンペーン組織について、今も残るいくつかの教訓がある。クリベラは、このキャンペーンに一〇〇〇万〔二七〇万ユーロ:原注〕を費やしたが、こうしてそれは、多くの資材と多くの連携者による、極めて費用がかかったキャンペーンだった。われわれにそういうものはなく、またそれをもつこともないだろう。しかしわれわれはわれわれ自身をもっとうまく組織しなければならない。
われわれは敗北と言うよりもはるかに成功した。そして四〇%、一二〇万票を獲得した。われわれは、左翼は死んでいない、もう一つの左翼は存在している、左翼であるもう一つの道はある、という考えを育成した。キャンペーンに対する集団的な資金集めが存在し、われわれはキャンペーンを通じて一万四〇〇〇人の寄付拠出者を確保し、われわれには集団的資金作りと集団的綱領があった。
(つづく)
注一)PCBは、歴史的な共産党の後継の分裂諸部分から現れた諸グループのうち最小勢力。
注二)PMDBは、国会内の強力な中道政党。右翼政権だけではなくPT政権にも参加した。何人かの評論家によればこの党は、用語の古典的な意味における政党と言うよりも、地方や地域の名望家集団である。
注三)レデ・グロボは、軍事独裁体制を支持して宣伝活動を行うために、一九六五年に設立された。そして米国のABCに次いで、世界で二番目のもっとも強力な私有の情報ネットワークだ。レデ・レコルドは、テレビ部門(およびラジオ、出版、インターネット)で世界五位のネットワーク。
注四)この教会は、一九七七年のその創立後に驚くような速度で成長を果たした。それは、政治、人道活動、宗教、そしてキリスト教左翼とアフロ・ブラジリアン諸宗派に対する攻撃的な反対を混ぜ合わせることにより、その影響力を広げてきた。
注五)ここで挙げられた諸政党は制度圏右翼の主な政党。彼らのいくつかは、連邦と州あるいは地方でPT政権に参加してきた。(「IV」二〇一六年一二月号) 



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