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    かけはし2016.年11月28日号

なぜトランプが勝利したのか


米国

政治は解答だ

メーガン・エリクソン/キャサリン・ヒル/マット・カルプ
/コナー・キルパトリック/ブハスカル・サンカラ

理論・イデオロ
ギーをめぐり


 われわれはカナダに移住はできない。あるいはベッドの下に隠れることもできない。今は民主的政治を清算するのではなく、それを持ち込む時だ。
 われわれは、ドナルド・トランプの勝利の影響にいかなる幻想ももたない。それは惨害だ。権威主義的ポピュリストが率いる単一化された右翼政権という見通しは、労働者民衆にとってのある種の破局を意味している。
 この情勢に対応するには二つの道がある。一つは米国の民衆に責めを帰すことだ。他は、この国のエリートに責めを帰すことだ。  これからの日々、多くの先生方は前者を行い続けるだろう。ぎょっとさせられたリベラルの下には、すでに書き終えているカナダへの移住方法に関する説明書がある。昨晩、カナダの移民局ウェブサイトは、情報入手インプットが押し寄せた後ダウンした。今回の危機にわれわれを連れ出した者たちは、今彼らの脱出を計画中なのだ。
 しかしトランプの勝利について米国の公衆に責めを帰すことは、何よりも彼の勝利を呼び集めたエリート主義を深めるにすぎない。レイシズムと性差別主義がトランプ台頭に決定的な役割を果たしたことに疑問を挟むことはできない。そして、彼の勝利が米社会の中でもっとも冷酷かつ偏狭な諸勢力を強めることに役立つことに道筋を凝視するならば、それは恐ろしいことだ。
 それでも、恐怖で始まり恐怖で終わるトランプへの対応は、政治的対応ではない。それは、麻痺の一形態、ベッドの下に隠れる政治だ。そして、道義的糾弾で始まり終わる米国の頑迷な偏見への対応は、政治ではまったくない。それは、政治の対極であり、降伏だ。
 トランプの訴えが全面的にエスニック・ナショナリズムに基礎を置いていた、と信じることは、米国人の半数近くが、白人優位主義者の政治綱領を求める共有された切望、また憎悪によってのみ駆り立てられている、と信じることだ。

クリントンが
負ける選挙
われわれはそれを信じない。そして事実がそれを裏付けている。
今回の選挙は、ニューヨークタイムス記者のネイト・コーンの言葉を借りれば、二〇一二年にはバラク・オバマに票を投じた人々によって決せられた。彼らのすべてが偏狭な者たちであるはずはない。
クリントンは、四年前のオバマがラティーノから得た七一%と対比して、同じ層から六五%しか得ることができなかった。彼女のこの貧相な成果は、米国の南の国境に沿って壁を築くという綱領を基に運動した候補者、メキシコ人をレイプ犯と呼ぶことでキャンペーンを始めた候補者、そんな者を相手にした結果なのだ。
クリントンは、カレッジ学位をもたない白人女性からは三四%得票した。そして女性全体からは五四%を得票した。対してオバマは、二〇一二年に五五%だった(注)。しかしクリントンは言うまでもないが、「性交によって」女性をひっつかむことを取り上げた映像を見て悦に入っていたような候補者を相手に運動していたのだ。
これはクリントンが負ける選挙だった。そして案の定クリントンは負けた。責めの多くは候補者としてのクリントンに向かうだろう。しかし彼女は、この世代の民主党指導者たちが共有する総意を具現化していたにすぎない。オバマ大統領の下で民主党は、州議会でほとんど一〇〇〇議席、一ダースの州知事、下院で六九議席、上院で一三議席を失っていた。昨晩の結果は、どこかわけの分からないところから出てきたわけではないのだ。
クリントンに張り付いた問題は、彼女の特質ではなく、彼女に表現された典型性だった。それは、ワシントンの権力をもつ役者が一票が投じられる何ヵ月も前に指名人を決定していた――圧倒的承認をもって――という、この民主党の特性だった。
彼らは、勝つ可能性のある類の政治、つまり労働者階級の政治に敵対する天井を断固として幾重にも重ねることによって、われわれすべての運命を決する選択を行った。

政治の核心にせま
ったサンダース
昨晩票を投じた米国人の七二%は、「経済は富裕層と力をもつ者たちに有利になるよう不正操作されている」と信じていた。六八%は、「伝統的諸政党と政治家は私のような民衆を気にかけていない」ということに同意した。
民主党の政治家の中では、疎外と階級的怒りというこの爆発寸前の感覚に沿った発言を行った者は、バーニー・サンダースほとんど一人だった。サンダースには、米国の民衆に向けた基礎となるメッセージがあった。つまり、あなたはもっと多くのものに値し、あなたがやることを信じるのは正しいと。医療、大学教育、生計賃金。それが、彼をこの国で群を抜いてもっとも人気のある政治家にしたメッセージだ。
ヒラリー・クリントンの公式政綱はサンダースの具体的な考えをいくつか取り入れた。しかしその中核のメッセージは拒まれていた。民主党を預かっている者たちにとっては、米国をののしることは意味をなさなかった。彼らにとっての米国は、偉大になり続けることを決してやめないものだった。そしてものごとは、ただより良くなり続けてきた。
党の指導者たちは有権者に、政治を彼らに渡すよう求めた。彼らはそれを彼らの統制下に置いていると考えた。彼らは間違っていた。今やわれわれすべてはこの総意を処理しなければならない。そしてわれわれはそのつもりだ。
今は政治の新しい型――人々の怖れに向けてというよりも、彼らの緊急の必要や希望に向けて語るそれ――を必要とする新しい時代だ。あらわになっているが、エリート主義的リベラリズムは右翼ポピュリズムを打ち負かすことはできない。われわれはカナダに移住したり、ベッドの下に隠れることなどできない。今こそ、民主的政治を清算するのではなく、それを取り入れる時だ。
▼筆者たちは編集者であり、「ジャコバン」誌への寄稿者。
注)引用の全統計値はCNNサイトを参照。(「インターナショナルビューポイント」二〇一六年一一月号)

パキスタン

16人の政治犯の釈放とGBでの嫌がらせの停止を求め

アワミ労働者党 ババ・ジャン解放を要求

カラチ、10月20日 ファルーク・タリク


罪状は政府に
よるデッチ上げ
アワミ労働者党は、その指導者であるババ・ジャン及び他の一六人の政治囚の即時釈放、並びにギルギット・バルチスタン(GB)における進歩的活動家と民族主義活動家に対する嫌がらせの停止を要求してきた。
一〇月一九日、この要求と他の要求が、ラホール新聞クラブ内での「報道との会合」プログラム向けに演説中であった首相、ハーフィズ・ハフェーズル・レーマンに反対して、このクラブの外で行われた抗議デモの中で上げられた。
行動参加者たちは、彼の偽善、及び政治囚の問題に関し前言をひっくり返したことで、また人々の経済的諸問題、また他の市民的な諸問題を彼が解決できないことに対し、首相を批判した。大人数のアワミ労働者党活動家、またGBの若者たちは、党スポークスパーソンであるファルーク・タリクに率いられクラブの外に結集、「テリ・ジャン・メリ・ジャン、ババ・ジャン、ババ・ジャン」「代表なくして課税なし」「ババ・ジャンと一六人の良心囚を釈放せよ」といったプラカードを掲げた。
彼らはさらに、パキスタン人民党政府によってでっち上げられた罪状に基づいてジャンと一六人の同志たちを害する形で記録された供述調書を撤回する、という約束を守っていないとして、PML―N(パキスタンムスリム連盟ナワーズ・シャリーア派)地域政府を批判するスローガンも掲げた。
また、民族主義活動家に対する弾圧の新たな波を始めたとして、また彼らに対し偽の罪を告発したとして政府を責め立て、その即時停止を要求した。
行動参加者たちは、中国・パキスタン経済回廊協定(CPEC)に関しGB民衆の留保条件を無視しているとして政府を強く非難し、その構想には民衆のための開発構想が含まれるべきだと要求、さらにこの地域の環境悪化の緩和に向けとられるべき取り組みを要求した。彼らは、紛争地域での課税に反対し、反テロリズム法と他の苛酷な法をこの地域から取り除くこと、そしてGB評議会とカシミール問題省の廃止、憲法制定会議選挙の実施、この地域のより大きな内部的自治を要求した。

世界中の知識人
作家も釈放要求
以下のことは言及する価値がある。つまり首相レーマンは一定数の機会に、ババ・ジャンと彼の同志たちに偽の事件をでっち上げたとして彼の前任者を責め、フンザ渓谷での選挙期間中には、その訴追を撤回し彼らを釈放する、と約束したのだ。しかしながら彼は選挙後、彼の約束を忘れ果てた。
ジャンは先頃、一〇月一五―一六日にカラチで開催された第二回党大会で、党の最高決定機関であるアワミ労働者党連邦委員会メンバーに再選された。
彼は、災害の被害を受けた男と彼の息子が警察に殺害されたことに対する抗議行動に参加したとして、反テロリズム法廷(ATC)から有罪宣告を受けた後、現在終身刑に服している。 国内避難民たちは、二〇一〇年一月四日にフンザ渓谷、アタバドを襲い、フンザ川をせき止め、二三qの湖形成に導いた大規模な地滑りによって苦しめられていた。この時できた湖はいくつかの村を沈め、一〇〇〇人以上の人々をホームレスにした。
ジャンは補償と復興を追求しこの追い立てられた人々を組織した。
二〇一一年八月一一日、追い立てられた家族の何人かが、当時首相であったメディ・シャーが通過する予定であったカラコルム高速道路を封鎖した。警察は催涙ガスを発射し、抗議行動を行っていた者たちを四散させようと発砲、追い立てられた男と彼の息子を殺害した。そしてそれが、多くの町での、一定数の政府庁舎と警察署が焼き討ちを受けた、大規模な抗議の引き金を引いた。
ジャンと彼の一一人の同志たちは逮捕され、拷問を受け、反テロリズム法の下で二〇一一年九月に終身刑を宣告されたが、当地域の高裁が彼らを無罪とした。しかし、二〇一五年五月二五日、最高控訴法廷は、GB議会フンザ渓谷議席補欠選挙の四日前、反テロリズム法廷の裁決を維持、それに続いて、この選挙に獄中から立候補した彼を不適格とした。
それ以前彼は、二〇一四年にGB議会第四選挙区に立候補、四七〇〇票を獲得し第二位になっていた。議席の獲得者は、与党の候補者、ガンザンファル・アリ・カーンだった。カーンがこの地域の知事に指名された時、議席が空席となった。彼の息子が九月一〇日に行われた補欠選挙で選出された。
人権諸組織、さらに、ノームチョムスキー、タリク・アリや他の人々、アスマ・ジャハンギルを含む、著名な知識人、作家、また欧州とアメリカの議員たちが、ババ・ジャンの釈放を求めてきた。

▼筆者は、二〇一二年三政党の結集によって形成されたアワミ労働者党の前書記長で全国スポークスパーソン。以前は、パキスタン労働者党の全国スポークスパーソン。(「インターナショナルビューポイント」二〇一六年一〇月号) 

インド

毛派に対する大量殺害糾弾

労働者を威嚇するテロ行為

ラディカル・ソーシャリスト

 ラディカル・ソーシャリストは、アンドウーラのオディシャン側――オディシャ国境域――で、警察が遭遇戦と呼んでいるものの中での、少なくとも二四人の毛沢東主義者、あるいはそう主張されている者に対する大量殺害を糾弾する。警察が出した報告からは、いくら良く見ても彼らが毛沢東主義者の一集会を包囲していた、ということは明らかなのだ。
 われわれはいくら好意的に見ても、それは十分に知られ、マドカム・ヒドゥメ殺害事件(注一)で最終的に明らかになったからには、次のように言う。つまりアディヴァシス(注二)たちは、いわゆる毛沢東主義者の制服その他を身につけられて、警察―軍のヒロイズムの物語をでっち上げるためにデタラメに殺害されている、ということをだ。それゆえ、独立した証拠がなければ、警察の言葉を真実と考えることはできない。遺体の識別が行われる中で、殺害された者たちの中の少なくとも何人かは、毛沢東主義者活動家自身というよりも、むしろ彼らと接触をもっていた村人だったということが、ヴァルヴァラ・ラオのような活動家たちによって強く主張されるようになっている。
 何よりも、すべてがたとえ毛沢東主義者であったとしても、アンドウーラ警察がオディシャで武器を携行し何をしていたのかを正確に知る必要がある。毛沢東主義者たちが集会を開いていたとして、また彼らを逮捕する必要があったとして、しかしオディシャの警察だけではなかった理由は何なのか。
 攻撃し殺害する訓練を受けた特別部隊の使用は、その作戦が最初から殺害作戦として計画された、ということを暗示している。ヴァルヴァラ・ラオの、見せかけの遭遇戦というそれに対する描写はそれゆえ適切だ。
 われわれは過去に語ってきたことを守る。インド国家が民主的な国家であると主張するならば、インド国家は正常な法を使う義務があり、その警察部隊を諸々の規制と手続きに従うよう強制しなければならない。アンドウーラとテレンガナの特別部隊であれ、ジャムやカシミールやインド北東部を含む他のタイプであれ、特殊部隊の利用は、インド民衆の民主的諸権利を無視するものだ。インドの民衆は、実体のある、あるいは影だけのテロリストからよりも、国家からの防護をはるかに必要としている

?普通の人々を威嚇するために利用される可能性のある、また実際に利用されているような、意図的に曖昧かつ幅広く規定されている、いわゆる諸々の反テロ法すべてを廃止せよ。
?殺害のために訓練された、またボーナスに向けた得点を勘定に入れている「特殊」警察部隊を解体せよ。われわれには、賞金稼ぎではなく法が必要だ。(二〇一六年一〇月二七日)

▼ラディカル・ソーシャリストはインドにおける急進的左翼組織であり、第四インターナショナルのパーマネントオブザーバー。
注一)マドカム・ヒドゥメは、二〇一六年六月、もう一つの偽の遭遇戦でレイプされた後に殺害された。
注二)アディヴァシスは、南アジアの先住民衆を指す用語。(「インターナショナルビューポイント」二〇一六年一一月号)



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