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    かけはし2016.年11月28日号

全力でゲート前に集まろう


沖縄報告:11月20日


激しさを増す高江現地での攻防

沖縄 K・S

11.16

高江水曜集中行動に150人

N1ゲート前に座り込み

全国から集まる人びと


 一一月一六日の水曜集中行動は、N1ゲート前に早朝から一五〇人が座り込みダンプによる砕石・資材の搬入を阻止するとともに、北部訓練場内ヘリパッド建設現場の各地で、工事を止めるための監視・抗議行動が進められた。
訓練場内抗議行動の出発地となっているN1裏テントには、全国各地から人々が集まってくる。「民主主義と人権の国」日本で行われている信じられないほど反民主主義的で人権蹂躙の塊のような沖縄高江での国家権力のふるまいの数々を目の当たりにし、まさにいてもたってもいられないというように結集してくる。関東のある人は一〇年前から沖縄に関心を持ち始め、今では看護職の仕事をしながら度々、ひと月に二〇日働いてお金を貯め一〇日を高江で活動するために充てるという。別の人は、そうしているうちに沖縄と本土とを行ったり来たりするのが面倒になり、沖縄に家を借りたり、あるいは引っ越してきて高江・辺野古の運動に全面的に参加しているという。
「高江ウッド(wood)」と名付けられたヘリパッド建設現場での直接行動は、このような人々の参加によって大きく支えられている。実際問題としてやんばるの森の中での行動は簡単ではない。北部訓練場はどこからでも自由に出入りすることのできる広大で起伏にとんだ森だ。アップダウンの激しい丘を歩き、谷川を渡り、崖のような急斜面を上ったり下りたりする山中行動は体力が必要だし、注意力も求められる。場合によっては、刑特法の適用の危険が伴う。それでも参加者は絶えることがない。毎日参加者が集まり、山中行動が行われる。参加者の入れ替わりや人数の変動はあってもほぼ毎日貫徹されている。

現地情勢は
重大局面に

 日米両政府は返還式典を一二月二〇日に行うとの日程を決めた。成田空港の約八倍、羽田空港の約五倍の北部訓練場の半分が返還されれば、沖縄に駐屯する米軍基地の在日米軍基地全体に占める面積の割合は現在の約七五%から約七〇%に減少する。安倍官邸はこれを沖縄の負担軽減だと演出したい。また、日米両政府の約束であるヘリパッド建設を公約通り完成させたという政権の実行力を米国に自慢したい。安倍ががむしゃらに年内ヘリパッド完成に突き進む理由だ。
高江の突貫工事は尋常ではない。防衛局は一一月一四、一五の両日、宇嘉川河口からG地区ヘリパッドに至る米軍歩行訓練ルート建設現場で民間ヘリを使った資材搬入を行なった。先週からは夜一〇時過ぎまで、あるいは早朝三時ごろからの夜間工事を強行している。、水曜集中行動でN1ゲートからの砕石・資材搬入ができなかった翌一七日には一〇トンダンプ、トラックのべ一〇七台で搬入した。
N1の二カ所はヘリパッド表面の芝張りが進んでおり、Gも比較的早く工事が進展しているという。しかし、大きな落ち込みのあるH地区は工事が難航しいまだ地盤の基礎もできていない。宇嘉川河口からGまでの海兵隊歩行訓練ルートは着手したばかりだ。実際のところ一二月二〇日までに工事が完了するメドが立っているわけではない。それでも安倍は、訓練場の一部返還による政権のイメージアップとヘリパッドの既成事実のために、返還式典を強行しようとしている。いよいよヘリパッド建設阻止の闘いは重大な局面を迎えている。全力を振り絞り、高江のゲート前に、テントに結集しよう。今こそ立ち上がろう!

3か所で行われた
16日の山中行動


N1裏テントでは水曜行動の一六日、午前七時からミーティングが行われ、泊まりこみのメンバーを含め約五〇人が参加した。山中行動はH地区、G地区、宇嘉川河口の三か所で行われた。
宇嘉川河口へ向かったグループは、約一時間の山中行動の後、宇嘉川河口に至る海岸に降り立った。宇嘉川河口から二〇〇〜三〇〇m上流の米軍歩行訓練ルート入り口に設置された作業テントまで、警察機動隊と防衛局が文字通り雲霞のごとく集まっている。少なく見積もっても一〇〇人は下らない。米軍歩行訓練ルートに向かおうとする我われを防衛局と機動隊は阻止線を張り通そうとしない。最前線に出てくるのは一〇人足らずの防衛局職員と四〇〜五〇人の機動隊だ。こうして昼を挟んで約五時間、宇嘉川河口での阻止線をめぐる攻防が熾烈に展開された。

阻止線張る
防衛局に怒り


われわれの行動は非暴力に徹しているので、防衛局や警察も簡単に付け込んでこれない。我われは、機動隊をバックにして阻止線を張る防衛局職員に怒りをぶつける。
「全国の各管区から一〇人、合わせて七〇人の防衛省の職員は、米軍犯罪防止のパトロールをするために沖縄に派遣されたのではなかったか。なぜ高江にいるのか。嘉手納基地周辺などで米軍犯罪を取り締まるべきではないのか。上司に言え。私が沖縄に来たのは米軍犯罪を取り締まるためです。高江から配置換えしてください、と」。
防衛局の職員は時たま「ここは提供施設です。立ち入らないで下さい」と力なく叫ぶだけだ。「県民は提供してないぞ。この土地は県民のものだ。米軍が奪い、日本政府が容認しているだけだ。米軍は強盗で日本政府は共犯だ。米軍と防衛局こそ出ていけ」。
「やんばるの森を世界自然遺産に登録するというが、大量の木を伐採して基地を造りオスプレイを飛ばして、何が自然遺産だ。伐採は森をこわす。一体何本伐採するか知っているのか。三万本以上だ。世界自然遺産登録は県民の夢だが、森をこわして基地を造れば自然遺産にならない。もうこれ以上沖縄に基地を造るな」。
防衛局の職員、警察機動隊員は全く反論しない。ただうなだれて聞いているだけだ。少し前までは何かと屁理屈をつけて言い返していたのが、「土人」「シナ人」発言以来、また問題発言をしてはまずいとでも思った防衛省、警察庁、安倍官邸の指示が下されているのだろう。みな「言わざる」のように黙りこくっている。

沖縄に対する安倍
官邸の無視はね返せ


沖縄に対する無視。これが今の日本政府・安倍官邸の方針だ。知事選から衆院選、県議選、参院選と続く新基地NO!の民意の無視、ヘリパッドができれば高江に住めなくなるという地元住民の訴えの無視、北部訓練場の返還に関してアセスメントの再実施やオスプレイの配備撤回を求めた33項目にわたる翁長県知事意見の無視、「土人」「シナ人」発言に対する広範な層から問題視の無視、現場の抗議の無視等々、彼らは無視することが支配の最善の方法だと傲慢にも考えている。それに全面協力しているのがメディアだ。われわれは、不屈の現地闘争を軸にした県民の声を県内、全国、世界へと強く大きく出し続けることによって、日本の国家権力が沖縄をいくら無視しようとしても無視しきれない事態を必ず生み出していく。

高江11.19土曜集中行動

N1ゲート前で250人
が座り込み集会


一一月一九日の土曜集中行動は約二五〇人の結集の下、N1ゲート前の座り込みを中心に行われた。N1ゲートからは搬入できないと考えた防衛局はメインゲートへ砕石・資材搬入を行なおうとしたが、メインゲートに至る県道七〇号線上でも数百メートルに渡って抗議の人波が広がり阻止行動が展開された。防衛局・警察は、メインゲート前を大量の機動隊で占拠した状態で道路封鎖を行い、合計ダンプ二四台分の砕石をメインゲートに搬入した。平和運動センターの大城悟事務局長は、年末にむけ闘争局面が緊迫する中、現在の水土に加えて月曜日も集中行動にしていくことを提起した。
この日、N1ゲート前の座り込み集会は県内、全国各地からの報告が相次ぎ活発な報告交流集会の様相を呈した。大阪から参加の車いすの男性は、大阪府警を呼び戻す運動を報告するとともに、沖縄での県公安委の派遣要請撤回の取り組みを訴えた。京都からの参加者は、持参のマイクを手に取り「ともに闘っていこう」と呼びかけた。マイクロバスで参加した南城市の島ぐるみは、毎週水曜朝、一〇〜一五人の参加でアピール行動を行っていることを報告した。同じマイクロバスで参加した八重瀬町島ぐるみは、毎週火曜夕方街頭宣伝を行い、リレー発言をして辺野古・高江の新基地NO!を訴えていることを報告した。神奈川の女性グループは一言、「頑張ります」。
平和市民連絡会の岡本さんは、サンケイ新聞の記事を紹介しながら、「駐留軍」と呼ばれている東京からの政府高官が高江の現場を取り仕切っていることに注意を喚起した。長野県の参加者は、「高江に来るのは今回が三回目、長野の広場でデモ行進をした」と述べた。また別の長野の参加者は、辺野古にも参加し、今回山中行動にも参加していることを報告し、「素晴らしい森をどうして壊すのか」と訴えた。埼玉の参加者は、「二年前に高江に来たときは静かな森だったが、昨日H地区のヘリパッドに行って愕然とした、もう工事を止めてほしい」と述べた。バスで参加した京退教の二六人は、高江住民の会にカンパを渡すとともに、「京都唯一のXバンドレーダー米軍基地に加え、福知山の自衛隊基地の共同使用・共同訓練が図られている」と報告した。
北海道帯広の参加者は矢臼別演習場での平和盆踊りなどの取り組みを紹介した。名古屋の女性は毎週水曜日の高江アクションを報告した。HENOKO BLUEのそろいのTシャツを付けた千葉のメンバーは「木更津の基地でオスプレイの整備をさせず、日本の空から軍用機をなくして行こう」と呼びかけた。東京の参加者は自分のいる場所で闘うことの重要性を述べた。神奈川から辺野古リレーで二週間の滞在予定で参加した二人組は「神奈川県警を目にすると申し訳ない気持ちになる」と語った。石垣島からも参加者が発言した。沖教祖国頭支部の代表は北部地区労との統一行動で参加していることを報告し、「労働組合が立ち上がることが工事を止める、戦争を止める」と訴えた。
昼食時間の後、四〇〜五〇人が近くの斜面を登ってN1の砕石集積場・作業ヤードに行き、防衛局職員・警察機動隊が警備する中、ユンボが四トンダンプに砂利を積む作業を監視・抗議した。砂利はほとんど底をつく状態で、すでに各地のヘリパッド建設現場と進入路現場に運搬されたものと思われた。

女性暴行殺人から半年―
被害女性の父親が手記を発表

 一一月一九日は、うるま市に住む二〇歳の女性に対する暴行殺人の容疑で元米海兵隊で嘉手納基地所属の米軍属が逮捕されてから半年に当たる。遺体遺棄の現場となった恩納村の山中には今でも花束や飲み物、お菓子、ぬいぐるみなどのお供え物が後を絶たない。被害女性の父親はメディアを通じて一一月一七日付で手記を発表し、心境を明らかにした。

米軍人・軍属の事件がなくなることを願う
〈手記(全文)〉

 娘が生きていると信じ地域周辺を必死に捜し回った日々を思い出すことがあります。娘の無念を思うと気持ちの整理がつきません。毎朝仏壇に手を合わせると涙が出てきます。いつまでこの気持ちでいるのか今の私にできることは娘を供養してあげることだけです。
それと遺族に対する支援と皆さんの優しい気持ちに感謝しています。
今でもなぜ娘なのか、なぜ殺されなければならなかったのか、今でも思います。今は供養してあげることしかできません。裁判もこれからで今の私には気持ちの整理はできません。
娘の母親、交際相手だった方もいろんな思いがあると思います。これからも娘への思いは変わらないと思います。
被告人には極刑を望みます。私たち遺族にはいかなる言い訳も通用しません。被告人は人ではありません。
娘は帝王切開で未熟児で生まれ小さく、病院に入院し私たちはとても心配しました。でもこれといった大きな病気、けがはなく育ってくれました。娘の名は私がつけました。生まれる前から女の子と分かっていましたので二文字のかわいい、呼びやすい名で(実名)と名付けました。笑顔がかわいい、優しい娘に育ってくれました。私が三五歳で生まれた大事な一人娘です。最後に会ったのは成人式で私の実家で会い、記念写真を撮り、とても着物姿が似合っていました。別れるとき玄関で娘と握手をし、(実名)体に気をつけてね、と言い、それが娘との最後の会話でした。ちょっとした楽しみも待っていました。居酒屋でお酒を一緒に飲むことです。娘にお酒をついでほしかったのです。今はいろんな思い出が多く言葉になりません。
この事件を最後に米軍人、軍属の事件がなくなりもうこれ以上私たちのような苦しみ、悲しみを受ける人がいなくなるよう願います。それは沖縄に米軍基地があるがゆえに起こることです。一日も早い基地の撤去を県民として願っています。
二〇一六年一一月一七日
娘の父より



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