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    かけはし2016.年11月21日号

自立保てば左翼の再編も可能に


フィリピン

左翼とドゥテルテの大統領職(下)

現状は様々な立場

ピエール・ルッセ

 フィリピン左翼の概観は変形しつつあり、新たな発展が進行中だ。徹底的にということではないが、進行中であるものについて一定の観点を得るための試みをしてみよう。

アクバヤンでは
選挙機構化進行
この政党は、キリスト教左翼、CPPとNDF、「旧」共産党(PKP)、マルクス主義者の諸個人、さらに無所属の社会主義者……から出てきた諸潮流の再編を源に、一九九八年に形成された。しかしこの政党の場合、社会運動との結びつきにもかかわらず、アクバヤンが下院に議席をもつ野党勢力であることを止め、一人の大統領候補者に合流すると決定した二〇〇九年の時から、選挙の領域があっという間にこの党を律するものとして確立した。アクバヤンは二〇一〇年にベニグノ・「ノイノイ」・アキノ三世と連携し、政府に加わった。スキャンダルの激増にもかかわらず、この党が隊列を乱すことは一度もなかった(注一〇)。
二〇一六年アクバヤンは初めて、リサ・ホンティベロス・バラケルを何とか上院に送り出すことができた(しかし下院の議席は一つだけだった)。これはピュロス王の勝利(犠牲が多く引き合わない勝利を意味する:訳者)と言えるだろう。この党は今、前政権の惨状と政治的に一体と見られている。その指導部は、BISIGを中心に自身をグループ化し、ある種の選挙機構になっている。
しかしながら、アクバヤンに結びついている、あるいは結びついてきた社会運動と労働組合内の諸潮流の進展は、詳細に見守るべき問題として残っている。

親ドゥテルテの
CPP/NDF
CPPは、最初はむしろグレース・ポーを支持してキャンペーンしたが、ドゥテルテが選挙に勝つ可能性があると実感した時に彼を支持した。この党のゲリラ部隊は何年かの間、ダバオ州で「死の部隊の市長」とある種の相互不介入協定を締結してきた。
ユトレヒト(オランダ)で暮らしているこの党の後見人、ホセ・マリア・シソンは、彼のかつての教え子である男を特に歓迎し、彼はおそらくフィリピンで最初の左翼大統領になると思われると考えた(注一一)。五月九日の選挙後党内で現れた意見の相違では、シソンはドゥテルテが始めた対話の申し出に好意的に反応し、他の者は、新大統領府のエリート主義的性格を厳しく批判した。政府に参加し、交渉の新しい局面を開始させるという、一つの合意(一時的な?)が達成されたように見える。
CPPは、「麻薬との戦争」政策を支持してきた。そしてそれに力を貸すとの申し出さえ行っている(注一二)。シソンはつい最近の声明で、人権の侵害に対する諸々の批判に、自らそれらを支持することなく少しだけ触れている。そして次の章では、オバマがこの問題を利用したことを厳しく非難している。シソンはそれを出発点に、それらを土台にドゥテルテを攻撃する全員に疑いを投げかけている(注一三)。
ベニトとウィルマ・ティアムソンの二人組がCPP「内部」の指導部を具現化している。二〇一四年に逮捕され、今はオスロの交渉に参加するために釈放された彼らは、あるインタビューで大統領府へ彼らの支持を伝え、米国に対する独立という彼の政策を実行するためにドゥテルテは実践的な歩みを進めるだろう、と単純に期待している(注一四)。
CPPに近い、あるいはその党員の閣僚に、社会的領域でドゥテルテが多くの権限を与えるつもりがある、ということははっきりしない。しかしおそらく決定的な意味をもつことになるのは、オスロ対話の問題だ。新大統領は、それを始める中で彼が行おうとしていることを分かっている、ということを軍に納得させなければならない。彼は結果を必要としている。おそらく彼が考えていることは、少なくともいくつかの地域では退潮傾向にあるゲリラが、五〇年以上におよぶ戦闘を経て出口を探している、ということだ。そして彼は、コロンビアで起きようとしているもの(FARCとの合意)を、利害と一体的に追い続けているに違いない。もちろん今のところオスロのCPP代表団は、古典的な立場、つまり終わりのない政治交渉という政策、に陣を張っている。
左翼から見て、この交渉の力学は、ドゥテルテの勝利が幕を開いた情勢の主要な具体的問題の一つを構成する。

人権と民主主義
反政権派の場合
あらゆる左翼潮流は、体制の現在の危機をもって、さまざまな戦場で好機の窓が開くことになった、と気付いている(注一五)。彼らはすべて、労働者(反不安定契約……)、地方の民衆(反鉱山企業……)、農民(農地改革の復活……)、貧困層(社会的保護……)、ルマド(先祖伝来の地に対する諸権利……)その他に対して実のある成果を勝ち取る好機をつかもうと挑戦中だ。これには、断固とした姿勢と柔軟性、さらに政治的自立が必要になる。
しかしながら、人権と民主主義という課題に関し、非共産党左翼(諸々のNGO、民衆諸組織、政治組織)には一つの亀裂が走っている。あるものにとっては、社会的目標を名目に、人権(麻薬との戦争)および民主主義(戒厳令という妖怪)について政府を非難すべきではない、となる。他のものにとってはそれとは逆に、そのような諸問題は沈黙を守るにはあまりに重大だ、となる。
まさにすぐさま、特にウォルデン・ベロの主導性を基に(注一六)一連の組織が、情勢が流動的である限り諸々の具体的な勝利を得るための動員を追求しつつも、自らを新政権に反対するものと言明した。
多くの勢力はまた、元独裁者のフェルディナンド・マルコスの遺骸を国立英雄墓地に埋葬する、とのドゥテルテの決定を糾弾して結集しつつもある(注一七)。

iDEFEND
民主派運動連合
その時以後、民主的抗議運動が成長を続けることになった。八月一二日に設立された、iDEFENDと名付けられた一つの連合が、人権の課題で正面戦を行った。情勢が悪化する中、またそれにつれ、この連合は幅広くなり、その立場を強化しつつある。その最新の声明では特に以下のように語っている。
―「民主主義は今日脅迫の下に置かれている。九月四日、大統領は全国を無期限に非常事態の下に置いた。(……)このところわれわれは、司法委員会首席からのデ・リマ上院議員のマラカニアン(フィリピン大統領官邸:訳者)指示による追放という形で、民主主義の破綻のもっとも鮮明な表示を見た。これは、議会に対する全面的な支配を得ようとする『処刑』の最新の波だ。(……)国の全体は、マラカニアンが麻薬との結びつきをもっていたことがあるという判事の調査に関し法廷がその権威を主張した際、ドゥテルテが戒厳令を布告すると脅しどれほど怒ったかを見た。今となっては四〇年も前になるが、マルコスは戒厳令を布告した。われわれは今日、われわれの命、自由、民主的な諸権利にとってもっと大きなとは言えないかもしれないが、同じような脅威を前にしている」(注一八)―

戦争やめろ連合
大衆の力党・
労働者党
「戦争やめろ」連合は、その名前が示すものよりももっとはるかに幅広い範囲の課題に取り組もうとしている。それは、ドゥテルテ政権に対する最初の批判的分析の一つを出版した(注一九)。それは、マルコス独裁体制から引き継いだ債務(ドゥテルテが問題にしてこなかった債務)を強く批判し、気候変動(ドゥテルテが聞きたくないと思っている)に反対して闘っている。それは、米国の支配が新しい世界の大国である中国のそれで置き換えられることを望んでいない。
PLM(大衆の力党)は九月七日付の声明の中で「都市の貧しいコミュニティーの中での、麻薬常用者や麻薬売人とされた容疑者に対する大量殺人の停止を求め」さらに「麻薬と対決するキャンペーンは、最大の麻薬王とその保護者に標的を絞った、単に警察力執行の強化で事足りるだろう」とした(注二〇)。
PM(労働者党)の指導者たちは九月二一日、次のような声明を明らかにした。つまり「戒厳令四四周年に、人権と民主主義を求める闘いはすべての者にとって、かつてと同じく今なお適切かつ決定的なものとしてあり、(……)市民的自由と民主的自由は現にあるはっきりした危険の下に置かれている。(……)麻薬との戦争を名目として行われている超法規的殺人は今やあふれ出し、人権擁護活動家の殺害にまでおよんでいる」(注二一)と。
革命的労働者党―ミンダナオ
(RPM―M)
六月一二日、RPM―Mは声明で「この発展が、この国における民主的諸勢力にとっての勝利、またフィリピンにおけるより躍動的で刷新された革命運動に向けた一押しを意味するならば、われわれは組織としてまたそのメンバーとして、CPP―NPAに対する一方的な休戦を宣言する」と明らかにした(注二二)。毛沢東派スターリニストの共産党は事実として、RPM―Mのような他の革命的諸組織の活動家に攻撃をかけてきたのだ。そして後者は、現在の情勢が、彼らが兄弟殺しと考える対立に終わりをもたらす助けになるかもしれない、との希望をもっている。
RPM―Mと革命的人民軍(RPA)は、ダバオにおけるアブ・サヤフによる攻撃後の九月四日発行の文書で、次のように姿勢を明らかにした。
―「われわれは、同じ憤りをもって、テロリズムと不法な麻薬に対決して立ち上がる。しかしわれわれは、国家非常事態宣言の公的発布に関しては疑念をもつ。この国で経験済みのことだが、軍部隊と警察部隊の大量展開は、非戦闘員のさまざまな市民的自由に対する大幅な縮小となってきたのだ。これはまた、反テロキャンペーンの名目で、ドゥテルテ政権内の軍事主義グループによっても、また外国の諸大国がもつ帝国主義的利害関心によっても利用される可能性があり、さらに新政権の支配的権力内部にある民族主義的イニシアチブをつぼみのうちに摘み取る可能性もあるのだ……」、「麻薬、犯罪、さらにテロ志向の諸活動に反対する戦争は、コミュニティの市民的自由と民衆に対する脅威となってはならず、代わりにそれは、民衆とコミュニティそれ自身を巻き込む包括的で率先した努力に向けた、より大きな空間を力づけなければならない」(注二三、本紙一〇月三日号)―

二者択一の対立
を克服する道を
フィリピン左翼内の論争は、時として最後通牒主義的かつ二者択一的対立の展開を見せる。ドゥテルテ支持か、「イエロー」陣営(アキノの色としてのイエロー)か、そのどちらかだ、というわけだ。
全体としてのフィリピン左翼は今日、東南アジアではもっとも活気に満ちた運動の一つとしてとどまっているとはいえ、弱体化している。それは一九八〇年代以後、長続きするやり方で政治的主導性を取り戻す、ということができてこなかった。そして、周期的に支配階級内対立の人質となっていることを自覚している。
現在の体制危機は、新たな急進的で統一的な力学に向けた推進力を条件として、左翼の再編に有利に働く可能性がある。但しこれは、ドゥテルテの大統領府に(またもちろん、前政府機構の破滅に)自ら足並みをそろえることによって起きることはないだろう。
情勢は複雑であり、諸々の機会をつかむことは必須だ。しかし新大統領府は住民の注視の中で、専横な権力と死の部隊の利用を正統なものにしようとしている。それはまさに、死を呼ぶ毒薬なのだ。(二〇一六年九月二五日)

注一〇から注二三)参照文書はいずれもESSF(国境なき欧州連帯)のウェブサイトに投稿された論評だが、今回は割愛した。(「インターナショナルビューポイント」二〇一六年一〇月号)



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