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    かけはし2016.年11月21日号

高江ヘリパッド12月完成させない


沖縄報告 11月13日

森を壊すな!闘いを広げよう

沖縄 K・S

11.7

N1ゲート前座り込みと
高江ウッドの山中行動

「一緒に地元に帰りましょう」

 北部訓練場のN1ゲート・メインゲートでの砕石・資材搬入阻止行動と訓練場内での監視・抗議行動が連日展開されている。一一月七日のN1ゲート前座り込み行動は、伊波洋一参議院議員、全国の地方議員でつくる「自治体議員立憲ネットワーク」所属の議員三〇人余り、世界ウチナーンチュ大会に参加したブラジルの若者たちも参加して行われた。座り込みに参加した地方議員たちは本土から派遣された機動隊による「ごぼう抜き」も体験、各地の議員は「土人、シナ人発言をした大阪府警の地元、大阪府民の一人として県民の皆さんにお詫びしたい」「若い機動隊員が沖縄で警備につくのは気の毒だが、沖縄県民の抗議する権利を奪わないで」「機動隊のみなさん、私たちと一緒に地元に帰りましょう」などと訴えた。
 午前中日思会という右翼団体の街宣車が抗議行動の現場に現れ、N1オモテ、N1ウラなど各地で長時間にわたって妨害行動を繰り広げた。われわれは全く相手にしなかった。彼らはそのうち引き上げた。この日夕方までに、計八八台のダンプがN1ゲートから入った。

沖縄で立憲ネット秋研修


 「自治体議員立憲ネットワーク」は全国の地方議員約八五〇人で結成されているが、沖縄での秋研修が一一月六日那覇市で開かれ約一〇〇人が参加した。翁長知事は講演で「もうすぐ知事就任二年になる。この間画期的だったのは、知事選に続く衆院選、県議選、参院選に私どもの考えを持っている候補が当選したこと。もう一つは辺野古埋め立て承認取り消しをめぐる法廷闘争だ。これは沖縄の問題ではなく、日本全体の地方自治と民主主義の問題だ。これを放っておくとわが身のこととなる。また、沖縄は基地で食べているという誤解がある。基地関連収入は年間二千億円、県民生産四兆円の五%以下だ。観光だけで基地関連の三倍、情報通信も二倍ある。沖縄は平和の緩衝地帯として経済発展する姿を目指していきたい」と訴えた。
 また、ジャーナリストの屋良朝博さんは「米軍再編で沖縄の海兵隊はグアムなどへ分散され半分になる。沖縄にはMEU(海兵遠征部隊)が残るが、一年の半分以上外に出ていて沖縄にいないのが実態だ。沖縄は長崎佐世保の強襲揚陸艦と部隊が合流するランデブー・ポイントになっている。しかし、沖縄である必要はない。辺野古・高江の問題は海兵隊あってのものだが、ランデブー・ポイントを沖縄から移せば解決する。ランデブー・ポイントを移すには条件として日本が駐留支援や運用支援、大義名分を用意し、海兵隊にお引き取り願うという発想があってもいい」と述べた。

赤土むき出し
のH地区現場
一一月七日の高江ウッドの山中行動は、早朝N1裏テントに集まった後、午前中H地区ヘリパッド建設地周辺で、午後は宇嘉川からG地区ヘリパッドに至る米海兵隊歩行ルートで行われた。山中行動隊の長靴は有り難いことに、各サイズ三〇足を先日鳩山元首相がプレゼントしてくれた。高江の現場には全国からいろいろな人々が訪れる。この日は、N1裏テントにも『週刊金曜日』発行人の北村肇さんが訪れ、「安倍のクーデターに負けるわけにはいかない。うちらはとことんやる」と訴えた。
H地区は全般的に工事が急速に進められている。直径七五mほどの円形に木々が伐採されたヘリパッド予定地の法面の木枠はほぼ設置され、谷に向かって一カ所大きく落ち込んだ所は、ユンボ二台による整地作業が行われていた。この場所の整地作業は難工事だ。赤土対策は万全か。森だけでなく水源地を汚染する赤土の流出は絶対に許されない。また、H地区から揚水発電所方面に伸びる進入道路の両側の斜面には芝が施され始めていた。いったいどこからの芝なのか。県外からの芝は土着生物を脅かす外来種の混入の危険がある。さらに、ダンプの過積載はないか。工事作業員が安全基準を守っているか、防衛局が管理者として守らせているか。われわれは防衛局が設置した防風ネット越しに、または防風ネットが張ってある単管によじ登り、抗議の声をあげるとともに監視行動を続けた。

200度以上の激しい
熱風が森を殺す

 オスプレイの離着陸に際しての激しい熱風は二〇〇度以上の高温になる。この熱風は森をこわしていく。そのため防衛局はヘリパッドの周りに防風ネットを設けた。防風ネットでオスプレイの熱風から多少なりとも森を守ろうという考えであろうか。彼らは調査のため、防風ネット周辺にネットから二〜三mの距離にポストのような白い箱に入った温度・湿度計を何か所も立ち木にぶら下げて設置している。オスプレイの離着陸は瞬間的だ。瞬間的に二〇〇度を超える温度を捉えることができるのか。二四時間連続して記録するような調査ができるのか。さらに、箱の中にある温度・湿度計が機能を発揮できるのか。
やんばるの森の木々の大量伐採とヘリパッドの直径七五mの円形と延長六〜七kmにおよぶ進入道路の存在は、乾燥に弱い亜熱帯の木々の生命力を奪いやがて枯れさせ、やんばるの森全体の動植物に計り知れない悪影響を与えることになるだろう。今年八月、やんばるの森は一部国立公園に指定された。将来世界自然遺産に登録しようという動きもある。それなのに森の一角を占める海兵隊北部訓練場の中では森の破壊行動が平然と行われているのである。やんばるの森に米軍基地とヘリパッドはいらない。森は基地と両立できない。

重機による歩行訓練
ルートの建設中止せよ

 また午後は、宇嘉川河口からG地区への海兵隊歩行ルートを歩いた。このルートは二〇〇七年に防衛局が県に提出した環境影響評価図書には記載がない。宇嘉川河口の海兵隊提供海域にオスプレイを乗せた強襲揚陸艦が停泊し、オスプレイが河口から川をさか上ってヘリパッドまで飛行するとともに、海兵隊員を乗せた水陸両用戦車が宇嘉川河口に上陸し、海兵隊員がG地区のヘリパッドまで行進することが想定されている。米軍が是非とも必要だと要望し、急きょ計画された新しい工事だ。沖縄森林管理署が一一月二日沖縄防衛局に出した同意書によると、全長二五七〇mのうち一七五〇mの範囲の立木四六九四本(最大のもので、高さ一・二mの地点で直径四六pのイタジイを含む)を重機で伐採する予定だという。約二・六kmにのぼるルート全体では約七〇〇〇本が伐採されると推定される。これまでの四カ所のヘリパッドと進入道路の分を加えると、今回の高江のヘリパッド工事で合計三万本以上の亜熱帯の木々が伐採されてしまうことになる。米海兵隊もやわな連中だ。歩行訓練だというなら、原生林を歩いてこそ訓練になる。重機で木々を伐採し砂利を敷いた道、一部は擬木で階段を設置すると言われる道を歩いて何が訓練なのか。ただの森の散歩ではないか。
われわれが海兵隊歩行ルートを上って行くと、目印の赤のペンキをぬったり、赤や青の荷造り用のビニールひもを道路建設予定ルートに沿って張ってあったりしている。、防衛局は幅一・二mの歩道と言っているが、一目で幅二〜四mあることが分かるし、また傾斜がきつい個所も多い。歩行ルートの整備は難工事になるに違いない。歩行ルートに沿ってしばらく歩くと、防衛局の職員たちが慌てた様子で出てきて、「ここは提供施設です。出て行ってください」と繰り返す。しかし、われわれは取り合わず前進する。どれくらい歩いただろうか。防衛局職員と警察官十数人が並んで立ちふさがり、三〜四台ビデオ撮影機を向け、それ以上前には行かせまいとする。その向こうには伐採の現場があることは明らかだ。彼らは現場を見せたくないのだ。その場に座り込んで数十分後にわれわれは引き上げた。

12・20返還式典を中止し
北部訓練場無条件返還を

 日米両政府は、北部訓練場の一部返還のための「返還式典」を一二月二〇日に大々的に開催する方針だという。そのため、ヘリによる空輸を含め一二月中旬完成を目指して突貫工事をやるつもりだ。他方、抗議を押さえつけるために政府は、一一月八日、山城議長など二人に加えて東京の市民など三人を「八月N1裏の路上で防衛局職員に暴行した」という傷害・公務執行妨害容疑で逮捕した。さらに、一一月一一日、那覇地検は山城博治平和運動センター議長を傷害、器物損壊容疑で起訴した。神奈川県のY牧師も同様に傷害容疑で起訴された。突貫工事と逮捕・起訴攻撃のエスカレートに対して、我われはN1ゲート・メインゲートを焦点とする県道七〇号線での闘いと北部訓練場内のあらゆる場所での闘いを同時に効果的に進めながら、一二月完成をさせないことを目下の行動目標として全力を尽くす。
政府防衛局はヘリパッド建設工事のごり押しを止め、一二月二〇日の返還式典を中止せよ。北部訓練場はいかなる条件も代替もなしに返還してこそ負担軽減だ。
全県から、全国から高江に駆け付けよう。最大の山場となるこの一カ月余りの攻防を悔いを残すことなく全力を出し切ろう!

首里域地下の第32軍司令部壕

やはり壕内に「日本軍
慰安所」があった!


前知事仲井真県政下の二〇一二年三月、沖縄県は首里城円鑑池の傍らに沖縄戦当時首里城の地下に造られた第三二軍司令部壕の説明版を設置した。説明版の文章は、県環境生活部長の諮問を受けた、沖縄歴史教育研究会の新城俊昭沖縄大学客員教授など五人の専門家の議論により作成・答申された内容から二つの点が削除されたものだった。二つの点とは、「三二軍司令部壕内に慰安婦がいた」「壕周辺でスパイ容疑による住民処刑があった」というものである。仲井真県政は「三二軍司令部に慰安婦がいたという確認ができない」などの理由をあげて、アジア太平洋戦争・沖縄戦における日本軍の実態に対する安倍政権の隠蔽工作に協力したのだった。これは辺野古埋め立て承認と並ぶ、仲井真県政の負の遺産の一つだ。

歴史遺産と戦争遺跡
二つの面持つ首里城


守礼門を通り園比屋武御嶽石門を少し越えたところの左手にある階段を下りていくと、道の左右の木々の間に二カ所、コンクリート製の哨所と第三二軍司令部壕の説明版が目に入る。ご覧になっただろうか。首里城を訪れる人々の多さに比べてこの場所に足を運ぶ人は大変少ない。かつて首里城は国宝だった。当時沖縄は京都、奈良に次いで三番目に国宝が多い県であり、その象徴が首里城だった。一〇・一〇空襲で司令部を焼かれた日本軍が首里城地下に司令部壕を設置したため、米軍の猛攻を受け首里城は破壊しつくされた。首里城は歴史遺産と戦争遺跡という二つの面を持っている。
一〇月下旬タイムスホールで開かれた「辻、OKINAWAそしてアメリカ」と題する絵画展の主人公である正子・ロビンズ・サマーズ(旧姓=新城)さんは英語の手記を出版し、三歳半で辻遊郭に身売りされるところから始まる自身の生涯を語った。正子さんは戦後自力で負債を完済し米兵と結婚してアメリカに渡った。そして、アメリカで絵の才能を開花させた。正子さんの絵は、リアリズムの力強さと優しさを備えていて、見る人を引き付ける。正子さんは今年九月八八歳で亡くなったが、現在手記の日本語訳の刊行が準備されている。

第32軍司令部隊の
慰安所と住民虐殺


正子さんは手記の中で「戦前の沖縄でジュリであったこと」「沖縄戦では第六二師団の幹部と行動を共にしていたこと」「一〇・一〇空襲の後首里の慰安所をへて三二軍司令部に来たこと」「壕内にジュリを含む二〇人ほどの女性がいたこと」などを明らかにしているという。三二軍司令部については他にもたくさんの証言がある。、沖縄師範学校の鉄血勤皇隊として司令部壕に出入りしていた大田昌秀元沖縄県知事は「作戦室と平行に掘られた坑道の両脇には、若い女性が二、三〇人もいた…一人残らず朝鮮の女性だということであった。」(『沖縄のこころ』)と証言している。
住民虐殺については同じく師範鉄血勤皇隊の川崎正剛さんが要旨次のように証言している。「昭和二〇年の四月、司令部壕第六坑道口に一人の女性が憲兵に引き連れられていた。豊見城出身の三〇歳くらいの女性。憲兵がスパイをこれから処刑するといい電柱に縛りつけた。壕内にいた朝鮮人女性四、五人が日の丸の鉢巻を締めて銃剣を持ち、憲兵の‘次’‘次’の命令で銃剣を向けていった。次に憲兵は縄を切って女性を座らせた。そして、俺は剣術は下手なんだがなあ、といいながら、日本刀をぬき背後から振り下ろした」(『留魂の碑』)
沖縄戦の事実を記録し次に続く世代に伝えていくことは沖縄戦を記憶している我われの使命だ。第三二軍司令部壕説明版の文章を検討委員の答申通りに書き直すことが必要である。


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