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    かけはし2016.年11月14日号

コービン運動押し上げに注力を


急進的左翼政党建設に向け

反緊縮急進化のさらなる推進へ

ソーシャリスト・レジスタンス


最も重大な要素
草の根の急進化
コービン運動は、われわれの政治生活のほとんどを通じて起きたものの中で、英国政治の左翼に関するもっとも意味のある発展になっている。それは確実に、左翼に関する政治を再形成し、政府レベルで違いをつくり出す上で、ある種の突破に向けた最良の可能性をはらんだ急進化だ。
労働党は今五〇万人の党員を抱え、復活中だ。この党は今、保守党、自民党、スコットランド民族党を合わせたもの以上の党員を確保している。それらの党員の多くは、オキュパイ運動、UKアンカット(注一)、緑の党のような近年の急進化から生まれた、また直接行動の環境運動から生まれた若い活動家だ。
コービンが呼びかけてきた一〇〇万人の達成もあり得る、ということは完全に可能性の範囲にある。そうした成長中の党員は、次期総選挙後に英国議会の最大政党になるという、またうまくいけば、他の進歩的な諸政党との連携を通じて政権を作るという、労働党のそのようなチャンスを高めている。
モーメンタム(注二)は約二万人のメンバーを擁している。それは内部民主主義を欠いているとはいえ、大衆的キャンペーンへと変化した真の草の根運動だ。それは、コービンとマクドネルがこれまで唱導してきた社会運動に類するものに向けた一歩だ。
もちろん、コービニズムの登場はたやすい歩みとはならなかった。事実としてそれは、労働党内部のブレア派や他の右翼諸分派との白兵戦形態をとることになった。そしてそれは、この八月に起きた、議会労働党によるクーデターの試みで頂点に達した。この対立は未解決のまま残され、労働党は、単一の枠組みの中に二つの異なった党派を抱えている。つまりその枠組みは唯一、単純小選挙区制及び労働党ブランドの強さによってのみ維持されている。労働党を外に向け、同時に右翼による打撃を限定する戦闘は、今後に控える数カ月にわたって進行が続く闘争として残るだろう。

コービン路線
一層の明確化
しかしコービンは、近頃の二つのできごとによって意味のある形で強化されることになった。
第一は、二回目の労働党指導部選挙におけるコービンの巨大な勝利だ。他は、彼及び彼のチームが党大会それ自身を利用した方法だ。そこで彼は、コービニズムが元々そこから現れた政治路線を成功裏に防衛しただけではなく、それを相当に強化もした。もちろんそこには、スコットランドの独立、選挙制度、また選挙における諸々の連携に対するチーム・コービンの姿勢に関する、重大な未解決問題が残っている。
コービンは、彼の反緊縮の立場、および党員に権力を渡すことによって党を民主化する(それはそれ自身で変化を起こす力をもつ)という彼の決意を強化しただけではない。彼はさらに、課された任務は緊縮が引き起こした社会問題に取り組むことであり、それらを移民のせいにすることではない、と強調することにより、移民を強く擁護した。これは、労働党を歴史的に特性づけてきた二党制的国家レイシズムと反移民からの、重要な一つの出発となる。彼はまた、欧州を貫く民衆の自由移動を防衛する点にまで進んだ。
大会にはさらに他の重要な成果もあった。たとえば、フラッキング(主要なシェールガス抽出法でさまざまな問題点が指摘されている、前号のモントリオールWSF報告Bの注も参照:訳者)を完全に禁止するという約束(そして気候変動に関する立場の強化)、家賃に上限を設けることと合わせて買い取り権を終わりにし、地方当局に資金を調達し自治体住宅を建設する権利を与えること(注三)などだ。反労組法の廃止もまた、集団交渉諸制度――諸々の賃金評議会――の復活と並んで決定的に重要だ。こうして彼はすべてのものごとを、明白に社会主義的な枠組み――「二一世紀の社会主義」――の中に置いた。
これらの諸方策は、以前の労働党指導層の新自由主義的総意と緊縮が岩のように固まった綱領に鋭く対決する方向をもっている。これは、多数に直接の利益をもたらし、より急進的な諸方策を求める闘いに確信を与えると思われる。

新たな左翼党を
別な経路で追求
ソーシャリスト・レジスタンスは、これらすべてに対応するものとして、二つの原則的(かつ相互に関連した)結論に達した。
その第一は、コービニズムは今や(圧倒的に)、今日のイングランドとウエールズにおける政治的急進化の主要な焦点、ということだ。統一左翼はその形勢以来重要な役割を果たしてきた。そしてソーシャリスト・レジスタンス(SR)は二〇一三年のその始まり以来、極めて熱気ある支持者となってきた。しかしわれわれは、労働党の左で統一左翼が占めた空間は、急速に閉じられつつあるだけではなく、労働党それ自身のコービン左派によって占められつつもある、という避けがたい結論に達した。
事実としてコービンは、労働党大会に向けた彼の演説で、極めてよく似た主張を示した。彼は、他の諸国では急進化は新自由主義から脱出する左翼の新党創出という形態をとってきたが、一方英国ではこの同じ歩みは、伝統的な労働党を通じて起きようとしている、と語ったのだ。
それゆえわれわれは、次期総選挙においてコービン率いる反緊縮政権を求めより効果的に戦闘するために、われわれの政治的重心を「コービン運動」に移行させる、と決定した。われわれは、新自由主義と緊縮を打ち破りより抜本的な変革へと扉を開く最良の機会をわれわれに与える、そうした一つの政府に向けた闘争を左翼全体が後押しすることを期待する。
これは、欧州中で社会民主主義の左に急進的な左翼政党を建設するという、われわれが長い間守ってきた、そうした考えとの決裂ではない。それはむしろ、そうした政策の異なった経路による継続だ。
われわれは、可能なところすべてで統一左翼との協働を続けるだろう。そしてSR支持者のある者たちは、統一左翼のメンバーであり続け、その内部で活動するだろう。しかしながらわれわれは、コービン、マクドネル、アボットを支える運動が、急進的に反緊縮を進める政党を建設する現時点でもっとも効果ある道である、と考える。

▼SRは、スコットランド社会党、社会主義連合、レスペクトに反映された再編を支えた英国のマルクス主義者により、二〇〇二年に創立された。その支持者は二〇〇九年、この組織を第四インターナショナル英国支部としてあらためて創立した。
注一)緊縮と対決する直接行動に焦点を絞った、英国内反グローバリゼーション運動の一部。
注二)この運動体は、新労働党指導部支持に基づくそのキャンペーンに参加した人々によって、ジェレミー・コービンの最初の成功を見た指導部キャンペーンの後設立された。しかしながらそこには、その機能に関する、この文書で扱う範囲を超えた一定数の論争が存在してきた。
注三)自治体(が住民向けに建設する賃貸の)住宅を買い取る権利は、一九八〇年代にマーガレット・サッチャーの保守党政権によって導入され、後に社会住宅の他の諸形態に拡張された。これは、自治体住宅を新たに建設する地方当局の権利に対する制限と組み合わされ、賃貸として利用できる家屋数の大量減少として結果し、そのためにホームレスと超過密居住を増大させた。規制を解かれた英国内の私有の賃貸住宅部門は、おそらく欧州内では最も小さい。(「インターナショナルビューポイント」二〇一六年一〇月号)

ポーランド

「黒い抗議」決起では
自発的広がりこそ特徴

それが四分の一世紀の沈黙破った

 以下は、世界を驚かせた中絶をめぐるポーランドの女性の決起について、当地から送られた報告。本紙で紹介したラゼム党活動家の報告とはすこし異なった見方が示されている。(「かけはし」編集部)
 今日、ワルシャワ、また全体としてポーランドで昨日起きたことに関し情報はますます多くなっている。それにしたがえば、さまざまな形態による一九八九年以後ではもっとも巨大な大衆的抗議行動の一つをわれわれが経験したことは、非常にはっきりしている(注一)。
 それは、四分の一世紀の間、街頭の抗議活動に参加する人々が、一〇〇〇人台どころか数百人以上であったことが一度もない、そうした国で起きつつある。
 中心となった行動への参加についてどう評価するかは難しい。なぜならば、組織化にあたった人々は今回のような強力な参加を予想せず、王宮広場という相対的に限定された空間での抗議を呼びかけたからだ。それゆえ、抗議に参加した人びとの多くが入れる空きはまったくなく、この限られた空間で人々の集まりが高める圧力によって、ある種危険な状況さえも生み出された。
 組織化にあたった者たちはこの圧力を取り除こうと、広場を離れ、議会に向かって行進するよう必死に呼びかけた。こうして人々は法的な許可のないまま雨の中、少なくとも二時間の間この都市中心部の交通を麻痺させた通りを通って行進した。警察の諸部隊はほとんど完全に消え去り、いくつかの小さな警察部隊がいたところでは、彼らの姿勢は同情的だった。
 いずれにしろワルシャワでは、基本的には若い女性からなる数万人がこの抗議行動に参加した。そして、昨年一二月の民主的抗議活動の始まり以来、それは三度目のもっとも大規模な抗議行動であったこと、そして、ポーランドの歴史上中絶問題では今日まででもっとも大規模なものであったこと、それは多かれ少なかれはっきりしている。昨日は、他の多くの都市でも抗議行動があった。
 昨日のもう一つの大きな驚きは、多くの人々が、あらゆる年代の女性多数が、小都市を含む国全体で、黒い衣装に身を包んで学校、職場などにやって来たことだ。
 この運動すべては、多数の女性のイニシアチブ組織、グループ、小さなネットワーク、特別のアピール、その他によって推進され、バラバラのやり方で大きな程度で自己組織化されている。そして、政党に関しては、それを指導しているものは一つもなく、行動主体として見えているものでさえ僅かだ(注二)。

注一)この報告は、二〇一六年一〇月四日、ポーランドのわれわれの通信員からIVに送られた。
注二)数カ月の間キャンペーンの始まりは、「女性を救え」という名をもつ市民プロジェクトの下での署名集めだった。ラゼムは署名集めを拒絶した。また、「黒い抗議はラゼム党によって始められた」ということも真実ではない。この抗議活動を始めた政党は一つもない。黒い抗議は大衆的な抗議行動であり、他方ラゼム党には大衆的動員能力はまったくない。(「インターナショナルビューポイント」二〇一六年一〇月号)

【訂正】本紙前々号(10月31日付)5面の映画紹介、上から2段目左から9行目の「同様」を「動揺」に訂正します。

 


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